2008/11/21 - 2008/11/24
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SamShinobuさん
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大連賓館(旧大連ヤマトホテル)に泊まってみたかった。
当時、中国出張は上海・北京と回数を重ねていたが、この年の夏に初めて大連を訪れてみて、とても気に入った。その際、中山広場の歴史建造物の中でも一際目を引く大連賓館に出会い、次回は是非このホテルに泊まりたいと思った。そのチャンスはすぐにやって来て、寒さが厳しくなりつつある中国東北地方の秋の終わりに、念願の大連賓館に僕はいた。
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2008年11月21日
雲ひとつない大連周水国際空港の空。
6時57分に渋谷駅から成田エクスプレス5号に乗った。渋谷〜成田間の運賃は3,110円。成田エクスプレスのシートで車内販売の珈琲を飲みながら、旅が始まる高揚感に浸るのが好きだった。成田空港第一ターミナルには8時10分に到着。
10時10分発の全日空NH903は、3時間20分の空の旅を終えて、12時30分に大連周水国際空港に到着した。空港で両替すると1元=約14.5円だった。 -
空港からタクシーで約11kmの距離を30分程走ると、大連賓館に到着。花崗岩のイオニア式ジャイアントオーダーが8本並ぶ外観は、実に見事なルネサンス様式だ。1914年に竣工した建物は妻木頼黄(つまきよりなか)の弟子の太田毅の設計と言われている。
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満鉄直営の旧ヤマトホテルは、ここ大連と大連星海公園、瀋陽、長春、ハルピン、旅順、撫順にあった。僕は現存する旧ヤマトホテルに宿泊しようと、2013年に瀋陽、長春、ハルピンを訪れた。この大連と合わせて4ホテル制覇した訳だ。残りの大連星海公園の旧ヤマトホテルは既に無く、旅順のは崩壊寸前の建物のみ残っていた。撫順の旧ヤマトホテル(煤都賓館)はかろうじて営業しているようなので、いつか泊まりに行けたらと思っている。
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ロビーの装飾やシャンデリアも美しい。
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入って右手にある階段。2階には夜になるとクラブになるカフェ「大和」がある。
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ホテルの部屋。天井が高く、無駄に広くて殺風景だ(笑)
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ホテルの中庭が茶館になっていたので、珈琲を飲んだ。
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ホテルの前の中山広場。正面の建物は、旧横浜正金銀行大連支店。設計は妻木頼黄だ。
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遠くに見える球体は友好広場。ロシアがその街並みを設計した大連には、欧風な美しい広場が数多くある。
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高いビルは世界貿易大厦。展望台があったので翌日上ってみた。
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中山広場から上海路を通ってロシア風情街に向かう。
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ロシア風情街の入口にある大連芸術展覧館。
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勝利橋(旧日本橋)の上から。
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ロシア風情街。一番奥の旧満鉄本社や旧満鉄総裁邸以外は、2000年頃に復元されたレプリカがほとんどなので単なる観光地だが、それでも帝政ロシアが最初に開発し、大いなる野望を抱えて中国に進出しようとしていた歴史が感じられて面白い。
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マトリョーシカが売っている。
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1898年の三国干渉で大連と旅順の租借権をロシアに取られた時の日本国民の怒りは相当なものだったろう。でもそのわずか6年後、せっかく大連の都市計画を着々と進めている最中に、ロシアは日露戦争に負けてしまう。パリを模倣した美しい街並みを整えていたのに、「はい、ロシアさん、おつかれさま〜」と日本にまんま持ってかれてしまったのだから、ロシアの屈辱や無念は計り知れない。でも一番迷惑なのは、身勝手な外国に翻弄された中国自身だったに違いない。租借地とはいえ、なに、勝手に人の国で戦争おっ始めてんだよ!と思うよね、普通。そんな波乱に満ちた歴史の残滓を随所に感じられるので、大連という街は面白い。
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道の両側に土産物の屋台が出ているので、ぶらぶら見るのも楽しい。
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海産物が豊富だ。
