2020/12/18 - 2020/12/24
181位(同エリア1140件中)
ピンクのスマフォさん
- ピンクのスマフォさんTOP
- 旅行記132冊
- クチコミ33件
- Q&A回答3件
- 199,919アクセス
- フォロワー44人
2020年5月以降、コロナ禍で海外に行けないので国内旅行を楽しんでいます。
「Go To トラベルキャンペーン」前は「ふるさとお得クーポン」を利用し、8月以降は「Go To トラベルキャンペーン」を利用しています。
10月以降は地域共通クーポンが発行され、実質半額となったので、安く行ける時に行っておこうと、コロナの感染者の少ない甲信越、東北、北陸等をドライブ旅行し、10月以降だけで30泊を超えました。
冬になり、雪の心配がない三重・和歌山をドライブ旅行してきました。
【概要】
12月18日(金)
自宅から自家用車で国道1号線を走って、愛知県知多郡の「かんぽの宿 知多美浜」泊。
12月19日(土)
伊勢湾の沿岸道路を走って、三重県松阪市の「フレックスホテル」泊。
12月20日(日)
伊勢に寄ってから那智勝浦の「万清楼」泊。
12月21日(月)
熊野那智大社や本州最南端の潮岬・紀伊大島を経て龍神温泉泊。
12月22日(火)
ヤッホーポイントを経て、和歌山市の「休暇村 紀州加太」泊。
12月23日(水)
丹生都比売神社を経て高野山金剛峯寺見学。
その後、一般道で伊勢神宮外宮近くの「紅葉館」泊。
12月24日(木)
伊勢神宮外宮を見学して、途中から高速道路を使って帰宅。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
12月18日(金)
公共交通機関は感染の危険があるので、国内はマイカーを使って旅行することにしています。
しかし、マイカーでの旅行にも危険があります。一つは交通事故、もう一つは車の故障です。
マイカーも18年目に入り、距離も290,000kmを超えているので、何時どこが故障してもおかしくないです。
「故障しませんように」と願掛けしてから、エンジンかけて出発します(笑)。
しかし、古い車を維持するのにネックとなるのが重くなる税金です。
資産税である車の自動車税は、車が古くなって価値が減れば安くなって然るべきだし、重量税は「重量」が変わらないのに13年超えると増税って、理屈もへったくりも無い税制ですな。
早く買い換えろという事なのでしょうが、これを決めた議員連中は「物は大事に使いましょう」と習わなかったのでしょうか?
買い換えろと税金で圧力かけられても、無い袖は振れません(涙)。
この日は移動だけなので、昼過ぎからゆっくりと出発しました。 -
高い東名高速は使わずに国一バイパスをいきます。
-
18:00 1日目の宿「かんぽの宿 知多美浜」に到着。
-
ツインの部屋でしたが、清潔で設備も充分でした。
-
洗面とトイレがあり、綺麗でした。
洗浄便座も新しいタイプのものでした。
風呂は大浴場で南知多温泉に海を見ながら浸かることが出来ました。
かけ流しではありませんでしたが、混まない時間に入ったので、広い湯船が貸切状態でした。 -
夕食はふぐ懐石。
鉄皮カクテル、鉄刺、鉄っちり鍋。 -
ふぐ茶碗蒸し。これが一番美味しかったかな?
