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 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。<br /><br /> マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。<br /><br /> デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br /><br />帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~<br />(26/08/2000-29/09/2000)<br /><br />テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~<br />(29/08/2000-09/09/2000)<br /><br />マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~<br />(09/09/2000-19/09/2000)<br /><br />中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~<br />(19/09/2000-23/09/2000)<br /><br />軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~<br />(23/09/2000-28/09/2000)<br /><br />世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~<br />(28/09/2000-30/09/2000)<br /><br />フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~<br />(30/09/2000-06/10/2000)<br /><br />謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~<br />(07/10/2000-10/10/2000)<br /><br />古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~<br />(11/10/2000-16/10/2000)<br /><br />遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~<br />(17/10/2000-20/10/2000)<br /><br />【スケジュール】<br />2000年<br />08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊<br />08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊<br />08/28 サンディエゴ泊<br />08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~<br />08/30 ~ラパス泊<br />08/31 ラパス~<br />09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊<br />09/02 グアダラハラ~<br />09/03 ~メキシコシティ泊<br />09/04 メキシコシティ泊<br />09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊<br />09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊<br />09/07 メキシコシティ~<br />09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~<br />09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊<br />09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊<br />09/11 アンティグア泊<br />09/12 アンティグア泊<br />09/13 アンティグア泊<br />09/14 アンティグア泊<br />09/15 アンティグア泊<br />09/16 アンティグア泊<br />09/17 アンティグア~パナハッチェル泊<br />09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊<br />09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊<br />09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊<br />09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊<br />09/22 マナグア泊<br />09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊<br />09/24 サンホセ泊<br />09/25 サンホセ~モンテベルデ泊<br />09/26 モンテベルデ泊<br />09/27 モンテベルデ~サンホセ泊<br />09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊<br />09/29 パナマシティ泊<br />09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊<br />10/01 リマ泊<br />10/02 リマ泊<br />10/03 リマ泊<br />10/04 リマ~イキトス泊<br />10/05 イキトス泊<br />10/06 イキトス~リマ~<br />10/07 ~ナスカ~<br />10/08 ~アレキパ~<br />10/09 ~プーノ泊<br />10/10 プーノ泊<br />10/11 プーノ~クスコ泊<br />10/12 クスコ泊<br />10/13 クスコ泊<br />10/14 クスコ~マチュピチュ泊<br />10/15 マチュピチュ~クスコ泊<br />10/16 クスコ泊<br />10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊<br />10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊<br />10/19 ロサンジェルス~<br />10/20 ~成田空港

【復刻版】ラテンアメリカ縦断日記 12 遥かなる母なる大地日本を目指して ~Cuzco, NARITA編~

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2000/10/17 - 2000/10/20

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Miyatan

Miyatanさん

 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。

 マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。

 デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。


帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~
(26/08/2000-29/09/2000)

テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~
(29/08/2000-09/09/2000)

マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~
(09/09/2000-19/09/2000)

中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~
(19/09/2000-23/09/2000)

軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~
(23/09/2000-28/09/2000)

世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~
(28/09/2000-30/09/2000)

フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~
(30/09/2000-06/10/2000)

謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~
(07/10/2000-10/10/2000)

古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~
(11/10/2000-16/10/2000)

遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~
(17/10/2000-20/10/2000)

【スケジュール】
2000年
08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊
08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊
08/28 サンディエゴ泊
08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~
08/30 ~ラパス泊
08/31 ラパス~
09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊
09/02 グアダラハラ~
09/03 ~メキシコシティ泊
09/04 メキシコシティ泊
09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊
09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊
09/07 メキシコシティ~
09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~
09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊
09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊
09/11 アンティグア泊
09/12 アンティグア泊
09/13 アンティグア泊
09/14 アンティグア泊
09/15 アンティグア泊
09/16 アンティグア泊
09/17 アンティグア~パナハッチェル泊
09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊
09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊
09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊
09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊
09/22 マナグア泊
09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊
09/24 サンホセ泊
09/25 サンホセ~モンテベルデ泊
09/26 モンテベルデ泊
09/27 モンテベルデ~サンホセ泊
09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊
09/29 パナマシティ泊
09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊
10/01 リマ泊
10/02 リマ泊
10/03 リマ泊
10/04 リマ~イキトス泊
10/05 イキトス泊
10/06 イキトス~リマ~
10/07 ~ナスカ~
10/08 ~アレキパ~
10/09 ~プーノ泊
10/10 プーノ泊
10/11 プーノ~クスコ泊
10/12 クスコ泊
10/13 クスコ泊
10/14 クスコ~マチュピチュ泊
10/15 マチュピチュ~クスコ泊
10/16 クスコ泊
10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊
10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊
10/19 ロサンジェルス~
10/20 ~成田空港

