2022/06/20 - 2022/06/20
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ベームさん
最後の日です。
大宰府、志賀島を回って帰ります。今日は曇りの一日でした。
大宰府:7世紀後半から12世紀後半まで、九州を統括するとともに西の都として日本の外交、貿易の対外交渉の窓口としての行政機関が置かれていた。
太宰府天満宮:大宰権帥(だざいごんのそち)としてこの地に流されていた菅原道真の墓所のあった所に、道真を祀るために創建された神社。道真は天神様といわれ、全国の天神を祀る神社の総本宮。
だざいふの表記に大宰府と太宰府があります。古代の役所、政庁、遺跡には大宰府、地名、市名、天満宮には太宰府が使われているとのことです。
志賀島(しかのしま):1784年、漢委奴国王の金印が発掘されたところ。
表紙の写真は太宰府天満宮、菖蒲池のアオサギ。
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福岡から都市高速(東京の首都高みたいなもの)に入り太宰府へ。
地図左に大宰府政庁跡、真ん中に観世音寺、右上に太宰府天満宮。 -
太宰府駐車センターに車を止め参道を歩きます。
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途中、西鉄太宰府線太宰府駅です。
観光バスなどもここで乗り降りさせるようで、これから天満宮まで人通りが増えてきます。 -
太宰府名物梅ケ枝餅のお店。
参道には梅ケ枝餅の店が一杯。 -
人通りが増えてきました。でも今日は月曜日なので少ない方でしょう。
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参道の土産物店。
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人気のお店のようです。
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太宰府天満宮に来ました。
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845年に生まれた菅原道真は幼児より学殖に秀で、文人政治家として右大臣にまで登りましたが、901年藤原氏との政争に敗れ大宰府に左遷されました。
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903年、この地で無念の死を迎えます。
遺言により牛車に遺骸をのせて運んでいたところ、牛が臥せってしまいます。そこで
その場所を道真の墓所としたのが太宰府天満宮の始まりです。 -
境内図。
右下の参道からきて突き当りを左に曲がり赤い太鼓橋を渡ります。 -
ここで大発見。
石柱の裏に「伊藤傳右衛門」の名前が彫られている。あの九州の炭鉱王というよりも、柳原白蓮こと柳原伯爵家令嬢柳原燁子(あきこ)の夫で、のち燁子に逃げられたことで有名になった人物です。
明治44年、炭鉱労働者からたたき上げて炭鉱王となった無学の50歳の男と26歳の才色兼備の伯爵令嬢の結婚。当時の大ニュースとなった。
なにしろ大正の3美人と称されたほどの柳原燁子です。 -
これを上回るセンセーションを引き起こしたのが大正10年の燁子の出奔と若い法学士宮崎龍介との逃避行だった。燁子が傳右衛門にたたきつけた絶縁状が新聞に載るに至って世間は沸きに沸いたという。世にいう白蓮事件。二人は年齢、育ち、教養、身分があまりにも違い過ぎたのでした。
その傳右衛門の財の一部がこの鳥居になっている。 -
柳原白蓮。1885年~1967年。歌人。平和、婦人運動家。大正天皇の従妹。
歌は佐々木信綱の竹柏会で学ぶ。
最後の夫、宮崎龍介は日本に亡命中の孫文を助け、辛亥革命を支援した宮崎滔天の息子。 -
有名な歌の歌碑がありました。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
901年、菅原道真が大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷されたとき、住まいの屋敷紅梅殿の梅の木に別れを惜しんで詠んだ歌。 -
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太鼓橋の畔のくすの巨木。
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心字池に掛る太鼓橋です。
手前から太鼓橋、直橋、太鼓橋と続いていてそれぞれ過去、現在、未来に繋がっているそうです。 -
これは直橋。
橋を渡るにもしきたりがあり、戻るときは橋を渡ってはいけないなどまことしやかなしきたりがあるそうです。 -
太鼓橋。
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摂社今王社。
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橋の右手に志賀社。
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楼門です。
火災により焼失した後、1914年(大正3年)の再建です。 -
内側から。
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楼門の手前に豪華な手水舎。てみずやと読みます。
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中に亀(神亀)が刻まれています。
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一般にはちょうずと読むのではないでしょうか。
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御神牛(ごしんぎゅう)。境内のあちこちにありました。
菅原道真と牛は切っても切れない仲で、いろいろ謂れがあります。中でも遺言に「遺骸は牛車に載せて引かせよ」とあり、その牛が臥せった所に遺骸を葬ったとされています。 -
それで全国の天満宮にある牛は全て臥牛になっています。また道真にあやかって神牛の頭を撫でると賢くなるということから、撫で牛の風習も広まりました。
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麒麟像。
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鷽(うそ)像。
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その謂れ。
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本殿です。
正面は意外と小さい。 -
菅原道真の墓所のあった所に919年造営されました。1591年再建。国の重要文化財です。
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祭神は菅原道真。ご利益は勿論学問向上。
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受験シーズンには凄いものでしょうね。
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本殿前の飛梅。
道真が太宰府左遷に際し「東風吹かば・・・」と詠いかけた梅が道真の後を追って空を飛んでこの地に降り根を張った、という伝説の梅。 -
飛梅の咲いた様子。ウイキより。
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飛梅と向かい合って橘の木があります。道真と橘は特に関係はないようです。
おそらく紫宸殿の左近の梅、右近の橘に因んで植えられたのでしょう。
本殿から見て梅は左。橘は右にあります。 -
少し境内を散策しました。
天然記念物大樟。
樹齢1000~1500年。高さ39m、根回り20m、目通し12m。 -
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楼門の横です。
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絵馬堂。
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菅原道真公と楼門でしょう。
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太鼓橋と心字池。
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大宰師(だざいのそち)大伴旅人の歌碑。
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菖蒲池。
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菖蒲池。
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アオサギ?