-
最後にふぐから揚げとふぐ釜飯。
-
12月19日(土)
宿の前から見る伊勢湾の海。
伊勢湾沿いの道を通り、三重県の松阪市へ。 -
松阪市内のフレックスホテルに宿泊。
温泉のある旅館に泊まりたかったのですが、土曜日は一人で泊まれる宿が少なく、あっても満室でした。 -
夕食はフレックスホテルのレストランで松阪牛のすき焼きを食べました。
-
12月20日(日)
「伊勢神宮内宮」に寄ってみましたが、日曜日のせいか混んでいたので別宮の「倭姫宮(やまとひめのみや)」を見に行きました。
私はこれまで「神も仏もあるものか」という不遇な人生を歩んできているので、神も仏もその存在を信じていません(笑)。
それで、参拝はせず、神社の建物等を見る目的で訪れました。 -
この辺りは倭姫文化の森となっていて、いくつかの施設が集まっています。
-
森の中に佇む「倭姫宮」。
1193年に建てられ、神宮の中で唯一近代になってから出来た建物です。 -
「神宮徴古館」。
正面中央にドームを配した高い屋根を持つ鉄筋コンクリート造のルネッサンス式の西洋風建築です。
神宮崇敬の歴史および日本の文化を展示する「歴史と文化の総合博物館」だそうです。 -
「神宮美術館」。
-
「神宮農業館」。
-
伊勢神宮から海沿いの道に出ようと県道12号線に入りましたが、次第に道が狭くなります。
すれ違いのたびにバックしなければならず、時間が掛かりそうなので引き返しました。
後で確認すると最狭地点は道幅1.8mしかないようで、引き返して正解でした。 -
国道42号線を走ることにしました。
こちらは快適な道でした。 -
「道の駅 奥伊勢おおだい」。
ここで、地域共通クーポンを使い、お土産を購入しました。 -
遠くに海が見えてきました。
-
海岸沿いの国道311号線に出ました。
-
「鬼ヶ城」という観光ポイントがあったので停車して歩きます。
-
鬼ヶ城から見る「魔見ヶ島(まみるがしま)」。
鬼ヶ城の沖合1.5kmの沖合にある無人島で地元ではマブリカと呼ばれるそうです。 -
展望台からの眺め。
-
凝灰岩が波に侵蝕された様子が見られる遊歩道。
-
「奥の木戸」とよばれる場所。
-
鬼ヶ城と獅子巌の説明。
獅子巌は鬼ヶ城の2.7km先にあるようです。 -
千畳敷の前の大岸壁。
-
千畳敷から見るドライブで超えてきた山々。
-
陽が傾いてきて、宿へと急ぎました。
-
和歌山県の那智勝浦にある万清楼に到着。
-
海の幸が並ぶ夕食。
紀州勝浦は鮪が有名なので生鮪の刺し身や鮪の治部煮、鮪のカルパッチョが出されました。
他にブリしゃぶとアワビ。 -
このあと、鮪かつ・生湯葉で包んだ熊野牛のつみれなどが出されました。
-
最後に梅の雑炊と杏仁豆腐。
-
12月21日(月)
旅館を出て、近くの熊野那智大社へ向かいました。 -
那智大社の入り口に到着。
ここも、参拝はせず、神社や寺と滝を見る目的で訪れました。 -
階段の途中で門や鳥居が見えました。
-
階段の途中にあった門。
-
階段が長くてハアハア。
マスクしていると息が苦しいです。 -
やっと熊野那智大社にたどり着きました。
-
宝物殿には那智経塚の出土品や熊野那智大社文書など重要資料を展示しています。
すでに来年の大きな絵馬が飾られていました。 -
熊野那智大社に隣接して那智山青岸渡寺という寺がありました。
-
三重の塔と那智の滝が遠くに見えました。
那智の滝は高さ133mで那智山信仰の根源となった滝です。 -
三重塔の下まで歩いてきました。
塔に上ると那智の滝がよく見えるようです。 -
階段を降りて、駐車場まで戻り、海岸沿いの道へと車を走らせます。
-
くじらの博物館というのがありました。
-
国道42号線沿いの海に40以上の岩が沖に向かって並んでいます。
「橋杭岩(はしぐいいわ)」という観光スポットです。 -
弘法大師が作りかけた橋の杭だという伝説が残っているそうです。
-
潮岬に来ました。
潮岬観光タワーが目立ちます。 -
太平洋に突き出た本州最南端の地として知られています。
本州最南端の碑がありました。 -
遠くに白い「潮岬灯台」が見えます。
-
ここにも、本州最南端の碑がありました。
-
くしもと大橋を渡って紀伊大島に行ってみました。
-
紀伊大島の東端にある「トルコ記念館」。
1890年9月16日オスマン・トルコ最初の使節団を乗せたエルトゥールル号がこの沖で遭難した時、島民が献身的な救助活動を行ったそうです。
それ以降、トルコと日本の友好が始まったことを記念して建てられました。
館内にはその時の遺品や資料が展示されているそうです。 -
エルトゥールル号の遭難者慰霊碑。
-
ムスタファ・ケマル・アタテュルクの騎馬像。
トルコの初代大統領として祖国の近代化を成し遂げた建国の父と呼ばれる英雄なんだとか。 -
「樫野埼灯台」。
1870年に初点灯した日本最初の石造り灯台。 -
らせん階段で上がる展望台があり、熊野灘や太平洋を望む事が出来ます。
-
紀伊大島を後にして、しばらく海沿いの43号線を走りました。
-
途中で国道311号線に入り、山の中にある竜神温泉を目指しました。
-
宿に到着して、すぐに夕食です。
山の幸だけでなく、刺し身なども美味しかったです。
ご主人が海で釣ってくるそうです。 -
猪鍋も肉の部位に因って歯ごたえが違います。
-
裏の川で採れるという子持ち鮎の塩焼きも焼き立てで美味しかったです。
-
温泉は、掛け流しで山の温泉らしくぬるっとしていて温まりました。
