2021/10/03 - 2021/10/03
30位(同エリア396件中)
吉備津彦さん
吹屋銅山笹畝抗とべんがら館
明治以降三菱金属(株)の経営となり、周りの小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し、日本ではじめて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなりました。
この鉱山は笹畝(ささうね)と称し、支山(しざん)でしたが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡し、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出されていました
特に、江戸時代には、この地から馬の背にのせて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟に積んで玉島港まで行き、海路を利用して大阪の銅役所へ運ばれていました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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吹屋ふるさと村観光案内板
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吹屋銅山の歴史 説明板
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吹屋銅山笹畝抗
江戸時代から大正時代まで採掘されていたもので、主に黄銅鉱、硫化鉄鉱を産出していた坑道です。昭和53年に復元され、坑内を見学できるようになっています。冒険心をそそる神秘的な坑内は、年中15℃前後と天然のエアコンが効いています。 -
イチオシ
吹屋銅山笹畝抗
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吹屋銅山笹畝抗 入口
吹屋銅山笹畝坑道 美術館・博物館
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吹屋銅山笹畝抗 入口
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吹屋銅山笹畝抗
入口から門まではコンクリートです。 -
吹屋銅山笹畝抗
吉岡(吹屋)銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があり、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にありましたが、大部分の間は、天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいました。 -
吹屋銅山笹畝抗
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この鉱山は笹畝(ささうね)と称し、支山(しざん)でしたが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡し、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出されていました。
特に、江戸時代には、この地から馬の背にのせて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟に積んで玉島港まで行き、海路を利用して大阪の銅役所へ運ばれていました。 -
吹屋銅山笹畝抗夫の人形
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吹屋銅山笹畝抗夫の人形
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吹屋銅山笹畝抗夫の人形
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吹屋銅山笹畝抗夫の人形
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吹屋銅山笹畝抗
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吹屋銅山笹畝抗
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吹屋銅山笹畝抗
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酒蔵の熟成倉庫として利用されています。
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黄銅鉱と硫化鉄鉱
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黄銅鉱アップ
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笹畝坑道の地質説明
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吹屋銅山笹畝抗
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吹屋銅山笹畝抗
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吹屋銅山笹畝抗はまだまだ奥まで続きますが公開はここまでです。
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イチオシ
ベンガラ館 入口
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入館料は大人300円です。
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ベンガラ館
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ベンガラ館
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ベンガラ館
ベンガラ館 美術館・博物館
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ベンガラ館
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イチオシ
ベンガラ館
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ベンガラ陶芸館
陶芸館には薪が積まれています。 -
イチオシ
陶芸館の窯
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帰り道の農家にいた草刈り羊
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