2021/11/09 - 2021/11/11
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ソウルの旅人さん
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「能登半島一周と金沢富山の旅 その2」の続き。宿泊地の馬場島から富山市内と金沢市内が行動範囲になる。
同行者が俳句を嗜むので、俳句が挿入されている。
タイトル写真は常願寺川堤防から見た立山連峰。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
富山市内からは立山連峰を望むことが出来なかった。
しかし、早月川左岸に到ると昨日降ったと思われる新雪を冠った剱岳の北方稜線が見えてきた。 -
宿泊地を不便な山奥の馬場島に設定したのは剱岳を間近に見て感じるためだった。
願いが叶った。
中央の大きな凹みが「大窓のコル」である。右方向が剱の頂上になる。剱本嶺はガスがかかって見通せない。
【俳句 18】
忽然と現るる雪嶺神々し -
一般登山者は登ることが不可能な剱岳北方稜線が鮮やかに見える。
右端の台形に見えるのが「マッチ箱ピーク」。マッチ箱はもはや意味不明かもしれない。
【俳句 19】
束の間の日差しに光り嶺の雪 -
切り立った岩石だけの山容である。
繰り返すが、熟練者以外は登れない。その段階に達する迄に登山を止めてしまった。
よって、ここは憧れの山になる。 -
右端が頂上。
ガスがはれることはなく、最期まで山頂を見ることはできなかった。 -
馬場島に到着
馬場島の場所は地図を見て戴くと分るように山奥である。剱岳に登る為の登山基地であり、観光客が宿泊する場所ではない。 -
馬場島荘
馬場島にある剱岳へ登る登山客用の山小屋である。
40~50年前の馬場島荘を明確に覚えていないが、粗末な掘っ立小屋だった記憶がある。
小屋は変わって立派になっていたが、周辺の景観は変わっていなかった。
【俳句 20】
冬山の闇夜を照らす灯ひとつ -
入口
馬場島には50年程前の学生時代に登山の為に一度来た。そして40年前の富山在勤当時は何度も遊びに来た。その「思い出の場所」である。
【俳句 21】
短日ややっと着きたる山の宿 -
廊下
学生時代は立山連峰に夏山登山の為、毎年訪れ各所の山小屋に泊ったが、一部屋に全員が雑魚寝だった。現在の馬場島荘は各部屋が独立して個室になっている。 -
部屋に名前が付いていた。『剱』だった。
本日の宿泊客は我々2人だけで、最早オフシ-ズンになっており、10日後には冬季閉鎖するとのことだった。
【俳句 22】
山荘の客は一組暮早し -
馬場島荘を検索していると、ベットの部屋があった。
その部屋を予約した。
50年前では想像も出来ないことである。 -
チェックインしてすぐ剱岳を見に出掛けた。
夕闇が迫っていたが、北方稜線は視認できた。 -
馬場島から見える奥大日岳方面
馬場島からは剱岳以外に立山川を経て奥大日岳に登ることができた。学生のころ馬場島から剱岳に登る力量がなく、立山川のルートで奥大日岳に登った。立山川を遡行し、上部の雪渓で道に迷い、稜線に出るのに大苦戦したことを覚えている。
その時登ったルートがこの写真に写っているかも・・・・。 -
夕食
山小屋とすればご馳走である。
右端の「昆布〆」は富山の名産品。 -
管理人の「手打ちそば」
管理人は恐らく若いころは相当な登山家であったろうと思わせる風貌だった。
立山川を遡行した経験を話すと、
「荒れ方が酷いので現在は入山禁止です。いつ頃登られました。」と聞いてくる。「昭和43年。1968年です。」
「古い話ですね。小屋は建替えましたが、馬場島はその頃と変わっていません。」
このような会話が続いた。 -
翌る日(11月11日)の朝。
早く起床して馬場島を散策し、早朝の山の気を吸う。 -
早朝の馬場島よりみた剱岳。
鮮烈な山の気を思い切り吸ってきた。
曇り空だが剱岳は昨日と同じ程度には見えていた。 -
山奥だがスマホは充分に通じた。右のアンテナはスマホ用か!!