  • 10月17日(火)<br /> 7:40の飛行機に乗るために、朝五時には起きる。少しずつ空が明るんでいくクスコの町並みが美しい。片付けを済ませ身支度を整える。同じ部屋のTさんと、NHK職員でもあるSさんが起きていてくれた。少し嬉しかった。<br /><br /> タクシーで空港に向かう。クスコの空港は市街地からそう離れていない。クスコの空港は朝の早い時間帯にしか飛行機が発着できないそうである。やがてチェックインして、飛行機に乗り込み、クスコの町を後にする。<br /><br /> リマの空港に到着。通算三度目の着陸である。次の乗り継ぎの飛行機が15:00発なので、かなり時間がある。空港タクシーの運転手に三時間の市内観光コースを勧められるが、一度市内観光はしているし、なんか疲れていて気が進まなかったので断る。空港内カフェテリアでセビッチェを注文して時間をつぶす。ペルーで一番好きだったセビッチェ。空港内カフェテリアのは高かった。市価の三倍以上である。その割味のほうは今ひとつ。やがてチェックインしてリマを後にする。セビッチェの香りと数々の想い出を抱きしめて、想い出の大地南米ペルーをここに去る。日本までの長い旅路が始まる。<br /><br /> 眼下には太平洋やアンデスの山並みが広がる。三時間後パナマシティーの空港に到着。入国手続きはせずにそのままサンホセ行きの搭乗ゲートに向かう。コパ航空はパナマの航空会社なので、パナマを起点に北米・中米・南米へ放射線状に航路を出している。サンホセ行きに乗り換え約一時間後サンホセに到着する。ところがここでトラブルが発生する。<br /><br /> 預けた荷物が消えた。貴重品は手荷物の方に移しておいたからいいものの、お土産と衣服と、何よりも撮影済みフィルムまで入れておいたのに。コパ航空のカウンターに文句を言う。なんとも同じようにリマから載って荷物が来ていないケースが今日一日で四件も発生しているらしい。恐らくパナマにまだあるらしく、荷物を運ぶ人のミスらしい。少しは安心したけど、かなり困ってしまった。“This always happens.” 思わず血管がぶちきれそうになった。何でこんな簡単なミスがこうも頻発するのか。かなり腹が立った。<br /><br /> 翌日のフライトが早いので、空港に寝泊りしようとも考えた。コスタリカは比較的治安がよく、気候も穏やかなので。でもやはり近くに泊まることにした。アラフエラというすぐ近くの町の安宿を探して泊まることに。ダウンタウンまで行くとタクシー代がかさむので。やはり一度行ったことがあると多少なりとも土地勘がつかめていいものである。荷物無事かな…。(かなり心配)<br /><br />10月18日(水)<br /> 早朝にサンホセの宿を出発し、空港に向かう。今度はコンチネンタル航空である。アメリカ系の航空会社で、乗客もアメリカ人が多かった。久しぶりにスペイン語圏を脱出して英語圏に入った気分である。ロサンジェルス行き直行便かと思っていたら、ヒューストン行きだった。ヒューストンで入国手続きを済ませてロサンジェルス行きを待つ。巨大で近代的な空港。アメリカに戻ってきたという感じでいっぱいである。機内での読み物をと思いなんとなく英字新聞を購入。ロサンジェルスの一ヶ月に及ぶスト、今朝より解決という記事があった。一瞬目を疑った。<br /><br /> ロサンジェルスの空港に到着。コパ航空の人を探すが見つからず、仕方なくコンチネンタル航空の人に連絡先を聞く。サウスビーチのユースに泊まることにした。地下鉄もバスもただで乗れた。ユースの人に聞いたところ、やはりストが解決したばかりで、お詫びにと五日間料金をただにしているらしい。つまりかなり運がよかったことだろう。それにしても一ヶ月にも及ぶストとは、やはり米国は恐ろしい。日本では考えられない。<br /><br /> それにしてもコパ航空、連絡がつかない…。(心配と怒りが込み上げてくる)<br /><br />10月19日(木)<br /> 少しどんよりとした天気である。ユースの近くにはコリアンベルと呼ばれる、韓国がアメリカに送った鐘がある。のんびりと今回の旅の最後の朝を向かえて、荷物をまとめる。何処となく平凡な朝。冒険から現実世界への過渡期でもある。ダウンタウンに向かうバスに乗る。相変わらず無料である。どういうわけかバスはハイウェイを通らずに一般道をとおりつづけていたので、予想以上に時間がかかった。地下鉄の駅から(といっても地上を走っているが)空港方面へと乗る。ハイウェイの中央分離帯の辺りを走り、両側を走る車と競争である。日本もハイウェイの中央に鉄道を通してみればいいのではないかと少し感じる。結局空港に到着後も、コンチネンタル航空ともコパ航空ともうまく連絡がとれずに、フライトの時間になる。マレーシア航空である。行きと違って時期の関係もあるが、この飛行機はがらがらである。窓側を取れただけではなく、隣り二つの座席に人がいなかった。悠々とLAXを飛び立つ。飛行機は西海岸を北上して、一時間後何処となく見覚えのある風景が眼下に広がると思ったら、サンフランシスコだった。その後もひたすら西海岸からアラスカ方面を北上していく。こうしてアメリカ大陸を後にして、日本への旅が始まる…。さらばアメリカ大陸…。<br /><br />10月20日(金)<br /> 約10時間のフライトは長いようで短いようでもある。なかなか最近の飛行機の設備は充実しているようである。座席の目の前のゲームで、スーパーマリオブラザーズで遊べた。映画のGTOも見れた。どうしても1の8-3がクリアできない。どうしてもハンマーブロスにやられてしまう。本当にジュゲムが懐かしかった。そう言えば小学校の頃のニックネームは二つあった。「みやたん」というのと、「ジュゲム」というのであった。そりゃまあ、前者は自分の名前を少し改良しただけだけど、自分の下の名前が濁点を入れると五文字なってしまい、昔のRPGでは名前は四文字と決まっていたので、主人公の名前を「みやたん」で入れていた。「おお、勇者みやたんよ。」なんて呼ばれるのが好きだった。後者は…なんでだっけ???