2005/07/08 - 2005/07/11
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SamShinobuさん
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初めてなのにどこか懐かしかった台湾アテンドの旅。2005年の出来事になるかと思うと、時の流れの速さを実感してしまう。
新型コロナウイルスによって世界中が壊滅的な打撃を受けている中、台湾はコロナをほぼ制圧している数少ない国のひとつだ。台湾のコロナに対する動きは実に早かった。検疫体制の確立や防疫指導、徹底した海外からの人の流れの抑制、それは日本から見ていて目を見張るものがあった。SARS流行の時の苦い経験を活かしたとか、政権の中心に公衆衛生のプロがいたとか言われているが、僕は台湾人の中国に対する警戒心の強さが功を奏したのではないかと思っている。2019年12月末に中国がWHOに原因不明の肺炎について最初の報告をすると、すぐさま台湾は武漢からの直行便の乗客に対して機内検疫を始めた。中国のことだから何かやらかしたに違いないと察知して、どこよりも早く行動に移したのだ。もちろん新型コロナウイルスの認定前である。それに比べて日本の防疫の体たらくぶりときたら、海外からの入国制限の遅れひとつとっても酷いものだった。植民地時代に台湾の民政長官だった後藤新平が見たら、きっと嘆かわしく思ったに違いない。後藤は今でも台湾において「近代化の父」と呼ばれ、鉄道、港、道路といった台湾の基本的なインフラを整備した日本人として尊敬されている。当時の台湾の衛生状態は最悪で、マラリアや様々な疫病が蔓延していた。かつて後藤は不可能と言われた日清戦争の帰還兵23万人の検疫をやり遂げ、国内にコレラ等の伝染病を持ち込ませなかったことで諸外国を驚かせたこともある。そんな実績も買われていた後藤は、強いリーダーシップを持って台湾における予防接種の義務化や上下水道の敷設などを行った。また医学校を作って台湾の医療レベルを劇的に向上させるなど、台湾の公衆衛生の基礎を一から作りあげることで、後藤は見事に伝染病を抑え込んだのだ。ネットを見ると台湾人の間では、「今の日本に後藤新平はいないのか」と囁かれているらしい。なるほど、後藤がもし現代の日本にいたら、コロナ対策もこれほど後手後手に回るようなことはなかったのではないだろうか。
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2005.7.8
晶華酒店(Grand Formosa Regent Taipei)
中山北路に位置する高級ホテルで、なかなか快適だった。台湾の時差は中国と同じで、日本からマイナス1時間。日本の12時は台湾の11時だ。 -
ホテルのロビー。
今朝は11時30分成田空港第2ターミナル発の日本アジア航空EG203便で台北へ飛んだ。3時間25分の空の旅を終えて、13時55分に中正国際空港に到着。中正国際空港?台湾にそんな空港あるのかと思われるかもしれないが、実は現在の桃園国際空港の昔の名前で、2006年9月に改称したのだ。だから2005年のこの時はまだ中正国際空港といっていた。
日本アジア航空という航空会社も聞いたことがないという人がいるだろう。1972年の日中国交正常化によって日本は台湾と断交したため、それまで運航していた日本航空の台湾乗り入れが禁止された。そこで苦肉の策として新たに日本アジア航空を設立し、日本と台湾を結ぶ路線として運航を始めたのだ。その後30年以上日台の空の便を担っており、志村けんや金城武を起用したCMを僕はよく覚えている。そして2008年にようやく直接運航が認められるようになると、日本アジア航空はそれまでの役割を終えて日本航空に統合された。まさに歴史に翻弄された航空会社と言ってもいいだろう。 -
ホテルの部屋。空港で両替すると、1台湾ドル=3.6円だった。
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ウエルカムフルーツ。
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ホテルからの風景。
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CANON、富士フイルム、NEC、日立など日本企業の看板が目立っていた。また雨が多いせいか、ビル壁の水垢等の汚れが気になったのも記憶している。
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WARNER VILLAGE視察。台北101のすぐそばだった。
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仕事絡みで、ジェイ・チョウの「頭文字D」を観た。日本の初日は2005年9月17日だったが、台湾ではもう公開していた。
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夕食は華泰王子大飯店(GLORIA PRINCE HOTEL)の「九華楼」にて。晶華酒店から林森北路を北に歩いてすぐだ。
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ここは台湾を代表する老舗広東料理店だ。
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オードブル
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まずは台湾ビールで乾杯。
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フカヒレスープ
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アワビ
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魚をほぐして取り分けてもらう。
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大きな海老料理。
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お菓子
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燕の巣のデザート。
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フルーツ。2人で8,200台湾ドル。一人当たり約15,000円のディナーだ。
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豪門世家理容名店で全身マッサージをしてもらう。
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志村けんと金城武も来店していた。
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町歩き
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町中が臭豆腐の臭いに包まれていて辟易したのを覚えている。このころはまだ臭豆腐が苦手だったのだ。
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全家便利商店(ファミリーマート)。
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全家便利商店の店内。
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茶葉蛋。ゆで卵を茶葉、醤油、香辛料で煮込んだもの。コンビニの定番商品だ。
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ホテルへ帰ろう。
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2005.7.9
台北101
2004年12月31日に世界一の超高層ビルとして開業した。2007年にドバイのブルジュ・ハリファに抜かれてしまったが、この時はまだ世界一だったので、興奮して登った記憶がある。 -
今日と明日の二日間、ガイドをお願いしている蔡倩文さん。三普旅行社有限公司の22歳のお嬢さんだ。
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台北101ショッピングモール。101階建ての台北101は、地下1階から地上5階までがショッピングモールになっている。
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チケット売り場
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88階にある観景台(展望台)からの眺め。
