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 津山城の規模の大きさは、天守は4重5階地下1階の層塔型天守、日本三大平山城のひとつと言う。姫路城に匹敵する、本当に大きな城であった。<br /> 外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、雄大な城郭であった。明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。<br /> 津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却された。本当に残念である、その思いを噛みしめながら津山城を見学しました。

姫路城の61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並んだ名城、津山城

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2021/11/14 - 2021/11/14

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ガッサン

ガッサンさん

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2021/11/14

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 津山城の規模の大きさは、天守は4重5階地下1階の層塔型天守、日本三大平山城のひとつと言う。姫路城に匹敵する、本当に大きな城であった。
 外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、雄大な城郭であった。明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。
 津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却された。本当に残念である、その思いを噛みしめながら津山城を見学しました。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス JALグループ 徒歩

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  •  おみやげ処津山観光センター駐車場で「津山観光ボランティアガイドの会」の方と待ち合わせました。津山観光センター前の石段を上っています。

     おみやげ処津山観光センター駐車場で「津山観光ボランティアガイドの会」の方と待ち合わせました。津山観光センター前の石段を上っています。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  津山観光センター前の石段を上ると「表門出入口」通りに出ます。この通りには「津山城跡案内所切符売場」があります。<br /> ・開園時間 4月~9月 8:40~19:00 10月~3月 8:40~17:00 さくらまつり期間中 7:30~22:00 入園料・大人(高校生以上)300円・小人(中学生以下)無料 ・備中櫓 入館料無料  

     津山観光センター前の石段を上ると「表門出入口」通りに出ます。この通りには「津山城跡案内所切符売場」があります。
     ・開園時間 4月~9月 8:40~19:00 10月~3月 8:40~17:00 さくらまつり期間中 7:30~22:00 入園料・大人(高校生以上)300円・小人(中学生以下)無料 ・備中櫓 入館料無料  

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「史跡 津山城跡」の石碑です。

     「史跡 津山城跡」の石碑です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「津山城復元図」です。<br /> 城郭の規模の大きさ、天守は4重5階地下1階の層塔型天守、日本三大平山城のひとつと言う。本当に大きな城である。<br /> 外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。また、近隣の津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却された。本当に残念である。

     「津山城復元図」です。
     城郭の規模の大きさ、天守は4重5階地下1階の層塔型天守、日本三大平山城のひとつと言う。本当に大きな城である。
     外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。また、近隣の津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却された。本当に残念である。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  大変立派な案内板が建っていました。読んでみました。 <br /> 津山城跡 国指定史跡(昭和三八年九月二八日指定)<br /> 津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長九年(1604)に起工し、元和二年(1616)の完成まで一三年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。<br /> 往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓挟間・鉄砲挟間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾のない実戦的なものでした。また、本丸・二の丸・三の丸には、備中櫓をはじめ、粟積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には七十余の部屋からなる御殿と庭園がありました。<br /> この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。<br /> 明治六年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌七年から八年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました。<br /> その後、明治三三年(1900)城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和三八年に国の史跡に指定されました。

     大変立派な案内板が建っていました。読んでみました。 
     津山城跡 国指定史跡(昭和三八年九月二八日指定)
     津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長九年(1604)に起工し、元和二年(1616)の完成まで一三年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。
     往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓挟間・鉄砲挟間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾のない実戦的なものでした。また、本丸・二の丸・三の丸には、備中櫓をはじめ、粟積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には七十余の部屋からなる御殿と庭園がありました。
     この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。
     明治六年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌七年から八年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました。
     その後、明治三三年(1900)城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和三八年に国の史跡に指定されました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「備中櫓」です。備中櫓は津山城本丸にある櫓です。<br /> 備中櫓は本丸御殿の南西端に位置し、その名は鳥取城主池田備中守長幸(いけだびっちゅうのかみながよし)に由来すると伝えられる。森藩時代の基本的な資料である『森家先代実録』には「備中矢倉 池田備中守長幸入来の節出来」とある。森忠政は長女於松(おまつ)を池田備中守長幸に嫁がせており、長幸は忠政の娘婿にあたる。その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓であったと考えられています。備中櫓跡の発掘調査で池田家の揚羽蝶紋の瓦が出土したことも、この建物が池田家と深い関係にあったことを物語っています。

     「備中櫓」です。備中櫓は津山城本丸にある櫓です。
     備中櫓は本丸御殿の南西端に位置し、その名は鳥取城主池田備中守長幸(いけだびっちゅうのかみながよし)に由来すると伝えられる。森藩時代の基本的な資料である『森家先代実録』には「備中矢倉 池田備中守長幸入来の節出来」とある。森忠政は長女於松(おまつ)を池田備中守長幸に嫁がせており、長幸は忠政の娘婿にあたる。その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓であったと考えられています。備中櫓跡の発掘調査で池田家の揚羽蝶紋の瓦が出土したことも、この建物が池田家と深い関係にあったことを物語っています。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「表中門」です。<br /> 幅14mの広い階段が続く登城道の入り口付近に重厚な櫓門があったそうです。<br />日本航空のシンボルマーク赤い鶴のマーク、鶴丸に似た家紋は、森蘭丸で有名な森家の家紋だそうです。<br /> 津山城は、森忠政が慶長9年(1604)に築城にかかり、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月を要しました。 城主は森氏(4代)、松平氏(9代)と続き明治維新を迎えています。森忠政は森 長可(もり ながよし)の弟です。