思い出せない。だけどどういうわけか、スーパーマリオブラザースのキャラクターの中では「ジュゲム」が大好きで、自分で「ジュゲム」を主人公にした漫画なんて書いていたっけ。漫画家になりたい…そう思ったこともあった。子供の頃から夢が変わらないというのはいいかもしれない。昔は、現実という壁にぶち当たる前までは、とにかくなりたい職業を考えていたと思う。ところが段々、自分が入りたい、属したい組織はどこかということを考えることになってきたような気がする。子供の頃は、無邪気で世界観も狭かったので、割と人が憧れる職業が決まっていたし、それになりたいということはごく自然だったように思えた。大人になるとはどういうことだろうか。少なくとも世界観は広がる。自分の己の能力や、向き不向きを強く感じるようになる。自分がなりたいものじゃなくて、自分がなれるものを探すようになるのかもしれない。だけど世界観が広がった分、自分が本当にやりたい職業、なりたい自分の選択肢が増えてきたのも確かであろう。 その代わり選択肢が増えれば増えるほど、迷うのも確かであろう。なりたい自分は日々刻々と変化している。幼い頃からそれに向かって努力してきたと胸を張っていえない。自分のなりたいものは、少しずつ変化してきているのだから。だけど、日々の自分の今いるフィールドで常に全力でぶつかっていけば、少しずつ夢に近づくのかもしれない。果たしてこれまでの自分が日々努力してきたといえたのだろうか。イエスといいたいところだが、そうでもないだろう。空回りしてきたことも多い。だけど、後悔しても始まらない。過去を振り返るよりも、前を向いて生きていかなきゃ。だけど、時には過去を振り返ることも必要だと思う。過去を掘り起こしてこそ、今の自分が見えてくる。どういうわけか目の前にあったスーパーマリオは、タイムマシンになった。<br /><br />  「ジュゲム」といえばもう一つ、ある一人の女性を思い出した。小学校三年生の頃である。クラスに「みかんみーこ」と呼ばれていた(いや、勝手にそう読んでいただけだと思うけど)女性がいた。明るくて、感じのいい子だった。とりあえず本名は秘密であるが、(だけどそのニックネームは本名とかなり密接に関係があるが)、密かに好きだった。まあ小学生の頃だから、仲がいいと好きとは、上手くわからないけど、だけど誰に対しても明るくわけ隔たりなく接してくれる彼女と、一緒に話していると楽しかった。その彼女に会うと僕は「みかんみーこ、おはよう元気。」といっていたし、みかんみーこも「おはよう、ジュゲム」なんて明るく挨拶してくれた。いつも仲がよかった。だけどそんな彼女が転校してしまうことになった。決して遠い町ではなかった。N見台だから、山を越えたすぐ先である。だけど違う小学校になってしまうことには変わりない。お別れ会が開催された。出し物をしている自分は、常に彼女を見ていた。最後にクラスの一人一人と挨拶することに。寂しかったけど、泣かなかった。固く握手をする。明らかに他の人が握手をしている時間と違って、他の人よりも長かった。それが僕自身の正直な気持ちであった。周りからかなり冷やかされた。彼女に僕の気持ちは通じただろうか、少なくとも回りの友人たちは、そのことに気付いていた。「ジュゲム」を見て、思わずそんな事を思い出してしまった。多分、僕が少なくとも大学に入るまでに、経験してきた一番の恋愛(?)だっただろう…。<br /><br /> 今現在恋人はいない。というよりも、もしもいたらこんなに二ヶ月に及ぶ旅なんて実現しなかっただろう。正直言って日本を出る前には、何もかも嫌になっていた。就職活動して一応内定は取ったものの、自分の希望とは程遠いところだったし、それ以上に今まで自分が信じてきた価値観が崩れてしまい、何もかも自信を失っていた。自分が重きをおいていた価値観と、社会がおいている価値観がここまでずれがあったと強く感じ、何もかもが嫌になってきた。恐らく自分が23年間生きていた中で、一、二を争うような挫折だったと思う。中南米は一般的に危険なイメージがある。正直な話、無事戻って来れるかどうか不安だった。危険な旅であることは重々承知していた。友人には生きて帰れるかどうかわからないなんていっていたけど、本当の話を言えば死んでも構わないと思っていた。こんなことをいうと怒られるかもしれないが、本当にそれくらいに思っていた。たとえ旅の途中でどっかで死んでしまっても、それは自分で決めた道だから後悔するつもりはないし、もしも途中で死んでしまったらそれも運命だし、その程度の人間だったのかとあきらめるつもりだった。ゼミの幹事長の任務は果たしたし、定期的なアルバイトをしているわけでもなかったし、大学の授業も後期になると出欠は直接単位には関係しなかったし、別に付き合っている人もいなければ、好きな人がいるわけでもなかった。だからこそ失うものがなかった。だからこそ、この先一生経験するかどうかわからない旅が出来た。人間失うものがなければ、失うことを恐れなければ、大胆なことができるだろう。でも生きていくための軸が脆弱なのも否定できない。だけど大切なものを抱えていると、大胆なことは出来ないけど、それでも使命感に燃えて、頑張れる。大切なものを守るために、自分が強くなれる。どちらが得なのかはよくわからない。だけど若いうちは、失敗を恐れずに大胆なことに向かっていった方がとくかという気もする。なんだかんだいいつつも、無事に日本に戻ってこれた。戻って来れる運命だったと考えたい。こんなところで野垂れ死ぬような人間ではないと、どこかの誰かが評価してくれたと考えよう。アマゾンでカメラが台無しになり、プーノでは入院して、荷物は消えたままである。だけど、無事に帰ってきてこれてよかったと思う。<br /><br /> この旅を通じて、自分の将来とか、自分の向き不向き、自分が果たすべき使命など、少しは見えてきた気がする。意外と外交的で、なおかつとにかく未知の世界に飛び込んでいきたい人間だと。果たして毎日同じ場所に行って、一日中パソコンに向き合っている仕事が本当に向いているのだろうか、甚だ疑問である。