2022/05/16 - 2022/05/16
23位(同エリア266件中)
はなまりんさん
- はなまりんさんTOP
- 旅行記125冊
- クチコミ60件
- Q&A回答17件
- 223,643アクセス
- フォロワー48人
五月晴れの一日、愛車を駆って湯布院に向かいました。
湯宿「ほてい屋」の割引キャンペーンに妹が当選したのです。余った権利を一つ譲ってくれました。露天風呂付きの離れにリーズナブルに泊まれるなんて、超ラッキー!!
でも、久しぶりの大分道。せっかくだから道筋のあれもこれもと欲張って、大刀洗(たちあらい)平和記念館と太宰府の九州国立博物館も組み込むことにしました。
今編は一泊二日のドライブ日記のその①大刀洗平和記念館編です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
毎度おなじみ、手描きの地図です(毎度下手でごめんなさい…)。
九州に馴染みの薄い方は、これで地理をイメージして下さいね。
福岡から出発です。太宰府から九州縦貫自動車道に乗って南下し、鳥栖JCで大分自動車に入り、東進します。 -
筑後小郡で大分道を降り、たちあらいへ。車で10分くらいで筑前町立大刀洗平和祈念館到着。甘木鉄道太刀洗駅のすぐそばです。
大刀洗平和記念館は、三二型としては日本で唯一現存するゼロ戦一機と、雁ノ巣沖から引き揚げられた九七式戦闘機一機を保管している貴重な記念館です。筑前町立大刀洗平和記念館 美術館・博物館
-
大刀洗平和記念館駐車場で、愛車と記念撮影。
愛車は四駆のスバル。よく走ってくれる大好きな車です。
スバル自動車の前身というのは、知る人ぞ知る、戦闘機を製造していたあの中島飛行機なんです!!なので、スバル製の車はさすが高性能を誇ります。。。と、はなは思っています。
!(^^)! -
記念館の前庭には、いきなりヘリコプターの展示が!
これはどう見ても第二次大戦のものではないようですが… -
パネルの説明書きによると、これは、三菱重工業が製造した、初の純国産ヘリMH2000なんだそうです。
機体、エンジン共に自社開発というのは、世界的にも珍しいんだとか。Mは三菱、Hはヘリ、2000は西暦2000年のことですって。凄いですね!
しかし、このヘリは必ずしも順調な成長にはつながらず、量産はされなかったようです。
でも、戦後すべての飛行機の生産を禁止され、航空機製造業界が壊滅状態になったという事情を思えば、困難を克服し、再興を目指す中での快挙の印と言えるかもしれませんね。 -
入場券を買って入館します。
しかし、ここにも非情な「撮影禁止」の文字が!!
なんでやねん?? 海外は何でもどうぞどうぞの所がほとんどなのに、日本ではこれ、多すぎん?? 写したって減るもんやなかろうに…
著作権とか、商業目的での使用防止とか、理由はあるやろけど、そもそも展示して見せてんのに今更何で??
しょんぼり (/_;) しょんなかたい… 写真は撮れんとたいね… -
さて、そもそも大刀洗とは何ぞや? パンフレットを参照しますね。
ここ大刀洗は、第一次世界大戦終結後に建設された、日本陸軍の重要航空拠点。飛行学校及び飛行場、その他関連施設を合わせ、当時東洋一と謳われた規模を誇ったそうです。
第二次大戦での特攻隊の基地と言えば知覧が有名ですが、元はと言えばこちらが本拠地。しかし、大空襲で破壊されて跡形もなくなり、更に、終戦で完全に消滅したのだそうです。
…それほどの基地があったとは、長年知らなかった…… -
ところで、私が初めて大刀洗基地の事を知ったのは、20年位前にもなるでしようか、博多湾の雁ノ巣飛行場沖で九七式戦闘機が沈んでいるのが見つかり、引き揚げられたという西日本新聞のニュースからでした。
当時現存する九七式はこの一機のみという貴重な機体です。さぞや各方面から引く手あまただろうと思っていたところ、なんと、福岡県の郡部、朝倉郡大刀洗に引き取られたのです。驚きました。何でそんな田舎に!?(失礼)知覧でも岡山でもなく、大刀洗??
