2021/04/07 - 2021/04/07
718位(同エリア3569件中)
ぱっちゃんさん
- ぱっちゃんさんTOP
- 旅行記62冊
- クチコミ10件
- Q&A回答7件
- 64,675アクセス
- フォロワー28人
京都おっさんひとり旅2日目は京都市内です。
今回の旅の目的は、長女の大学入学式があったからです。あったから、という抽象的な表現には訳があって、昨年大学に入学しましたが、コロナの影響で入学式がなかったのです。今年1年遅れで入学式をやることになったのですが、母親は何度も京都に来ているので今回はパスということで、急に出番が回ってきました。入学式といっても、このコロナ禍で本人しか出席できないし、父親と娘なんて一緒にいても気まずいだけだし、と思っていました。しかし、よく考えてみると、家を離れた娘と一緒にいる時間はそれ程ないし、〇〇式というのもそうそうないし、結婚式もやるかどうか分からないし、それまで生きているか分からないし、と「し」がつくばっかりなので、行くことにしました。
ということで、2日目午後2時には一旦娘の下宿に戻って着替えないといけないので、非常に限られた時間での行動になりました。
昨年の娘の引っ越しで、いくつか御朱印巡りはしましたが不十分だったので、もう少し個人的に納得する場所をめぐることにしました。
本当は嵯峨野当たりの安倍晴明ゆかりの地めぐりも取り入れたかったのですが、京都は広かったです。京都中心部だけの旅となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
-
昨日は朝食で苦労しましたが、今日は京都市内なので困ることはないと高を括っていましたが、いざ何処で何を食べるかとなると結構迷うものです。色々調べてみると、割と近くに(実はそうでもなかったのですが)京雑炊のお店を見つけたので、そこに行ってみることにしました。それがここ、京雑炊ハルハウスです。
-
丹羽國子さん(くにばあさんと呼ばれているみたいですが)のお店で、留学生の宿泊提供しているみたいで、食べながら色んな国の留学生の話を聞きました。京都ならではの文化というか、流石1000年の歴史をもつ京都ならではだと思いました。今度生まれ代わったら、京都の大学にしたいと思った瞬間でした。
-
今日の第一歩は今宮神社、別名「玉の輿神社」とも言われています。徳川五代将軍綱吉のお母さん桂昌院(元々西陣の八百屋の娘)がこの神社と深い関りがあり、後に将軍の母にまで上り詰めたので、玉の輿と言われる様になったそうです。
-
拝殿を見ると、実際にあがってみたくなります。お祭りの時とかに、とても似合っていて、毎回思わず写真をとってしまいます。
-
今宮神社の御朱印は現在4種類ありますが、オーソドックスなものにしました。右側のはさみ紙は、やすらい祭りの象徴である花笠が記されています。やすらい祭りは、疫病を鎮め平安を願う春のさきがけの祭で、平安時代から伝えられている花鎮めの祭礼です。丁度、次の日曜日に行われるみたいです。
-
今宮神社の参道名物は「あぶり餅」です。あぶり餅はきな粉をまぶした小さな餅を串に刺して、炭火で炙って白味噌だれを絡めた、とても香ばしいお餅です。残念ながら、まだ9時前だったので、お店は開いてまだ開いていませんでした。
-
今宮神社を南に下ると、織田信長を奉ってある建勲神社(たけいさおじんじゃ)につきます。ここには昨年来ましたが、昨日が明智光秀デーだったので、来ておきたかったのです。
-
この神社は、明治天皇による織田信長を讃える神社の創建決定によるものです。織田信長の子孫で天童藩の知事だった織田信敏邸内に最初「建勲社」を建立。後、この地に遷座されました。もともと豊臣秀吉が織田信長の像を安置する寺を船岡山に建立しようとしていたのが始まりだそうです。
-
やはり織田信長と言えば敦盛の一句です。TVでは桶狭間への出陣前、そして本能寺での最後の舞が有名です。源平合戦の一の谷の戦いで、源氏の熊谷直実が平敦盛を討ち、後に出家し、この歌を詠んだと言われています。
-
建勲神社と言えば、この御朱印帖です。インターネットでも売買されているくらい有名ですが、黒字に金文字で書かれた天下布武の文字は迫力があります。
-
昨年来たときは「天下布武龍章御朱印」だったので、今回は敦盛の御朱印をいただきました。
-
次の安倍晴明神社へ向かう途中、銭湯をリノベーションしたカフェ、「さらさ西陣」の前を通りました。孤独のグルメでも、銭湯リノベーションの話があったことを思い出しました。
-
晴明神社の近くに山名宗全邸跡の碑がありました。応仁の乱の西軍の総大将山名宗全が陣を置いたので、この辺りは西陣と呼ばれました。西陣は織物でも有名ですが、東陣という名前が残っていないのが不思議です。
-
さていよいよ晴明神社です。平安時代の陰陽師である安倍晴明を祀った神社で、寛弘4(1007)年に安倍晴明の偉業を讃えた一条天皇の命により、安部晴明の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