だけど自分が一社会人として、やりがいのあることをやって責任を果たし自覚をもてる、そして社会に貢献出来るような人間になれるのだろうか。ちょっと不安でもある。少なくとも海外と何らかの関係の持てる職業につくこと、といっても単純にはいえないが、これが最低条件のようにも感じた。<br /><br /> 途上国の子供たちは貧しい。印度ほど壮絶な光景を見たわけではない。だけどペルーの街角では、物売りの子供たちが大勢いた。学校に行きつつも働かなければならない子供たちが大勢いた。何とかしてあげたくても、自分ひとりの力ではなんとも出来ない。話は少々変わるけど、世界各地何処に行っても、子供には好かれると感じた。ペルーにしても、グアテマラにしても、印度にしても、である。子供に接する仕事って意外と向いているのかもという気がした。今の自分ができること、今の自分が学びたいことを考えた。将来的には、開発途上国の開発に関わる仕事がしたい。実は今年の三月頃まで、個別塾の塾講師の仕事をしていた。休職して以来何も連絡を取っていない。復職しようと思った。子供が本当に好きだということに気付いた。まずは自分の国の子供たちの成長に関わること、これが一応中学受験、大学受験で、試行錯誤しながらも難関校と呼ばれるところに合格した経験を持つ自分にできることだと思う。それに子供たちがある程度教養を持ってくれるだけの余裕が持てれば、こういった途上国の問題に関心を持ってくれる人が出てくるかもしれない。途上国の発展に携わるということは、そこの人たちのモチベーションをいかに上げるか、説得して激励して鼓舞して、いかにやる気にさせるかということが重要である。そのノウハウが身に付けられないだろうか。他にも色々とある。考えた挙句、以前いた塾に戻ろうかなと思った。今回の旅で考えた結論の一つである。<br /><br /> せっかく身に付けた語学、これを生かしたい。世界に出て行くに当たって英語が話せる人は大勢いるし、英語は最低限できて当たり前だが、スペイン語が出来る人はまだまだ少ない。グアテマラで学んで、旅の途中ぎこちないけど身の回りのことを済ませるくらいに使いこなしたスペイン語、これを更に向上させたい。せっかくの機会があったなら、更に実のあるものにしたい。今回の旅で考えたこれも結論の一つである。<br /><br /> 色々と考えているうちに、飛行機は九十九里浜を横切り、旋回して成田空港に到着。二ヶ月ぶりの日本の地である。当然出発した頃に比べると涼しくて過ごしやすくなってきた。相変わらずバックパックはないので、荷物は少ない。税関であちこちのスタンプが押されたパスポートを見て、バックの仲間で、隅々まで検査された。そりゃまあ、麻薬が平気で出回っているような国ばかりいっていたし、荷物が少なかったのも余計不信感を増やしてしまったのであろう。だけどそこまで怪しいか。そんなに犯罪をおかしそうな顔に見えるのか。ちょっとむっとした。今まで受けた荷物検査の中で一番厳しかった。<br /><br /> 無事帰宅。また色々と考える。<br /><br /> 今回の旅で出会った人たちである。色々な日本人とであった。誰もが皆、試行錯誤しながら生きているものだと感じた。行った国々が国々だったので、なかなか濃い人たちが多かった。学生は学生なりに悩みを抱えているし、仕事を辞めて旅をしている人も多かった。人を旅に駆り立てる要因は様々であろう。だけど不思議だったのは、これだけの旅をしていながら、何らかの形でその経験を生かそうと前向きな人が少なかったように感じる。これは仕事を辞めて旅立った人たちに特に言える。その中でもUさんはすごい人だったと感じた。彼の洞察の深さにも目を見張るものがあったが、それ以上に、帰国してからこの経験を生かして店を開こうと試行錯誤している姿勢がすばらしかった。見習わねばと感じた。今回の僕の旅の目的はゼミの卒業論文である。ゼミ論文でありこれを提出しないと卒業できないというわけではないが、大学生活の集大成として是非とも仕上げたいものである。テーマは既に決めてある。「ラテンアメリカの開発論」で、いかに貧困問題を解決しつつ、環境問題を解決するような持続可能な開発を実現していくかというものである。時間の都合で、日本では殆ど下準備は出来ていない。だけど実際に自分が見た国だったら、関心も湧くだろうし、机上の論文ではなく、もっと実りのあるものになるだろうと感じたので旅立った。元々は環境問題に関心があった。だけど世界の環境問題を解決することと、貧困を解決しいかに持続可能な開発を実現して行くかを考えることが、次第に自分の中で重要なテーマになってきた。元々ラテンアメリカに興味があったわけでもない。だけど去年アメリカに行ったときに見たラテンアメリカ地域の美術品に惹かれるものがあり、また元々第二外国語がスペイン語だったこともあり、多少はそういう世界に関心があったので、結局ラテンアメリカの研究をすることになった。とりあえず全力で論文を完成させることが目標である。全力でぶつかれば、きっとその間に新たなる道がきり広げられると思う。この経験を生かして、すばらしい論文を書き上げることを当面の目標としたい。<br /><br /> こうして、2ヶ月位及ぶ旅はフィナーレを向かえる。(完)<br /><br />後日談:荷物を取り返すべく、何回も国際電話をかけまくった。その甲斐あってか、数日後、荷物が成田に届いたという連絡があった。結局無事に戻ってきた。コスタリカの空港の人が、ドントウォーリーといったのがわかった気もするけど、向こうは相当そういう感覚なのであろう。カメラは結局修理不能だった。中のフィルムは変色していたものの、何とか取り出せた。だけど保険金が下りた。カメラ自体割引で購入しており、カメラ代は定価で算出されていたので、結果的には得をした。<br /><br /> フジモリ氏が罷免された。残念であった。結局トレド氏が大統領に選出された。エルサルバドルでは、大地震が発生し大勢の方々がなくなられた。ご冥福をお祈りしたい。アルゼンチンでは、なんとも前大統領のメネム氏が逮捕された。武器の密輸容疑だという。ラテンアメリカは刻々と動いている。<br />