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浮殿(うきどの)。
水面にその影が映る建物を浮殿と言った。以前は心字池のそばにありました。 -
九州国立博物館の入り口です。
ここから長いエスカレーターで上った先にあります。
国立博物館と名のつくのは東京、奈良、京都とここ九州の4つしかないそうですね。 -
だざいふ遊園地。
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帰りの参道でまた傳右衛門さんを見つけました。先ほどのとは別です。
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これです。
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太宰府天満宮と大宰府政庁跡の間に観世音寺があります。
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7世紀後半、天智天皇が斉明天皇の供養のために発願して建立した寺です。
金堂、講堂、五重の塔、戒壇院があり、49の子院を持つ大寺でしたがすべて消失し、金堂と講堂のみ江戸時代に黒田藩主により再建されています。 -
金堂。
侘びのあるすっきりした姿です。 -
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講堂。
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碾磑、てんがいとフリガナが書かれています。
天平時代の石臼ですね。
ここには7世紀後半の作で現役日本最古の梵鐘があるそうですが、目下どこかの展示に貸し出し中とあってみることが出来ませんでした。 -
観世音寺の隣にある史跡大宰府跡(大宰府政庁跡)です。
7世紀後半から12世紀後半まで、九州統括かつ外交・貿易の対外交渉の窓口としての役割を担っていました。「都府楼、都督府」とも呼ばれました。 -
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全景。
太宰府市のホームページから借用。 -
南の石段。
背後の山は大野山。白村江の戦いに敗れた大和政権は外敵の襲来に備えるため各地に山城を築いて、この大野山にも築かれた。礎石などが残っており、大宰府跡と共に国の特別史跡になっている。大野城市に名前を残しています。 -
建物類は何もなく、礎石が点在するばかり。
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西国経営の夢の跡ですね。
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松尾芭蕉がここを訪れていたらなんと詠んだでしょう。
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一番奥、正殿のあった所に3基の石碑が建っています。
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真ん中の「都督府古址」。
都督府は大宰府の唐名。 -
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若い母親と子供たちがのんびりとお弁当を広げていました。
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大宰府跡のすぐ裏に「令和」で一躍有名になった坂本八幡宮があります。
今回あちこちでこんな風景が見られました。私は田植えは5月連休の頃のように思っています。麦など二毛作をしているのでしょうか。 -
坂本八幡宮。
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創建は16世紀中ごろの戦国時代と推定されています。
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祭神は応神天皇。
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このひなびた神社を世に知らしめたのが「令和」でした。
「令和」の典拠となった万葉集の中の歌が詠われた「梅花の宴」が開かれた大伴旅人の屋敷がこの坂本八幡宮の場所だ、とされたからです。しかしこの説は歴史的裏付けはなく、だいたいこの付近だろうという程度だそうです。
ブームが去ったのか、いま訪れているのは私たちだけでした。 -
これは大伴旅人の歌です。
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博多湾に浮かぶ能古島(のこのしま)と右に志賀島(しかのしま)。
大宰府から一路福岡に戻り、最後の目的地志賀島に行きました。 -
漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)の金印が発掘された島です。
博多湾と玄界灘を区切る海の中道を走っていきました。島と言っても本土と陸続きです。バスも通っているようです。 -
「漢委奴国王金印発光之處」の石碑が建っていました。
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海べりの小高い公園になっています。
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志賀島は古代日本の対中国、朝鮮半島への海上交易の拠点としての重要な位置を占めていました。
そこで後漢の国王から授けられた金印が発掘されたのも故ある事かもしれません。 -
1784年(天明4年)農夫が田を耕していた時に金の印綬が掘り上げられました。
農夫はそれを役所に届け出、儒学者などが種々鑑定したところ、これは後漢の光武帝が委奴国王(わのなのこくおう)に授けた金印であると判定し今に伝承されている物です。 -
発掘場所は確定されませんが、ここら一帯ということになっています。
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中国の「後漢書」に、57年後漢の光武帝が奴国からの朝貢使に印綬を授けた、と記されていることからこれがその印綬、金印とされています。
しかし真贋諸説があり決定的なことは分からないそうです。 -
印綬は文書や荷物の封印に使われるものです。
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一番上の展望広場まで登ってみました。ガラスケースの中に金印のレプリカが展示されています。金色に光っています。
実物は福岡市博物館にあり、一辺2.3センチ四方、重さ108グラムの小さいものだそうです。金の含有率は95%で24金ではないようです。 -
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志賀島を後にし福岡市内に戻りレンタカーを返却。
空港の食堂で博多名物といわれるごぼ天うどんを食べて今回の旅を締めくくりました。お土産は稚加栄の明太子。
久しぶりの旅行で、梅雨時としては天候にも恵まれ楽しい旅でした。
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