これは一の鳥居で、額に掲げられた金色に輝く社紋「晴明桔梗」が特徴的です。 -
旧一條戻橋の一部です。本物の一條戻橋は100m程南にありますが、平成7年に架け替えられた折、その一部を境内に移し、一條戻橋を再現しています。
-
二の鳥居です。写真には写っていませんが、二の鳥居の左側には千利休の屋敷跡の碑が建っていました。本当に京都は碑が多く、歴史の奥深さを感じられます。
-
境内入ってすぐ右手にあるのが、安倍晴明が念力で湧かせたと言われている晴明井です。病気平癒に効果があり、実際に飲むことができるそうです。地面には北斗七星をかたどった飛び石があり、いかにも神秘的です。
-
ご神木で、樹齢300年の楠です。この木はパワースポットとしても有名なので、木に手を当ててみましたが、残念ながら何も感じませんでした。
-
安倍晴明は、孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の子供であることから、皇族出身です。神社所有の想像画に基づいて作られており、衣の下で印を結んでいる姿です。多くの人がさすったので、ひざのところがてかてかしています。
-
陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれており、桃太郎伝説もこれに由来されているそうです。こちらも多くの人がさすったので、桃の上のほうは色が変わってしまっています。
-
絵馬舎には多くの人の絵馬が奉納されており、羽生結弦の絵馬もありました。
-
晴明神社の御朱印帳で、晴明桔梗があしらわれているのが特徴です。晴明桔梗は五芒星とも呼ばれており、ユダヤ教のダビデの星である六芒星に似ていることから、イエス・キリストの生まれ変わりか?と言われるくらいです。
-
晴明神社の御朱印です。最近は何種類もの御朱印をそろえている神社が多い中、これ一つというのはさすがです。
-
晴明神社に行って忘れてはならないのが一條戻橋です。安倍晴明が式神を隠していたと言われている橋です。今では立派なコンクリートの橋になっていて、式神が隠れている様な雰囲気は全くありません。
-
式神は何を考えてここに隠れていたのでしょうか? お呼びがかかるのを今か今かと待っていたのでしょうか? それとも式神にはそういう感覚がなく、何も考えてなかったのでしょうか?
-
晴明神社からほぼ真西へ約3キロ行くと大将軍八神社があります。お店の前に変な人形が置かれているのは何だろうと思っていたら、この通りは妖怪ストリートでした。陰陽道に所縁のある大将軍八神社が近くにあって、大将軍商店街というそうですが、妖怪達が百鬼夜行する様をイメージしています。
-
その大将軍八神社に到着。陰陽道によって大内裏の北西に星神である大将軍を祀り、都を守る為に建立されました。元々は、桓武天皇が794(延暦13)年に、王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社です。なくようぐいす平安京ですね。
-
境内の方徳殿には安倍晴明の子孫である土御門家の文書や江戸時代の天文方・渋川春海が作った天球儀などが並んでいます。
-
左が大将軍八神社の御朱印です。右は去年の晴明神社の御朱印。
-
近くにあるのが島左近が祀ってある具足山教法院です。大きなお寺の中にあるので、すごくわかりくかったです。岡田純一主演の「関ケ原」で石田三成を支える重要な人物で、演じる平岳大がめちゃくちゃかっこよかったです。
-
御朱印はなんと予約制、しかも14時からとなっていました。この時11時頃だったので、御朱印はあきらめました。
-
がっがりしていると、なんと島左近のお墓を見つけました。
-
戦国武将でこのようなお墓があるのはなかなかありません、初めてでした。石田三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」というもので、石田三成4万石の半分を差し出して招いたと言われています。
-
午前中最後は、北野天満宮。全国に1万社以上あると言われている〇〇天満宮の総本社です。流石に観光客の姿がちらほら見かけることができました。
-
北野天満宮は947(天歴元)年に菅原道真を祀ったのが始まりで、江戸時代には寺子屋が普及し、そこに天神さまや菅原道真の姿が掲げられたところから、学問の神さまとして知られる様になったそうです。
-
境内には沢山の牛の像がありますが、牛は菅原道真の使いと言われており、その頭をなでると頭が良くなるという伝えられています。牛の周りには抗菌用にアルコール消毒液が備えられているのが、今ならではでした。
-
丁度今年は丑年で、しかも年男なので、牛の御朱印をいただきました。この様な鮮やかな青色を使った御朱印は珍しいのではないでしょうか?
