2021/12/29 - 2021/12/29
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しろくまクンクンさん
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宿にバイクを置いて街巡りに出ました。
「看板建築」巡りを中心に神社仏閣なども巡りました。
歴史を感じる趣のある街並みです。
2時間弱で駆け足で回りましたが、じっくり回ると面白そうな町です。
https://youtu.be/kfoMm_kSCG8
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテル近くにありますのが「喫茶店四季」営業しています。
昭和5年に建てられた貸店舗。 -
横は普通の木造建築といっても板張りのレトロ建築です。
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昭和3年の「平松理容店」です。
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建物もですがこの看板つけ方これでいいの?
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照光寺です。
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寺号は雷電山西向院照光寺
鬼瓦が本当の姿鬼は珍しい!?!?
御本尊は阿弥陀如来様です。 -
幕末の天狗党の乱の折には田丸稲之右衛門一派の宿舎となりました。江戸時代に照光寺学寮と称して寺子屋教育を行っていましたが,明治6年の石岡小学校創設の際には,当寺が校舎として使用されていました。
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山門・鐘楼の左は保育園になっています。
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鐘楼です。
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案内板です。
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府中藩松平家は,水戸徳川家の分家として「御連枝」と呼ばれ定府(常に江戸に居住すること)のため,石岡には陣屋が置かれ,郡奉行や同心など民政を担当する役人が陣屋敷に詰めていました。
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案内板です。
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陣屋の規模は約3haで,現在の市民会館や石岡小学校の敷地があります。
後ろに見えているのは市民会館です。 -
道案内は結構しっかりしています。
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「府中城の土塁」の案内板に導かれました。
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小学校の敷地内です。
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学校は休みなのですが門は空いています。
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船塚山9号墳から出土の「箱式石棺」です。
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案内板です。
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「風間阿弥陀」
元来は小栗城の守り本尊でした。 -
「常陸國府跡」の碑です。
これらはすべて校庭わきにあります。 -
「常陸國總社宮」へ向かいます。
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表参道です。
一の鳥居は稲田産の花崗岩を汽車で運んで工事を行い、大正4年に竣功しました。 -
例大祭の神賑行事として最も古いとされる奉納相撲が行われる土俵。「総社神宮祭礼評議」などの記録によれば宝暦年間(1751~64)に造営された記録が残ります。例大祭期間の「奉祝祭」午前に行われるのが通例でかつては当県出身の武双山、雅山などの力士もここで戦いました。
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手前に「手水舎」奥に「隋神門」があります。
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随神門は本殿と同じ寛永4年頃造営された境内最古の建造物の一つで、遷座時の仮宮の木材を用いたと言われます。門内には石岡市指定文化財の「随神像」一対が置かれています。
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「隋神門と隋神像」の案内。
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「隋神門」の手前は「境内舎」がまつられています。
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「倭武天皇腰掛石」
ヤマトタケルノミコトは当地で編纂された『常陸国風土記』で「倭武天皇」と記され特別視された存在。ミコトは東征の途中、この石に腰かけられたと伝わります。 -
拝殿です。
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県下第一の大楠。樹齢約600年、樹高約17m、樹周約4mに及ぶ。昭和39年に発生した火災によって類焼しましたが、幹の周囲から次第に蘇生し、現在も力強い生命を保っています。
焦げた跡も生々しいです。 -
本殿です。
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「隋神門」の横に倉がありました。
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境内内からの参道です。
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個人のお宅です。
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清凉寺です。
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寺号は興国山清凉寺,宗派は曹洞宗,本尊は虚空蔵菩薩です。
創建の年代は,元徳2年(1330)であり,大掾高幹が開基です。 -
蔵が見えてきました。
穀倉は昭和初期の建設、「府中誉」です。 -
蔵のわきには長屋門、明治初期があります。
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長屋門を回り込むと店舗がありますがクローズされていました。
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1854年(安政元年)創業の造り酒屋。代表銘柄の「渡舟」(わたりぶね)は、幻の酒米渡船を原料米とした全国唯一の酒として知られています。 主屋、長屋門、文庫蔵、穀蔵、仕込蔵、釜場、舂屋(つきや)の7棟が登録されています。
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「富田北向観音堂」です。
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龍の見事な彫り物があります。
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北向観音の横に「府中誉」があります。
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金刀比羅神社です。
平安時代中頃に、桓武天皇の曾孫である平高望(たいらのたかもち)王から国香(くにか)・貞盛(さだもり)らが常陸大掾(ひたちのだいじょう)という官職を得て国府に着任して以来、そのまま土着して勢力基盤を築き上げると、平氏ゆかりの神社として森の祭祀が継承されるようになりました。 -
「丁子屋」
江戸時代末期に建てられた染物屋(現在は観光施設「まち蔵 藍」)。
木造2階建ての商家建築です。1929年(昭和4年) の大火で焼失を免れた商家建築では現存する唯一の建物で、大火以前の土蔵も残っています。 -
手前から「福島屋砂糖店」「久松商店」「十七屋履物店」
「福島屋砂糖店」は1931年(昭和6年)に建てられた砂糖問屋。木造2階建ての商家建築です。土蔵造りの壁が、土壁漆喰塗りではなくコンクリートでできているのは大変珍しいものと云われています。 黒塗りの外壁が外観に重厚さを与えています。 -
「久松商店」1930年(昭和5年)頃に建てられた化粧品店・雑貨店(現在は喫茶店)。木造2階建ての看板建築です。長い板を横張りして重なり部分を加工しながら段差をなくす、ドイツ下見板張りの正面外壁は、戦前、銅板を用いていました。
「十七屋履物店」は1930年(昭和5年)に建てられた履物屋。木造2階建ての看板建築です。2階は特徴的な持送風の柱頭飾りを中心にして、縦長の連窓を左右に配しています。 -
「すがや化粧品」1930年(昭和5年)頃に建てられた雑貨店(現在は化粧品店)で、木造2階建ての看板建築です。屋号を掲げたペディメント(正面上部の三角部分)、洋風の柱建築、コリント・イオニア様式風の柱飾りなど重厚な外観をもち、この地区の看板建築の中でも秀逸なものの一つです。
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「栗山呉服店」は1932年(昭和7年)頃に建てられた呉服店。木造2階建ての商家建築です。2階正面のガラス戸に施した瀟洒な組子(釘を使わずに木を組み込む木工技術)は明治以降における日本建築の近代化の特徴をよく表しています。
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良い雰囲気です。
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「玉川屋石岡本店」「旧吉田靴店」
吉田靴店は、たこ焼き屋として営業中です。 -
「きそば東京庵」は1932年(昭和7年)頃に建てられた蕎麦屋。木造2階建ての和風食堂建築です。戦後、座敷部分を取り払い、土間にテーブルと椅子を置いて来店客用の空間としました。和風様式の代表とも言える数奇屋風の洒落た意匠は、この地域では珍しいものです。
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「森戸文四郎商店」は1930年(昭和5年)頃に建てられた飼料店で、木造2階建ての看板建築です。
柱のレリーフ、縦長の窓、褐色タイルなど、欧米で1910~30年代に流行した装飾(アールデコ調)を全体的に施した外観は、正面を洋風の意匠で飾る当時の看板建築の好例です。 -
所々に興味深い建物も多いです。
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悲しいことにこのような建築も多いのも事実です。
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