2015/12/27 - 2015/12/30
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tigerさん
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第5波 COVID-19 の蔓延防止措置解除が日程に上る中、引き続き昔の旅行を
まとめています。 今回はその第27弾(2/2)。 (2022年3月記)。
仕事では、何度も足を運んだインドだったが、退職後に初めて行く観光旅行となった。
今回のツアーは、12か所の世界遺産を訪ねる7泊8日間のインド旅行。
旅行記の後編は、デリー近郊のゴールデン・トライアングルにある世界遺産を巡る旅。
タイトルの写真は、有名な世界遺産「タージ・マハール」。
【旅程】★印が本編の内容
【1日目】成田 ⇒⇒ デリー ⇒⇒ ムンバイ ムンバイ泊
【2日目】ムンバイ観光 ⇒⇒オーランガバード オーランガバード泊
【3日目】アジャンタ石窟寺院群、オーランガバード観光 オーランガバード泊
【4日目】エローラ石窟寺院群観光、オーランガバード ⇒⇒デリー デリー泊
★【5日目】デリー⇒⇒ジャイプール観光 ジャイプール泊
★【6日目】ジャイプール⇒⇒ アグラ観光 アグラ泊
★【7日目】アグラ⇒⇒デリー デリー観光 デリー⇒⇒成田
★【8日目】⇒⇒成田
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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-
【5日目】 2015年12月27日(日)
昨夜、オーランガバードからデリーに移動しました。
旅の後半は「ジャイプール」、「アグラ」、「デリー」の順で
ゴールデン・トライアングルにある8つの世界遺産を観光。
ジャイプールの世界遺産:
⑤アンベール城
⑥ジャンタル・マンタル天文台 -
【5日目AM】12月27日(日)10:40
「デリー」からピンク色の街「ジャイプール」へ230㎞のバス移動。
国道の縁石が、白・黒なのは英国統治の名残りかな? -
【5日目AM】11:46 ⇒⇒「ジャイプール」
道路沿いに小さな商店がある。 -
【5日目PM】12:19 (ジャイプール)
アンベール城の手前で、大型バスが入れないとかで、
急遽トゥクトゥク(インドでなんて言うか?)に乗り換え。 -
【5日目PM】⇒⇒ アンベール城 (ジャイプール)
周りを見ると、「アンベール城」の門まで
ゾウに乗って、王様の気分で行く手段もあるらしい。 -
【5日目PM】12:29「アンベール城」(世界遺産⑤:2013年)
インド北西部のこの地方は、8世紀からヒンドゥー教を
信奉する民族が住み、ペルシャ、トルコなど各国の文化を
取り入れた文化を築いていた。
また、要衝の地であったため、丘陵地帯に強固な城砦を
築き異民族の侵入に備えてきた。
そんな時代に築かれたチッタウルガル、クンバルガー、
ランタンボール、ガグロン、アンベール、ジャイサルメールの
6つの城砦が2013年に「ラジャスタンの丘陵城砦群」として
世界文化遺産に登録された。その一つが「アンベール城」。 -
【5日目PM】12:54「アンベール城」(ジャイプール)
ムガール帝国時代のラージプート族のマハラジャが16世紀に築城した
要塞「アンベール城」は都市機能も備え、ジャイプールに遷都するまで
150年間、増改築が重ねられ、都として繁栄した。 -
【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
城は山にあり、周囲の山まで城壁が巡らされている。 -
【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
イスラム様式が取り込まれている。 -
【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
イスラム様式ながら、偶像が表現されていて
文化の融合が見られる。(イスラム教は偶像はダメ) -
【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
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【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
イスラム建築様式をうかがわせる。 -
【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
美しい幾何学模様が見られる。 -
【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
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【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
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【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
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【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
