2021/07/18 - 2021/07/18
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chiaki-kさん
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2021年7月16日、関東甲信地方が梅雨明けし、気温は一気に連日30度を超える真夏日に。そんなときは山や高原にでも出かければ、いくらでも涼しい場所はある。しかし、それが世界遺産となると、そうは無いはずだ(富士山というのは除いて)。今回はそんな貴重な場所に愛車で行ってきたので、さっそくリポートしてみたい。
表紙の写真は世界遺産・荒船風穴を見学した後、久しぶりに通ってみた国道254号線(以降R254と称す)内山峠旧道。ちょっと大雨が降ったりすると、すぐ通行止めになる道路(酷道という人もいる)だが、この日は普通に通れた。苔に覆われたアスファルト舗装が、通り過ぎた時間を物語っている。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
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スタートはR254、下仁田の町を過ぎて、いよいよこれから内山峠にさしかかる場所にある市野萱大橋の手前を左折したT字路。東京方面から荒船風穴に向かう最短距離、県道44号下仁田浅科線(以降D44と称す)のスタート地点なのだが・・・
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D44は小型車でもすれ違い困難な箇所が多いため交通規制が敷かれており、土・日・祝祭日の9時-16時は通行禁止。平日は通行できるが9時-16時は神津牧場方面への一方通行となっている。
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今日は7月18日の日曜日。ということで大人しくR254を駆け上る。写真は市野萱大橋を渡って少し先にある「鹿注意」の看板。
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平畠トンネルは、トンネル内部がヘアピンカーブとなっている珍しいトンネル。
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左手にチラホラと荒船山の絶壁を眺めながらトンネルや橋をクリアして行く。峠の少し手前にこんな標識があるが、ここを右折。目標は「神津牧場」。「荒船風穴」の看板も見える。
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坂道の突き当たりを右折。
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こんな逆ト交差点があるが直進する。なお、左折するとD44となり佐久市方面へ行ってしまう。
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やがてこんなY字路にさしかかるが、神津牧場、風穴方面は左へ。右へ行くとR254旧内山峠に突入し、R254に戻ってしまう。
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神津牧場が見えてきた。後方に浅間山や八風山が見える。
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神津牧場は後で又、来ることにして素通り。1kmほど進むとこんな場所に至る。
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前にも述べたが、ここから先は土・日・祝祭日の9時-16時は通行禁止。平日は通行できるが9時-16時は一方通行出口となるので、同じく進入禁止。3分ぐらいここで悩んでいたバイクが一台進入したが、すぐに戻ってきた。
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多分、神津牧場の一部を借りたと思われる場所に30台ほど駐められる鉄板敷きの無料駐車場が出来ていた。
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こんな看板が設置されている。ここから風穴まで徒歩15分、帰りが20分ほどかかるようだ。
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行きは下りなのでピクニックがてら歩いても悪くないが、問題は帰りの急坂。そこで土・日・祝祭日にはシャトルバスが30分おきに運行されているので、多少待っても乗せてもらったほうが良い。
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時刻表を拡大。
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現在の時刻は9時40分なので、徒歩を選択。はじめはこんなゆるい下り坂なのだが・・・
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だんだん急になってきた。
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あと300m。
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イチオシ
やっと荒船風穴の関連する建物や、数軒の家が建つ屋敷地区が見えてきた。
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国指定史跡・及び世界遺産の荒船風穴に到着。
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これは待合広場にあったイラストだが、風穴山から崩れ落ちた岩の間から吹き出る冷たい風を利用した天然の冷蔵庫だったことが解る。
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この岩塊が冬季に氷点下に冷却され、内部に氷柱が形成されることにより、岩の隙間を通過した風が冷やされ、蚕種の貯蔵庫に送り込まれた。
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これは1910年の写真だが、左上の建物は管理棟、右下が風穴蚕種貯蔵庫1号棟及び2号棟。
では、ここで荒船風穴の歴史をスタディ。「荒船風穴」は、1905年に下仁田町で蚕種製造業を営んでいた庭屋静太郎が、私財を投じて建造した蚕種貯蔵所。 -
