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    皇居・江戸城散策 2020年1月       2020年1月21日  晴れ<br />    <br />東京駅(3分)→(徒歩17分)江戸城大手門→(散策1時間26分)大手門→(徒歩11分)将門塚(1分)→(徒歩4分)和田倉噴水公園(16分)→(徒歩4分)桔梗門(1分)→(散策32分)桔梗門→(皇居一般参観時1間44分)→(徒歩13分)馬場先門(1分)→(徒歩16分)東京駅  全行程5時間19分<br />

皇居・江戸城散策 その1

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2020/01/21 - 2020/01/21

704位(同エリア4667件中)

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zenkyou01さん

   皇居・江戸城散策 2020年1月       2020年1月21日 晴れ
    
東京駅(3分)→(徒歩17分)江戸城大手門→(散策1時間26分)大手門→(徒歩11分)将門塚(1分)→(徒歩4分)和田倉噴水公園(16分)→(徒歩4分)桔梗門(1分)→(散策32分)桔梗門→(皇居一般参観時1間44分)→(徒歩13分)馬場先門(1分)→(徒歩16分)東京駅  全行程5時間19分

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 東京駅駅舎 1914年に建造された鉄骨レンガ造りの西洋建築で、国指定重要文化財です。周囲は白色、灰色の現代ビルに囲まれているので、朱色の建屋が目立ち、レトロな雰囲気を感じさせます

    東京駅駅舎 1914年に建造された鉄骨レンガ造りの西洋建築で、国指定重要文化財です。周囲は白色、灰色の現代ビルに囲まれているので、朱色の建屋が目立ち、レトロな雰囲気を感じさせます

  • 子爵井上勝像 東京駅丸の内側駅前が綺麗に整備された広場になっており、多くの高いビルに囲まれています。そこに子爵井上勝像や東京オリンピック開会式までのカウントダウン時計等が置かれています

    子爵井上勝像 東京駅丸の内側駅前が綺麗に整備された広場になっており、多くの高いビルに囲まれています。そこに子爵井上勝像や東京オリンピック開会式までのカウントダウン時計等が置かれています

  • 大手門 三の丸への入城門であり江戸城の正門で、将軍や諸大名や役人はここから出入りしました。外の門の高麗門をくぐると直角方向に、写真で示す立派な内の門の渡櫓門があり、枡形を形成しております。典型的な枡形門で、枡形門を知るには良い教材です。この門手前に下乗橋がかかっており、御三家以外の大名は駕篭や馬から降り、歩いて入城しました

    大手門 三の丸への入城門であり江戸城の正門で、将軍や諸大名や役人はここから出入りしました。外の門の高麗門をくぐると直角方向に、写真で示す立派な内の門の渡櫓門があり、枡形を形成しております。典型的な枡形門で、枡形門を知るには良い教材です。この門手前に下乗橋がかかっており、御三家以外の大名は駕篭や馬から降り、歩いて入城しました

  •  同心番所 江戸時代からの遺構の一つです。同心と呼ばれる下級武士が、お城の警備勤め(登城者の監視を行う)をしている時の詰め所です。現在残っている番所の中では小さい建物です。階級の差が出ているのでしょうか

     同心番所 江戸時代からの遺構の一つです。同心と呼ばれる下級武士が、お城の警備勤め(登城者の監視を行う)をしている時の詰め所です。現在残っている番所の中では小さい建物です。階級の差が出ているのでしょうか

  • 百人番所 江戸時代からの遺構の一つです。中の門(本丸に入る手前の門)手前にある警備詰め所です。鉄砲百人組とよばれた伊賀組、甲賀組、根来衆等の与力、同心(同心番所より若干上級武士のようです)が配置され、昼夜100人づつが勤務していたので百人番所と呼ばれています

    百人番所 江戸時代からの遺構の一つです。中の門(本丸に入る手前の門)手前にある警備詰め所です。鉄砲百人組とよばれた伊賀組、甲賀組、根来衆等の与力、同心(同心番所より若干上級武士のようです)が配置され、昼夜100人づつが勤務していたので百人番所と呼ばれています