    10月17日(火)
     7:40の飛行機に乗るために、朝五時には起きる。少しずつ空が明るんでいくクスコの町並みが美しい。片付けを済ませ身支度を整える。同じ部屋のTさんと、NHK職員でもあるSさんが起きていてくれた。少し嬉しかった。

     タクシーで空港に向かう。クスコの空港は市街地からそう離れていない。クスコの空港は朝の早い時間帯にしか飛行機が発着できないそうである。やがてチェックインして、飛行機に乗り込み、クスコの町を後にする。

     リマの空港に到着。通算三度目の着陸である。次の乗り継ぎの飛行機が15:00発なので、かなり時間がある。空港タクシーの運転手に三時間の市内観光コースを勧められるが、一度市内観光はしているし、なんか疲れていて気が進まなかったので断る。空港内カフェテリアでセビッチェを注文して時間をつぶす。ペルーで一番好きだったセビッチェ。空港内カフェテリアのは高かった。市価の三倍以上である。その割味のほうは今ひとつ。やがてチェックインしてリマを後にする。セビッチェの香りと数々の想い出を抱きしめて、想い出の大地南米ペルーをここに去る。日本までの長い旅路が始まる。

     眼下には太平洋やアンデスの山並みが広がる。三時間後パナマシティーの空港に到着。入国手続きはせずにそのままサンホセ行きの搭乗ゲートに向かう。コパ航空はパナマの航空会社なので、パナマを起点に北米・中米・南米へ放射線状に航路を出している。サンホセ行きに乗り換え約一時間後サンホセに到着する。ところがここでトラブルが発生する。

     預けた荷物が消えた。貴重品は手荷物の方に移しておいたからいいものの、お土産と衣服と、何よりも撮影済みフィルムまで入れておいたのに。コパ航空のカウンターに文句を言う。なんとも同じようにリマから載って荷物が来ていないケースが今日一日で四件も発生しているらしい。恐らくパナマにまだあるらしく、荷物を運ぶ人のミスらしい。少しは安心したけど、かなり困ってしまった。“This always happens.” 思わず血管がぶちきれそうになった。何でこんな簡単なミスがこうも頻発するのか。かなり腹が立った。

     翌日のフライトが早いので、空港に寝泊りしようとも考えた。コスタリカは比較的治安がよく、気候も穏やかなので。でもやはり近くに泊まることにした。アラフエラというすぐ近くの町の安宿を探して泊まることに。ダウンタウンまで行くとタクシー代がかさむので。やはり一度行ったことがあると多少なりとも土地勘がつかめていいものである。荷物無事かな…。(かなり心配)

    10月18日(水)
     早朝にサンホセの宿を出発し、空港に向かう。今度はコンチネンタル航空である。アメリカ系の航空会社で、乗客もアメリカ人が多かった。久しぶりにスペイン語圏を脱出して英語圏に入った気分である。ロサンジェルス行き直行便かと思っていたら、ヒューストン行きだった。ヒューストンで入国手続きを済ませてロサンジェルス行きを待つ。巨大で近代的な空港。アメリカに戻ってきたという感じでいっぱいである。機内での読み物をと思いなんとなく英字新聞を購入。ロサンジェルスの一ヶ月に及ぶスト、今朝より解決という記事があった。一瞬目を疑った。

     ロサンジェルスの空港に到着。コパ航空の人を探すが見つからず、仕方なくコンチネンタル航空の人に連絡先を聞く。サウスビーチのユースに泊まることにした。地下鉄もバスもただで乗れた。ユースの人に聞いたところ、やはりストが解決したばかりで、お詫びにと五日間料金をただにしているらしい。つまりかなり運がよかったことだろう。それにしても一ヶ月にも及ぶストとは、やはり米国は恐ろしい。日本では考えられない。

     それにしてもコパ航空、連絡がつかない…。(心配と怒りが込み上げてくる)

    10月19日(木)
     少しどんよりとした天気である。ユースの近くにはコリアンベルと呼ばれる、韓国がアメリカに送った鐘がある。のんびりと今回の旅の最後の朝を向かえて、荷物をまとめる。何処となく平凡な朝。冒険から現実世界への過渡期でもある。ダウンタウンに向かうバスに乗る。相変わらず無料である。どういうわけかバスはハイウェイを通らずに一般道をとおりつづけていたので、予想以上に時間がかかった。地下鉄の駅から(といっても地上を走っているが)空港方面へと乗る。ハイウェイの中央分離帯の辺りを走り、両側を走る車と競争である。日本もハイウェイの中央に鉄道を通してみればいいのではないかと少し感じる。結局空港に到着後も、コンチネンタル航空ともコパ航空ともうまく連絡がとれずに、フライトの時間になる。マレーシア航空である。行きと違って時期の関係もあるが、この飛行機はがらがらである。窓側を取れただけではなく、隣り二つの座席に人がいなかった。悠々とLAXを飛び立つ。飛行機は西海岸を北上して、一時間後何処となく見覚えのある風景が眼下に広がると思ったら、サンフランシスコだった。その後もひたすら西海岸からアラスカ方面を北上していく。こうしてアメリカ大陸を後にして、日本への旅が始まる…。さらばアメリカ大陸…。

