2020/07/16 - 2020/07/16
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zenkyou01さん
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海老名文化財巡り 2020年7月 2020年7月16日 曇り
海老名駅→(徒歩3分)海老名中央公園(3分)→(徒歩20分)国分尼寺(2分)→(徒歩3分)弥生神社 (7分)→(徒歩2分)龍峰寺(11分)→(徒歩1分)清水寺公園(5分)→(18分) 伊勢山公園(9分)→(徒歩3分)伊勢山大神宮(11分、軽食含む)→(徒歩6分)相模国分寺跡(18分)→(徒歩1分)温故館(17分)→(徒歩5分)大ケヤキ (1分)→(徒歩1分)相模国分寺(6分)→(徒歩25分)ひさご塚公園(6分)→(徒歩7分)八坂神社(2分)→(徒歩1分)鳳勝寺(3分)→(徒歩3分)上浜田古墳群(2分)→(徒歩5分)浜田歴史公園(4分) →(徒歩36分)海源寺(7分) →(徒歩11分)諏訪神社(2分)→(徒歩16分)三眼六足稲荷神社(1分) →(徒歩0分)安養院(3分)→(徒歩6分)藤沢駅 全行程5時間0分
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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海老名中央公園 海老名駅東口前の多くの大型商業施設(ビナウオーク)に囲まれた都市公園で、野外ステージ、噴水、ベンチ、モニュメントが配されています。園内には相模国分寺にあった七重塔の三分の一の大きさのジオラマが建っています
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国分尼寺金堂跡碑 聖武天皇の勅願により、八世紀中ごろ創建され、その後衰退しています。伽藍配置は相模国分寺と異なり、中門、金堂、講堂が一直線に並んでいます。発掘調査の結果金堂跡、鐘楼跡、講堂跡の基壇が確認され、規模は相模国分寺より、一回り小さいことがわかりました。金堂跡に庚申堂と庚申塔が建っています
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弥生神社拝殿 創建は明治42年、ご祭神は誉田別宮、猿田彦命、高産霊命、日本武尊命です。弥生神社は旧海老名村と周辺の氏神様を合祀した神社です。一の鳥居を潜り、桜並木の少し長い参道を進むと二の鳥居、さらに石段を2回登ると正面に拝殿、その奥に本殿があります
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龍峰寺本堂 臨済宗建長寺派の一寺、創建1341年、開山は圓光大照禅師です。両脇に仁王像を安置する仁王門を潜ると、左手に鐘楼、右手に水屋、庫裏、正面に観音堂、その右手に本堂、観音堂の奥に千手観音立像を収めた収蔵庫、その右手にご祭神が弟橘媛命の吾妻社があります
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龍峰寺観音堂 市指定重要文化財で、向拝下の彫刻が見事です
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清水寺公園 龍峰寺の隣にある公園で桜の名所です。74Mのローラー滑り台があります
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伊勢山公園散策路 小高い丘状の公園で、遊具類は一切ありません。短い散策路があり、ベンチや東屋があります
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伊勢山大神宮鉄鳥居と社殿 急な石段を登った先には、鉄製の鳥居、その先に社殿があります。社殿の中には複数の小さな社殿が収められています。社殿の傍に建つ由緒には、この伊勢山の地の守護神として伊勢神宮を勧請したのが始まりで、昭和48年に社殿を修復したと表記されています
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国分寺金堂跡 聖武天皇の勅願により、八世紀中ごろ創建されました。各地にあった国分寺の中では珍しく、伽藍配置は法隆寺式で、東に金堂、西に塔、北中心部に講堂、周囲を中門と回廊で囲むものです。塔跡、金堂跡、講堂跡、僧房跡、中門・回廊跡、北建物跡等説明版、または標識が立っています。国分寺は創建後盛衰を三度ほど繰り返し、安土桃山時代に国分寺跡から南へ200Mほど(現在の相模国分寺)移され再興されました
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国分寺塔跡 塔跡は整備され、基壇が復元されています。一辺長さ10M、高さ65Mの七重塔が建っていました(七重塔は東大寺を始め国分寺の特徴です)
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市立郷土資料館温故館 海老名市の考古資料などを保管・展示するために設立された施設です。海老名市には多くの古墳群がありますが、ここから出土した物、相模国分寺、国分尼寺の概要やジオラマ、庶民の生活物資等が展示されています
