2022/05/06 - 2022/05/07
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TX-1000さん
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ゴールデンウィークは長野に行ってきました。7年に一度の善光寺の御開帳を見たいと思っていて、なんとなく雰囲気に飲まれての旅立ちです。
5月6日
北陸新幹線 大宮→長野
乗車券 3410円
新幹線自由席特急券 2640円
コンフォートホテル長野 7300円相当(会社の福利厚生ポイント使用)
5月7日
アルピコバス 長野→松代 660円
レンタル自転車 500円
松代荘(信州牛陶板焼きランチ込み) 2450円
アルピコバス 松代→長野 660円
北陸新幹線 長野→大宮
乗車券 3100円(金券ショップで購入)
新幹線自由席特急券 2640円
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仕事終わりに大宮駅にやってきました。世の中はゴールデンウィーク真っ只中ですが、私にはゴールデンウィークって制度が無く普通に仕事でした。
これから18時29分発の「はくたか573号」に乗車して長野に向かいます。
東北新幹線は2022年3月16日に発生した地震による徐行運転のため、臨時ダイヤでの運転が続いています。 -
乗車する「はくたか573号」がやってきました。
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車両は長野新幹線車両センター所属のF3編成です。
ゴールデンウィーク真っ只中なので自由席では座れないかと思っていたら、案外空いてます。 -
普通に窓際に着席できました。加速しながら鉄道博物館を過ぎていきます。
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大宮駅で購入した乗車券と新幹線自由席特急券です。
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東北新幹線と別れていきます。
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18時40分、熊谷駅を通過します。
新幹線にしてはゆっくり走っているのでGPSで速度を計測したら220km/hでした。 -
18時46分、本庄早稲田駅を190km/hで通過していきます。
ついに200km/hを切る速度で走るようになりました。 -
18時52分、高崎駅を178km/hで通過していきます。
2023年春のダイヤ改正で上越新幹線も260km/h化されるそうですが、そもそも現在の最高速度である240km/hすらあまり出してないですよね(笑) -
高崎を過ぎてから165km/hほどで走ってきました。
一瞬だけブレーキがかかり155km/hまで減速した後、38番分岐を渡って北陸新幹線へ入ります。 -
上越新幹線と分かれていきます。
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上り勾配を力行しているハヅなのに電車の鼓動を感じないと思ったら、乗っているの1号車は付随車だからか...
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神戸トンネルを抜けると全長約200mの鳥川橋梁を渡っていきますが新幹線では一瞬ですね。
軽井沢までは基本的に上り勾配なのですが、この鳥川橋梁付近は一時的に下り勾配になっています。
この後、再び上り勾配となり全長約2.5kmの里見トンネルへと入っていきます。 -
18時59分、安中榛名駅を通過していきます。
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大宮駅を発車してから40分、次の停車駅の軽井沢駅に到着しました。
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軽井沢を発車して借宿トンネルへと入っていきます。
一説にはこのトンネル内で東京電力供給の50Hzから、中部電力供給の60Hzに切り替わるそうです。
う~ん、何も変わった感じがしないですね。。
北陸新幹線はこの先、新潟県内の東北電力供給の50Hz区間を経て、北陸電力の60Hz区間と、東京から金沢までの間で周波数が3回変わります。 -
佐久平駅に停車します。
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上田駅を発車して闇浮かぶ上田城を見ながら加速していきます。
やべっ、ピントが... -
19時42分、大宮からたった1時間13分で長野駅に到着しました。こんなに早く着く事が未だに信じられないです。かつての「特急あさま」だったら横川駅に到着しようとしている時間ですから。