少々解りにくいが、中央の「甘楽」の文字の隣にあるマス目のある紙のようなものに蚕の種(卵)を貼り付けてあり、これ(種紙)を夏場に風穴で保存することにより、春蚕に比べて質が落ちるとされた秋蚕を、春蚕に比肩しうる水準に高めようとした。
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静太郎の試みは成功し、1905年に1号貯蔵庫、1908年に2号貯蔵庫、1915年に3号貯蔵庫が完成し、「種紙」の貯蔵量は国内最大の110万枚となった。右下に貯蔵庫の内部で作業している人がいるが、真夏だというのに綿入りのどてらを着ている。なお、この「種紙」を運搬するため下仁田町まで鉄道が敷設され、そこからは馬車が利用されたりした。
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1916年から1920年にかけては取引範囲が北海道から朝鮮半島まで及んだこともあったが、氷冷蔵庫の普及や化学繊維の出現による需要の減少などにより、次第に受託量は減り、1943年に風穴貯蔵庫の役目は終わった。写真は管理棟のあった場所から見下ろした風穴を利用した貯蔵庫の跡で、手前から3号、2号、1号貯蔵庫跡。
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これは3号貯蔵庫跡。
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貯蔵庫は地上1室、地下は上下2室構造となっていた。
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2号貯蔵庫跡。冷風が通るように石積みは隙間が多くとられている。
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順路に沿って見学する。
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屋敷地区には今でも数軒の家があり、上州の山並みがきれいに見える。
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3号貯蔵庫跡の石垣。まるで戦国時代の野面積みのようだ。
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2号貯蔵庫跡には温度計が設置されており、風穴の温度と外気温が表示されている。ちなみに外気温は27.6度、風穴は3.7度である。
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これが設置された温度センサーの一部。
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1号貯蔵庫跡を上から撮影。
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こちらにも温度センサーが設置されており、外気温は23.5度、風穴の温度はなんと1.9度。外気温に差があるが、これは2号貯蔵庫跡の方があっているはず。なお、上部に展望台が設置されており風穴全体を見ることが出来る。
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イチオシ
展望台から見た風穴貯蔵庫跡。パンフレット等で良く出てくる風景。
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2014年に荒船風穴は富岡製糸場などと共に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されるが、その理由は「冷涼な環境での蚕種貯蔵によって、春だけでなく夏から秋にかけての養蚕を可能にし、ひいては生糸生産量の増大にも貢献した」ということである。しかし、レーヨンなどの化学繊維の出現による絹糸需要の減少に加えて、日中国交回復後、堰を切ったようになだれ込んで来た安い中国産絹糸により、日本の養蚕及び製糸工業は、ほぼ根絶してしまった。
日本の近代化に貢献した富岡製糸場は2015年に見学済みだが、2014年に降った大雪の為、建物の一部が崩壊しており、修復後の全容はまだ見ていないので、時期を見て、もう一度行って見たくなった。
*富岡製糸場を見学した記事についてはこちらをご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/10981515 -
見学を終えて、広場に建てられた休憩所(左側)で帰りのシャトルバスを待つことにした。
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休憩所の中にはこんな「冷風体験スペース」が作られている。
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風穴を模して造られた岩の穴からは・・・
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11.7度の冷風が吹き出ており、火照った体を一気に冷やしてくれた。
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帰りはシャトルバスに乗せてもらうことにした。
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「しもにたバス」という名のハイエースが土・日・祝祭日に限り運行されているが、下仁田町から委託された上信ハイヤーさんが運行しているようだ。
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荒船風穴駐車場から元来た道を戻り、神津牧場に立ち寄る。
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神津牧場は、1887年に開設された日本で最初の西洋式牧場。開設者は長野県北佐久郡志賀村(現在の佐久市)出身の神津邦太郎。標高約1,100m前後、350haの広大な敷地に、茶色い毛並みのジャージー種をはじめ山羊やポニーが放牧されているが、ホルスタイン牛より脂肪含有量が多いジャージー牛乳と、その牛乳からつくるソフトクリームは、神津牧場の人気アイテム。
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では、さっそくジャージー牛乳使用のソフトクリームをいただく。ねっとりとしたクリームが、おいしかったです。
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お値段は350円だが、風穴入り口でもらったスタンプラリーのパンフにあったクーポン券使用で300円となった。なお、クーポン券が使用できる施設は画像を拡大してね。