夜は部屋の窓から、きれいな星空を眺めることが出来ました。 -
12月22日(火)
野菜たっぷりの豚汁と玄米のお粥の朝食を食べて出発。 -
川沿いの道を走ります。
-
竜神村と言っても結構広く、しばらくは人家の見える道を行きます。
-
途中から国道425号線に入ります。
-
すぐに国道424号線に入りました。
信号もほとんど無く、車も少なくて快適です。 -
日高川町でトイレ休憩のため停車しました。
-
「ヤッホーポイント」というのがあるようなので行ってみます。
-
吊橋を渡った先に、花時計のある展望台のような場所があり、その少し先が「ヤッホーポイント」でした。
-
展望台からの眺め。
-
ここが「ヤッホーポイント」でやまびこが良く聞こえるポイントだということです。
私も「○○○ー」と叫んでみましたが、条件が悪かったのか、声量が足らなかったのか、小さくしか聞こえませんでした。
誰もいないので、大声で叫んでストレス解消するにはいい場所かも。 -
工事による片側通行で、信号待ちが多かったです。
-
やっと海が見えてきました。
-
本日の宿、国民休暇村 紀州加太に到着しました。
-
部屋はツインで広さも充分でした。
-
海に向いた大きな窓があります。
-
窓からの海の眺め。
-
もうすぐ日が沈みます。
-
日が沈んだ後も空と海の色が綺麗でしばらく眺めていました。
-
夕食はクエのコースを選びました。
クエ料理の他にビュッフェの料理もあるので、カレーや天ぷらも並ぶ夕食。 -
クエの薄造り。
フグより美味しいと思いました。 -
クエ鍋はポン酢で頂きました。
真っ白な身が美味しいです。 -
クエの唐揚げ。
-
クエ鍋の残り汁で雑炊を作って食べました。
完全に食べすぎました。 -
12月23日(水)
朝、部屋の窓から見る和歌山北港。 -
海沿いの道を和歌山市内方向へ。
-
県道752号線を走ります。
-
国道24号線沿いにある「道の駅 紀の川万葉の里」であんぽ柿や梅干し等を購入しました。
-
標高を上げてきました。
見えているのは橋本市街かな? -
高野山に上る前に、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)がナビに見えたので寄ってみました。
-
神様が渡るとされる神橋ですが、丹生都比売神社の輪橋は、参拝者も渡ることができるようになっています。
半円形に沿った形が別名、太鼓橋の由来になっており、凍結していて危険な為、通行禁止となっていました。 -
禊橋・中鳥居から見る楼門。
手前が禊橋で、その奥に中鳥居があります。
外鳥居と同様に両部鳥居になっています。
神仏習合が盛んだった神社によく見られ、高野山と縁の深い丹生都比売神社の鳥居にもみられます。 -
「楼門」。
室町時代に建立された入母屋造・檜皮葺きの堂々とした楼門。
本殿はこの後ろにあります。 -
私以外、境内に誰もいなくて、授与所から見られている感じがしたので、形だけ参拝しました。
-
本殿。
第一殿から第四殿が左右に並んで社殿を構えています。
丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神を祀っています。 -
雪の残るワインディングロードを高野山に向けて上っていきます。
-
高野山に到着。
駐車場に車を置いて歩きます。
屋根に雪が残っています。
気をつけないと、雪がバサッと落ちてきます。 -
道路側から見る「中門」。
1843年に焼失しましたが、2015年に再建されました。 -
歩道を歩いていると、こんな像も目にします。
-
高野山霊宝館。
国宝を含む貴重な仏像や宗教美術品などを保存・展示しています。 -
「勧学院」。
北条時宗が高野山内の僧侶の勉学・修練のための道場として、建立しました。本尊には大日如来が奉安されています。
現在でも勉学・修練の行事である勧学会(かんがくえ)が毎年行われ、一般の立ち入りが禁じられています。 -
こんな所で寝てると風邪引くよ。
-
高野山大師教会。
高野山真言宗の布教、御詠歌、宗教舞踊等を行ないます。 -
大講堂は1925年高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、脇仏に愛染明王と不動明王が奉安されています。
-
「金剛峯寺」入り口。
-
「金剛峯寺正門」。
金剛峯寺の建物の中で一番古く、1593年に再建されました。
右のほうに小さなくぐり戸があり、一般の僧侶がもっぱら使用します。
昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。 -
「鐘楼」と正門。
「鐘楼」は、金剛峯寺の前身の青巌寺の鐘楼です。
構造形式から、1860年大火で類焼後、1864年に再建されたものと考えられています。
袴腰付入母屋造りの形式で、県指定文化財となっています。 -
「主殿」。
もとは豊臣秀吉が亡き母の菩提を弔う為に建立した青巌寺の建物。
主殿の屋根の上には、天水桶という桶が置かれています。
これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、類焼を食い止める役割を果たしました。 -
「主殿」には、皇族や高野山重職者が使用する大玄関と上綱職が使用する小玄関があります。
手前が小玄関、奥が大玄関です。 -
大玄関は装飾も凝っています。
-