ここでマスクを外して深呼吸。あぁ、長野の香りがします。 -
駅構内にある長野オリンピックのモニュメントです。あれから24年もの歳月が流れたのかとしみじみしてしまう2022年です。
そりゃ小学生もジジィ一歩手前までなりますわ(笑)あっ、でもまだ一歩手前ですからね! -
善光寺口の駅舎です。
私が住んでいた頃は仏閣型の駅舎でした。 -
今夜の宿のコンフォートホテルにやってきました。
前回は2019年秋に来ているので2度目の宿泊です。 -
部屋です。
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長野駅にあるスーパーで買ってきた食材で夕飯にします。
閉店間際だったので、牛肩ロース弁当は半額の540円、富山産ボイルホタルイカが50円引きの348円、信州サーモンが10%引きの324円でゲットしてきました。
あと長野名物のおやきが170円です。おやきは無割引なのですが、無性に食べたくなったんです。 -
まずは牛肩ロース弁当からいただきます。半額だと2倍美味しいです(笑)
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信州サーモンと富山産ホタルイカは酒の摘みにしようと思って買ったのですが、特にグッと来る酒が無くて普通に食べる事にしました。
それにしても内陸県の長野なのに、いつの間にか信州サーモンなんて名物ができたんですね。
おやすみなさい。 -
おはようございます。
まずはホテルで朝食にします。 -
本日は長野からバスに乗って松代へ向かいます。
私が乗る松代行きのアルピコバスがやってきました。
そういえば人によって川中島バスや松本電鉄バス、アルピコバスと色んな呼び方されていました。 -
犀川を渡っていきます。
山に囲まれた長野らしい景色ですね。 -
千曲川を渡ると松代の街に入ります。
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松代バス停で降りました。
バス停の前にあるのは2012年3月末に廃止された長野電鉄屋代線の松代駅だった建物です。 -
廃線から10年。
ホームと駅舎は残っていますが、線路は剥がされています。 -
ホームにある松代の案内図には屋代線が描かれてます。
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レピーターがあるのがホームであった証を物語ってます。
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ホームの照明などの屋内配線がガイシ引きで施工されています。こりゃ凄いな。
高校は電気科だったので屋内配線の授業で習いましたけど、現物はココで初めて見ました。 -
ポイントや信号を操作するテコが転がっています。
私が知ってる廃線間際は継電連動となっていて、既に使われていませんでした。
調べてみたら1983年に屋代~須坂間がCTC化されたそうで、その時まで使われていたのではないかと思います。 -
待合室です。なんかいい雰囲気です。
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左側の大きな窓口は荷物を取り扱っていたのでしょうか。
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これも駅であった証です。
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窓口の脇に貼られていたシールに目が留まりました。
長野オリンピック関係のようですが、見た事無いロゴマークです。上の英語の部分には立候補者と書かれているので招致時代に使われたロゴマークのようです。
長野オリンピック開催は1991年に決まったので、それ以前に貼られたようです。もしかして凄いお宝じゃないですか! -
松代駅の駅舎は地震で倒れる危険があるそうです。
鉄として駅舎を残したいって気持ちも分からないではないですが、放火されたり地震で倒壊する危険があるので解体するべきだと思います。
跡地には手ごろなサイズのバスの待合室が欲しいです。 -
こちらは現役時代には入れなかった事務所スペースです。
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上の写真の右側の窓口の下には運転備品(ハンドル 鎖錠金具)と書かれています。
鎖錠金具とは、連動装置や転轍機などが故障してポイントが電動で動かなくなった時、ポイントハンドルで手動で転換させて、鎖錠金具でトングレールを締め付けて列車を通過させます。 -
机の上には書類が残されています。右側は運転安全綱領ですね。
安全の確保は輸送の生命である。
規定の遵守は安全の基礎である。
執務の厳正は安全の要件である。
事務所で机に向かって仕事をしているとは言え、私も鉄道係員なので言えます。
たまに偉い人とトイレで横に並んだりした時に....
