
2022/04/24 - 2022/04/24
27位(同エリア6505件中)
松本伸雄さん
驚天道地の奇策 高松城水攻め
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最上稲荷参道のときわやで昼食です。
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堤防の高さがわかります。
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高松城址公園資料館で、ビデオを見てお勉強。スタンプもあります。
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6月2日、織田信長死亡。3日毛利方に向かう光秀の密使を捕まえる。4日清水宗治切腹。そばに吉川元春と小早川隆景が来ていたのに。
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藤棚が綺麗でした。
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二の丸。
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二の丸。
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昭和57年沼の整備をしたら400年前の蓮の花が咲きました。
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サギが獲物を狙っています。
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本丸は、かさ上げしてあります。
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清水宗治辞世の句。「浮世をば 今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」
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清水宗治首塚。首は、秀吉に見せたあと家臣が石井山に供養塔を造った。明治になって本丸に移された。カメを開けたら歯が数本あった。
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本丸は、土を盛りました。
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清水宗治胴塚へ。
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舟で戻ってきた胴体を埋めた所。介錯人国府市佑は自分の首を自分ではねたそうです。
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清水宗治が舟の上で自刃した辺りに妙玄寺ができた。
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秀吉の用意した小船に、兄の月清入道などと乗り込み、誓願寺を舞ったあと辞世の句を詠んて切腹したという、
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船で切腹した辺りに供養塔が有ります。妙玄寺境内になっています。
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左上の白い家の上に白い旗があるところが秀吉本陣です。
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ごうやぶ。宗治切腹を前に、月清入道の馬係の与十郎と宗治草履係の七郎次郎二人が刺し違えた場所。
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最上稲荷の大鳥居横にバスを停めて。
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蛙ヶ鼻に残る堤防。
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堤防土台の杭やカズラ巻,土のう跡が展示してあります。
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本当は、此の1メーター下に成るそうです。
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高さ7メータの土手が此処から2.8キロ続きます。
12日間で出来ました。 -
此の丘は、山の裾野部分だそうです。
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牌が立ってます。おわり
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