「主殿」には弘法大師の坐像を祀った大広間や関白だった豊臣秀次が自刃した「柳の間」があるそうです。
写真は鶴の絵が書かれた襖のある「大広間」です。 -
「飛行三鈷杵」を模して作られた法具も展示されていました。
後ろは梅月流水の絵が書かれた襖のある「梅の間」です。 -
「経蔵」と「別殿」。
「経蔵」は1679年3月大阪天満の伊川屋から釈迦三尊と併せて寄進されたものです。
経蔵は重要なものを収蔵するところなので、火災が発生しても安全なように主殿とは別に建てられました。
「別殿」は1934年弘法大師御入定1100年・御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建築で、1983年までは一般信徒の休憩所として使用されていました。 -
正門から一旦、道路に出ます。
-
高野山も全体はとても広いです。
奥の院の方までは行けないので、中心部だけ見て回りました。 -
「高野山 六時の鐘」。
高い石垣にある鐘楼は、福島正則が父母の追福菩提を祈って、1618年に建立されました。
1640年に、正則の子である正利によって再鋳されましたが、その鐘銘がかなまじり文であることで有名です。
現在でも午前6時より午後10時まで、偶数時に時刻を知らせています。 -
「蛇腹路」を通って「壇上伽藍」へ向かいます。
高野山の風景を龍に喩えると腹にあたる場所にあるので蛇腹と呼ばれます。 -
高野山信仰発祥の地である「壇上伽藍」が見えてきました。
主要な法会の行われる高野山の中心で、金堂や根本大塔など諸堂が建並びます。 -
「東塔」。
1127年、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(だいごさんぼういんしょうかくごんのそうじょう)によって創建されました。
1843年に焼失してからしばらくの間再建されず、1984年に再建されました。 -
「不動堂」。
1197年、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王が発願され、行勝上人によって建立されました。
現在の建物は14世紀前半に再建されたものです。
お堂の四隅の形が全て違うのは、四人の工匠がそれぞれの随意に造ったためと伝えられています。 -
「大塔の鐘」と金堂。
大塔の鐘は1547年に完成した直径2.12メートルの大鐘で、日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれます。
現在でも毎日午前4時、午後1時、午後5時(春季彼岸中日より秋季彼岸中日までは午後6時)、午後9時、午後11時の5回に分けて時刻を高野山内に知らせています。 -
「根本大塔」。
816年から887年ごろに完成したと伝えられています。
この大塔は真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので、根本大塔と呼ばれています。
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏が取り囲んでいます。
16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅として構成されています。 -
「六角経蔵」と「山王院」。
「六角経蔵」は鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。
現在の建物は1934年2月に再建されました。
経蔵の基壇付近のところに把手がついており、回すことができます。
「山王院」は御社の拝殿として建立された、両側面向拝付入母屋造りの建物で、桁行21.3メートル、梁間7.8メートルあります。
山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味であり、現在の建物は1594年に再建されたものです。 -
「御社(みやしろ)」。
弘法大師が819年に天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされました。
社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神がまつられています。
丹生、高野明神社の構造形式は春日造で、総社は三間社流見世棚造と呼ばれ、どちらも檜皮葺の屋根で仕上げられています。
現在の社殿は1594年の再建で重要文化財に指定されています。 -
手前に「孔雀堂」、その奥が「准胝堂」。
「孔雀堂」は1200年頃建立され、1926年金堂より出火した大火によって焼失しましたが、1983年に再建されました。
本尊の孔雀明王像は快慶作で、現在は霊宝館に収められています。
「准胝堂」の准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられています。
その後、幾たびか焼失しましたが、現在の堂は1883年に再建されました。 -
「西塔」。
「西塔」は886年に建立され、金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されています。
現在の塔は、1834年に再建された、擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔で、高さは27.27メートルです。 -
「鐘楼」。
-
根本大塔の手前に「御影堂」、右に金堂。