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山羊ちゃんに見送られて神津牧場を後にした。
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帰路、旧内山峠を通ってみた。写真のY字路の左側から来て、Uターンをすると旧道。
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とっつきはこんな感じで普通の山道だが・・・
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ヘアピンカーブが連続する九十九折りの道となる。道路幅は4mしか無いが、路面状況は悪くない。
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かつてこの道では高崎市に本社を持つ上信電鉄が神津牧場まで行くバスを走らせていた時代があった。
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所々に残っているカーブ番号を示す石碑がその名残。
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うっそうとした森の中を通るので、舗装の上部には苔が生えている場所もある。
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イチオシ
表紙の写真を再掲するが、通り過ぎた時間を物語っている道だ。
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15分ほどでR254との合流地点に降りてくる。
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荒船山の北壁、艫岩がよく見える。この岩は隆起したものでは無く、浸食により残った岩で、メサと呼ばれるそうだ。つまりアメリカ西部のモニュメントバレーにある岩と同じ。なお、荒船山北壁では漫画「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井 儀人さんが2009年に滑落し亡くなっている。
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現在の気温は国道に設置された温度計では28℃。
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R254に戻るのは鋭角となるので、しばらくこのまま先へ進む。
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急勾配の道を200mほど下るとT字路に突き当たる。R254なのだが、旧道はこの先封鎖されているので、ここはいったん左折する。
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左折した地点から300mほどで左へ折れる道が現れるが、これが旧道の続き。
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草むした旧道。
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「縣道富岡野沢線」と呼ばれた時代もあったのね。
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この区間の旧道は私の記憶では10年以上不通だったはずだが、最近見た交通系ユーチューバーさんの動画で通れるようになったことを知り、さっそく通ってみた。写真はR254の下をくぐる旧道。
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国道254号線の標識もしっかり残っている。
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逆光なので見にくい写真だが、こんな渓谷になっている。
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今にも落ちてきそうな岩が頭上にのしかかる。そして旧道はこの後1kmほどで最初のスタート地点近くに戻る。
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ここから先はおまけのようなものだが、現R254内山トンネルの上にある旧道を走ってみた。これは峠にあった群馬県下仁田町の標識。
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長野県佐久市の標識。こちらの方が小さかった。
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峠には20台程度駐車可能の荒船山登山口駐車場が設けられている。
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佐久市側に降りて行くとR254に突き当たる。
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奥に見えるトンネルがR254内山トンネル(隧道)。スティングレーの隣の看板にある「山荘あらふね」はコロナの影響を受け2020年11月に廃業してしまった。(但しキャンプ場やレストハウスは営業している)
昔、渋沢栄一が手に唾をつけながら越えた内山峠も1978年に開通した内山隧道により簡単に越えられるようになった。今、観光客は上信越道へ廻ってしまったのでR254はトラック街道と化しており、とくに夕刻から深夜にかけては行列となるほどの混みようなので、この時間帯にR254を利用する方は、ご注意ください。
これで「2021年 世界遺産・荒船風穴と内山峠について」は終了です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。 -
OMAKE
6月13日(1回目)、及び7月4日(2回目)に市内に設けられた会場で、COVID-19ワクチンの接種を完了しました。接種の影響は1回目はほとんど無く、2回目は翌日38.4度の熱が出ましたがバッファリン服用ですぐに収まりました。(バックの建物は接種会場となった佐久市内にある”ホテル一万里”です)
首都圏では20代、30代を中心に、またまた感染者が増加しています。長野県内は一桁(7月21日現在)で収まっていますが、用心に超したことはありませんので、首都圏へ行くのは当分やめ、7月23日から始まる東京オリンピックは自宅のTVで応援したいと思っています。
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