2021/01/23 - 2021/01/23
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xiaomaiさん
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「臺北鼎興壇天上聖母慶成入火安座祈安遶境」という儀式が行われるのに合わせ、台北市大同区(一部士林区)の儒教及び道教寺院をめぐってみた。大同区北部と士林区西部は歴史がある区域ではあるけれど、時が止まったような感じがあり、観光客はもちろん、他地域に住む台北市民ですらほとんど行かないエリアだ。今回、この祭りを観に行ったことが、まだ知らぬ台北の地域に足を踏み込む契機となった。
祭り行列の進行コース
吉林路407巷19號 舊宮【臺北鼎興壇】→【奉聖宮】→【新安宮】→【妙道院】→庫倫街接酒泉街至大龍街口(午餐休息)【保安宮】→【和安宮】→【大龍峒金獅團】→【萬古聖公廟】→【翁家關聖帝君】→【印鑒行宮】【玄天堂】【天元聖寶殿】→【合昌宮】→【海光宮】→【臺北鼎興壇臨時紅壇】(実際に祭り見学をしたのは昼食休憩以後の部分)
陣頭順序表
(01)前導車(02)天令旗(03)黒令旗(04)港口宮頭旗(05)路關人員(06)頭旗花車(07)走路鼓亭(08)先鋒輦轎(09)頭旗車(10)路關車(11)執事牌(12)下埤頭金獅團(13)新安宮大轎(14)車吹六台(15)花轎車(16)走路戰鼓(17)花轎車(18)金龍陣(19)花轎車(20)女子西樂隊(21)鎮殿媽花轎(22)走路外江(23)延平郡王武轎(24)三角湧三合社(25)神將(26)大鼓弄(27)娘傘(28)天上聖母文轎(29)壓帆(30)清潔人員(31)消防車
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20年以上訪れていなかった台北市大同区北部。この地域には古い寺院があり、祭り見物のついでに訪れた。
MRT圓山駅から孔子廟の方へ歩いていくと、庫倫街に多くの花轎車が停まっていた。祭りの一行がちょうどこの付近で昼食休憩をしていた。 -
神将もご休憩中。
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孔子廟の壁と金龍
展示が内容が台湾でもっとも充実している孔子廟 by xiaomaiさん台北市孔子廟 寺院・教会
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屋根の端がツバメの尾のように反り返っている黌門。祭りの休憩時間を利用し、まずは孔子廟の見学。
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椰子の木が生えている孔子廟は台湾ならでは。
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孔子への尊敬の念を示すため、本来ならば一礼して入る礼門。現代ではほとんどの人が頭を下げることなく、直接入っている。孔子廟そのものの存在意義が変わったから、当然の結果だろう。
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半月状の泮池
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櫺星門
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儀門
櫺星門と儀門を通って、大成殿に向かえたのは科挙の最終試験である殿試に合格した者のみ。そのため、科挙が廃止された今でも普段は閉められている。開いているのは両脇の門(右:金声門、左:玉振門)。現代人である我々も、この2つの脇門を通って大成殿へ向かう。 -
儀門を入って、右側にあるのが鐘楼で左側にあるのが晋鼓。この2つは孔子の誕生日に行われる儀式「釈奠礼」の際に使われる。1998年にこの儀式を観に行ったことがあるけれど、あまりにも以前のことで、どのようなものだったかほとんど記憶にない。
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孔子廟の本殿である大成殿
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藻井。4隅に見える緑色のものは「福を賜る」ことを示す蝙蝠。カステラの名店福砂屋も蝙蝠を商標としているけれど、それも同じ意味合いで用いられている。
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大成殿中央には孔子の位牌が、左右には弟子の位牌が安置されている。
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儀式で使用される楽器
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儒者や賢者を祀る東廡
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儒学を知るための展示もある。
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儀式で使う道具
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儀式で使う楽器
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聖祖殿とも呼ばれる崇聖祠は、孔子の祖先五代を祀る。
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字体の展示。
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西廡
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台北の孔子廟は、建築美を愛でるだけでなく、文字による展示も多いから、じっくり見学しようと思ったら、2時間以上かかると思う。さらに、孔廟劇院で「孔子廟物語」「大成殿の美」というタイトルの映像を鑑賞することも可能。これらも観るなら、半日を要するスポットになる。
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孔子廟のすぐ隣にある大龍峒保安宮。
台北を代表する道教寺院の1つ by xiaomaiさん大龍峒保安宮 寺院・教会
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1742年に創建された、保生大帝を祀る寺院。台北を代表する名刹の1つ。
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三川殿から正殿を望む。
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三川殿を抜けてすぐ右に鐘楼。
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左に鼓楼。
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老若男女、参拝客が途絶えることはない。
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保生大帝は福建省泉州同安出身者を護る神であるとともに、医術の神としても知られる。
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後殿
