2021/02/19 - 2021/02/20
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あんみつ姫さん
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熱海で有名といえば、「貫一お宮の像」
そして、「お宮の松」
久しぶり行ってみて、そこにあった「案内板」よく見てみました。
いろいろ詳しく書いてあり、なるほど~って。
案内板の内容をこの旅行記に備忘録として記しました。
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熱海海岸といえばこれ。
「貫一お宮の像」有名なシーン -
貫一の足元に、このような文面がありました。
この像は、明治時代の新聞小説、尾崎紅葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない二人のすれ違い、愛情、悲しみが始まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません。是非この小説をご一読いただき、二人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけ増したら幸いです。
ちゃんと、英語でも説明書きされています。 -
尾崎紅葉の碑
(案内板より)
森鴎外等と並び明治を代表する文豪。
胃がんのため35才の若さでおしまれつつこの世を去ったが、晩年、読売新聞紙上に連載された恋愛小説「金色夜叉」が日本全国の読者の熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れ渡った。 -
お宮の松
〈由来が書かれている案内板がありました〉
この松は江戸時代、知恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際、植えさせた松の一本と言われております。
この松はその姿が美しかったことから「羽衣の松」とも呼ばれておりました。 -
(由来が書かれている案内板つづき)
明治30年(1897年)から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場したことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し熱海温泉の一躍脚光を浴び天下の熱海温泉を不動のものとしたものです。 -
(案内板より抜粋)
このことから、大正8年(1919年)横磯に「金色夜叉」の碑が建立されました。
この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句
「宮に似たうしろ姿や春の月」が刻まれ、
羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、新しい熱海の名所となりました。 -
案内板より
昭和24年(1949年)、キティ台風により道路が崩壊されたことにより、道路の拡幅が行われ、海側に伸びた大枝が切られ、また、観光地としての発展に伴い、自動車の排気ガス等により
とうとう「お宮の松」は枯れだしました。 -
案内板より
(初代お宮の松の樹齢はおよそ300年で、現在のつるやホテル前の歩道から海に向かって約2メートルの場所にありました) -
(案内板より抜粋)
市では、二代目「お宮の松」の選定を始めました。
その結果、50数本の候補から、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」に選定したとのことです。 -
(案内板より抜粋)
お宮の松の樹齢は、平成13年(2001年)現在でおよそ95年。
添松は、小田原より樹齢およそ75年だそうです。
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