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     皇居・江戸城散策(2)  2020年6月       2020年6月9日  晴れ<br />    <br />霞ヶ関駅→(徒歩32分)和田倉噴水公園(4分)→(徒歩5分)大手門(皇居東外苑散策1時間31分)平川門→(徒歩19分)北の丸公園(散策25分)田安門→(徒歩5分)九段下駅  全行程3時間1分<br />

 皇居・江戸城散策 その2

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2020/06/09 - 2020/06/09

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zenkyou01さん

    皇居・江戸城散策(2)  2020年6月       2020年6月9日 晴れ
    
霞ヶ関駅→(徒歩32分)和田倉噴水公園(4分)→(徒歩5分)大手門(皇居東外苑散策1時間31分)平川門→(徒歩19分)北の丸公園(散策25分)田安門→(徒歩5分)九段下駅  全行程3時間1分

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩
  • 外桜田門 正式には外桜田門といいます。江戸城南の入口となっていて国指定重要文化財です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、外枡形門を形成しています。江戸城の中では最大の広さの枡形門です。幕末にこの門外で大老井伊直弼が水戸浪士に暗殺(桜田門外の変)にあったことで有名な門です

    外桜田門 正式には外桜田門といいます。江戸城南の入口となっていて国指定重要文化財です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、外枡形門を形成しています。江戸城の中では最大の広さの枡形門です。幕末にこの門外で大老井伊直弼が水戸浪士に暗殺(桜田門外の変)にあったことで有名な門です

  • 二重橋の鉄橋 今は鉄橋ですが、以前は木橋でした。木橋の下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため二重にかけられていた橋というところから二重橋と呼ばれていました。正門石橋とこの鉄橋の二つを総称して二重橋と呼ばれる方もおられます

    二重橋の鉄橋 今は鉄橋ですが、以前は木橋でした。木橋の下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため二重にかけられていた橋というところから二重橋と呼ばれていました。正門石橋とこの鉄橋の二つを総称して二重橋と呼ばれる方もおられます

  • 桜田二重櫓 本丸から見て辰巳(東南)の方向にあるところから巽櫓ともいわれています。江戸城の中で現存する櫓はこの巽櫓と富士見櫓と伏見櫓の三櫓のみです。狭間や石落としがあるところから実践的な櫓だったようです

    桜田二重櫓 本丸から見て辰巳(東南)の方向にあるところから巽櫓ともいわれています。江戸城の中で現存する櫓はこの巽櫓と富士見櫓と伏見櫓の三櫓のみです。狭間や石落としがあるところから実践的な櫓だったようです

  • 和田倉噴水公園 江戸時代は蔵や大名の屋敷があったところです。現在は公園になっており、噴水、無料休憩所、レストランがあります

    和田倉噴水公園 江戸時代は蔵や大名の屋敷があったところです。現在は公園になっており、噴水、無料休憩所、レストランがあります

  • 噴水公園内の無料休憩所 和田倉噴水公園の一角にテラス席を備えた、モダンな無料休憩所があります。休憩所の一角に皇居外苑の自然に対する展示物、公園の地図等が展示されています

    噴水公園内の無料休憩所 和田倉噴水公園の一角にテラス席を備えた、モダンな無料休憩所があります。休憩所の一角に皇居外苑の自然に対する展示物、公園の地図等が展示されています

  • 三の丸尚蔵観 皇室に代々引き継がれた美術品が国に寄贈され、大切に保存管理するために、皇居東外苑に建設された館です。展示公開されていますが、写真撮影は不可です

    三の丸尚蔵観 皇室に代々引き継がれた美術品が国に寄贈され、大切に保存管理するために、皇居東外苑に建設された館です。展示公開されていますが、写真撮影は不可です

  • 二の丸庭園の花菖蒲 今ちょうど見頃です。花の色は白、桃、紫、青、黄等で花弁元に黄色の線模様のあるのが特徴です(カキツバタは白い線模様、アヤメは網目模様で、区別のポイントです)。背丈は高く(80~100cm)、大輪で水辺に咲きます<br />