このことから、ここ大刀洗が、戦争中重要な場所だったのだという事が徐々に分かってきたのでした。
※ この写真は、太刀洗平和祈念館が私設記念館だった当時の、パンフレットを撮影したものです。 -
実は、九七式戦闘機を大刀洗に引き取ったのは、この人”渕上宗重さん”。
私費を投じて、甘木鉄道太刀洗駅に私設の記念館を開設し、戦争の遺品や昭和の雑貨などを収集展示していた方です。戦争の記憶を失ってはならないという思いから、この施設を管理運営されていたとか。陸軍基地のあったここ大刀洗こそ、平和を祈念する場所なのだと。
その強い思いから、この九七式戦闘機を何としてもこの太刀洗の地に置きたいと願い、交渉の努力を重ね、見事成功されたのです。
実際に九七式戦闘機を運んで来るのはそう簡単ではなかっただろうことは、想像に難くありません。
まずは浸かっていた海水の塩分を抜くために、とある中学校のプールにしばらく沈めて脱塩するなどの手間も含め、運搬や修復の費用も相当かかったと聞いています。これには、渕上氏個人だけではなく、町や有志の尽力もあったそうですが。
この大刀洗の地こそ、戦闘機の帰る場所としてふさわしかったのだと、初めて知りました。
戦争の痕跡を消すことなく後世に伝えることが、平和を考えるよすがになる。
…なるほど… -
九七式艦上攻撃機引き揚げ当時、どうしてもこの戦闘機をじかに見たかった私は、この民営記念館に飛んでいきました。その時撮った写真です。たしか、15年位前かな。
(昔も今もミーハーな私!)
長く海の底に沈んでいた機体は、きれいに洗われ、黒く鈍く光っていました。
この機に搭乗して中国から飛んで来た若いパイロットは、雁ノ巣沖から生還した8日後に特攻兵となって飛び立ち、二度と帰ることはなかったのだそうです。。。
☆民営の記念館だったこの頃は、展示機に触り放題撮り放題。もっとたくさん写真を撮っておけばよかった… 残念。。。。 -
当時は、こんな軍服をお借りして記念写真を撮る、なんてことも出来ました。おおらかでのんびりした時代でした。。。
-
その後、旧記念館のすぐ近く、現在の場所に町営の記念館が建てられて渕上氏の収蔵物もそちらに提供され、九七式戦闘機も移りました。
ゼロ戦も展示されているとあって、結構話題を集めました。
記念の切手も発売されました。これがその記念切手の上半分。 -
こちらが下半分の切手の部分です。
限定販売で、我が家の最寄り郵便局では取り扱いがなく、大刀洗郵便局に電話でお願いし、近所の郵便局に回送してもらって、ゲットすることができました。嬉しくて、今も使わずにコレクションとして持っています。 -
さて、現在の記念館に戻ります。
ゼロ戦とご対面!! 唯一、ゼロ戦だけは撮影OK。 -
色々な角度から撮りました。
-
天井には、B29の大きさを示すものが描かれていました。こんなデッカイ爆撃機相手に、蚊トンボみたいに小さな薄いゼロ戦が向かって行ったのですねぇ。
しかも特攻なら片道飛行… なんとも… -
この零式艦上戦闘機は、三二型としては、世界に現存する唯一の機体で、マーシャル諸島のジャングルの中に眠っていた機体を復元したものだと、説明板にありました。
-
機体の横には階段が設けられています。早速高上り!
-
二階に上がると、機体を上から完全に見ることが出来ます。
戦争で若者たちが散って行ったその飛行機だと分かっていても、やっぱりカッコいいなと思わずにはいられません。
(*´▽`*)
もちろん、館内には、あの九七式戦闘機もあったのですが、なにしろ撮影NGで… -
この時期、記念館では「大空に生きた若者たち」という企画展が開催されていました。
「きけわだつみの声」が思い出されて、切なくなりました…
こちらも写真NGのため、紹介できず残念です。 -
実は最近、こんな本に出会いました。
歴史もので名を馳せている安部龍太郎さんの「特攻隊員と大刀洗飛行場」という新書です。現場で作業員として働いていた方たちへのインタビュー集。これを基に小説を書く構想もお持ちだとか。期待が高まりますね。
さてこの後は、湯布院の温泉を目指して大分道を更に東進します。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (5)
-
- ねんきん老人さん 2024/03/05 15:22:50
- ミーハー万歳!
