2021/07/05 - 2021/07/05
322位(同エリア338件中)
光風さん
静岡・天城峠のワサビ
伊豆の下田湊に陣屋が置かれたのは1616年のこと。大阪夏の陣から程なくの頃で、家康は東海海路の要衝を押さえ、陸路の箱根関とともに江戸への出入船を厳しく取り締まった。幕末の開港後は奉行所が置かれ、1860年に横浜に移されるまで日本外交の舞台となる。下田街道は三島から修善寺を経て天城峠を越える。街道筋には湯ヶ島・湯ヶ野などの名湯が点在し旅人を癒やした。
天城峠は多くの歴史の脇舞台となっている。密航を企てた吉田松陰が捕えられ唐丸籠で峠を越えたのは1854年。続いてアメリカ公使ハリスが横浜開港で神奈川宿に移った。
天城隧道が完成したのは1905年。18年川端康成(当時一高生)が高下駄履きでトンネルを潜り名作『伊豆の踊子』となった。松本清張は54年に越えている。トンネル付近でバスが故障し『天城越え』を着想したが、舞台は踊子と同じ26年に設定されているのも作家の意思を感じる。
57年には愛新覚羅彗生(あいしんかくらえいせい)が恋人と心中した。当時天国に結ぶ恋としてマスコミを賑わせたが、彗生は旧満州皇帝溥儀の姪、弟溥傑の長女である。余談だが溥傑は能筆家として知られ戦後北京の故宮で書道具店を開いていた。筆者も会ったことがありそこで買い求めた筆を使っている。
70年の春、進路に悩んでいた私は峠を越えた。トンネルをぬけ湯ヶ島へ下っていくと山間に清流があり白い花をつけた小さなワサビ畑があった。清々しい可憐な花姿に一つの生き方を見つけた。花言葉は目覚め。
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