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【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
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【5日目PM】「アンベール城」(ジャイプール)
麓の街並みは11km離れた、ジャイプール市街。
ジャイ・シン2世は、1727年に首都をアンベールから
ジャイプルへ遷都することになる。 -
【5日目PM】14:07「昼食」
-
【5日目PM】15:35「風の宮殿」(ジャイプール)
正面には繊細な透かし彫りの戸がはめられており、
王妃や宮廷の貴婦人たちが、民衆の目をさけて
街路での祭りや行列の様子をこっそり見ていた、らしい。 -
【5日目PM】「風の宮殿」(ジャイプール)
100年ほど前に当地を訪れた王子を歓迎して、
町中をピンクに染めちゃった。
以来、そのままの色になった。 -
【5日目PM】15:21「ジャンタル・マンタル天文台」(ジャイプール)
(世界遺産⑥:2010年)
ムガール帝国時代のジャイプルのマハラジャ、ジャイ・シン2世は
1727年に王国の首都をアンベールからジャイプルへ遷都した。
優れた占星学者でもあったジャイ・シンが、1734年に
レンガやモルタルを使って、精密な天文台を作った。 -
【5日目PM】「ジャンタル・マンタル天文台」(ジャイプール)
ウズベキスタンの「サマルカンド」に1420年代に建設された
大規模な天文台があることを考えると、ムガール帝国時代に
当地にイスラム文化が伝わり、300年前にジャイ・シンにより、
天文台が造られたと個人的に想像する。
-
【5日目PM】「ジャンタル・マンタル天文台」(ジャイプール)
日時計?? -
【5日目PM】「ジャンタル・マンタル天文台」(ジャイプール)
結構、大きな構造物で正確な観測が出来る。 -
【5日目PM】「ジャンタル・マンタル天文台」(ジャイプール)
-
【5日目PM】「ジャンタル・マンタル天文台」(ジャイプール)
まるで公園にあるモニュメントのような、装置群。
-
【5日目PM】「シティー・パレス」の門(ジャイプール)
1727年、この地を治めていた豪族カッチャワ・ラージプート族の
マハラジャ「ジャイ・シン2世」がアンベール城から
11㎞ 離れたジャイプルに移り住んだ宮殿。
かつての王国アンベールは岩山の上に城砦が築かれていたため、
水不足や人口増加に対応できなくなり、現在の場所へ移った。 -
【5日目PM】「シティー・パレス」の門(ジャイプール)
門には、綺麗な装飾がある。
人物像などの偶像は、イスラム教ではご法度であるが、
ムガール帝国ではそこまで厳格では無かったのだろう。 -
【5日目PM】16:02「シティー・パレス」(ジャイプール)
奥の建物が、現在もマハラジャが住む「シティー・パレス」。 -
【5日目PM】「シティー・パレス」(ジャイプール)
現在は、いくつかの建物が博物館となっているが、入場はせず。 -
【5日目PM】18:37「RADISSON BLU JAIPUR」(ジャイプール)
-
【5日目PM】「RADISSON BLU JAIPUR」
-
【6日目】12月28日(月)
朝、ジャイプールから「アグラ」へ向かいます。
アグラの世界遺産
⑦ファテープル・シクリ
⑧アグラ城
⑨タージ・マハール -
【6日目AM】08:52「ジャイプール」 ⇒⇒「アグラ」
-
【6日目AM】10:12「ジャイプール」 ⇒⇒「アグラ」
菜の花が綺麗に咲いていた。 -
【6日目AM】11:00「ファテープル・シクリ」(アグラ)
(世界遺産⑦:1986年)
「アグラ」は栄華を極めた「ムガール帝国」の首都だった。
マハラジャ「アクバル」は、ここファテープル・シクリに
遷都してみたが、水の便が悪く数年で放棄・・・。
マハラジャの気まぐれな行動だったが、数年で放棄されたため、
当時の素晴らしい建築が残った。 -
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
材質は多分、赤い砂岩だと思う。 -
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
-
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
土着の建築文化とイスラム建築が融合された都市遺跡。 -
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
アグラに飽きたマハラジャ「アクバル」は、少し離れた
「ファテープル・シクリ」に遷都したが、水不足のため
数年で立ち去らざるを得なくなった。
生活感が残っていない完全な保存状態の廃墟の街。 -
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
赤い砂岩が印象的。 -
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
-
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
遷都して数年しか使われなかった、廃墟の街。 -
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