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満鉄初代本社。建てたのはロシアで、1900年当初は東清鉄道事務所だった。1905年に日露戦争に勝利した日本は、まずこの建物を満鉄の初代本社にした。1908年からはヤマトホテルとして営業し、その後中山広場に正式なヤマトホテルができると、最後は博物館として使用されていた。
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ヤマトホテルだった頃の1909年には、夏目漱石も宿泊している。
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1998年以降は使われていないので、まるで廃墟のようだ。
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願わくはこのまま朽ち果てる前に、修復してきちんと保存して欲しい。
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糖葫芦(タンフールー)売り。
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ロシアの帽子や襟巻き等の工芸品の店。
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玩具のような三輪タクシー。
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タクシーに乗ってマッサージに行こう。
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温泉付きマッサージ屋の「湯本」。風呂上がりにまずビールを飲んで、それからマッサージという極楽なコース。40人以上がマッサージを受けられる大マッサージルームがあった。温泉と1時間の全身マッサージで、98元(約1,420円)。一応効能書きもあったので、本物の温泉だろう。客はほとんどが日本人で、日本語が話せるスタッフもいた。
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マッサージといえば、大連が舞台の映画「至福のとき」(2002年公開)を思い出す。継母に虐められながら暮らす盲目の少女と、その継母と結婚したくて少女の世話をする冴えない中年男が、次第に心を通わせていく中国映画だ。監督はチャン・イーモウ。継母に気に入られたくて、失業中にもかかわらず自分は旅館の社長だと嘘をつく中年男。それならその旅館で働かせてと娘を押し付けられてしまう。さて困った。失業仲間を集めて、閉鎖した工場にマッサージ室を作り、目が見えないのをいいことにそこで少女に働いてもらうと嘘をつく。少女は旅館の一室だと思い込んでいるので、客が来ると一生懸命マッサージをする。客というのは失業仲間のおじさんたちがフリをしているのだが、そもそも失業中なので金はあまりない。少女は仕事を得たことで笑顔が戻ってきた。そんな少女をもっと喜ばせたくて、おじさんたちは優しい嘘を重ねていく。少女を演じたのは、董潔(ドン・ジエ)。2003年公開の「最後の恋、初めての恋」にも出演しており、ヒロインの妹役の上海娘を演じたが、まさか「至福のとき」の同じ子とは思えなかった。それほど、このいたいけな盲目の少女は自然だった。
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大連賓館に戻ってきた。
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日本料理の「大漁」へ。中山広場から魯迅路に入ってすぐ。上海を中心に中国全土に展開するチェーン店だ。
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目の前の鉄板で新鮮な海鮮を焼いてもらう。アワビ、海老等を堪能し、牛ステーキに舌鼓を打った。
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ファイヤー!
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こんな路地裏に市場が。
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蟹やシャコ等海産物が並ぶ。
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こんなものまで。
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夜の市場、なんかいいなあ。確か修竹大厦の裏だったと思う。この後はひとりで「沖縄料理 今帰仁(なきじん)」という居酒屋に飲みに行った。
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(写真は翌日の昼に撮影したもの)
ホテルのすぐそばにあった「今帰仁」は、日本人女性店長の風間さんが切り盛りするいい店だった。中国人の旦那さんは将棋・象棋交流会の代表で、日本の将棋も好きだという。そこで一緒にやらないかと僕を誘ってきた。僕は既に酔っ払っていたし、そもそも将棋はあまり得意ではないので返事に困った。すると奥さんが旦那さんに「あなたはそうやっていつもお客さんを将棋に巻き込んで!」と怒って、しゅんとなる旦那さんが少しかわいそうだった。でもそんな二人に好感が持てて、大連のお気に入りの店になった。 -
2008年11月22日
港湾広場に朝食を食べに来た。 -
阿強粥城。粥城というだけあって、様々な種類のお粥がある。
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ワゴンに並ぶ点心。
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大連名物、女性警察官による交通整理。
