2021/09/26 - 2021/09/26
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xiaomaiさん
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大溪老街を見て回った後、足を伸ばして龍潭へ。なんの計画もしていなかったけれど、思いがけず楽しめた。
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13時50分に大溪バスターミナルから乗車し、14時31分に龍潭到着。乗客はトータルで10名程度。全線乗っていたのは自分のみ。
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徒歩で龍潭聖蹟亭へ。画像は内側から見た外門。
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台湾には多くの敬字亭が残されているけれど、ここのが台湾最大。1875年に建てられ、1925年に再建。外門、頭門、中門、祭台、供台を備えた立派な敬字亭。三級古蹟指定を受けている。
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入り口の獅子に笑顔で迎え入れられる。
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反対側にも
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ここは宗教の場でもあり、線香が供えられていた。
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聖蹟亭
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客家人は敬天惜字の理念を持っていて、字の書かれた紙を気安く捨てず、感謝の念を持ち、まとめて爐で焚き上げる。
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裏側には八卦。
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花崗岩で造られている。
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すぐ隣には福徳祠。
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10分ほど歩いて、南天宮へやってきた。
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龍潭大池潭に1972年に建てられた廟。
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2022年に開廟50週年を迎える廟にお参りに来る人は多い。
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三川殿の屋根の装飾が美しい。
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今にも空へ飛んでいきそうな、生き生きとした龍。
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パンダなど他の廟にはないものもある。
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この廟は、環境保護のため、金紙を捧げない。
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主祭神は關聖帝君。1階には文昌帝君、五路財神、太歳神などが祀られ、2階には觀世音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩が、最上階には玉皇大帝、三寶佛、三官大帝がそれぞれ祀られる。
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人工の龍潭大池潭。
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暑い日だったけれど、吹いてくる風が心地よかった。
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橋を渡って池の周りを歩こうかと思ったけれど、他に訪れたいところがあるから、すぐ引き返した。ここは人々の憩いの場になっているようだった。
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側門から退出。
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しばらく南龍路を進むと、日本時代の建築物が目に飛び込んできた。ここは見学できないのかなと思っていたら......
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可能だった。しかも、会ったことのある人物の名が......。
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ここには、台湾文学家の鍾肇政が生前住んでいた。
鍾肇政(1925年1月20日-2020年5月16日)、台湾文学の父と呼ばれる頼和に対し、台湾文学の母と称される。小学校の教師を長く務める傍ら、東呉大学で日本文学や日中翻訳を教えたり、総統府の顧問などを歴任。また、台南の文豪葉石濤とともに、「北鍾南葉」と呼ばれることも。実は鍾肇政氏には生前お会いしたことがあり、「日本語で考え、日本語で書き、それを中国語に訳して文学を書いた」と言われていたのを印象深く覚えている。小学校の先生らしく、非常にお穏やかな性格の御老体であった。 -
ここは展示エリア。
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ピカピカに磨かれた廊下。滑りやすいので要注意。
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台湾はこのように日本時代の古建築を大事にしてくださる。
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一番奥の建物に鍾肇政が住んでいた。左に見える開放式の建物は豚小屋。
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鍾肇政の居室兼寝室。この部屋で妻と子供と暮らしていた。
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鍾肇政の代表作『魯冰花』が生まれたのもこの居室。ありし日の鍾老の姿を思い浮かべながら、内部を見学させてもらった。
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他所のものとはやや異なる武徳殿。言われないと、日本時代の一般家屋かと思ってしまう。
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最後に訪れたのは龍元宮。
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1825年創建で、龍潭に住む人々の信仰の中心地となっている。
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廟の前に十分な広さがあり、賑やかに祭事が行われることが想像される。
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主祭神は神農大帝。一般的に神農大帝は半裸状態。でも、こちらの大帝は衣冠束帶を身につけられた文官の装い。文昌帝君と天上聖母が副祀され、さらに、文武財神、註生娘娘、太歳星君も祀られている。
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バスで中壢駅まで行って、鉄路で帰ろうと思っていたけれど、台北への直通バスがあることを思い出し、そのバス停へ移動。16時49分に乗車し、西門に到着したのは18時3分だった。午前の大溪老街と合わせ、充実した旅になった。
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