2008/12/20 - 2008/12/23
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SamShinobuさん
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何度目の蘇州になるだろうか。
古くから「天に天国があれば、地上には蘇州・杭州あり」と言われていただけあって、蘇州は虎丘、古典庭園、水郷など旅情をかきたてる見所が多い。また蘇州・杭州ともに上海から程近く、日帰りで行けるのもいい。
今回は2008年に上海・蘇州を旅した記録を、再び李香蘭の「蘇州夜曲」をフィーチャーしながら書き記そうと思う。
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「蘇州夜曲」は、1940年に公開された映画「支那の夜」の中で李香蘭が歌い、同じ年に霧島昇と渡辺はま子のデュエットとしてレコードが発売されるや、大ヒットを飛ばした名曲だ。
「蘇州夜曲」は愛する者同士の歌にもかかわらず、どこかはかなげで哀愁を帯びている。僕が好きな歌詞は、この部分だ。
「花をうかべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども」
この「明日のゆくえ」とは二人の将来のことを示しており、水に浮かぶ花、すなわち二人の恋がどこに流れていくのか分からないということだろう。日中戦争のさなか日本人と中国人の恋というのはハードルが高く、どうしても先の不安が拭いきれなかった。それが西条八十が書いた歌詞の中に表れているのではないだろうか。
映画の中でヒロインの李香蘭は、蘇州の水辺を歩きながらこの歌を歌った。エキゾチックな顔立ち、日本語の上手い中国人(と思われていた)、李香蘭の切なく美しい歌声に当時の誰もが魅了されたに違いない。
そう、李香蘭は山口淑子という正真正銘の日本人だった。にもかかわらず、その頃は中国人だけでなくほとんどの日本人が彼女を中国人だと思っていた。李香蘭の父は、1906年に大陸に憧れて中国に渡り、南満州鉄道の社員になる。1920年に李香蘭(山口淑子)が生まれ、満鉄が経営する炭鉱の町、撫順で育つ。父は親友だった李際春と中国の風習に従い義兄弟の誓いを結び、これによって山口淑子は儀礼上の養子縁組で李香蘭という中国名が付けられた。養子と言っても名前だけで、李家に引き取られたり国籍が変わるわけではない、あくまで父親同士の永久の友情の証しに過ぎない。
抜群の歌唱力を持ち中国語が堪能だった彼女は、満州映画協会から映画女優としてデビューした。その際、中国人として売り出した方が好都合だと考えた会社によって、日本人・山口淑子は封印されてしまう。そして映画や歌のヒットによって人気が出れば出るほど、自分が日本人だとカミングアウトする機会をなくしていってしまう。
1941年に来日し、有名な「日劇七まわり半事件」(李香蘭のコンサートを見ようと集まった観客が日劇を7周半も並び、入場できない観客が暴れ出した事件)の時も、ほとんどの日本人が彼女を中国人だと思っていた。終戦時、上海にいた彼女は、そのことで抜き差しならない事態に陥ってしまう。なんと日本に協力した漢奸(裏切り者の中国人)として、死刑の判決が下されそうになるのだ。自分が日本人だと証明できれば、漢奸には当たらないので助かるが、今さら何を言っても誰も信じてくれない。中華電影の川喜多長政が奔走し、なんとか日本人だと分かってもらったようで、ようやく引揚船に乗ることができる。しかしそこでも港の係員が「李香蘭だ!」と叫び、捕まってしまう。いくら裁判所で帰国の了解を貰っていると説明しても、聞いていないの一点張り。再び連れ戻され、川喜多長政も自分だけ帰国するわけにはいかないといって上海に残る。結局、一ヶ月後にようやく引揚船に乗ることができ、その船が離岸した時にデッキに流れていたのは、なんと自分の歌う「夜来香」だったそうだ。
その後、日本で何本もの映画に出演し、その中には黒沢明監督の「醜聞(スキャンダル)」や稲垣浩監督の「戦国無頼」もある。そして、シャーリー山口という名でハリウッド映画にも数本出演しており、「東京暗黒街・竹の家」や「東は東」など主演映画もあった。チャップリンとも親交があり、彼の家に初めて招待された時に、ちょうど準備している映画の主題歌が出来たとバイオリンで弾いてくれたのが、「ライムライト」の「テリーのテーマ」だったと自伝に書いている。また、撮影所でジェームズ・ディーンと仲良くなり、ある日ドライブに誘われた。「買ったばかりでまだ誰も乗せていない車だ」と、ビバリーヒルズを一回りして帰ってきたが、その直後に彼はそのポルシェで事故に遭って亡くなった。ハリウッド映画史に残るような名作に出るチャンスはまだあったと思うが、1958年若き外交官・大鷹弘氏と電撃結婚し、あっさりと女優業から引退してしまった。その後芸能界にカンバックし、政界にも進出した。僕は子供の頃放送されていた「3時のあなた」で、司会をする山口淑子をうっすらと覚えている。
今まで何度か蘇州を訪れたが、虎丘のふもとに立つたびに、1940年にここで「支那の夜」を撮影した李香蘭のことを想わずにはいられなかった。彼女もまた日本と中国の歴史に翻弄されたひとりであり、その数奇な運命を辿った人生は舞台やドラマ化されるほど波瀾万丈であった。 -
2008.12.20
今回のホテルも淮海中路の上海香港広場(酒店服務式公寓)だ。新天地が近かったのでこのころの定宿だった。 -
新天地はクリスマス仕様に。
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皆さん休憩してるのかな。
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お洒落なTMSK透明思考。
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外でビールは寒いでしょう。
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当時の僕は新天地が大好きだった。
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CJW
夜はジャズの生演奏を聞かせてくれるバーレストランで、よく利用した。 -
新天地は2000年にオープンしたレストラン、ショッピングセンター、バーを含む観光名所だ。
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新天地から豫園まで歩くことにした。
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焼き芋の屋台。昔ながらの棒はかりを使っている!