「御影堂」は、弘法大師の持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。
桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形造りで、堂内外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられています。
このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されませんでした。 -
「三鈷の松」。
金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木があります。
この松の木に次のようなエピソードが残っています。
弘法大師が唐より帰国される折、日本へ向けて三鈷杵と呼ばれる法具を投げたところ、雲に乗って日本へ向けて飛んで行きました。
後に高野近辺に夜な夜な光を放つ松があり、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、この地が密教をひろめるにふさわしい土地であると判断されたそうです。 -
「金堂」。
弘法大師の手により最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていました。
現在の建物は7度目の再建で、1932年に完成しました。
梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造りですが、武田五一によって、耐震耐火を考慮した鉄筋コンクリート構造で設計・建立されました。
本尊の阿閦如来(薬師如来)は、高村光雲によって造立されました。 -
「中門」を通って駐車場へと戻りました。
中門は金堂の正面手前の一段低い所にそびえる五間二階の楼門です。
1843年の大火により失われ、なかなか再建されませんでしたが、高野山開創1200年を記念して170年ぶりに再建されました。
持国天像・多聞天像・広目天像・増長天像の四天王が祀られています。 -
高野山を後にして、国道166号線を伊勢に向かって走ります。
-
予定より1時間遅れで宿の「紅葉館」に到着。
純和風の旅館で床柱は赤松の柱でした。 -
12月24日(木)
今日は伊勢神宮へ行ってみることにしました。
伊勢神宮には内宮と外宮がありますが、どちらでも良いので、宿から近い外宮を訪れることにしました。
外道な私には外宮のほうが合っているだろう、というのもあります。
表参道火除橋を渡って伊勢神宮外宮に入ります。 -
第一鳥居から表参道を進みます。
-
「斎館」入り口。
-
「斎館」。
法会・写経・神事等の儀式が行われる前に、祭主や神職が、一定期間ここにこもって食事や行動を慎み、沐浴(もくよく)などをして心身を清めるために使われます。 -
お守り・御朱印などを販売している建物が見えました。
神楽殿のようです。
もちろん私は何も買いませんでした。 -
「外宮神楽殿」。
正宮に至る参道の途中、右側にある銅板葺の建物です。
祈祷の受付をしていました。 -
表参道を正宮に向かって歩いて行きます。
-
「三ツ石」。
三個の石を重ねた石積みで、この前では御装束神宝や奉仕員を祓い清める式年遷宮の川原大祓が行われます。 -
板垣南御門の先に外玉垣南御門。
豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る正宮です。
豊受大御神は衣食住、広く産業の守護神だそうです。 -
御門より内側からは写真撮影禁止となっていました。
-
隣は古殿地。
正宮と同じ広さがあり、前回の遷宮まで御殿が立っていた場所。
中央には「心御柱(しんのみばしら)」を納めるための覆屋があります。
「心の御柱」は正殿中央の床下の柱で、神聖なものとされ大切にされています。
古殿地は次の遷宮(2033年か)で御殿が建つ場所です。 -
横から正殿がちょっとだけ見えました。
-
せんぐう館に入館しました。
20年毎に行われる「遷宮」を画像や模型を使って説明しています。
実物を見れなかった外宮正殿の原寸大模型や古代より継承されてきた匠の技の紹介など一番興味深い内容でした。
写真はせんぐう館から見た勾玉池です。 -
午前中外宮を見学して、お守りは購入しませんでしたが、赤福は購入しました。
ろくに参拝もせず、お守り一つも購入しなかった私には、どんな天罰が下るのでしょうか?ドキドキです(笑)。 -
帰りは、渋滞が酷かったので、途中から高速道路を使って帰宅しました。
-
今回は、約1470kmのドライブでした。
292929と今日は肉の日か(笑)。
クリスマス・イブなので、ローストチキンでも食べようかな。
国内の旅行記まで手が回らないと、国内旅行記は作成しないつもりでしたが、海外は当分行けそうにないので、国内旅行記を作成してみました。
コロナ感染者が激増し、Go to Travelも停止してしまい、国内旅行も行き難くなってしまいました。
Go to Travel aloneとして、お一人様宿泊だけでも復活してほしいな。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
高野山周辺(和歌山) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
153