-
【6日目AM】11:30「ファテープル・シクリ」(アグラ)
-
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
-
【6日目AM】「ファテープル・シクリ」(アグラ)
何とも、綺麗に残りすぎ!です。 -
【6日目PM】13:42「アグラ城」(アグラ)(世界遺産⑧:1983年)
16~19世紀にかけてインドを支配した「ムガール帝国」の
栄光の象徴と言える城塞。
ムガール帝国でだだ一人「大帝」と呼ばれた第三代皇帝、
アクバルによって「アグラ城」の建設が始まった(1565年~)。 -
【6日目PM】13:50「アグラ城」(アグラ)(世界遺産⑧:1983年)
その後、第五代「シャー・ジャハーン帝」等によって
建設が続けられ、18世紀初頭までに、城壁全長2.5km、高さ20mの
中に、宮殿、モスク、バザール、居住区などが建設された。
なお、第五代「シャー・ジャハーン帝」は、「タージ・マハール」を
亡き妻の霊廟として建てた皇帝だが、
後に、自分の息子に皇帝の座を追われ、この「アグラ城」に
7年間幽閉され亡くなっている。
-
【6日目PM】「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
-
【6日目PM】「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
「アグラ城」から、ヤムナー川を挟んで、
「タージ・マハール」が望める。
タージ・マハールを作った皇帝シャー・ジャハーンは、
晩年、息子にこの「アグラ城」に幽閉された。
ここから、妻の霊廟を眺めていたのだろう。 -
【6日目PM】「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
ここからも「タージ・マハール」が望める。 -
【6日目PM】「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
-
【6日目PM】「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
ふんだんに大理石が使われた建物もある。
(ここは、謁見の間だだったかな?) -
【6日目PM】「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
綺麗な象嵌細工も見られる。 -
【6日目PM】「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
-
【6日目PM】14:56「アグラ城」(世界遺産⑧:1983年)
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【6日目PM】15:29「タージ・マハール」のゲート(アグラ)
1983年、世界遺産に登録された。
この門を通り抜けると「タージ・マハール」が現れる。 -
【6日目PM】「タージ・マハール」(アグラ)
ガイドの説明と注意を聞いて、いよいよ入場です。 -
【6日目PM】「タージ・マハール」(世界遺産⑨:1983年)(アグラ)
真っ白な、大理石で造られたタージ・マハールが現れる。 -
イチオシ
【6日目PM】「タージ・マハール」(世界遺産⑨:1983年)(アグラ)
ムガール帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが、
1631年に死去した愛妃であるムムターズ・マハール
のために22年の歳月をかけて建設した墓廟。
イスラム教の建造物であり、インド・イスラーム文化の
代表的建築となっている。 -
【6日目PM】「タージ・マハール」(アグラ)
ムガール帝国とは、1526年から1858年まで、インド亜大陸の
ほぼ全てを支配したトルコ(テュルク)・モンゴル系のイスラム王朝。
首都を デリー、アグラ、ラホールと移動したため、
各地でイスラーム教の建築物が建設された。 -
【6日目PM】「タージ・マハール」
インドの観光客も含めて、世界中から大勢が訪れている。 -
【6日目PM】「タージ・マハール」
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【6日目PM】「タージ・マハール」
総大理石張り -
【6日目PM】「タージ・マハール」
-
【6日目PM】「タージ・マハール」
墓廟の両サイドには、「モスク」と「集会所」が配されている。
両建物とも同じ形なので、写真はどちらか忘れた。
-
【6日目PM】「タージ・マハール」
-
イチオシ
【6日目PM】「タージ・マハール」
最後に、もう一度眺めて今日の観光は終了。
天候に恵まれて良い一日でした。 -
【6日目PM】18:39「JAYPEE PALACE」(アグラ)
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【6日目PM】「JAYPEE PALACE」(アグラ)
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【7日目AM】12月29日(火)07:32「JAYPEE PALACE」(アグラ)
早朝、デリーへ向かい、3つの世界遺産を観光後、
帰国の途に就きます。 -
【デリーの世界遺産】
⑩レッド・フォート
⑪フマユーン廟
⑫クトゥブ・ミナール -
【7日目AM】08:45「アグラ」⇒⇒「デリー」