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大連人民政府庁舎(旧関東州庁)。1937年竣工。日本人が建てた建造物が、いまだに大連の行政の中枢として使われているのが何とも不思議だ。それだけしっかりした造りだったのだろう。
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大連市司法局(旧高等法院)。この既視感、何だろうと思ったら、東大安田講堂をモデルに建てられたらしい。
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バスに乗って、勝利広場へ。
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勝利広場の八閩茗茶(はちみんめいちゃ)。今日一日ガイドをお願いしたひとみさんに、中国茶の店に連れてきてもらった。ひとみといってももちろん本名ではない。本名は日本人には難しいので、分かりやすい日本名を名乗っているらしい。大連の大学生の4年生で日本語ができるので、アルバイトで日本人向けのガイドをしているそうだ。
勝利広場は大連駅前広場の地下にあるショッピング街だ。地下4階までまるで蟻の巣のように巨大な迷路が広がっている。 -
まずはいろいろ試飲させてもらう。ここは大連市工商局から優良店のお墨付きを貰っている名店だ。
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茶器も各種取り揃えている。
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大連港候船庁。
戦前、神戸港を発った鴨緑丸は4日かけて、東洋一の埠頭と謳われた巨大な大連港に到着した。その頃はどんな船旅だったのだろう。大連港は日本と満州を結ぶ航路の玄関口で、南満州鉄道がここまで乗り入れていた。
大連港候船庁は1924年に竣工したが、1987年に改築されている。しかし残念ながら、2013年に取り壊されてしまったので、現在はもうない。 -
大連港候船庁は客船の待合室として使われていた。奥に改札があり、上海や天津、青島便等があった。改築前のここは高い天井がガラス張りになっていて、広々としたロビーに光が差す豪華な待合所だった。ゆうに5000人は収容出来る建物は、まさに希望の大地・満州の玄関口に相応しかったろう。実はこの待合室は「ラストエンペラー」(1988年日本公開)のロケで使われているが、1987年の改築前ぎりぎりに撮ったと思われる。
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すぐ横の埠頭。大連はもともと寂れた漁村だったが、水深が深く不凍港だったことに目を付けたロシアによって、1898年に租借された。1905年日露戦争に勝利した日本は大連を統治することになり、ロシアが設計図をひいた街に日本が建物を建てていくことになる。終戦後は、満州からの引き揚げ船もここから日本に向けて多く出港した。
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大連港務局。かつての満鉄大連埠頭事務所だ。大連港候船庁の向かいに建つ建物は、1926年竣工の重厚なレンガ造りだ。願わくばこの建物は後世に残してほしい。
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港湾広場に戻ってきた。正面の建物は1923年竣工の旧大連取引所。当時は大豆、豆粕、豆油等や金票、銀票を扱う取引所だった。現在は大連銀行になっている。
ちなみに広場の中央にある船は、港の方向を向いているとのこと。 -
蟹漁師家。
この店は東京青山にある「蟹漁師の家」の大連支店で、港湾広場から人民路に入ってすぐのところにあった。青山の本店には、よく「かに玉チャーハン」や「かにクリームスパ」を食べに行ったものだ(*現在は「かに漁師の家」と改名)。本店から日本人社員を派遣しているので、料理や接客のクオリティーは問題ない。 -
アラスカやカナダから蟹を直輸入している。
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この日はタラバ蟹を豪快に食した。ビールは「大連干啤」というドライビール。雪花ビールの会社が作っている。
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老虎灘海洋公園。
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巨大な35mの虎のモニュメント。2008年北京オリンピックのマスコット「福娃」のデザイナー、韓美林が制作した。
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水族館など様々なアトラクションがあるアミューズメントパークで、入場料はセットで190元(約2,800円)だった。
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極地海洋動物園。
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イルカショー。
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飼育員にキスするベルーガ(シロイルカ)。
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大連は遼東半島の最南端に位置しているので、海に囲まれている。
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釣りしたい!
