2021/06/15 - 2021/06/15
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tzpapa10さん
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中国駐在のために大阪の中央区博労町にあるビザ申請センターへ。近くに難波神社があり、今後の仕事・健康とともにコロナが早く収まるようにお願いをしました。
反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮(しばがきのみや)を開かれたときに父帝の仁徳天皇をご祭神として創建されたと伝えられるそうです。その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583年)現在地に遷座。昭和20年(1945年)第二次世界大戦大阪空襲により全焼し、仮宮によっていたものを昭和49年7月(1974年)再建され現在に至るそうです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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中国ビザ申請センターのすぐ近くにあるせんば心斎橋筋商店街。この商店街にあるDOUTORでモーニングを食べました。
せんば心斎橋商店街 市場・商店街
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ビザ申請を終え、御堂筋博労町3丁目の交差点に行くと、交差点対面に難波神社があるのを発見し、参拝することにした。
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難波神社側に交差点を渡り御堂筋側の東門より境内へ
左側にある石碑には、御祭神として中央に仁徳天皇、その両側に難波神社の配祀である素盞嗚尊(すさのおのみこと)と、境内にある博労稲成神社の御祭神である倉稲魂尊(うかのみたまのみこと)の名が刻まれている。難波神社 寺・神社・教会
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東門鳥居の右側には「稲荷社文楽座跡」と刻印された石碑があり気になった。
難波神社 寺・神社・教会
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東門エリアを、鳥居・「府社 難波神社」石碑・「稲荷社文楽座跡」の石碑とともに撮影。
難波神社の上にある府社とは、これは明治以降の近代社格制度による旧社格。 -
末社 「十四柱相殿(じゅうよんはしらあいでん)神社」
境内の南東の隅に、「十四柱相殿神社」が鎮座し、東門から入ってすぐ左手になります。一つの屋根に、三つの神殿が収められており、十四柱の神々が祀られているそうです。
左・・・豊臣秀吉公・菅原道真公・楠正成公・徳川家康公
中央・・・豊受姫大神・天照皇大神・應神天皇
右・・・水波能女大神・春日四柱大神・猿田彦大神・迦具土大神
以前は、数社に分れてお祭りしてあったそうですが、火災・模様替え等により、末社の移転・併合が行なわれ、1888年(明治21年)に鉾蔭(ほこかげ)神社、安邦(やすくに)神社の祭神を六柱相殿神社へ合祀、十四柱相殿神社と改称したそうです。難波神社 寺・神社・教会
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「難波神社と文楽」についての説明看板。
東門入口に文楽跡とあったので気になっていた。以下の通り記載。
植村文楽軒が当社境内に人形浄るりの小屋を開いたのは、文化8年(1811年)のことでその後一時移転、安政3年(1856年)再び当地に復帰したころから「文楽軒の芝居」と呼ばれるようになった。
明治5年三世文楽軒の時に新開地の九条に移ったが、17年に三味線の二代目豊沢団平を擁する「彦六座」が当社北門に開場して人気を集めたため、文楽軒も近くの御霊神社境内に小屋を移して対抗した。
「彦六座」は明治31年団平が舞台で倒れたため解散、小屋は「稲荷座」としていろいろな興行に利用されたが、同45年取りこわされた。 -
「算額顕彰碑」
江戸時代「算額」は全国各地の神社仏閣を公開場所として数多く奉納されていたそうです。「算額」とは、数学の問題を額に掲げ出題したもので、それをお互いに解きあい、技術の向上に努めたそうです。
船場三社(難波神社・坐摩神社・御霊神社)も例外ではなかったそうで、三社にこの顕彰碑が奉納された。
船場創立の順天堂塾(天保5年8月26日、創立者福田理軒)は和算塾として開塾。船場出身の多くの私塾の中で、唯一現在存続しているのが、維新後に東京に拠点を移した学校法人順天学園(東京都北区王子本町)が創立180周年記念事業の一つとして平成30年にこの「算額顕彰碑」を奉納。