-
また鬼切丸の御朱印もいただきました。平安時代の武将渡邊綱が一条戻り橋の鬼を、北野天満宮付近で退治したのが由来です。なんとかコロナも退散してもらいたいものです。
-
神泉苑への移動中に見つけたのが旧二条城跡です。何故旧二条城?と思ったので調べてみると、現在の二条城は徳川家康が江戸時代に建てたもので、それ以前の二条城はここ、京都御所のすぐ西にあった様です。
-
北野天満宮から南東へ約3キロにあるのが二条城で、その南に位置するのが神泉苑です。夢枕獏の陰陽師にもよく出てきますが、大内裏と神泉苑の位置関係と二条城と神泉苑の位置関係が非常に似ているので調べてみました。二条城は元々大内裏の南側に建てられたようで、それで神泉苑がすぐ近くに位置しているのでした。
-
神泉苑は、延暦13年(794)、桓武天皇により造営され、桓武天皇始め歴代天皇は神泉苑で宴遊されました。天長元年(824)、淳和天皇の勅命により空海は神泉苑にて雨乞いの祈祷を行い、それによって雨が降ったことでも有名です。
-
向こうに見えるのが善女竜王社で、手前の橋が法成橋です。弘法大師が法力で雨を降らせたことから 「法成就池」と呼ばれており、この朱塗りの橋は「法成橋」と名付けられています。 この橋を願い事を一つだけ念じながら渡り、善女龍王社に参詣すると、 願い事が叶うと言われています。
-
御朱印の数が非常に多く、迷ってしまいましたが、金文字に引かれて桜花宴の御朱印にしました。コロナの影響か、最近では御朱印帳への記帳ではなく、書置きの御朱印が増えている気がしますが、こちらの御朱印も書置きでした。
-
本当は本能寺にも行きたかったのですが、時間の都合で行けそうにもなかったので、本能寺跡へ。現在の本能寺は寺町通にありますが、天正19年(1591)に秀吉の命令で移転したものです。
-
江戸時代から盛んになったお伊勢参りが叶わない人々の為に、伊勢神宮の代わりに参拝できる場所を、という趣旨で、京都大神宮が創建されました。東京の飯田橋にも大神宮があって、こちらは東京大神宮だそうです。
-
京都大神宮と言えば、この巫女さんで有名ですが、特にそういう趣味はないのですが、思わず御朱印帳を買ってしまいました。何しろ今持っている御朱印帳は、前述した織田信長、安倍晴明に加え、武田信玄(信玄神社の御朱印帳)なので、ちょっと毛色の違った御朱印が欲しかったのです。特に、きれいな御朱印の時にはぴったりなので。
-
こちらの御朱印は丸印と角印の2種類選べますが、角印にしました。真ん中上の京都大神宮と書かれているのがそうです。淡い緑色が春らしくて、とてもきれいですね。
本当はこの他にも行きたいところはあったのですが、今回の旅の目的である娘の大学入学式の準備(といっても着替えるだけですが)があるので、ここまでで終了。 -
大学入学式といってもコロナ禍なので、親が出席できるはずもなく、一緒に近くまで行って、終わるのを待つだけ。入学式は京都市観業館みやこめっせで行われますので、暇つぶしに近くの平安神宮へ。
-
平安神宮は京都を代表する神社ですが、その創建は日が浅く明治28年です。平安神宮の敷地も広いですが、その隣にある岡崎公園も広く、大勢の家族連れで賑わっていました。
-
今日はひたすら自転車に乗っていたので(昨日もそうですが)、足が疲れて観光する気力もなくなってきたので、ちょっと一休み。ちょうど、六方屋というレトロなお店があったので入ってみました。
-
ありきたりですが、やはり京都と言えば抹茶と和菓子です。
この後、入学式が終わった娘と合流して、娘はバイトがあるので、早めの夕飯を食べて別れました。 -
夜行バスは11:30京都発なので、それまでの時間潰しがてら二条城のライトアップに行ってみました。この時期は二条城と東寺のライトアップがあるのですが、京都駅へ行く途中にある二条城にしました。二条城のライトアップは事前予約制で、当日券が余っている場合のみ当日入場可ということでしたが、桜も散りかけているし、コロナ禍なので、入れました。コロナ対策は検温・アルコール消毒は当然として、スマホを登録して感染者がでた場合の連絡等やっていました。
-
ライトアップの正式名称は「NAKED FLOWERS 2021 -桜- 世界遺産・二条城」で、二条城を華やかに彩る花の体感型アート展です。二条城の唐門では、プロジェクションマッピングが行われており、城とプロジェクションアッピングの組合せは不思議な感覚でした。
-
唐門を右手に行き、南門から向こうに見えるのが桜の園のライトアップです。左右の足元を照らす街灯がとてもきれいでした。
-
桜はほとんど散ってしまっていましたが、下からのライトアップでまるで花が咲いている様な錯覚を覚えます。
-
桃山門を通り過ぎて左手が本丸で、左に見える街灯の向こうの暗闇はお堀です。
-
内堀に写されているのは、桜のアートを投影した「Colors of Spring」です。まるでお堀の上に桜が咲いているかの様な感覚にとらわれます。
-
清流園に入り、正面に見えるのが呑雲亭です。手前の池とその周辺の木々への色違いのライトアップが印象的でした。
-
手前の木は明るく、遠くの木は淡くしているので遠近感がすごいです。実際はそんなに遠くないのに、すごく遠くにある様に感じます。
-
北大手門でライトアップは終わりです。見頃を過ぎて残念なところもありますが、混雑もなく、ゆっくりと見れたので、それはそれで良しとしましょう。
-
二条城の御城印です。真ん中には徳川家の葵の紋。そして世界文化遺産の文字が堂々と描かれています。前日の福知山城に続いて2つ目です。
これで2日間の京都ひとり旅はおしまい。この後、深夜バスに乗って横浜へ帰りました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
今出川・北大路・北野(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
61