    10月20日(金)
     約10時間のフライトは長いようで短いようでもある。なかなか最近の飛行機の設備は充実しているようである。座席の目の前のゲームで、スーパーマリオブラザーズで遊べた。映画のGTOも見れた。どうしても1の8-3がクリアできない。どうしてもハンマーブロスにやられてしまう。本当にジュゲムが懐かしかった。そう言えば小学校の頃のニックネームは二つあった。「みやたん」というのと、「ジュゲム」というのであった。そりゃまあ、前者は自分の名前を少し改良しただけだけど、自分の下の名前が濁点を入れると五文字なってしまい、昔のRPGでは名前は四文字と決まっていたので、主人公の名前を「みやたん」で入れていた。「おお、勇者みやたんよ。」なんて呼ばれるのが好きだった。後者は…なんでだっけ???思い出せない。だけどどういうわけか、スーパーマリオブラザースのキャラクターの中では「ジュゲム」が大好きで、自分で「ジュゲム」を主人公にした漫画なんて書いていたっけ。漫画家になりたい…そう思ったこともあった。子供の頃から夢が変わらないというのはいいかもしれない。昔は、現実という壁にぶち当たる前までは、とにかくなりたい職業を考えていたと思う。ところが段々、自分が入りたい、属したい組織はどこかということを考えることになってきたような気がする。子供の頃は、無邪気で世界観も狭かったので、割と人が憧れる職業が決まっていたし、それになりたいということはごく自然だったように思えた。大人になるとはどういうことだろうか。少なくとも世界観は広がる。自分の己の能力や、向き不向きを強く感じるようになる。自分がなりたいものじゃなくて、自分がなれるものを探すようになるのかもしれない。だけど世界観が広がった分、自分が本当にやりたい職業、なりたい自分の選択肢が増えてきたのも確かであろう。 その代わり選択肢が増えれば増えるほど、迷うのも確かであろう。なりたい自分は日々刻々と変化している。幼い頃からそれに向かって努力してきたと胸を張っていえない。自分のなりたいものは、少しずつ変化してきているのだから。だけど、日々の自分の今いるフィールドで常に全力でぶつかっていけば、少しずつ夢に近づくのかもしれない。果たしてこれまでの自分が日々努力してきたといえたのだろうか。イエスといいたいところだが、そうでもないだろう。空回りしてきたことも多い。だけど、後悔しても始まらない。過去を振り返るよりも、前を向いて生きていかなきゃ。だけど、時には過去を振り返ることも必要だと思う。過去を掘り起こしてこそ、今の自分が見えてくる。どういうわけか目の前にあったスーパーマリオは、タイムマシンになった。

     「ジュゲム」といえばもう一つ、ある一人の女性を思い出した。小学校三年生の頃である。クラスに「みかんみーこ」と呼ばれていた(いや、勝手にそう読んでいただけだと思うけど)女性がいた。明るくて、感じのいい子だった。とりあえず本名は秘密であるが、(だけどそのニックネームは本名とかなり密接に関係があるが)、密かに好きだった。まあ小学生の頃だから、仲がいいと好きとは、上手くわからないけど、だけど誰に対しても明るくわけ隔たりなく接してくれる彼女と、一緒に話していると楽しかった。その彼女に会うと僕は「みかんみーこ、おはよう元気。」といっていたし、みかんみーこも「おはよう、ジュゲム」なんて明るく挨拶してくれた。いつも仲がよかった。だけどそんな彼女が転校してしまうことになった。決して遠い町ではなかった。N見台だから、山を越えたすぐ先である。だけど違う小学校になってしまうことには変わりない。お別れ会が開催された。出し物をしている自分は、常に彼女を見ていた。最後にクラスの一人一人と挨拶することに。寂しかったけど、泣かなかった。固く握手をする。明らかに他の人が握手をしている時間と違って、他の人よりも長かった。それが僕自身の正直な気持ちであった。周りからかなり冷やかされた。彼女に僕の気持ちは通じただろうか、少なくとも回りの友人たちは、そのことに気付いていた。「ジュゲム」を見て、思わずそんな事を思い出してしまった。多分、僕が少なくとも大学に入るまでに、経験してきた一番の恋愛(?)だっただろう…。