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強風によるビルの揺れを低減させるダンパー。660トンの鉄球が台北101の中心、地上500mに吊されている。
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中国電影文化城
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ここは台湾最大の映画会社「中央電影公司」が経営する撮影所だったが、残念ながら2017年に閉業してしまった。
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お堀。太秦撮影所を思い出してしまう。
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臭豆腐と書かれている。中で食事ができそうだ。
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趣のある建物が続く。
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かなり暑かった。
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時代劇のセット。
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この日は残念ながら映画やドラマの撮影はなかった。
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スクリーンプロセスという合成用の映写機。1934年アメリカ製と書いてある!
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これもまた随分と古い映写機だな。
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電車で淡水に向かうので、蔡さんに切符を買ってもらう。
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車内
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淡水駅
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淡水の街歩き。
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カットフルーツや氷糖葫芦を売っている。
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海だー。
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海沿いには売店が並んでいる。
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フェリーで対岸の八里へ渡ろう。
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船上は風が気持ちいい。
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船内
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漁船もアジアっぽくていいなあ。
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八里渡船頭に着いた。
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南国のような八里。
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ここで軽食を食べよう。中国の簡体字に慣れてしまったせいか、台湾の繁体字が新鮮だ。
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テイクアウトもできる。
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ここに書いてある4つの料理を注文。
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すべて淡水や台湾の名物だ。
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淡水魚丸湯は魚のつみれのスープ。
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巧味肉圓(手前)は、半透明のデンプンの生地の中に肉や野菜の具材が入った台湾のソウルフード。
巧味四神湯(奥)は豚モツの薬膳スープ。
淡水阿給(奥右側)は油揚げに春雨等を詰めて蒸したもの。 -
さすが海鮮の町。蟹の山。
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再び船で淡水へ戻り、紅楼へ。
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1899年に建てられた洋館は、レンガ造りの見事な老建築だ。
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紅楼の3階にある義式咖啡館で珈琲を飲む。
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店内は賑わっていた。
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亜熱帯だけあって、トロピカルな雰囲気が漂っている。
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自分用のお土産を買う蔡さん笑。
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淡水名物の鐵蛋。
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氷糖葫芦
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観光地なので人が多い。
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フェリーに乗って淡水漁人碼頭に来た。
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音楽イベントの準備中だった。
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レストランや土産物屋が軒を連ねている。
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ここは観光地として開発された漁港だ。
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情人橋。情人とは恋人という意味。
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情人橋からの眺め。
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中国の古い琴である古筝。いい音色だ。
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淡水駅の近くに戻ってきた。
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どこかのフードコートで担仔麺を食べた。
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20時ちょうどから台北戯棚(TAIPEI EYE)で民俗ショーと京劇を観た。
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客席から飛び入りで一緒に踊る。
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僕も舞台に引き上げられて躍らされた笑。
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幕間。ロビーにて。一緒に記念撮影もしてくれる。
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京劇の演目は西遊記の中の一節。
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三蔵法師と孫悟空、猪八戒、沙悟浄。