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右側の建物、竹で足場を組んでいる。
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ひょいと登る作業員。
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これは2階建てだが、高層ビルの場合でも同様に竹で足場を組むことが多い。
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豫園が見えてきた。
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豫園到着。入口はたくさんある。
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このあたりから入ろうか。
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中もまた迷路のように入り組んでいる。
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結構な人出だ。
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古くからある茶館、湖心亭で中国茶を飲もう。
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店内もなかなかの趣がある。
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お茶を頼むと、サービスのお茶請けを出してくれる。
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工芸茶の花が咲いた。
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窓から豫園の喧騒を眺めながら、ゆっくりとお茶を楽しむ。
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窓からの風景。
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九曲橋もよく見える。真っすぐにしか進めない悪霊を池に落とすために、こんなにも曲がっている。
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南京東路
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歩行者天国
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ビルのライトアップが美しい。
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この人混みの中をトラムが走っている。一回2元(27円)、前払いだった。
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クリスマスツリーが目立っていた。
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成龍行蟹王府。行きつけの上海蟹専門店だ。
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創業60年余りの名店は、2019年に念願のミシュラン1つ星を獲得した。2004年に初めて訪れて以来数え切れない程通ったので、そのニュースを聞いたときは嬉しかった。
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そんな蟹王府が、今度はなんと日本進出を果たした。2020年12月12日、満を持して日本橋三井タワーの三井二号館にオープンしたそうだ。
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上海蟹の紹興酒漬け、酔蟹は絶品としか言いようがない。生の上海蟹は寄生虫の問題もあるが、この美食の誘惑には勝てない。
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蒸す前に生きた蟹を見せてくれる。
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濃厚な味噌を舌の上で堪能し、最後に甲羅に紹興酒を注いで残った味噌を溶かして飲むと、それはもうこの世の楽園。
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食後は外灘を散歩しよう。
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浦東は霧に包まれていた。
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歴史的建造物がライトアップされて幻想的だ。
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外灘の遊歩道は大工事中。
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外灘5号の「the Glamour bar」。窓からは浦東の夜景が楽しめる。こうして上海の夜は更けていった。
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2008.12.21
上海駅から蘇州に向かう。 -
駅前は凄い人だ。
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ビッキー・チャオだ。ビッキー姐さんは「少林サッカー」「夜の上海」「レッドクリフ」など日本でも馴染みのある作品に多く出演している、中国4大女優の一人だ。
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改札が開くのを待つ乗客たち。
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和諧号に乗り込む。
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車内販売が来た。
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蘇州駅に到着。
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蘇州は雨が降っていたが、すぐに止んだ。
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蘇州駅前。
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蘇州シェラトンホテルで昼食。
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外資系高級ホテルなのに高層ビルではなくて、中華風建築で趣がある。
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よく見ると、2階ではピアノの伴奏で歌う歌手がいる。
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レストランではサックスを吹く人も。
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船に乗る。
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「蘇州夜曲」は春の設定だが、今回は寒すぎた。
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スピルバーグの「太陽の帝国」(1987年公開)は、日中戦争時の上海と蘇州が舞台だ。蘇州は日本軍の捕虜収容所があり、日本軍人として伊武雅刀、ガッツ石松、片岡孝太郎、山田隆夫らが出演していた。アメリカ映画としては、戦後初の中国本格ロケが敢行された映画だと言われているが、同じく1987年に公開された「ラストエンペラー」だという説もある。
いずれにせよ1987年は「太陽の帝国」「ラストエンペラー」という中国を舞台にした二大傑作映画が生まれた貴重な年だ。 -
