2020/09/15 - 2020/09/15
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zenkyou01さん
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土浦城・土浦散策 茨城県土浦市 全行程3時間54分 土浦駅~(18分)まちかど蔵大徳・不動院・矢口家住宅等(32分)~(6分)土浦城(45分)~(2)分)市立博物館(14分)~(3分)神龍寺・郁文館正門・浄真寺(30分)~(17分)東櫓(4分)~(19分)等覚寺・東光寺(10分)~(24分)土浦駅
「日時」2020年9月15日
「アクセス」J常磐線土浦駅下車
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まちかど蔵大徳 中城通り(水戸街道)沿いにある江戸時代後期の旧呉服店を改造した蔵で、元蔵、店蔵、向蔵、袖蔵の4棟で構成されています。現在は観光案内や土産品の販売、民俗資料の展示を行っています。レンタサイクルも開設されています
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大徳展示物 生活の資料、土浦城、旧家の装飾品、古い時代の風景写真等が展示されています
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退筆塚の碑 市指定文化財で、琴平神社境内内にあります。沼尻墨僊七回忌に弟子たちによって、学徳をしのんで建てられました。退筆というのは使い古した筆を供養するために築いた塚で、筆塚ともいわれます
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不動院不動堂 真言宗豊山派の一寺、創建は十五世紀初め、開基は若泉氏です
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琴平神社社殿 不動院と同じ境内に並んであります。後から神社が境内に勧請されました。境内では江戸末期沼尻墨僊が寺子屋を開いていました
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まちかど蔵野村 中城通り(水戸街道)沿いにある明治時代初期に建造された蔵で、そば打ち体験等多目的工房になっています。奥の蔵は喫茶店になっています
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矢口家住宅 県指定建造物で、江戸時代末建造の町屋の代表的な建物です。正面向かって右が店蔵、左が袖蔵、奥に元蔵があり、3蔵で構成されています
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中城天満宮社殿 創建年代は不詳、ご祭神は菅原道真です。源義家が奥州征伐の軍馬を閲したといわれています。江戸時代には馬市が開かれていた
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土浦城高麗門 江戸時代末期の建築の武家屋敷と町屋を仕切る前川口門であった高麗門で、廃城後役場の門、等覚寺山門を経てここに移築された。高麗門というのは、鏡柱(本柱)や控え柱(鏡柱の後ろに建つ柱)にそれぞれ屋根を載せた門を言います
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亀城公園石碑 土浦城の本丸跡と二の丸跡の一部を整備して作られた都市公園です。園内には、水堀、櫓門、東櫓等の城の遺構、土屋神社、聖徳太子堂、芝生広場、遊具等があります
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土浦城東櫓 本丸に建復元建物です。現在、内部は土浦市立博物館の分館になっており、見学することが出来ます
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聖徳太子堂 昭和40年、日本文化と日本仏教の元祖である聖徳太子を祀るために、土浦五職組合が御堂を建て、太子御尊像を奉納する
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枡形門 霞橋を渡り霞門に入る場合、霞門が直交方向に向いているので、内枡形門を想像できる門に見えます。霞門は藥井門で現存遺構です。藥井門というのは、鏡柱(本柱)や控え柱(鏡柱の後ろに建つ柱)の上を一つの屋根で覆った門を言います
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本丸土塁 本丸の周囲を囲んだ土塁です。二の丸、浄真寺等で見ることもできます
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土浦城櫓門(太鼓櫓門)太鼓櫓門は現存遺構です。太鼓櫓門という名は、時を知らせる太鼓があったところから呼ばれています。櫓門というのは門の上に櫓を設けた門を言います
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土浦領境界石 この境界石(従是南土浦領)は江戸時代の水戸街道沿にある中貫にあり、塚が築かれその上に建設されていたもので、現在は亀城公園(市立博物館脇)に移設されています。その他、もう一つの境界石(従是北土浦領)、江戸時代の道路標識、土浦城櫓門の礎石等がここで見られます
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土浦市立博物館 亀城公園に隣接する歴史系博物館です。土浦の人々の暮らし、歴史、文化を紹介しています
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博物館展示物 土浦病院を開業した石島ゑい(茨城県初の女医)と小川芋銭(日本画家)の特別展示をしていました
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神龍寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1532年、開基は菅谷勝定、開山は雪田真良和尚、本尊は白衣観世音菩薩像です。菅谷家の菩提寺として創建されました。山門を潜ると、左手に豊川稲荷、たまき地蔵尊、如意輪観音像、右手に鐘楼、正面に唐破風を持つ中雀門、その先に本堂があります
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郁文館正門 土浦藩の藩校郁文館の正門で、初期のころは城内にあったが、1839年ここに新築した。昭和10年取り壊され正門のみ遺構として残された。江戸時代の剣客島田虎之助がここで指導している
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浄真寺本堂 浄土宗の一寺、中興は1601年、中興開基は松平信一、開山は真誉一諸上人、本尊は阿弥陀如来像です。石柱の門を入ると、家門圓稲荷福寿弁財天、松平信一の供養塔 、正面には向拝に葵の紋の入った本堂があります。境内には高野長英の墓や小林渉の墓があります
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浄真寺高野長英の墓 本堂の裏に墓があるのですが、標識がないため見つかりません。境内におられた人に尋ねたら、親切に案内していただけました。墓は片岡家の先祖代々の墓に一緒に埋葬されていました。高野長英は仙台水沢藩出身の医者・蘭学者で、幕府批判の罪で獄死する。水沢出身の薬種問屋片岡家が自宅墓地に埋葬。片岡家が土浦移住の際にも浄真寺に改葬される
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東櫓展示物 市立博物館の分館になっており見るものはおおくありませんでした。西櫓の鯱瓦が展示されていました。ここでは入場券が発売されておらず、本館で購入した券を見せて入場できます
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等覚寺鐘楼・銅鍾 銅鍾は国重要文化財で、1206~1207年、小田氏の祖が極楽寺(等覚寺の前身)に寄進したもので、常陸三古鐘のひとつです。戦国時代は土浦城主菅谷氏に預けられ、時の鐘として活躍する。明治17年に等覚寺に返却され、現在に至る。鐘楼は1865年に建てられ、市指定文化財です。彫刻が見事です(建設時の彫刻は客殿に展示されている)
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等覚寺本堂 前身は常陸藤沢にあった極楽寺で、開基は了信と伝えられている。小田治算(慶円)によって1605年当地に移り、等覚寺と改められた。浄土真宗大谷派の一寺、本尊は阿弥陀如来像です。入口から入ると右手に鐘楼、正面に土浦市名木・古木のクロマツ、クロマツの下を潜ると正面に本堂がある
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東光寺瑠璃光殿 浄土真宗大谷派の一寺、創建は1607年、開山は心庵春伝、本尊は大日如来像です。文化財は市指定 瑠璃光殿、南門の土塁、辻元順の墓があります
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