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海辺は寒かった。
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世界貿易大厦。
地上250mの高さを誇る展望台に上がろう。40元(約580円)。 -
展望台をぐるっと一周してみた。まずは日航ホテルが見える。
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57階の展望台は外に出ることができる。風が冷たくて大連っ子のひとみさんも凍えていた。
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勝利橋とロシア風情街。
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大連港と大連港候船庁。
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中山広場。
直径213mの円形広場だ。広場を取り囲むように、歴史建造物が10棟建ち並んでいる。 -
中山広場のラウンドアバウト(環状交差点)の構造がよく分かる。
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大連賓館。
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遠くの緑山にテレビ塔が見える。
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万宝海鮮舫。
接待用高級海鮮レストランだ。 -
昼はタラバ蟹を食べたが、夜は上海蟹という蟹づくしの贅沢。
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何を食べようかな。
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帆立貝は、殻付き500gで 58元(約840円)。料理法は、にんにく蒸し、焼き、生と書かれている。
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豪華な個室でいただきます。
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ひとみさんは、確か大連にある日系企業のコールセンターに就職が決まっていると言っていた。
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タクシーで大連賓館に戻ろう。
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友好広場のケンタッキーは、なかなか趣があっていいなあ。
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大連賓館から中山広場を臨む。
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クライアントとクラブ「大和」で飲む。
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ボーイさんかと思ったら、女性だった。
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その後ひとりで民主広場までぶらぶらと歩いた。そして経典生活の一角にある「あきよし」という居酒屋に入ってみた。一階のカウンターに座ると、人懐っこい女性スタッフが日本語で話しかけてきて、一瞬ニュー新橋ビルにいるのかと思った。
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2008年11月23日
大連賓館の2階にある「大和」は夜はクラブだが、日中はカフェだ。朝、珈琲を飲みに行った。「大和」の窓からの風景。中山広場を近くに眺めながら珈琲が飲めるのは、ここだけ。かつて夏目漱石も来店したという由緒ある珈琲店だ。 -
朝の散歩。天津街には、路上散髪屋のオブジェが中国らしい。
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焼き芋屋のオブジェ。
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昼は大連市オリンピック広場の近くの日本料理店「菊」で和食のランチを食べ、午後は「万達国際電影城(WANDA INTERNATIONAL CINEMAS)」というシネコンの視察。
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夜は火鍋の「野力 肥牛火鍋」。
地元で有名な火鍋屋だが、肥牛とは牛肉のこと。大連はじめ中国では火鍋といったら羊がメインのところが多いが、あえて牛肉火鍋と銘打っている。 -
燕京ビールで乾杯!牛肉、羊肉、野菜、そして締めのインスタント麺。
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活きのいい海老。
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ここはお一人様鍋なのがいい。
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ユムシの刺身。ちょっとグロいけど、コリコリ食感が美味しい。
この後、初日の夜に行った「沖縄料理 今帰仁(なきじん)」にまた飲みに行った。この日、ご主人は将棋をやろうと誘ってはこなかった笑。 -
2008年11月24日
朝の中山広場。 -
BLONDE 37's(布龍徳)。
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美味しい珈琲が飲みたくて入ってみた。
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路面電車がレトロ。
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乗ってみよう。
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車内も素敵。
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運転席は実に簡素。
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旧南満州鉄道本社。
コの字型に3棟建っているうちの中央の建物。現在は瀋陽鉄路局大連分局として使われている。ロシアが日露戦争前に建てたものを1908年に改修して本社にした。 -
旧南満州鉄道本社。
向かって右側の建物。こちらには満鉄旧址陳列館があり、満鉄総裁室など見学できる。 -
旧満鉄図書館。
1910年代に建てられたバロック建築。旧南満州鉄道本社の斜め前にある。現在は大連図書館別館となっている。 -
11時にチェックアウト。
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ホテルのロビーも美しすぎて離れがたかった。
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空港で大連ビールを飲み干す。大連のビール工場で作られている「黒獅金冠LOWEN」。中国の薄いビールだ。
上海や北京といったメトロポリスとは違って、大連はこぢんまりとした港湾都市だ。日露戦争に勝利した日本は、1905年に当時ロシアが租借していた大連の租借権を得ると、終戦の1945年まで大連を統治した。言ってみれば、大連は40年ものあいだ日本だったのだ。そして戦後は数多くの日本企業が大連に進出した。そんなこともあってか、大連には親日家が非常に多い。二度目の訪問になる大連は、まるで日本の地方都市にいるかのように、のんびりとしていて居心地が良かった。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
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- Antonioさん 2021/08/08 08:10:49
- 大連
- おはようございます。一時期はすごい数の日系企業が大連に進出していましたが、コスト増や産業構造の変化により近年は進出は減っているのではと思います。5,6年前に大連を観光しましたが、その時は日系企業は離れつつある傾向が始まっていて、お店もだいぶ閉じていたのを覚えています。一方で都市部の開発は進んでいて、地下鉄が開通したり、日本の地方で昔流行ったヨーロッパの街並みを再現したようなアトラクションがあるようです。京都をコンセプトにしたテーマパークもオープンするみたいです。
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