  • ローバイ 広葉落葉低木。葉は長楕円または卵型長楕円で互生。半透明でにぶい艶のある薄黄色の、芳香を放つ花を下向きにつける

    ローバイ 広葉落葉低木。葉は長楕円または卵型長楕円で互生。半透明でにぶい艶のある薄黄色の、芳香を放つ花を下向きにつける

  • 皇居正門石橋旧飾電灯 獅子が爪を立て踏ん張った構図の青銅製電灯で時代物であると感じさせられます。装飾部が精巧にできた銅鋳造品で感心させられます。皇居正門にかかる二重橋の石橋の両脇に置かれた6基の電灯で、昭和61年に新しく製作したもと取り替えられ、古い電灯がこの二の丸庭園に置かれたものです。他に東京小金井市にある江戸東京建物園や明治村でも同じものを見ることができます

    皇居正門石橋旧飾電灯 獅子が爪を立て踏ん張った構図の青銅製電灯で時代物であると感じさせられます。装飾部が精巧にできた銅鋳造品で感心させられます。皇居正門にかかる二重橋の石橋の両脇に置かれた6基の電灯で、昭和61年に新しく製作したもと取り替えられ、古い電灯がこの二の丸庭園に置かれたものです。他に東京小金井市にある江戸東京建物園や明治村でも同じものを見ることができます

  • 二の丸庭園雑木林と小川 二の丸庭園の一部に、昭和天皇の御発意により武蔵野の面影を持つ樹林として整備されたものです。今は落葉しているので、庭園全体を見渡すことができます

    二の丸庭園雑木林と小川 二の丸庭園の一部に、昭和天皇の御発意により武蔵野の面影を持つ樹林として整備されたものです。今は落葉しているので、庭園全体を見渡すことができます

  • 二の丸庭園池と滝 池泉回遊式庭園の二の丸庭園は江戸時代の初期に小堀遠州が造園しましたが、度々の火災で荒廃してしまいました。昭和39年、第九代徳川家重の時代の庭を参考に造られました

    二の丸庭園池と滝 池泉回遊式庭園の二の丸庭園は江戸時代の初期に小堀遠州が造園しましたが、度々の火災で荒廃してしまいました。昭和39年、第九代徳川家重の時代の庭を参考に造られました

  • 二の丸庭園茶屋 大きな茶屋です。度々の家事の後、明治45年再建されました。昭和43年、二の丸庭園に移築されました。京都等でよく見かける庵風のお茶室とはちょっと変わった風情を感じます

    二の丸庭園茶屋 大きな茶屋です。度々の家事の後、明治45年再建されました。昭和43年、二の丸庭園に移築されました。京都等でよく見かける庵風のお茶室とはちょっと変わった風情を感じます

  •  江戸築城当時の石垣 梅林坂に左手に見える石垣です。乱積みという方法と(積まれた横方向の線が直線的でない)算木積みという方法が(石垣の角の処理として、長方形の石を長尺側と短尺側を交互に組み合わせる)特徴です。地震に強いといわれています。熊本地震で熊本城が崩壊しましたが、江戸初期石垣の方が、後期石垣に比べ崩壊が軽微だったといわれています。後期に組まれた大手門や中の門等でみられる石垣と全く積み方が異なります

     江戸築城当時の石垣 梅林坂に左手に見える石垣です。乱積みという方法と(積まれた横方向の線が直線的でない)算木積みという方法が(石垣の角の処理として、長方形の石を長尺側と短尺側を交互に組み合わせる)特徴です。地震に強いといわれています。熊本地震で熊本城が崩壊しましたが、江戸初期石垣の方が、後期石垣に比べ崩壊が軽微だったといわれています。後期に組まれた大手門や中の門等でみられる石垣と全く積み方が異なります

  • 梅林坂 最初に江戸城を築いた太田道灌がこのあたりに天神社を祀り、梅を植えたことから梅林坂と呼ばれています。今回はこの坂を登って北桔橋門に向かいました

    梅林坂 最初に江戸城を築いた太田道灌がこのあたりに天神社を祀り、梅を植えたことから梅林坂と呼ばれています。今回はこの坂を登って北桔橋門に向かいました

  • 梅 紅梅系の梅がチラホラと咲いていました

    梅 紅梅系の梅がチラホラと咲いていました

  • 天守台 第三代徳川家光の時に、五層、高さ58Mのわが国最大の天守閣が完成しましたが、明暦の大火で焼失後天守閣は再建されていません。その天守閣の台です。今回は本丸跡付近工事のため天守台にアクセスできませんでした