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日本の植民地となった翌年、台灣総督府は後殿と東西の両廊に台灣総督府国語学校第三附屬学校を置いた。1904年地元名士の陳悦記が土地を寄贈するまで、ここで教育が行われていた。
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後殿に祀られているのは神農大帝(中央)。
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神農大帝の両側に孔夫子、
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開聖夫子、
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玄人上帝、
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そして、保安宮に貢献した人々の位牌が祀られている。
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解祭壇。解祭というのは、病を得たり、運気を変えたいときに行う儀式。
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こちらにも保生大帝の神像が安置され、ちょうど儀式が行われていた。
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儀式で使われていたもの。金紙のほか、卵、豚肉、揚げ豆腐が用意される。儀式終了後は、儀式で使われた餅乾(クッキー)、麵線、龍眼をいただく。生まれ変わることを目的に、龍眼は必ず当事者がそれを口にする。
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伝統戯曲界の人々が信奉する西秦王爺(北管)と田都元帥(南管)。北管と南管では、使用する楽器が異なり、音楽の性質もまったく異なる。ご興味があれば、インターネット上に多くアップされている映像を参考されたし。
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太歳星君
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三川殿を入ってすぐ右の鐘楼には註生娘娘が祀られ、
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左の鼓楼には天上聖母が祀られる。
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祭りの一行が保安宮へやってきた。画像は勇ましい新北市清水醒獅戦鼓団。
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朝は雨がぱらついたけれど、午後はよい天気になった。
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このお姉様方の楽団は多くの祭りでよく見かける。
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この日もミニスカートで神様に演奏を披露。
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延平郡王の花轎
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南港神将社の二郎神君
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南港神将社の王霊天君と薛金蓮将軍。薛金蓮は唐の時代に実在した人物で、名将薛仁貴の娘。京劇『樊江關』に登場する気の強い女性。
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南港神将社の樊梨花将軍。こちらも『樊江關』に登場する人物で薛金蓮の兄嫁。薛金蓮に負けず劣らずの気の強さ。この芝居は戦いをめぐるこの2人のケンカをコミカルに描き、立ち回りもあるから、とても楽しめる。
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鼎興壇の順風耳将軍
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鼎興壇の千里眼将軍
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楽隊と娘傘
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天上聖母文轎
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今回の祭りは、この中におわす天上聖母のために行われた。
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一行は保安宮の次に和安宮を訪れた。
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その後、大龍峒金獅團の祭壇へ向かった。画像は先導車。
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天令旗、黒令旗、港口宮頭旗
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爆竹の準備
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爆竹が鳴らされる中、一行が進む。
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副爐主を務める大龍峒金獅團の祭壇にご挨拶。
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路關人員、走路鼓亭
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土地公が乗られている先鋒輦轎
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下埤頭金獅團
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下埤頭金獅團
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新安宮大轎
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車吹六台
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花轎車
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走路戰鼓
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花轎車に乗られている神明に祈る副爐主。
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花轎車上の神明
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再度爆竹が準備され......