偉い人「執務の厳正は?」
私「え、あっ....安全の要件である。」
なんて感じで試されますのでトイレでも気が抜けません。出る物も出なくなるとは、正にこの事です(笑) -
真ん中の白い紙は文字が消えて読めなくなっていますが、列車番号と到着時間、発車時間が記載されていたようです。
さてはフリクションで書いたな。 -
こちらの文章は立案日が昭和58年11月29日付け、りん議番号が電運営83第25号で、電車部長から出された指示です。
タイトルは
....(不明)....券の取扱いについて
左側が無くなっているので確かな事は分かりませんが、たぶん国鉄屋代駅の自動券売機で誤って国鉄区間の乗車券を購入し、長野電鉄屋代線に乗車した旅客に対する運賃収受の方法について記載されていたようです。当時は車掌乗務だったので、車掌と駅それぞれの取扱い方が書かれてます。
下3行の少し大きく書かれている文字は、駅側で書き足したと思われる実務の方法についての記述も見受けられます。 -
第二種指導票と書かれています。
閉塞方式を指導式に変更した時に使用する腕章でもかけてあったのでしょうか。 -
屋代線の廃止間際に地元の中学生が作った新聞も残されています。
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ここで少し昔の話です。
2012年3月31日、廃止当日の屋代から須坂に向かう最終列車の乗客に配られた乗車証明書です。
須坂まで行くと宿を取ってる長野へ帰れなくなってしまうので、東屋代駅で降りてしなの鉄道の屋代高校前駅から長野へ向かいました。
最終列車で降りた私が、東屋代駅の最後の利用者でした。 -
「さよなら屋代線」のヘッドマークが取り付けられていました。屋代駅で撮影しています。
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観光案内所で自転車を借りました。
松代と言えば真田家ゆかりの松代城とかが有名ですが... -
現代史ファンの私がやってきたのは象山地下壕です。
ここは太平洋戦争の末期、東京湾から上陸されたら簡単に敵の手に落ちる恐れがある防衛上の弱点を抱えた東京から、首都機能を移転させる目的で作られた地下施設です。
当時は「倉庫」を作ってるって体裁でしたが、軍部の異様な動きから地元では天皇陛下も来る超重要施設を作っていると噂になっていたようです。
松代周辺には、このような地下施設が複数あり、この象山には中央省庁とNHK等、数千人規模が入ると想定されていました。 -
ヘルメットを被って...
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坑内へ入っていきます。
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坑道内を歩いていきます。
この場所に籠もって本土へと上陸してきた連合国軍との対決を想定していました。連合国軍には日本本土上陸作戦があり、その時期は1945年秋だったとされています。
なお、私たちの歴史では、その前の1945年8月にポツダム宣言受諾の御聖断が下され、本土決戦は回避されます。 -
象山地下壕を後にして自転車で山間へと入っていきます。
ハァ、ハァ...やっぱ...電動自転車借りれば良かった... -
こちらは先ほどの象山から少し離れた舞鶴山に作られた地下施設です。こちらは皇居と宮内省施設として建設が進められていました。
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現存は強固な地盤を活用して地震観測所として使用されています。
核実験による大規模な爆発の監視も行われています。 -
舞鶴山には天皇陛下の御座所として作られた建物が現存しています。
終戦時、松代地下施設の大部分が工事中だったとされていますが、御座所は最優先で工事が進められ、ほぼ完成したとされています。 -
天皇陛下の御座所として作られた第一庁舎は、窓から室内の様子を見る事ができます。室内は日本家屋風に作られていたんですね。
節の無い木材を使用した柱は当時のままなんだそうです。 -
後年、気象庁の職員の居室として間仕切りが設けられ、部屋が二つに分割されました。
だから柱と間仕切りの位置関係が微妙な感じなんですね。 -
掛け軸もありますが、浅学非才でニカワ鉄の私には何が書いてあるのか分からないです。
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松代の市街地に戻ってきました。
県道35号線にあった踏切部分にはレールの跡が残っていて、線路跡は遊歩道になっています。 -
須坂方に向かって伸びている遊歩道は川の手前で途切れていました。
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次にやってきたのは松代荘です。ここの温泉が素晴らしいんです。
屋代線が廃線となる1ヶ月くらい前に泊まった事もあります。廃線が近くなり盛り上がってきた時期でしたが、須坂から屋代行きの最終列車に乗って松代にやってきたのですが、私たちの他には誰も乗ってませんでした。 -
お昼時なのでランチにします。
注文したのは信州牛の陶板焼き御前で、入浴券とセットで2450円です。 -
おお、すごいな
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信州牛を焼いていきます。