    天守台 第三代徳川家光の時に、五層、高さ58Mのわが国最大の天守閣が完成しましたが、明暦の大火で焼失後天守閣は再建されていません。その天守閣の台です。今回は本丸跡付近工事のため天守台にアクセスできませんでした

  • 北桔橋門 北の丸と天守台を繋ぐ門で、江戸城北を守る重要な地点でありました。そのため橋は土橋と跳ね橋(片方を跳ね上げて渡れなくする)構造になっているので北桔橋門(きたはねばしもん)と言われています。現在ある外の門(城の外側の門)は高麗門というもので、この内側に内の門(現存しない)があり、二つで枡形門を形成していたと思われます。また堀からの石垣も大変高く(18.5M)積まれています。今、大手門、平川門と同様、皇居東外苑の入場門になっています

    北桔橋門 北の丸と天守台を繋ぐ門で、江戸城北を守る重要な地点でありました。そのため橋は土橋と跳ね橋(片方を跳ね上げて渡れなくする)構造になっているので北桔橋門(きたはねばしもん)と言われています。現在ある外の門(城の外側の門)は高麗門というもので、この内側に内の門(現存しない)があり、二つで枡形門を形成していたと思われます。また堀からの石垣も大変高く(18.5M)積まれています。今、大手門、平川門と同様、皇居東外苑の入場門になっています

  • 中の門 大手門、大手三の門を通り本丸に入るときに通る門です。この上にある中雀門とで虎口(狭い曲がりくねった通路)を形成しており、百人番所、三の門、大番所を含め本丸には近づきにくい通路になっております。石垣は巨石を使い、布積み(石垣の各段の高さを水平にそろえた積み方)・切込接ぎ(あらかじめ方形の成形した石を積み上げる方法)という方法で積み上げています。見た目を重視した積み方ですのできれいです

    中の門 大手門、大手三の門を通り本丸に入るときに通る門です。この上にある中雀門とで虎口(狭い曲がりくねった通路)を形成しており、百人番所、三の門、大番所を含め本丸には近づきにくい通路になっております。石垣は巨石を使い、布積み(石垣の各段の高さを水平にそろえた積み方)・切込接ぎ(あらかじめ方形の成形した石を積み上げる方法)という方法で積み上げています。見た目を重視した積み方ですのできれいです

  • 大番所 中の門の内側に設けられ、中の門を警備する詰所です。ここは百人番所や同心番所よりさらに上級の武士が務めていました。ここにある部屋から、下を見張っていたのでしょうか、それともここは警備侍の休憩所でしょうか

    大番所 中の門の内側に設けられ、中の門を警備する詰所です。ここは百人番所や同心番所よりさらに上級の武士が務めていました。ここにある部屋から、下を見張っていたのでしょうか、それともここは警備侍の休憩所でしょうか

  • 中雀門 この門も高麗門と渡櫓門の二つで枡形門を形成しており、御書院番士という高級武士が警備をしていました。御三家もここでは駕篭を降りなければなりません。写真の左側に見える石垣は幕末時の本丸御殿の火災の際に類焼し、石の表面は黒く焦げ劣化しています

    中雀門 この門も高麗門と渡櫓門の二つで枡形門を形成しており、御書院番士という高級武士が警備をしていました。御三家もここでは駕篭を降りなければなりません。写真の左側に見える石垣は幕末時の本丸御殿の火災の際に類焼し、石の表面は黒く焦げ劣化しています

  • 将門塚 丸の内ビル街の中にある平将門の御首をお祀りしている塚です。将門は武士の先駆けとして、関東地方の政治改革を行い、「弱きを助け強きをくじく」といことで民衆に信望(昭和20年代に将門を主人公にしたラジオドラマを覚えています)を得ていた一方、京都の天皇に反乱をおこしたので朝敵としてみなされました。時代により将門の評価はわかれます

    将門塚 丸の内ビル街の中にある平将門の御首をお祀りしている塚です。将門は武士の先駆けとして、関東地方の政治改革を行い、「弱きを助け強きをくじく」といことで民衆に信望(昭和20年代に将門を主人公にしたラジオドラマを覚えています)を得ていた一方、京都の天皇に反乱をおこしたので朝敵としてみなされました。時代により将門の評価はわかれます

