2019/08/28 - 2019/08/28
183位(同エリア645件中)
Tomさん
2019年8月20日(千歳発)~9月7日(千歳着)の間、スコットランドとイングランドを旅行したときの記録です。
PCがクラッシュして、写真の復元に手間がかかったり、前回のアップ(2020年1月頃?)後投稿意欲が減少したこともあったりで、情報としては古いものになります。また、写真の一部が復元できなかったりで、皆さんの役に立つような投稿にはならないかもしれません。
8月28日はフォート・ウィリアムを出発し、グレンコーに立ち寄りオーバンのB&Bに着くまでをレポートします。走行距離は約95kmでした。
前日フォート・ウィリアムの宿に着いたときは雨もあがり、翌日(28日)は天気が良くなるだろうと期待しましたが、朝になってみると雨は降っていないものの、雲が低く立ち込め暗い雰囲気の中での出発になりました。グレンコー以外はマイナーな場所でメジャーな観光コースに入っていない場所なので面白さに欠けるかもしれません。
オーバンに着いてから現地の旅行会社でフィンガルの洞窟で有名なスタッファ島とアイオナ島を含むツアーに申し込もうとしましたが、ツアーシーズンが終わっているとみえて、催行していないということだったので、自力で行くことにしました。
また、スカイ島以来天候が思わしくなく寒く感じることもあったので、オーバンのショッピングモールでちょっとしたダウンコートを買いました。
表紙の写真はオーバンのマッケイグ塔から見たフエリー・ターミナル付近です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
8月28日のルート。1日で約95kmなのでそれほど大変ではなかったけど、天気のせいで結果として大満足ということにはならなかった。
-
フォート・ウィリアムからグレンコーへ向かう。
前方に見えるのはバラチュリッシュ橋。この橋を渡ったら左方向に行くとグレンコーはもうすぐ。 -
1692年2月のグレンコーの悲劇(グレンコーの大虐殺)を記念したマクドナルド記念碑。この地に住むマクドナルド氏がキャンベル氏の一派に殺された。死者は当時の村の人口の約1/4ほど。
-
背景には、名誉革命とスコットランド氏族間の争いがあり、マクドナルド氏が一種のスケープゴートになった。
-
次に向かったのはナショナル・トラストが管理するグレンコー・ビジター・センター。ビジター・センターの駐車場料金を機械に投入すると領収書が発行され、それがビジター・センターの入場券となる。
センター内にあるちょっとした展望デッキからの光景。 -
今では豊かな自然を楽しむ場所として知られている。
ビジター・センター付近の案内図がこれ。 -
天気が思わしくなく、ビジター・センターから写真撮影のみ。
-
ウィキペディアから写真を拝借。
天気が良ければこのような景観を楽しむことができる。
バスを使ってのツアーなら、多分、A82号線を通りながらガイドからの説明で終わりそうな場所である。 -
A82号線からA828号線に乗り換えるとバラチュリッシュ橋を潜ってオーバン方面に向かうことになる。
-
次の訪問先はダンスタッフネイジ城。
スコットランド・エクスプローラー・パスが有効。 -
1220年頃、アーガイル地方を含むこの地を支配していたダンカン・マクドゥーガルが建造。
-
城に関する説明。マクドゥーガル氏はノルウェー出身の氏族で、その後ロバート・ブルースの手に落ち、そして今の所有者キャンベル氏のものになった。
-
中央に見えるのは西塔跡。訪問客用の施設だった。
下の階(地下室)は牢獄。
フローラ・マクドナルドが一時幽閉されていた(1746年)場所でもある。 -
壁の上の通路に関する説明。兵士が周辺を見張っていたということが書いてある。
-
別な方角から西塔跡を撮影。
-
井戸を近くで撮影。
-
かつて存在した大ホールに関する説明。昼間は領主が裁判等に使い、夜は宴会が催された。
-
領主の住居として使われたゲート・ハウス(右の建物)と大ホール跡(中央奥)。
やや左手前は井戸。左奥は1250年頃に建てられた天守閣跡。 -
大ホール跡(右のベンチがある辺り)。
左半分に写っている部分は1725年に建てられた比較的新しい部分。
中央下には井戸が見える。 -
壁の上の通路、ゲートハウス付近から西塔跡を撮影。
-
同じ場所から内陸方向を撮影。方角としては南東方向。
見えてはいないが、右の方に海洋センター(Ocean Explorer Center)がある。寄ってみたが規模が小さく興味をそそるようなものはなかった。 -
同じ場所からカメラを左に振ったもの。
下に見える小屋のようなものは、城に関する資料館。ここもエクスプローラー・パスが有効。 -
ゲートハウス内部。領主の住居跡。床は当時のものではない(ようだ)。
-
同じくゲート・ハウスの別な階。赤い消化器が無粋。
-
資料館内部。
城の復元模型があった。 -
ゲートハウスと大ホール、天守閣(the keep)、井戸が良く分かる。
-
中央には井戸と1725年に建てられたニュー・ハウス。
右奥が天守閣、左奥が西塔。 -
現在のダンスタッフネイジ城周辺。
-
礼拝堂跡。
1200年代からのマクドゥーガル家の宗教実践の場。
マクドゥーガル氏は死者をリスモア島に埋葬したが、1560年の宗教改革後、キャンベル氏が近くに埋葬所を設置。 -
1200年代の礼拝堂の様子。
衝立のこちら側は一般の人々が礼拝する場所だった。 -
次の訪問先はダノリー城。
1164年以来マクドゥーガル氏が所有していたが、1715年に没収され廃墟となった。 -
マクドゥーガル氏は後のこの地に戻り、1745年にこの家を建てた。
現在は博物館として公開されている。 -
台所。
-
この家を建ててからのコレクションと思われる。
ここは子供部屋として使われたようだ。 -
ビクトリア女王時代(1837-1901)のトイレ。
手洗い場(左)と便器。 -
1920年度の使用人の部屋。
使用人の肖像画は当時としては珍しいとされる。 -
ダノリー城跡。
-
城跡から見るオーバン湾。空一面の雲が太陽を遮っている。
-
全くの廃墟。
-
栄枯盛衰の証。
-
城ができる以前、4千年前の遺物がここで発見されている。
-
小雨の中オーバン市内を通って次に向かったのは
-
マッケイグの塔です。
-
銀行家のマッケイグ氏が失業対策のために美術館として建設し始めたが、資金繰りに失敗し、途中で頓挫。
-
マッケイグの塔から北西方向を望む。
中央奥、塔のある建物は聖コロンバ大聖堂。アイオナ島を拠点にキリスト教布教に努めた聖コロンバに因んだもの。 -
マッケイグの塔からオーバン港、フェリーターミナル方向を望む。
この後、再び雨が降ってきたのでショッピングモールに立ち寄り、防寒着等を買って宿に向かう。ショッピングモール関係の写真はなし。 -
オーバンでの宿(2泊)Sgeir Mhaol Guest House 。
ネットで予約(素泊まりで1泊£70)したが、2021年10月現在では Web サイトは見当たらなかった。
ショッピングモールにも徒歩で行けて、便利な場所。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- Nord60さん 2021/10/30 23:38:01
- 何だか
- ハンバーガーと缶スープの確執みたいで面白く読みました。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
イギリス の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
47