「ジューシーで美味しいです!」
少し高いかなと思ったのですが、とても満足でした。 -
デザートの「まつしろ黄金プリン」です。
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温泉に入ります。
松代温泉は茶色く濁った濃厚な温泉が特徴なんです。 -
温泉から出て松代壮の座敷で昼寝をしていたら、自転車の返却時間を過ぎてしまいしました。慌てて観光案内所に電話をして返却に来ました。
ごめんなさい。 -
自転車を返却して路線バスで長野市内へ戻ります。
やってきたのは昔の屋代線に沿って走る須坂行きの長電バスです。ぜんぜん人が乗って無いなぁ。。
昔は知りませんが、今となっては屋代~松代~須坂って人の往来があるとは思えないんですよね。だいたいの用事は長野に出れば事足りますし。 -
次に長野駅に向かうアルピコバスがやってきました。
これに乗車します。
松代~長野間はだいたい30分ヘッドで走っているので、アメリカと同じモータリゼーション社会の長野にしてはお客さんが乗ってますね。 -
千曲川を越えて川中島古戦場を過ぎていきます。
英語だとオールド・バトル・フィールドって言うんですね(笑)
なお、歴史好きですが現代史ファンは管轄外です。 -
長野に戻ってきました。善光寺では7年に一度の御開帳が行われているので行ってみます。
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長野駅から歩いて善光寺へと向かいます。途中にあるのは長野オリンピックメモリアルパークです。
メモリアルなんて言われて「あぁ、もうすっかり過去の話なんだな」としみじみしてしまいました。 -
善光寺へとやってきました。
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柱から伸びるロープが御本尊様と繋がっていて、この柱に触ると本体に触ったのと同じ効果なんです。
なので、いっぱい触ってきました(笑) -
善光寺を後にして帰ります。
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でもシラフでは帰れなくなって酒を飲んじゃいます。
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まずは長野の日本酒です。こちらは上田の和田龍ってお酒でフルーティな味わいです。
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こちらのお店の名物、モツ煮込みです。
くぅ~、日本酒に合いますなぁー♪ -
続いて信州産エリンギのバター炒めです。
長野に美味い物なんて無いと思ってましたが、これは美味しかったです。 -
帰りたくないですが渋々長野駅に戻ってきました。
在来線ホームには湘南色の115系が居ます。 -
21時16分発の「あさま632号」に乗って帰ります。
やってきた車両は長野新幹線車両センター所属のF42編成です。 -
窓際に着席しました。
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乗車券は先ほど長野駅前の金券ショップで買ってきました。そこでは長野~上田、上田~大宮の分割乗車券を売っています。普通に自動改札機を通れます。
新幹線回数券が無くなった今、金券ショップで売ってる分割乗車券を買って大宮で降り、大宮から乗車券を別途用意するのが最安の手段だと思います。
あと長野~大宮間の営業キロが192.1kmであり、次の上野まで行くと新幹線特急券が200km以上の区分になってしまうので、どっちみち大宮で新幹線を降りますし。 -
長野自動車の更埴インターを過ぎていきます。
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五里ヶ峯トンネルを抜けて闇世に浮かぶ上田城を見ながら減速していきます。
めっちゃ雨が降ってるな。 -
21時28分、上田駅に到着です。
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上田駅を発車して加速していきます。雨で空転しながら第二千曲川橋梁を渡っていきます。
たまたま撮れた緑のマークは沿線電話でしょうか。 -
佐久平駅に到着します。
左側から小海線の列車がやってきていますが... -
21時38分、小海線との接続はガン無視で佐久平駅を発車します。
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21時47分、霧に包まれている軽井沢に到着です。
なんか幻想的ですね。 -
21時58分、安中榛名駅を発車します。
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22時07分、高崎駅に到着しました。なぜか4分ほど止まります。
窓の外にいるのは「たにがわ475号」だった列車です。 -
22時19分、本庄早稲田駅に到着です。
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22時29分、熊谷駅を発車します。
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22時42分、大宮駅に到着しました。
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