  • 和田倉門の石垣 写真石垣の右側上部と角部は切込接ぎ、左側は打込接ぎ(表面出る石の角や表面を削り、平たくして石どうしの接合面の隙間をできるだけ少なくして積み上げる)の石組です。左側は古い時代の石垣で、右側はその後の修理時の石垣であると想像されます

    和田倉門の石垣 写真石垣の右側上部と角部は切込接ぎ、左側は打込接ぎ(表面出る石の角や表面を削り、平たくして石どうしの接合面の隙間をできるだけ少なくして積み上げる)の石組です。左側は古い時代の石垣で、右側はその後の修理時の石垣であると想像されます

  • 和田倉門 東京駅丸の内出口を出て、西に行った正面にある門跡です。江戸時代初期には海の傍に大きな蔵が建っていたことから和田倉という名が付きました

    和田倉門 東京駅丸の内出口を出て、西に行った正面にある門跡です。江戸時代初期には海の傍に大きな蔵が建っていたことから和田倉という名が付きました

  • 和田倉噴水公園 江戸時代は蔵や大名の屋敷があったところです。現在は公園になっており、噴水、無料休憩所、レストランがあります。本日は噴水していませんでした

    和田倉噴水公園 江戸時代は蔵や大名の屋敷があったところです。現在は公園になっており、噴水、無料休憩所、レストランがあります。本日は噴水していませんでした

  • 坂下門 西の丸(現在宮殿がある場所)から坂を下った先にあったので坂下門と言います。幕末に老中安藤信正が門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名です。現在宮内庁の通用門となっており、警備が厳重です

    坂下門 西の丸(現在宮殿がある場所)から坂を下った先にあったので坂下門と言います。幕末に老中安藤信正が門外で水戸浪士に襲われた「坂下門外の変」は有名です。現在宮内庁の通用門となっており、警備が厳重です

  • 皇居正門 江戸城時代は西の丸大手門(玄関の門)で、現在は皇居の正門です。眼鏡橋の石橋を渡った先にある門です。立派な渡櫓門です。以前は櫓門の前に高麗門があったのですが明治時代に撤去され名称も宮城正門(現皇居正門)に改められました。天皇誕生日と正月の一般参賀の時とのみここの通行が可能です

    皇居正門 江戸城時代は西の丸大手門(玄関の門)で、現在は皇居の正門です。眼鏡橋の石橋を渡った先にある門です。立派な渡櫓門です。以前は櫓門の前に高麗門があったのですが明治時代に撤去され名称も宮城正門(現皇居正門)に改められました。天皇誕生日と正月の一般参賀の時とのみここの通行が可能です

  • 皇居前広場 年2回の一般参賀の際、この皇居前広場から皇居正門石橋を渡って皇居に入ります。江戸時代ここは老中など幕府の重職の人達の屋敷がありました

    皇居前広場 年2回の一般参賀の際、この皇居前広場から皇居正門石橋を渡って皇居に入ります。江戸時代ここは老中など幕府の重職の人達の屋敷がありました

  • 二重橋の鉄橋 今は鉄橋ですが、以前は木橋でした。木橋の下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため二重にかけられていた橋というところから二重橋と呼ばれていました。正門石橋とこの鉄橋の二つを総称して二重橋と呼ばれる方もおられます

    二重橋の鉄橋 今は鉄橋ですが、以前は木橋でした。木橋の下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため二重にかけられていた橋というところから二重橋と呼ばれていました。正門石橋とこの鉄橋の二つを総称して二重橋と呼ばれる方もおられます

  • 正門の石橋 皇居正門に入るための眼鏡の石橋です。江戸時代は土橋であったそうです。後ろに見える櫓は伏見櫓です。皇居を代表する写真撮影スポットです

    正門の石橋 皇居正門に入るための眼鏡の石橋です。江戸時代は土橋であったそうです。後ろに見える櫓は伏見櫓です。皇居を代表する写真撮影スポットです

  • 皇居外苑 厳密にはここの皇居前広場と北の丸公園と堀付近の緑地を合わせたものを言うそうですが、ここでは皇居前広場の公園に限ります。普通の公園とは違い遊具等は一切ありません。広い芝生、黒松の植え込み、噴水公園、楠木正成像等が配置されています

    皇居外苑 厳密にはここの皇居前広場と北の丸公園と堀付近の緑地を合わせたものを言うそうですが、ここでは皇居前広場の公園に限ります。普通の公園とは違い遊具等は一切ありません。広い芝生、黒松の植え込み、噴水公園、楠木正成像等が配置されています