     「表中門」です。
     幅14mの広い階段が続く登城道の入り口付近に重厚な櫓門があったそうです。
    日本航空のシンボルマーク赤い鶴のマーク、鶴丸に似た家紋は、森蘭丸で有名な森家の家紋だそうです。
     津山城は、森忠政が慶長9年(1604)に築城にかかり、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月を要しました。 城主は森氏(4代)、松平氏(9代)と続き明治維新を迎えています。森忠政は森 長可(もり ながよし)の弟です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  国指定史跡 津山城跡案内図です。大きな縄張りです。津山城の規模の大きさが分かります。

     国指定史跡 津山城跡案内図です。大きな縄張りです。津山城の規模の大きさが分かります。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  四足門(よつあしもん)の案内です。読んでみます。<br /> 概要<br /> 四足門は、大手の二の丸の入口にある門です。門は、廃城後の明治7年に中山神社(津山市一宮)の神門として移築されました。絵図と比べると、屋根が瓦葺から檜皮葺に変わっていますが、現在でも見ることのできる数少ない津山城の建物の一つです。<br /> 絵図や現在の神門の調査から、薬医門であることや、扉のついていない城門であったこと、柱の位置関係が絵図と重なることが分かりました。発掘調査では、門の礎石の根石を確認しています。<br /><br /><br />

     四足門(よつあしもん)の案内です。読んでみます。
     概要
     四足門は、大手の二の丸の入口にある門です。門は、廃城後の明治7年に中山神社(津山市一宮)の神門として移築されました。絵図と比べると、屋根が瓦葺から檜皮葺に変わっていますが、現在でも見ることのできる数少ない津山城の建物の一つです。
     絵図や現在の神門の調査から、薬医門であることや、扉のついていない城門であったこと、柱の位置関係が絵図と重なることが分かりました。発掘調査では、門の礎石の根石を確認しています。


    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  備中櫓です。 <br /> 備中櫓の外観は漆喰(しっくい)仕上げで通常の櫓と同様だが、本丸御殿指図には備中櫓がその東に接続する長局・到来櫓とともに描かれており、これらの建物が御殿の一部として認識されていたことを示している。さらに指図によると内部には御座之間や茶室を備え、建具には「唐紙(からかみ)」を用いるなど、内部は完全に御殿建築であり、なおかつ繊細で女性的な仕上げであったことがわかる。そのためこの櫓は、本丸御殿の最奥部という位置からしても、城主にごく近い間柄の女性もしくは城主自身の生活空間の一部として用いられたと考えられている。<br /> このような特異な構造を持つ櫓は類例が少なく、津山城の建物の中でも特徴的なものであるため、復元整備の対象となったものである。内部を見学することができます。

     備中櫓です。 
     備中櫓の外観は漆喰(しっくい)仕上げで通常の櫓と同様だが、本丸御殿指図には備中櫓がその東に接続する長局・到来櫓とともに描かれており、これらの建物が御殿の一部として認識されていたことを示している。さらに指図によると内部には御座之間や茶室を備え、建具には「唐紙(からかみ)」を用いるなど、内部は完全に御殿建築であり、なおかつ繊細で女性的な仕上げであったことがわかる。そのためこの櫓は、本丸御殿の最奥部という位置からしても、城主にごく近い間柄の女性もしくは城主自身の生活空間の一部として用いられたと考えられている。
     このような特異な構造を持つ櫓は類例が少なく、津山城の建物の中でも特徴的なものであるため、復元整備の対象となったものである。内部を見学することができます。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  切手門(きってもん)の案内です。少し読んでみました。<br /> 切手門は、二の丸から本丸表鉄門へ至る間の通路を仕切る大型の「櫓門」です。二階部分は南側にある「弓櫓」に接続しています。<br /> 

     切手門(きってもん)の案内です。少し読んでみました。
     切手門は、二の丸から本丸表鉄門へ至る間の通路を仕切る大型の「櫓門」です。二階部分は南側にある「弓櫓」に接続しています。
     

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  ボランティアガイドさんが石段について説明しています。手前の石段の間隔を説明しています。石段の幅が一定でない、上の方は狭い。奥の方は石段の間隔が広い、攻めずらい石段になっている、と案内しました。

     ボランティアガイドさんが石段について説明しています。手前の石段の間隔を説明しています。石段の幅が一定でない、上の方は狭い。奥の方は石段の間隔が広い、攻めずらい石段になっている、と案内しました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  奥の櫓は備中櫓です。夕日が高い石垣を照らして、印象深い城にしていました。

     奥の櫓は備中櫓です。夕日が高い石垣を照らして、印象深い城にしていました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  津山城跡から見た津山市街です。

     津山城跡から見た津山市街です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  津山城跡から見た津山市街です。<br /> 津山市(つやまし)は、中国地方の東部、岡山県の北部に位置する市です。岡山県の第三規模の都市です。