ここにも時の流れがあった。 -
部屋の窓から見えた剱岳。
これだけ見ることが出来れば大満足だった。 -
同じく部屋からの剱岳。
-
朝食のあと8時頃馬場島荘を出発。
馬場島に残っていた吊橋。
富山在勤時、何度も子供を連れて馬場島に遊びに来た。子供達が喜んだ吊橋が未だ残っていた。進入禁止になっているが、何とも懐かしい。
この川原で遊んだ。 -
人家はないが、川の整備は行なわれている。
-
早月川の堤防からの剱岳。
-
早月側にかかっている橋。
-
名前は「伊折橋」
剱岳全貌が見えるビューポイントである。 -
伊折橋の橋上より
剱岳の全景を捉える場所だが残念ながら雲がかかっている。
左側の赤い矢印が剱岳頂上、右側の青い矢印の川原が馬場島になる。 -
早月川の清冽な流れ
【俳句 23】
遠き日と変はらぬ河原枯芒 -
早月川を経て、伊折峠を越えて富山平野にでる。
雨は降っていなかった。雲の多い立山連峰が望めた。 -
立山連峰を遠望するには常願寺川堤防が最適である。
40年前と同じように、立山連峰を見るために常願寺川堤防に行った。
記憶にある高山が壁のように連なる連峰の景色ではなかった。思ったより遠くにあり、高い山々とは見えなかった。記憶は自己都合に合わせてデフォルメするのであろう。
左側の矢印が剱岳頂上、真中の矢印が立山頂上、右端の矢印が薬師岳の頂上であるが、いずれも見ることが叶わなかった。 -
右:剱岳
左:毛勝三山
中央の凹みは昨日から何度もみている大窓のコル。 -
立山
完全に雲間に隠れている。特徴ある台形の姿は結局見ることができなかった。 -
左:剱
右:立山
頂上が見えないと山を見たことにならないか。 -
40年ぶりに富山市内の自宅のあった場所へ行った。
市街地の「荒町」にあった事務所ビルも無くなっていたが、住んでいた『住宅』もきれいさっぱっり消滅していた。溝の左側に4軒の家屋があり、それぞれ転勤族が住んでいた。こんなフェンスは無かった。そして、溝の右側には田圃が広がっていた。立派な水田だった。この溝はその田に水を供給するきれいな水路だった。毎年5月になって、田に水が引き込まれるとその夜は蛙の合唱になった。そんな環境だった。 -
この辺りは全て田圃だった。自宅裏が一面の水田だった。
本当に信じられない。40年の月日はこんなに変貌をもたらすのか!!
浦島太郎だった。 -
自宅前にあった富山南ゴルフ練習場
40年前と変わりなく残っていた。 -
ここに通勤用の車を駐めていた。
ネットの裏側は小川が流れており、冬は雪に埋もれていたが、春先には積雪が溶けてその中から蕗の薹が顔を覗かせた。そんな場所だった。小川の流れていた所も全て住宅地になっていた。
あの蕗の薹は何処へ行ったのだろう。 -
旧自宅のあまりの変貌に驚き呆れ、時の流れに呆然となった。
富山インターから北陸自動車道に入り金沢に来た。
浅野川大橋。
室生犀星は金沢出身だった。
”ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
・・・・・”
富山は故郷ではないが、変な感傷から過去の世界へ帰ってみようとすれば碌な事がない。
”過ぎし日は遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
・・・・・” -
浅野川沿いに展開する主計町(かずえまち)の佇まい。
-
浅野川大橋から主計町へ散策する。
【俳句 24】
冬灯し昼を商う茶屋二軒 -
浅野川大橋の下流に架かっている主計町に入るための橋。
-
中の橋
木造りの趣がある橋と云うべきか・・・・。 -
主計町に入る「暗がり坂」の入口
-
暗がり坂
銀杏が散り周囲の旧家屋とマッチして独特の雰囲気を醸している。
雨が降っていた。
【俳句 24】
花街の石段染めて落葉雨 -
暗がり坂の降り口。
花街に入る入口である。雰囲気が濃厚に残っている。 -
主計町の街並み
花街を散策するのは趣味ではないが・・・・。 -
主計町の街並み
人影は見えないが、建屋も通りもきっちり整理整頓されている。
現在も営業している。 -
主計町の街並み
細い路地。昼は眠っていが、夜になれば別世界になるであろう。 -
狭い路地
奥の坂道は「あかり坂」。花街には坂を下るか、橋を渡って入る。 -
主計町に来たのはここで昼食を取るためだった。
浅野川沿いにある本日の昼食場所である『いち凜』。 -
川沿いには3階建ての木造建築がならんでいる。