  • 楠木正成像 皇居外苑の松原の中にあります。馬にまたがり、口を真一文字に結んだ雄姿のブロンズ像が見られます。台座を含めると高さは8M、見上げてしまいます。分解鋳造で造られたといえど、素晴らしい精巧な鋳造品ができたと感心します

    楠木正成像 皇居外苑の松原の中にあります。馬にまたがり、口を真一文字に結んだ雄姿のブロンズ像が見られます。台座を含めると高さは8M、見上げてしまいます。分解鋳造で造られたといえど、素晴らしい精巧な鋳造品ができたと感心します

  • 桔梗門(内桜田門)内桜田門と呼ばれ、この門を入ると三の丸に入ります。大名の登城入口はこの桔梗門か大手門に限られていました。現在皇居一般参観の登城門になっています

    桔梗門(内桜田門)内桜田門と呼ばれ、この門を入ると三の丸に入ります。大名の登城入口はこの桔梗門か大手門に限られていました。現在皇居一般参観の登城門になっています

  • 富士見櫓 天守が焼失後、天守の代わりを果たしたのがこの富士見櫓です。どの方向から見ても同じような形に見えるところから、八方正面の櫓と言われています。排水溝も備えた野面積みの石垣の上に三重櫓が建てられ、石落としも仕掛けられています。正に戦いの櫓です。現存する江戸城内の三櫓の一つです。皇居東外苑からある程度近づいて見ることができますが、柵があって傍までは寄れません。皇居側から見たほうが圧倒的に見栄えが良いです

    富士見櫓 天守が焼失後、天守の代わりを果たしたのがこの富士見櫓です。どの方向から見ても同じような形に見えるところから、八方正面の櫓と言われています。排水溝も備えた野面積みの石垣の上に三重櫓が建てられ、石落としも仕掛けられています。正に戦いの櫓です。現存する江戸城内の三櫓の一つです。皇居東外苑からある程度近づいて見ることができますが、柵があって傍までは寄れません。皇居側から見たほうが圧倒的に見栄えが良いです

  • 宮殿(長和殿) レセプション、拝謁等多目的に使用される建物です。新年と天皇誕生日には長和殿前の東庭で一般参賀が行われます。天皇皇后両陛下・皇族方は二階中央バルコニーにお立ちになり、国民からお祝いをお受けになります

    宮殿(長和殿) レセプション、拝謁等多目的に使用される建物です。新年と天皇誕生日には長和殿前の東庭で一般参賀が行われます。天皇皇后両陛下・皇族方は二階中央バルコニーにお立ちになり、国民からお祝いをお受けになります

  • 伏見櫓 江戸城の中で最も美しいといわれる櫓です。関東大震災で崩壊しましたが、解体して復元されました。伏見櫓の右に見えるのは十四間多聞櫓です

    伏見櫓 江戸城の中で最も美しいといわれる櫓です。関東大震災で崩壊しましたが、解体して復元されました。伏見櫓の右に見えるのは十四間多聞櫓です

  • 冬桜 ヤマザクラとマメザクラの自然交配で出来た、バラ科の落葉高木です。花弁は一重の淡い桃色の花をつけます。12月ごろと4月の年2回花を咲かせます

    冬桜 ヤマザクラとマメザクラの自然交配で出来た、バラ科の落葉高木です。花弁は一重の淡い桃色の花をつけます。12月ごろと4月の年2回花を咲かせます

  • 馬場先門 交差点の標識に名前が残るのみで遺構は全くないようです。見る石垣は堀の石垣だそうです

    馬場先門 交差点の標識に名前が残るのみで遺構は全くないようです。見る石垣は堀の石垣だそうです

  • 丸の内仲通り 日比谷通りに平行している道路で道の両脇には街路樹が施され、三菱グループ各社のビルが立ち並ぶ三菱村です。オフィスビルの中に、高級ブランドショップやレストラン、カフェ等もあり、他では見られないビル街です。また時期によりイベントが開催されています

    丸の内仲通り 日比谷通りに平行している道路で道の両脇には街路樹が施され、三菱グループ各社のビルが立ち並ぶ三菱村です。オフィスビルの中に、高級ブランドショップやレストラン、カフェ等もあり、他では見られないビル街です。また時期によりイベントが開催されています

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