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鳴らされる爆竹の上を延平郡王の花轎が進む。
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三角湧三合社
この後に、神將、大鼓弄、娘傘、天上聖母文轎、壓帆が続き...... -
最後に清掃人員。
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龍峒金獅團の祭壇
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小休止
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きれいに置かれた金龍
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金龍団の皆さんもきれいに並んで座る。
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小休止をしたところの近くにあった陳悦記祖宅(通称老師府)。画像は右側にある公媽廳。
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1807年に建てられた地元名士陳家の家廟で、四合院という閩南建築。陳家は清の時代に3人(陳維英、陳維藻、陳肇興)の挙人を出した。陳維英が政務を退いたのち、書院で教鞭をとったため、住む家が「老師府」と呼ばれるようになった。画像にある「文魁」という額は、閩浙總督孫爾準が1825年に陳維藻に贈ったもの。
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清の時代に3人(陳維英、陳維藻、陳肇興)の挙人を出した陳家住宅。画像に見える「外翰」の額は、陳維英が福建巡撫劉鴻○(文字化け)から贈られたもの。
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祖先の位牌を祀る。
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左側にある公館廳。
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こちらの方は保存状態があまりよくない。1853年に発生した、出身地の異なるもの同士間の争いにより、建物は激しく損壊し、後に修繕がなされた。1971年、2005年にも修築が施されたが、台北市を相手どり裁判を起こすなど、修築はあまり進んでいない。文化資?保存法によって国定古蹟に指定されている。
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淡水河のほとりにある合昌宮
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王爺を主祭神とし、玄天上帝、王母娘娘、濟公禪師、中壇元帥、土地公、銅金姑、聖公媽、五營、虎爺公を合祀している。
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五營
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合昌宮へやってきた今回の祭の主持及び幹部一行。
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走路鼓亭
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先鋒輦轎(土地公の神輿)
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金獅子
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走路戰鼓
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どこの廟にも他の神明を迎え入れるときに鳴らす鐘と太鼓がある。大きい廟の場合、それぞれを楼閣にしている。合昌宮は規模が小さいため、正殿の屋根に吊り下げている。神明の到着時に手動でこれらが鳴らされた。
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延平郡王の神輿
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二郎神君
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三霊天君
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薛金蓮将軍
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樊梨花将軍
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順風耳将軍
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千里眼将軍
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娘傘
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天上聖母文轎
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橋を渡って大同区から士林区へ。
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淡水河と基隆河に挟まれたところにある海光宮。
農民が川で観音菩薩像を見つけた。川の流れが激しいにもかかわらず、菩薩像は位置がまったく変わらなかった。これを不思議に思い、皆で相談し小さい祠を建てて祀ることにしたのがこの廟の始まり。その後、願い事をするとたちまち叶えられたから、村民は資金を集めて、1968年にしっかりした廟を建立した。 -
1971年に大火災が発生した際、いつも廟にいた黒い犬が火の手が上がる廟内に飛び込んだ。鎮火後、犬は死に、神明像はすべて灰となってしまったが、観音菩薩像だけは無傷だった。後にこの犬は靈犬將軍となり、この廟の守り神となった。1981年、現在地に遷り、今でも多くの人々から信仰を集めている。
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こちらが犬に守られた観音様。
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韋駄天
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伽藍
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金獅子
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天官武財神
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月老星君
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文昌帝君
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右手が正殿で左手に上記の三神が祀られている。靈犬將軍の話は帰宅後に知ったから、また海光宮へはお参りに行かないといけない。
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最終地点へ先回りするときに見かけた先導車。
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最終地点である臺北鼎興壇臨時紅壇。
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天上聖母及び他の神明をお祀りする臨時祭壇
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祭りの主持はご高齢だったけれど、無事到着。
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爐主も到着。
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天上聖母の神輿も到着。
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到着後、神明はここに安置された。
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千里眼将軍、順風耳将軍
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天上聖母
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天令旗、黒令旗、港口宮頭旗
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娘傘
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土地公
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「進!」という信徒の掛け声とともに、臨時祭壇に入られる神明。
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すべての神明が安置された。
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その後、臨時祭壇の前で武術の披露。
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小学生低学年の子供も披露。
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獅子を頭に載せた、この方はベテラン。
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何をするのかと思ったら、棒を腹部に固定させ高く上がり......
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くるくると回転。自分はこの方より若い世代だけれど、このようなことは到底できない。
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安座された神明にお参りし、帰宅しようと思ったとき、中学生ぐらいの男の子がすごい人がいるよと話しかけてきた。
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行ってみると、乩童と呼ばれる神が降臨した人がいた。
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刀を手にし、それを自身の体に当てていた。このような乩童は台湾に多くいる。非科学的だという人もいるが、信じるか否かは人それぞれ。
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儀式は完全には終わっていなかったけれど、天上聖母が既に安座されていたし、翌朝用事があったから、先に帰宅することにした。画像はこの日、街中を進まれた神明。
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