     津山城跡から見た津山市街です。
     津山市(つやまし)は、中国地方の東部、岡山県の北部に位置する市です。岡山県の第三規模の都市です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  表鉄門(おもてくろがねもん)の案内がありました。概要を少し読んでみました。<br /> 概要<br /> 表鉄門は、本丸への入口にある櫓門で、門扉全体が鉄板で覆われていたことからこの名前がついています。

     表鉄門(おもてくろがねもん)の案内がありました。概要を少し読んでみました。
     概要
     表鉄門は、本丸への入口にある櫓門で、門扉全体が鉄板で覆われていたことからこの名前がついています。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  【二の丸東側石垣の位置】<br /><br /> 津山城の東側は急峻な崖であり、その直下にある宮川が自然の防御線となっています。本丸から一段下がった東側には帯曲輪があります。この帯曲輪を構成するのは全長約65m、高さ7~8mの石垣で、天端は幅5m程度の平坦面があります。この石垣に膨らみがみられたため、膨らみの部分を中心に石垣の解体修理を行うこととなりました。

     【二の丸東側石垣の位置】

     津山城の東側は急峻な崖であり、その直下にある宮川が自然の防御線となっています。本丸から一段下がった東側には帯曲輪があります。この帯曲輪を構成するのは全長約65m、高さ7~8mの石垣で、天端は幅5m程度の平坦面があります。この石垣に膨らみがみられたため、膨らみの部分を中心に石垣の解体修理を行うこととなりました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「国指定史跡 津山城跡」の案内です。

     「国指定史跡 津山城跡」の案内です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「天守閣跡」の前の白壁の建物はトイレです。

     「天守閣跡」の前の白壁の建物はトイレです。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  津山市街を撮影しました。

     津山市街を撮影しました。

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  •  「五番門と土塀」の案内がありました。

     「五番門と土塀」の案内がありました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「五番門と土塀」の案内がありました。少し、読んでみました。<br /> 概要<br /> 五番門は、備中櫓の北側に位置し、天守曲輪への南側からの入口となっています。絵図によれば、この門は冠木(かぶき)門(屋根のない二本柱の門)と記されていますが、発掘調査では、支柱と控柱の痕跡が発見されているので、高麗(こうらい)門あるいは薬医(やくい)門であったと推測されます。備中櫓管理用の門として整備を行いました。

     「五番門と土塀」の案内がありました。少し、読んでみました。
     概要
     五番門は、備中櫓の北側に位置し、天守曲輪への南側からの入口となっています。絵図によれば、この門は冠木(かぶき)門(屋根のない二本柱の門)と記されていますが、発掘調査では、支柱と控柱の痕跡が発見されているので、高麗(こうらい)門あるいは薬医(やくい)門であったと推測されます。備中櫓管理用の門として整備を行いました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  奥に見える櫓は、備中櫓です。

     奥に見える櫓は、備中櫓です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  夕陽が大部傾いて来ました。ここは本丸、天守閣跡付近です。

     夕陽が大部傾いて来ました。ここは本丸、天守閣跡付近です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  見える櫓は備中櫓です。

     見える櫓は備中櫓です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  天守台の内部です。石垣の中にハート型の石がありました。偶然が重なった結果のようです。

     天守台の内部です。石垣の中にハート型の石がありました。偶然が重なった結果のようです。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  天守のような櫓は備中櫓です。

     天守のような櫓は備中櫓です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  天守閣跡から津山市街を見てみました。

     天守閣跡から津山市街を見てみました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •   津山市街です。

     津山市街です。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •   津山市街です。大部、陽が傾いてきました。

    津山市街です。大部、陽が傾いてきました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  津山市街です。岡山県の第三位の都市らしく家並みは山の麓まで続く。

     津山市街です。岡山県の第三位の都市らしく家並みは山の麓まで続く。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  天守台の案内がありました。少し読んでみました。<br /> 概要<br /> 津山城の天守は、地上五階建てで、最上階以外に破風(はぶ)を持たない質実な造りでした。高さは石垣を除いて約22メートルで、一般的な五層の天守としては最大規模のものです。

     天守台の案内がありました。少し読んでみました。
     概要
     津山城の天守は、地上五階建てで、最上階以外に破風(はぶ)を持たない質実な造りでした。高さは石垣を除いて約22メートルで、一般的な五層の天守としては最大規模のものです。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  天守閣跡です。最上階以外には破風のない五層の天守がそびえ立っていました。

     天守閣跡です。最上階以外には破風のない五層の天守がそびえ立っていました。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  •  「表中門」方面を見下ろしています。本当に大きな縄張りの城です。<br /> 明治六年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌七年から八年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されました。本当に残念です。津山城が残っていたならば姫路城に匹敵する規模の城郭を見ることが出来ました。名残りとして豪壮堅固な石垣が残りました。

     「表中門」方面を見下ろしています。本当に大きな縄張りの城です。
     明治六年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌七年から八年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されました。本当に残念です。津山城が残っていたならば姫路城に匹敵する規模の城郭を見ることが出来ました。名残りとして豪壮堅固な石垣が残りました。

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