- はなまりんさん、こんにちは。 大刀洗平和記念館に行かれたのですね。
私もこの記念館が開館された直後に行ったことがありますが、はなまりんさんはその前の民営時代にも行かれているとのことで、同じミーハーとして、尊崇の念を覚えます。
記念館・展示館というのはそもそも無知な人たちに歴史の保全に目覚めてもらうという趣旨がある・・・つまりミーハーを対象としたものですね。 研究者用でしたらむしろ公開しない方が安全なのですから、ミーハーおおいに結構だと思います。
私はその無知な大衆の代表みたいなもので、実際にゼロ戦の機体を見たのは、そのときが初めてでした。 その後各地に保存されている三二型以外の機体を見る機会ができたとはいえ、やはり初めて見たときのことは忘れられません。
野次馬気分で少しだけゼロ戦のことを勉強しましたが、知れば知るほどゼロ戦というのは実際に乗る飛行兵たちにとっては評判の良くない機種だったようにも思えてきました。 小回りがきいて攻撃には向いていたものの、機体軽量化を重視したために装甲が弱く、敵弾を受けるとあっけなく墜落したようですね。 物量にすぐれたアメリカはすぐに対策をとり、ゼロ戦とは空中戦を避け、雨あられのように銃弾を空中にまき散らしては逃走するという戦術によって、脆弱なゼロ戦はたちまち消耗したということです。
ですから、飛行兵たちはゼロ戦ではなく、被弾に強い「紫電改」への搭乗を熱望したものの、ときすでに飛行機を量産する力を失っていた日本には残余のゼロ戦に優秀な兵を乗せて特攻させるという道しか残っていなかったと聞きます。
おっと、生かじりのことを長々と書いてしまいました。
もう一つだけお許しください。 仰るとおり、各地の博物館、美術館で展示物の撮影を禁じていることには、私も苛立ちと腹立ちを覚えます。 「減るもんやなし」・・・まったく同感です。 パンフレットやカタログの販売という商業目的を優先しているとしか思えません。
ただ、3年前に知覧と鹿屋の展示館で、特攻兵とその家族たちの遺影や私信が不特定の人々に撮影され、その写真がどのような形で拡散されるか分からないことに鑑み、やむをえず撮影禁止にしているという説明を受け、なるほどと思いました。 知覧でも鹿屋でも、飛行機などは撮影自由だったことも同じです。
スバルのルーツは中島飛行機だったのですか! 目から鱗で、これからはスバル車を見ると中島飛行機を思い出すことになりそうです。
いつもながら、はなまりんさんのご旅行記を拝読すると新しい事や膝をたたきたくなるような考えに出遭い、大きな刺激を受けます。
大刀洗平和記念館開館の記念切手も、ご苦労の末入手されたそうで、そういうご努力をされる「ファン」をミーハーなどと言っては失礼に過ぎますね。 先述の「同じミーハーとして」という言葉は取り消します。
手描き地図ファンのねんきん老人
- はなまりんさん からの返信 2024/03/05 22:47:07
- RE: ミーハー万歳!
- 年金老人さん、こんばんは。
お便りありがとうございます。とっても嬉しいです。
軽輩の私をいつも持ち上げて下さって、くすぐったくなります。
……持ち上げて下さってますよね?気のせいや思い違いではありませんように。。。
最新の「ゴジラー1,0」見られましたか? 実戦配備される前に終戦を迎え、遂に飛び立つことの叶わなかった戦闘機「震電」。特攻崩れの主人公がこの「震電」に乗り、ゴジラ目掛けて突っ込んでいく姿が、どうしても特攻の零戦に重なって見え、辛くなります。
戦争体験の無さからか、零戦とか空軍というと、私など千葉てつやの「紫電改のタカ」を連想してしまいます。時代の雰囲気と言えばそれまででしょうが、何か違いますよね。
初めて特攻兵の写真を間近で見たのは鹿児島県加世田町の平和祈念館でした。子犬を抱いた少年兵がここに居たんだと知って、とても切ない思いが込み上げたのを覚えています。
今回の「ゴジラ−1,0」は、反戦・反核を表現している点、初代ゴジラのコンセプトを忠実に受け継いでいるように思えます。年金老人さんは、どんな感想をお持ちでしょうか?
ちなみに、映画で使われた震電の原寸模型が、2022年から太刀洗平和祈念館に展示されているそうです。
はなまりん
-
- kummingさん 2022/05/25 18:43:06
- 近場♪
- はなまりんさん、こんにちは♪
ココ↑、私んちから車で20~30分圏内です。むか~し昔、息子と娘のために土日行楽に勤しんでいた頃、家族で行きました。
亡くなった若者たちのおてまみ、泣けました。すごく優秀な青年たちが若くして命を散らせたという、悲しく切ない記憶。ずっと語り継がれないといけませんね。
またお近くにお越しの際は、ぜひ~♪
- はなまりんさん からの返信 2022/05/25 19:26:07
- Re: 近場♪
- あらま、大刀洗はkummingさんのテリトリーなんですね⁉失礼しました💦
戦争の記憶を語り継ぐのは大切だとは思いますが、見るほどに、やり切れない気持ちになります。恒久平和なんて、夢のまた夢なんでしょうか。
ところで、kummingさんは古代史にドップリなんですね。門外漢の私にはチンプンカンプンです。知れば知るほど面白いんでしょうね?
- kummingさん からの返信 2022/05/25 19:39:29
- Re: 近場♪
- いえいえ、私も門外漢で、ちちんぷいぷい!でございます♪
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
5
21