    二の丸庭園の花菖蒲 今ちょうど見頃です。花の色は白、桃、紫、青、黄等で花弁元に黄色の線模様のあるのが特徴です(カキツバタは白い線模様、アヤメは網目模様で、区別のポイントです)。背丈は高く(80~100cm)、大輪で水辺に咲きます

  • コウホネ スイレン科の池や沼に自生する多年草です。葉身は長卵型、基部は矢じり型。花は水上に花柄を伸ばし、直径4cmほどの黄色の5弁花を1個つける。花弁状のものは萼で、花弁(爪状のもの)その中にある

    コウホネ スイレン科の池や沼に自生する多年草です。葉身は長卵型、基部は矢じり型。花は水上に花柄を伸ばし、直径4cmほどの黄色の5弁花を1個つける。花弁状のものは萼で、花弁(爪状のもの)その中にある

  • 汐見坂 二の丸と本丸を繋ぐ坂道で、築城時には江戸湾の日比谷入り江が目の前まえまで入込み、この坂から海が見えたのでこの名がつきました。昔は坂の上に汐見門がありました

    汐見坂 二の丸と本丸を繋ぐ坂道で、築城時には江戸湾の日比谷入り江が目の前まえまで入込み、この坂から海が見えたのでこの名がつきました。昔は坂の上に汐見門がありました

  • 白鳥堀 本丸と二の丸を東西に隔てる堀で南北に割と長い堀です。ここで見られる石垣は江戸築城当時の石垣(乱積み、打ち込み接ぎ)が見られます

    白鳥堀 本丸と二の丸を東西に隔てる堀で南北に割と長い堀です。ここで見られる石垣は江戸築城当時の石垣(乱積み、打ち込み接ぎ)が見られます

  • 大奥跡 江戸城天守跡と本丸の間にあり、将軍正室、子女、御殿女中の居住場所です。現在遺構は何もありません

    大奥跡 江戸城天守跡と本丸の間にあり、将軍正室、子女、御殿女中の居住場所です。現在遺構は何もありません

  • 本丸大芝生 芝生の大広場になっているところが本丸跡です。本丸御殿には表、中奥、大奥(本丸芝生の西にある広場)の3つからなり、表御殿は将軍の執務場所、中奥は将軍の居住場所です。ここも現在遺構は何もありません

    本丸大芝生 芝生の大広場になっているところが本丸跡です。本丸御殿には表、中奥、大奥(本丸芝生の西にある広場)の3つからなり、表御殿は将軍の執務場所、中奥は将軍の居住場所です。ここも現在遺構は何もありません

  • 松の大廊下跡 赤穂浪士討ち入りに繋がった、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に切りかかった刃傷事件があった表御殿の長い廊下です。襖戸に松と千鳥が描かれていたので付いた名前です

    松の大廊下跡 赤穂浪士討ち入りに繋がった、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に切りかかった刃傷事件があった表御殿の長い廊下です。襖戸に松と千鳥が描かれていたので付いた名前です

  • 富士見多聞櫓 蓮池堀のかなり高い石垣の上に建つ櫓で、この長屋式櫓を多聞櫓といいます。弓矢・武器を保管する倉庫です。また有事にはここから弓矢や鉄砲を撃ち、防御の拠点にもなります

    富士見多聞櫓 蓮池堀のかなり高い石垣の上に建つ櫓で、この長屋式櫓を多聞櫓といいます。弓矢・武器を保管する倉庫です。また有事にはここから弓矢や鉄砲を撃ち、防御の拠点にもなります