     今現在恋人はいない。というよりも、もしもいたらこんなに二ヶ月に及ぶ旅なんて実現しなかっただろう。正直言って日本を出る前には、何もかも嫌になっていた。就職活動して一応内定は取ったものの、自分の希望とは程遠いところだったし、それ以上に今まで自分が信じてきた価値観が崩れてしまい、何もかも自信を失っていた。自分が重きをおいていた価値観と、社会がおいている価値観がここまでずれがあったと強く感じ、何もかもが嫌になってきた。恐らく自分が23年間生きていた中で、一、二を争うような挫折だったと思う。中南米は一般的に危険なイメージがある。正直な話、無事戻って来れるかどうか不安だった。危険な旅であることは重々承知していた。友人には生きて帰れるかどうかわからないなんていっていたけど、本当の話を言えば死んでも構わないと思っていた。こんなことをいうと怒られるかもしれないが、本当にそれくらいに思っていた。たとえ旅の途中でどっかで死んでしまっても、それは自分で決めた道だから後悔するつもりはないし、もしも途中で死んでしまったらそれも運命だし、その程度の人間だったのかとあきらめるつもりだった。ゼミの幹事長の任務は果たしたし、定期的なアルバイトをしているわけでもなかったし、大学の授業も後期になると出欠は直接単位には関係しなかったし、別に付き合っている人もいなければ、好きな人がいるわけでもなかった。だからこそ失うものがなかった。だからこそ、この先一生経験するかどうかわからない旅が出来た。人間失うものがなければ、失うことを恐れなければ、大胆なことができるだろう。でも生きていくための軸が脆弱なのも否定できない。だけど大切なものを抱えていると、大胆なことは出来ないけど、それでも使命感に燃えて、頑張れる。大切なものを守るために、自分が強くなれる。どちらが得なのかはよくわからない。だけど若いうちは、失敗を恐れずに大胆なことに向かっていった方がとくかという気もする。なんだかんだいいつつも、無事に日本に戻ってこれた。戻って来れる運命だったと考えたい。こんなところで野垂れ死ぬような人間ではないと、どこかの誰かが評価してくれたと考えよう。アマゾンでカメラが台無しになり、プーノでは入院して、荷物は消えたままである。だけど、無事に帰ってきてこれてよかったと思う。

     この旅を通じて、自分の将来とか、自分の向き不向き、自分が果たすべき使命など、少しは見えてきた気がする。意外と外交的で、なおかつとにかく未知の世界に飛び込んでいきたい人間だと。果たして毎日同じ場所に行って、一日中パソコンに向き合っている仕事が本当に向いているのだろうか、甚だ疑問である。だけど自分が一社会人として、やりがいのあることをやって責任を果たし自覚をもてる、そして社会に貢献出来るような人間になれるのだろうか。ちょっと不安でもある。少なくとも海外と何らかの関係の持てる職業につくこと、といっても単純にはいえないが、これが最低条件のようにも感じた。

     途上国の子供たちは貧しい。印度ほど壮絶な光景を見たわけではない。だけどペルーの街角では、物売りの子供たちが大勢いた。学校に行きつつも働かなければならない子供たちが大勢いた。何とかしてあげたくても、自分ひとりの力ではなんとも出来ない。話は少々変わるけど、世界各地何処に行っても、子供には好かれると感じた。ペルーにしても、グアテマラにしても、印度にしても、である。子供に接する仕事って意外と向いているのかもという気がした。今の自分ができること、今の自分が学びたいことを考えた。将来的には、開発途上国の開発に関わる仕事がしたい。実は今年の三月頃まで、個別塾の塾講師の仕事をしていた。休職して以来何も連絡を取っていない。復職しようと思った。子供が本当に好きだということに気付いた。まずは自分の国の子供たちの成長に関わること、これが一応中学受験、大学受験で、試行錯誤しながらも難関校と呼ばれるところに合格した経験を持つ自分にできることだと思う。それに子供たちがある程度教養を持ってくれるだけの余裕が持てれば、こういった途上国の問題に関心を持ってくれる人が出てくるかもしれない。途上国の発展に携わるということは、そこの人たちのモチベーションをいかに上げるか、説得して激励して鼓舞して、いかにやる気にさせるかということが重要である。そのノウハウが身に付けられないだろうか。他にも色々とある。考えた挙句、以前いた塾に戻ろうかなと思った。今回の旅で考えた結論の一つである。

     せっかく身に付けた語学、これを生かしたい。世界に出て行くに当たって英語が話せる人は大勢いるし、英語は最低限できて当たり前だが、スペイン語が出来る人はまだまだ少ない。グアテマラで学んで、旅の途中ぎこちないけど身の回りのことを済ませるくらいに使いこなしたスペイン語、これを更に向上させたい。せっかくの機会があったなら、更に実のあるものにしたい。今回の旅で考えたこれも結論の一つである。

     色々と考えているうちに、飛行機は九十九里浜を横切り、旋回して成田空港に到着。二ヶ月ぶりの日本の地である。当然出発した頃に比べると涼しくて過ごしやすくなってきた。相変わらずバックパックはないので、荷物は少ない。税関であちこちのスタンプが押されたパスポートを見て、バックの仲間で、隅々まで検査された。そりゃまあ、麻薬が平気で出回っているような国ばかりいっていたし、荷物が少なかったのも余計不信感を増やしてしまったのであろう。だけどそこまで怪しいか。そんなに犯罪をおかしそうな顔に見えるのか。ちょっとむっとした。今まで受けた荷物検査の中で一番厳しかった。