インドは。農業大国。
緑は「ナン」の原料となる、小麦かも。(自信無し) -
【7日目AM】11:33「レッド・フォート」(世界遺産⑩:2007年)
ムガール帝国の「第5代皇帝シャー・ジャハーンに」よって
建てられた居城。(タージ・マハールを建てた皇帝)
デリーの大河ヤムナー河を背に、1639年から1648年まで
8年の歳月をかけて築かれた城。
赤砂岩で造られた城壁と門の赤い色合いから、
「レッド・フォート(赤い城塞)」と呼ばれる。 -
【7日目AM】「レッド・フォート」(世界遺産⑩:2007年)
ここは、インド軍の施設として使われており、一部のみが
開放されているそうで、今回は外観をみるのみ。 -
【7日目AM】11:49 車窓風景 (デリー)
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【7日目AM】12:08 車窓風景 (デリー)
街路樹が大きく育っています。 -
【7日目PM】13:41「フマユーン廟」(デリー)(世界遺産⑪:1993年)
16世紀前半、インド北部にムガール帝国が成立。
帝国が最初に建造したペルシャ系イスラム様式の墓廟。
二代目皇帝「フマユーン」の死後、妃が1565年に建立。 -
【7日目PM】「フマユーン廟」(デリー)(世界遺産⑪:1993年)
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【7日目PM】「フマユーン廟」(デリー)(世界遺産⑪:1993年)
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【7日目PM】「フマユーン廟」(デリー)(世界遺産⑪:1993年)
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【7日目PM】13:57「フマユーン廟」(デリー)(世界遺産⑪:1993年)
白大理石と赤砂岩で造られた廟は、
後にタージ・マハールの手本となったと言われている。 -
【7日目PM】「フマユーン廟」(デリー)(世界遺産⑪:1993年)
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【7日目PM】「フマユーン廟」(デリー)(世界遺産⑪:1993年)
二代目皇帝「フマユーン」の墓でしょう。 -
【7日目PM】15:31「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
インド最古のイスラーム遺跡群。
1192年、クトゥブ・ウッディーン・アイバクが、北インドを
制圧した記念に建立したのが「クトゥブ・ミナール」。
本来は礼拝の時を知らせるための塔だが、ヒンドゥー教徒に
対するイスラームの勢力誇示の意味もあり、高い塔が造られた。
「勝利の塔」と呼ばれている。
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15:34【7日目PM】「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
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【7日目PM】「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
ミナールはイスラム寺院で礼拝の時を知らせるための塔(ミナレット)。
高さ 72.5m で、インドの石造物としては最大の高さ。 -
【7日目PM】15:45「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
細かな装飾が施され、「コーラン」も刻まれている。 -
15:40【7日目PM】「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
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【7日目PM】「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
イスラム様式とヒンドゥー様式が混在した独特の様式。 -
15:48【7日目PM】「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
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【7日目PM】「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
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【7日目PM】15:50「クトゥブ・ミナール」(世界遺産⑫:1993年)
これは未完のミナレット「アライ・ミナール」。
財政難で工事が中断し、現在は直径25mの巨大な基底部があるのみ。
完成していればクトゥブ・ミナールを超えるらしい。
インド世界遺産の旅は終わり。
デリー21:15発 AI306便で 成田へ。
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旅行記グループ 2015年 インド 12の世界遺産
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