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南海電鉄加太線は、元は加太軽便鉄道として107年前の大正3年に開業し、紀の川も違うルートで渡ってました。<br />紀の川橋としてかかっていた橋は、昭和25年の台風で傾き、その後休止を経て、鉄道としては廃線になったのですが、河西橋と名乗り、バイクまで走れる橋として今なお残っています。<br /><br />たださすがに老朽化して架け替え中で、近い将来なくなる可能性が高いのを聞いてはいたのですが、訪れた事がなく、その区間も含め廃線区間を初めて歩いてました。<br /><br />和歌山市駅の西の端にあった和歌山口が起点で、すぐにカーブを描きながら紀の川の堤防を越えます。<br />橋台部ではまだカーブを描いています。<br /><br />側面から見る度に途中の橋脚が明らかに傾いています。<br />これが台風の爪痕なのでしょうか?<br /><br />渡りきってからも一部は駐車場や家の裏庭にもなってますが、<br />緩やかな曲線を描く道が続きます。<br /><br />旧国道26号線にまたがる歩道橋からは前後の区間がよく見通せます。<br /><br />島橋駅があった辺りの廃線跡に寄り添う木製の電柱はもしや当時のもの?<br />加太線と合流してからも廃線跡を跨ぐ架線柱がありますが、こちらには昭和44年とあり、廃線後のもののよう。<br /><br />土入川を渡る鉄橋も廃線跡の橋にもレンガ造りの橋台が残ります。<br />東松江駅から先へ続く現役の線もこの橋から一直線に繋がっています。<br /><br />東松江駅のホームにもレンガ積みが残ります。<br />今の東松江駅の改札口はホームにちょこんとあるだけですが、県道側には駅舎が残ります。<br />待合室やトイレがあるこちらがかつての駅舎だったようです。<br /><br />都市にありながらも、遺構や雰囲気が残り、手軽に楽しめる廃線跡雰囲気が味わえてとても面白かったです。

紀の川を渡った軽便鉄道の遺構 河西橋を訪ねて

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2022/02/18 - 2022/02/18

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かわぐちさん

南海電鉄加太線は、元は加太軽便鉄道として107年前の大正3年に開業し、紀の川も違うルートで渡ってました。
紀の川橋としてかかっていた橋は、昭和25年の台風で傾き、その後休止を経て、鉄道としては廃線になったのですが、河西橋と名乗り、バイクまで走れる橋として今なお残っています。

たださすがに老朽化して架け替え中で、近い将来なくなる可能性が高いのを聞いてはいたのですが、訪れた事がなく、その区間も含め廃線区間を初めて歩いてました。

和歌山市駅の西の端にあった和歌山口が起点で、すぐにカーブを描きながら紀の川の堤防を越えます。
橋台部ではまだカーブを描いています。

側面から見る度に途中の橋脚が明らかに傾いています。
これが台風の爪痕なのでしょうか?

渡りきってからも一部は駐車場や家の裏庭にもなってますが、
緩やかな曲線を描く道が続きます。

旧国道26号線にまたがる歩道橋からは前後の区間がよく見通せます。

島橋駅があった辺りの廃線跡に寄り添う木製の電柱はもしや当時のもの?
加太線と合流してからも廃線跡を跨ぐ架線柱がありますが、こちらには昭和44年とあり、廃線後のもののよう。

土入川を渡る鉄橋も廃線跡の橋にもレンガ造りの橋台が残ります。
東松江駅から先へ続く現役の線もこの橋から一直線に繋がっています。

東松江駅のホームにもレンガ積みが残ります。
今の東松江駅の改札口はホームにちょこんとあるだけですが、県道側には駅舎が残ります。
待合室やトイレがあるこちらがかつての駅舎だったようです。

都市にありながらも、遺構や雰囲気が残り、手軽に楽しめる廃線跡雰囲気が味わえてとても面白かったです。

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