主計町はお昼は殆ど閉っている。しかし、あれこれ検索しているとランチ可能な店が一軒だけ見つかった。
金沢の雰囲気を味わえるかもと予約を入れた。 -
店内に入ると、どことなく垢抜けした女性に案内されて階段を昇り2階へ上がった。
-
案内された部屋
壁の色、生け花、建具など金沢らしさが感じられるか? -
部屋の窓からの主計町
向かいの家に手が届きそう。 -
食事写真は忘れること多し。現物ではなくメニューの写真。
「金沢てまり寿司」が本日の昼食。
京都と似て繊細な盛り付けだった。 -
コーヒーがデミだった。
予想通り金沢の雰囲気の一端でも感じる昼食だった。
デザート込み3,000円/一人
【俳句 26】
茶屋町の手鞠御膳や冬ぬくし -
金沢のひがし茶屋町
主計町から浅野大橋を渡った対岸にある。
この頃より一層雨が強くなった。
【俳句 27】
枯葉散る雨に艶めく石畳 -
有名観光地である。
古い花街の建屋が軒を並べている。
こんな場所を観光することは趣味ではない。今回は「思い出旅行」なので40年前を思い出す為に寄ってみた。 -
事務所は富山にあり、自宅も富山だったが、担当区域は富山・金沢・福井だったので、金沢も頻繁に訪れた。
【俳句 28】
時雨るるや北国日和とは忙し -
加賀百万石とは穀倉地帯の越中を領していたからである。富山は前田家の植民地と云うべき町だったので、実質を重んじる地味な都市だった。それに反して金沢はこのような場所が各所にある城下町である。金沢は仕事より遊びに行く町だった。
-
金沢へはよく飲みに行った。この近辺は頻繁に通ったはずだが、夜しか来ていないので町の風景を思い出せない。ここは40年前とさほど変化していないはずだが、記憶が蘇ってこない。
馬場島と異なり懐かしくもなんともない。 -
40年前のことで、今でも鮮明に覚えているのは、得意先の社長に連れて行かれた小料理屋で食べた『肉』である。「何の肉か判るか?」と聞くので、一瞬驚いた。「普通は口にはいらんだろう。熊の肉だよ。珍しいだろう。」と自慢していた。熊の肉を食べたのはこの時だけである。
金沢人とその街の性格がよく出ている挿話である。 -
修学旅行生が多数訪問していた。周辺道路は観光バスでごった返していた。
コロナ禍が終わったように、一般観光客も多かった。
【俳句 29】
茶屋町を行き交ふ生徒時雨傘 -
狭い路地裏にはいる。
先程の主計町もそうだったが、木造の建物が持っている雰囲気がその街を性格付けている。 -
主計町と異なり、ここは観光客相手の商売が成立しているようで、多くの店舗が暖簾を出していた。
-
ひがし茶屋町が今回旅行の最期の訪問地
金沢西インターから北陸道を通って帰ってきたが、その途中も福井県を過ぎるまでは雨が降ったり止んだりの繰返しだった。滋賀県にはいり琵琶湖が見えてきて、やっと晴の続く普通の天気になった。
北陸への思い出旅行は「北陸の11月の天気」を思い出す旅行だった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 熟年ドラゴン(もう後期高齢だけど)さん 2021/12/28 15:00:50
- 剱岳
- やはり迫力ありますよね。
お天気がイマイチで残念でしたが、奥様の俳句にはお好きな「時雨」が使えて良かったですね。
今回の作品では【俳句26】「茶屋町の手鞠御膳や冬ぬくし」が気に入りました。
【俳句18】は「忽然と雲間に剱神々し」では如何でしょう?
私が鹿島槍や白馬岳から見た剱の裏側というか表側ですね。
- ソウルの旅人さん からの返信 2021/12/28 19:10:56
- Re: 剱岳
- 後立山側から見る長治郎谷や八ッ峰の東面が有名になり正面とするようですが、本来は剱岳の正面は西面の馬場島側です。ここが剱登山のメッカなのです。12月に「ちょっくらジャンダルムでも登って」こられたようですが、剱岳北方稜線にもジャンダルムがあります。写真に写っていた大窓のコル(峠)から剱岳頂上までの間です。一般登山者は入れません。
「俳句があるから読んでる」と連絡してくる知人が多いです。勿論、写真を見て作るのではなく、写真とは関係なく出来上がった俳句を私が写真に合わせています。
今回の一番人気は「花街の石段染めて落葉雨」でした。花街の哀愁を感じるそうです。
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