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猪八戒はコミカルだ。
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終演は21時30分。たっぷり楽しませて貰った。
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2005.7.10
朝食はここ。 -
注文が入ると、美味しそうな料理を手際よく作っていく。
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メニュー
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なんだか分からないが美味しそうだ。
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台北駅
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瑞芳駅まで切符を買う。
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天井が高くて開放感溢れる駅舎。
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車内
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車窓の風景。
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瑞芳駅に到着。
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瑞芳駅前広場
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瑞芳駅の近くを一回り。
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何処か懐かしい風景だ。
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九份に着いた。豎崎直行碑から上る。
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狭い階段をどんどん上って行く。
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老朽化して閉めてしまった映画館。
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阿妹茶楼(阿妹茶酒館)。豎崎路にある。ここで昼食。
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店からの眺め。
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これ何だろう。自分で注文した麺だが、全く覚えていない。
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ここはガイドブックにも載る有名店だ。「千と千尋の神隠し」のモデルになったとも言われているが、ジブリ側は否定しているようだ。
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凄い人。
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九份茶房
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ここでお茶をいただく。
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九份茶房からの風景。
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お茶菓子。
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瑞芳駅に戻ってきた。
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台北市内に帰ろう。
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忠烈祠。国のために殉死した英霊が祀られている。靖国神社のようなところだろう。
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衛兵交代式
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凛々しい兵士たち。なんと身長制限があって、178cm以上ないと衛兵にはなれないとのこと。
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地面にできた跡は長年に亘る衛兵の行進でできたもの。
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1時間交代だが、微動だにせずに立っているのもなかなかキツイと思う。
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中正紀念堂。横から見る。
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こちらが正面。
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笑う蒋介石。
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蒋介石の公用車。
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リニューアル前の士林夜市。2011年12月に衛生面や安全性を考慮して、全面改装されたのだ。
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ガイドの蔡さんはここの2階に住んでいると言っていた。なんと部屋にエアコンがないので、死ぬほど暑いそうだ。
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夕食の時間になり、蔡さんに士林夜市のオススメを訊くと、超値牛排館と言う。じゃあ、そこで食べようということになったが、なぜか普通のステーキ屋だった。どうも蔡さんが食べたかっただけのようだ。ちょっと天然なところがあったが、クライアントも面白がってくれたので良しとしよう。
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2005.7.11
朝はホテル周辺をのんびり散歩した。 -
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この日は帰国するだけだった。なのでガイドはお願いしていなかったが、蔡さんがチェックアウトの時間に合わせて見送りに来てくれた。
中正国際空港13時35分発、日本アジア航空EG204便は、17時45分に成田空港に到着した。
初めての台湾の印象は、同じ中華圏にもかかわらず中国とはこんなにも違うのかと愕然とした記憶がある。当時、中国の抱える闇や危うさに何故かとても惹きつけられていた僕にとって、台湾は刺激の少ない安心安全な国で拍子抜けしてしまった。台湾人の温かさや台湾の持つ居心地の良さは、逆に何が起こるか分からない旅の好奇心を満たしてはくれなかった。台北は日本の地方都市のようだったし、市内から少し離れるとそこには子供時代の思い出の中にある町が存在していた。なんだか田舎に帰ってきたような感じがしてならなかった。
台湾は日清戦争の勝利によって日本の領土となった。それから50年間も日本だった台湾。しかし日本の台湾統治は、欧州列強の搾取するための植民地政策とは違っていた。様々なインフラを整え、日本語教育などの同化政策を行い、台湾人の日本人化を図った。もちろんそこに摩擦や紛糾がなかった訳ではないが、近代文明を渇望していた台湾人は同化政策を積極的に受け入れたのだ。その結果、日本が台湾から出て行ってから70年以上経った今でも、あちらこちらに日本を思わせる遺物が残っている。また台湾は親日家が世界一多い国と言われており、街中から日本大好きオーラが感じられる。若者は日本文化に親しみ、日本語が話せる多くの老人は、こちらが日本人だと分かると嬉しそうに話しかけてくる。このころは物足りなさを感じていた台湾も、歳を重ねた今の自分なら心地好くエンジョイできるだろう。これを書いていたら、また台湾を訪れてみたくなってきたが、いつになったら未曾有の疫病が地球から退散する日が来るのだろうか。
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