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市立郷土資料館展示物 古墳群から出土した土器等が展示されています
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海老名の大ケヤキ かって、船繋ぎよう杭として使用されていたが、以来大きくなり人々が保護し、根回り15.3M、樹高20Mの大樹になる。県指定天然記念物です
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国分寺鐘楼と銅鐘 鎌倉時代末に国分に居を構える国分季頼が名工物部国光に鋳造させた梵鐘です。現在国重要文化財に指定されコンクリート製の鐘楼に収められています
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国分寺本堂 高野山真言宗の一寺、聖武天皇の勅願により、八世紀中ごろ創建、本尊は薬師如来です。旧国分寺は創建後盛衰を三度ほど繰り返し、安土桃山時代に国分寺跡から南へ200Mほど(現在の相模国分寺)移され再興されました。入口から石段を登ると境内に入ります。左手には鐘楼、正面に本堂があります。本堂向拝下の彫刻が見事です
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瓢箪塚古墳の石碑 4~5世紀の上田浜古墳群7基の内の一つで、今は都市公園になっています。前方後円墳で、頂部にある木の間から大山が見えるようですが、本日は曇天で見ることは出来ませんでした。地元ではひょうたん山と呼ばれ親しまれています。頂部に三角点があります
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八坂神社社殿 創建は江戸時代後期、ご祭神は須佐之男命です。旧津久井郡日蓮村勝瀬地区にあった神社で、相模湖ダム建設により移転を余儀なくされ、昭和17~19年にかけ住民とともに現在地に移転する。鳥居を潜り、石段を上る途中にご神木赤松、石段を登り切った正面に拝殿、その奥に本殿があります
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鳳勝寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は不詳、開山は法泉、本尊は木造釈迦三尊像(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)です。旧津久井郡日蓮村勝瀬地区にあった寺院で、相模湖ダム建設により移転を余儀なくされ、昭和17~19年にかけ住民とともに現在地に移転する。西にある山門を潜り右の石段上に本堂があります。正面少し高い所に鐘楼があります
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上浜田古墳群説明版 4~6世紀にかけて築造された1~3号墳が近接していたところから三塚とよばれ、今、1~2号墳は都市公園になっています。ゲートボール等が出来る広場、小高い丘があります。3号墳の墳丘は消滅していますが、発掘調査の結果円墳です
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浜田歴史公園 建築跡遺構は主屋、付属屋、厩で構成され、鎌倉時代から室町時代にかけての武士階級の住居跡で、浜田歴史公園として整備されています
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海源寺鐘楼門 山門は鐘楼門で、鐘楼と門が一体となった珍しい門です。鎌倉の浄智寺、白川郷の明善寺、川越の喜多院等が有名です
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海源寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1460~1465年、開基は大島豊後守正時、開山は日朝上人です。境内には庫裏、本堂、八幡宮、日蓮上人像等があります
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諏訪神社拝殿 七世紀、この地の住民が農業の安全と繁栄を祈り、諏訪大明神の神霊を勧請し創建されたとご由緒に記述されています。鳥居を潜り参道を進むと左手に神楽殿、右手に手水、正面に拝殿、その奥に本殿を覆う覆い殿があります
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三眼六足稲荷神社社殿 安養院の鎮守様として山内に三眼六足稲荷神社があります。安養院の創建より古く平安時代の頃より相模二十三座の式内社として有鹿岡に鎮座すると縁起に記述されています。正面蟇股に彫られている三眼六足(両側と頭の上に三眼、前足4本後足2本の六足)の狐を初めて見ました
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安養院本堂 曹洞宗の一寺、創建は江戸時代初期、開山は格雲存孝、本尊は阿弥陀如来像です。参道両側に六地蔵、石地蔵が並んでいます。正面に本堂があります
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