     無事帰宅。また色々と考える。

     今回の旅で出会った人たちである。色々な日本人とであった。誰もが皆、試行錯誤しながら生きているものだと感じた。行った国々が国々だったので、なかなか濃い人たちが多かった。学生は学生なりに悩みを抱えているし、仕事を辞めて旅をしている人も多かった。人を旅に駆り立てる要因は様々であろう。だけど不思議だったのは、これだけの旅をしていながら、何らかの形でその経験を生かそうと前向きな人が少なかったように感じる。これは仕事を辞めて旅立った人たちに特に言える。その中でもUさんはすごい人だったと感じた。彼の洞察の深さにも目を見張るものがあったが、それ以上に、帰国してからこの経験を生かして店を開こうと試行錯誤している姿勢がすばらしかった。見習わねばと感じた。今回の僕の旅の目的はゼミの卒業論文である。ゼミ論文でありこれを提出しないと卒業できないというわけではないが、大学生活の集大成として是非とも仕上げたいものである。テーマは既に決めてある。「ラテンアメリカの開発論」で、いかに貧困問題を解決しつつ、環境問題を解決するような持続可能な開発を実現していくかというものである。時間の都合で、日本では殆ど下準備は出来ていない。だけど実際に自分が見た国だったら、関心も湧くだろうし、机上の論文ではなく、もっと実りのあるものになるだろうと感じたので旅立った。元々は環境問題に関心があった。だけど世界の環境問題を解決することと、貧困を解決しいかに持続可能な開発を実現して行くかを考えることが、次第に自分の中で重要なテーマになってきた。元々ラテンアメリカに興味があったわけでもない。だけど去年アメリカに行ったときに見たラテンアメリカ地域の美術品に惹かれるものがあり、また元々第二外国語がスペイン語だったこともあり、多少はそういう世界に関心があったので、結局ラテンアメリカの研究をすることになった。とりあえず全力で論文を完成させることが目標である。全力でぶつかれば、きっとその間に新たなる道がきり広げられると思う。この経験を生かして、すばらしい論文を書き上げることを当面の目標としたい。

     こうして、2ヶ月位及ぶ旅はフィナーレを向かえる。(完)

    後日談:荷物を取り返すべく、何回も国際電話をかけまくった。その甲斐あってか、数日後、荷物が成田に届いたという連絡があった。結局無事に戻ってきた。コスタリカの空港の人が、ドントウォーリーといったのがわかった気もするけど、向こうは相当そういう感覚なのであろう。カメラは結局修理不能だった。中のフィルムは変色していたものの、何とか取り出せた。だけど保険金が下りた。カメラ自体割引で購入しており、カメラ代は定価で算出されていたので、結果的には得をした。

     フジモリ氏が罷免された。残念であった。結局トレド氏が大統領に選出された。エルサルバドルでは、大地震が発生し大勢の方々がなくなられた。ご冥福をお祈りしたい。アルゼンチンでは、なんとも前大統領のメネム氏が逮捕された。武器の密輸容疑だという。ラテンアメリカは刻々と動いている。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • らびたんさん 2020/12/25 20:41:16
    ジュゲム
    Miyatanさん、こんばんは。
    ジュゲムの漫画見てみたいです。

    マリオの8面て難しいですよねw
    まず8-1で時間切れに苦しみ、8-2もどうにかクリアしても8-3でハンマーブロスにやられるw
    今すぐやりたくなってきました。

    >これだけの旅をしていながら、何らかの形でその経験を生かそうと前向きな人が少なかったように感じる。これは仕事を辞めて旅立った人たちに特に言える。

    人のこと言えませんが、私もオーストラリアで同じことを感じました。
    中南米と比べて旅の難易度が低いオーストラリアなので単純な比較はできませんが、特に男性はフリーターと同じかそれ以下という生活ぶりがワーホリなんです。

    逆にいうと女性は普段看護師や美容師など手に職があって、でも若いうちに海外を知りたいとか、専門職にはいつでも戻れるのだからここではブランドものの販売とか全然違う自分になってみたいなど明るくワクワク感を分けてもらえるような魅力的な方が多かったです。

    ところで、子どもに好かれるMiyatanさんが独身で、私のような子供大の苦手という人間が親をやっているというのが、人生のおもしろさですね。

    らびたん

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2020/12/26 09:08:25
    RE: ジュゲム
    らびたんさん、おはようございます。

    ジュゲムの漫画、まだあるかなぁ。小学生の頃、学級新聞に掲載して連載していたことあります。(笑) ついでに行くと学芸会の劇でジュゲム役で出演したことも。(笑) 私ちなみに、まともに描けるキャラクターって、スーパーマリオの敵キャラ(マリオとルイージは描けない 笑)、ドラクエのスライム系キャラ、ドラえもん、以上です。(笑) 人間が描けません。(笑)

    マリオの8面、難しいです。というかアクションゲームが苦手です。いまやってもクリアできる自信ありません。最近ステイホーム期間中にファミリーコンピュータクラシック買ったので、すぐにでもプレイできます。結局アクションとかシューティングとかが苦手なので、時間かければクリアできるドラクエはじめとするRPGとか信長の野望や三国志の光栄系はじめとするシミュレーションゲームにハマる結果に。そして私の旅行記は、国内は桃鉄&信長の野望、海外はドラクエ、の傾向かもしれません。(笑)

    旅の目的、、、当時は偉そうなこと書いていましたが、今の弾丸旅はそこまで崇高な目的もなくただただ趣味、気晴らしです。それでも世界が広がる観、トラブルが起きたの危機対応能力は鍛えられているかもしれません。

    確かに女性の方がしっかりした方多かったかもしれません、当時は。最も今では、ノマドとか、旅するブロガーとか、当時はなかった考え方が広がっているので、時代は変化していると思います。

    仕事辞めて旅して、また仕事ついて辞めて旅してもありかもしれませんが、何となく自分はそういう生き方はしたくないなーと思って、最終的に就職超氷河期でしたが何とか正社員の道選びましたが。ちなみにこの時内定とった会社は最終的に辞退しました。

    そう、子供には好かれるんですよね。写真に写っているペルーの子供たちは当時10歳前後と思われますが、今ではアラサーくらいですね、結婚して子供がいてもおかしくない年代です。20年前が少し前くらいに感じるのが年取った証拠かもしれません、かなり過去です。

    Miyatan

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