  • 石室 本丸跡の蓮池堀沿いにある石を積み立てた室です。耐火性の必需品を収めた蔵または必需品の避難場所だったようです

    石室 本丸跡の蓮池堀沿いにある石を積み立てた室です。耐火性の必需品を収めた蔵または必需品の避難場所だったようです

  • 天守台 第三代徳川家光の時に、五層、高さ58Mのわが国最大の天守閣が完成しましたが、明暦の大火で焼失後天守閣は再建されていません。その天守閣の台です

    天守台 第三代徳川家光の時に、五層、高さ58Mのわが国最大の天守閣が完成しましたが、明暦の大火で焼失後天守閣は再建されていません。その天守閣の台です

  • 桃華楽堂 香淳皇后(昭和天皇皇后)の還暦を記念して建てられ、皇后のお印し桃の花にちなんで、命名された音楽堂で、昭和41年に完成しました。外壁のタイルの図柄は羽ばたく鳥を抽象的に描いたものです

    桃華楽堂 香淳皇后(昭和天皇皇后)の還暦を記念して建てられ、皇后のお印し桃の花にちなんで、命名された音楽堂で、昭和41年に完成しました。外壁のタイルの図柄は羽ばたく鳥を抽象的に描いたものです

  • 平川門櫓門 江戸時代には江戸城三の丸への正門です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、枡形門を形成しています。現在皇居東御苑(二の丸、三の丸、本丸)の入苑口(北桔橋門、三の丸大手門、平川門)の一つになっています

    平川門櫓門 江戸時代には江戸城三の丸への正門です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、枡形門を形成しています。現在皇居東御苑(二の丸、三の丸、本丸)の入苑口(北桔橋門、三の丸大手門、平川門)の一つになっています

  • 竹橋門跡 旧江戸城内曲輪15門の一つで、大正15年コンクリート製アーチ形橋に建て替えられる。竹橋門の石垣が橋付近に残っています

    竹橋門跡 旧江戸城内曲輪15門の一つで、大正15年コンクリート製アーチ形橋に建て替えられる。竹橋門の石垣が橋付近に残っています

  • 清水門(奥が櫓門、手前が高麗門)北の丸(北の丸公園)への東入口の門になっていて、国指定重要文化財です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、枡形門を形成しています。九代将軍家重の次男重好が独立して御三卿になったとき、ここ門内に屋敷を構えたので清水家となりました

    清水門(奥が櫓門、手前が高麗門)北の丸(北の丸公園)への東入口の門になっていて、国指定重要文化財です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、枡形門を形成しています。九代将軍家重の次男重好が独立して御三卿になったとき、ここ門内に屋敷を構えたので清水家となりました

  • 北の丸公園散策路 江戸城の北の丸にあった場所で現在は国民公園になっている。多くの文化施設や江戸城の遺構(田安門、清水門等)もあり、散策、ウオーキング、ジョッギング等もできる

    北の丸公園散策路 江戸城の北の丸にあった場所で現在は国民公園になっている。多くの文化施設や江戸城の遺構(田安門、清水門等)もあり、散策、ウオーキング、ジョッギング等もできる

  • 田安門櫓門 北の丸(北の丸公園)への北入口の門になっていて、国指定重要文化財です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、枡形門を形成しています。名前の由来は築城以前、ここに田安大明神があったことに由来します。八代将軍吉宗の次男宗武が独立して御三卿になったとき、ここ門内に屋敷を構えたので田安家となりました

    田安門櫓門 北の丸(北の丸公園)への北入口の門になっていて、国指定重要文化財です。高麗門と渡櫓門、二門が直交しており、枡形門を形成しています。名前の由来は築城以前、ここに田安大明神があったことに由来します。八代将軍吉宗の次男宗武が独立して御三卿になったとき、ここ門内に屋敷を構えたので田安家となりました

  • 高灯篭 石灯篭の一種ですが、土台を高くした灯篭です。明治4年、靖国神社の常夜灯として建てられ、品川沖を行き交う船の灯台の役目も担っていました。道路改修に伴い、昭和5年現在地に移転しました

    高灯篭 石灯篭の一種ですが、土台を高くした灯篭です。明治4年、靖国神社の常夜灯として建てられ、品川沖を行き交う船の灯台の役目も担っていました。道路改修に伴い、昭和5年現在地に移転しました

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