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彰徳碑
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手水舎。
十四柱相殿神社の向かい側にあります。 -
本殿。
大阪御堂筋の市街地のこのような神社があるとは知らなかったので、驚いています。
写真左奥の朱色の建物は博労稲荷社です。 -
本殿前にある左側に位置する吽形の狛犬。背中に子供の狛犬がしがみついています。
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末社 金刀比羅神社
西門横にあります。もとは堀江のお旅所の東南隅にお祭りしてあったらしい。 -
金刀比羅神社の説明
「御祭神 大物主大神
大物主の神は、大國主の神の和魂(穏やかな働きの霊魂)でありますが、バラモン教の神である。金毘羅の神と習合し、四国讃岐に祀られ金刀比羅宮となった。
はじめは航空安全の神とされたが、その後農業や商業の神としてもご利益蟻とされ『こんぴら信仰』として全国的に広まった」
と記載されています。 -
博労稲荷神社への入口。
境内の西側に位置します。 -
鳥居の扁額は赤色の文字で「博労稲荷社」
赤色の文字は始めてみました。 -
参道のお稲荷さん1
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参道のお稲荷さん2
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拝殿
両側には奉納された「博労稲荷大神」に旗があり、願い主は商売している人でしょう。ヘアサロンとかクリニックなどの名前があるので商売繁盛祈願ですね。
赤旗と青旗の違いはよく分かりませんね。 -
拝殿内部 朱色はやはり綺麗ですね。
左右の提灯には「博労稲荷大神」と「玉穂会」というのが交互にあります。
玉穂会はこの神社で随時会員募集しているみたいです。 -
本殿前より博労稲荷神社拝殿全景を。
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南側の鳥居を撮ったと記憶。
右側に大きな木がありますが、これは難波神社の大楠だろう。
大阪市保存木第1号らしいです。 -
南門。南の鳥居から外へ出て外から撮影。扁額が外向きです。調べるとこの南側の鳥居が正面になるそうです。
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南門の西側にある「御由緒」と書かれた説明書き。
御祭神 仁徳天皇、配祀 素戔嗚尊(すさのおのみこと)に関する説明がある。
第18第反正天皇が河内の國丹比(今の松原市)に遷都されたときに父帝の仁徳天皇を御祭神として創建。
天慶6年(943年)朱雀天皇の命令で、大江の坂平野(今の天王寺区上本町当たり)に遷座。
豊臣秀吉が大阪城築城の後、慶長2年(1597年)今の場所に遷座。
昭和20年3月14日(1945年)に第二次世界大戦大阪空襲で全焼し、昭和49年(1974年)に再建され現在に至る。 -
御由緒の全景。手前に花壇があります。
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御由緒の左側の年中行事説明看板
2月節分「玉の緒祭」、4月午の日「博労稲荷初午祭」、6月「菖蒲神事」、7月20・21日「夏祭(氷室祭)」、11月15日「博労稲荷家火禁祭」、11月23日「新穀祭」などがあります。
アヤメ類(厳密な分類の花菖蒲)に縁のある神社で、6月のあやめ祭(菖蒲神事)では花菖蒲を奉納する神事が執り行われているそうです。境内で育った花菖蒲を御神前に御供えする神事。祭典中、菖蒲を刈り取る所作のある神楽「菖蒲刈り」が2人の巫女によって舞われます。
神紋は菖蒲紋の一種『抱き菖蒲』(だきあやめ)。 -
南門鳥居からの本殿全景
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南門の右側にも「府社 難波神社」の石碑。
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南門から境内を出て御堂筋沿いの歩道より。写真の右側に走るのが御堂筋。
中央やや右の鳥居が私が境内へ入った東門。御堂筋沿いを歩いて、地下鉄心斎橋駅から帰路に。
写真撮影地点はフェラーリショールームの前です。30mほど御堂筋を南下すると「Wホテル」があります。ランボルギーニ心斎橋も結構近いです。
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