僕の大好きな映画「スパイ・ゲーム」(2001年公開)は、蘇州の刑務所からブラッド・ピット扮するCIAのトム・ビショップをロバート・レッドフォード扮する元上司のネイサンが救出する話だ。「支那の夜」以外に、蘇州と聞くと「太陽の帝国」と「スパイ・ゲーム」がまず頭に浮かぶ。
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そんな蘇州だが、かつての製造業の街からハイテク産業の街へと生まれ変わっている。蘇州高新区は国家ハイテク産業開発区と言って、進出している日本企業は600社を超え、在邦人数は約1万人もいる。
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今現在、コロナ禍は1年近く続いているが、駐在の邦人はどうしているのだろう。もちろん帰国した人も多いと思うが、会社がある以上残っている日本人もいると思う。
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なんだか呑気に船遊びをしていたこのころが懐かしい。
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寒山寺。その昔、NHKのゆく年くる年で、よくこの鐘をついていた。2階にある鐘は、5元払うと誰でもつかせてもらえる。
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寒山寺の五重塔。
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寒山寺の寒拾殿。お参り後、上海に戻った。
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新天地の鼎泰豊で夕食。
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新天地をぶらぶらする。
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2008.12.22
ここで朝食。中国人の定番朝ご飯を食べる。 -
どれも安い。
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豆腐花。醤油ベースのかけ出汁が美味しい。
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油条。
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豆乳。
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天福茗茶で中国茶を買おう。
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試飲させてもらう。
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街歩き。
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sasha's。1921年にフランス租界に建てられた洋館、お気に入りのバーレストランだ。衡山路と東平路の角に建つ。
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もともとは宗家の三姉妹のひとりである宗美齢と蒋介石の結婚の祝いに、三姉妹の兄の宗子文がプレゼントした邸宅。その後毛沢東の妻の江青の別宅でもあった。
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いつもは夜に飲みに来るが、今日はランチをしよう。
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映画「宗家の三姉妹」(1998年公開)は、内容に政治的偏りが見受けられるが、それでも中国近代史に多大な影響を及ぼした三姉妹の激動の人生は面白い。そんな人の家で食事ができるなんて、それだけで感無量だ。
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宗家が勢揃いしている。前は長女の宗靄齢と兄の宗子文。中列は父親と母親で、後ろは孫文に嫁いだ宗慶齢と、蒋介石夫人になった宗美齢。
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田子坊
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苗族の店。少数民族の衣装がいい。
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建物の2階もショップになっているので、入ってみよう。
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古い建物をリノベして使っている。
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店からの眺め。
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田子坊はお洒落な店が増えてきた。
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Commune(公社)は、好きなカフェバーだ。
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この雰囲気いいなぁ。
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このころは今ほど観光客が多くなかったので、歩きやすかった。
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田子坊を出て街歩き再開。何を売っているんだろう。
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チキンだった。なんか大胆な売り方だ。
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懐かしい感じの雑貨屋。
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夕食はヒルトンホテルで食べた。
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レストランからの眺め。
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CZ club
ジャズバーで若いシンガーの歌を聴いた。 -
2008.12.23
チェックアウトし空港に向かう。
「蘇州夜曲」は服部良一の代表作だが、彼は生涯におよそ3,000曲を作曲したそうだ。「胸の振り子」も大好きな曲だが、「蘇州夜曲」同様ジャズの影響を受けている作品が多い。また服部良一は友人の黎錦光が作った「夜来香」を、1945年6月に上海のグランドシアター(大光明大戯院)にて行われた李香蘭のリサイタルのためにジャズアレンジした。リサイタルは大成功をおさめ、その際にはもちろん「蘇州夜曲」も歌ったそうだ。南京西路に建つグランドシアターはアールデコ建築の素敵な劇場だが、いまだに健在で映画館(大光明電影院)として営業している。一角には劇場の歴史パネルが展示しているので、建物と共にまるで映画博物館のようだ。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 2013tomoさん 2022/01/01 17:41:50
- 『蘇州夜曲』は西條八十さんの作詞なのですね!
- SamShinobu様
初めまして、
2013tomoと申します。
金子みすゞさんの仙崎ブログに「いいね」
をいただきありがとうございます。
みすゞさんは西條八十さんに童謡詩人と評価され
広く世の中に知られましたので八十氏はみすゞさんを
理解するためのキーパーソンの一人だと思っています。
今年は八十さんの研究もしてみたいと思います。
中国は私たち夫婦も大好きな国で時々訪問していますが
国が広くてまだ行きたいところがたくさん残っています。
今はコロナで訪問することもままならないのですが
今年か、来年には可能であれば中国再訪を開始したいと
考えています。
末娘家族たちが今年の春に上海に転勤予定(あくまでも予定
ですが)ですので中国とはますますご縁が深くなりそうです。
これからもブログを拝読させていただきます。
宜しくお願い致します。
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