2020/11/12 - 2020/11/12
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naoさん
大阪市内を流れる大川(旧淀川)一帯の紅葉が見頃を迎えたので、この日は35mmレンズを持って、都島橋から、下流側の八軒家浜界隈にかけてぶらり散歩してきました。
この稿では、川崎橋から八軒家浜界隈にかけての旅行記を綴ります。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大川の右岸を歩いて、天満橋の辺りにやって来ました。
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ずいぶん久しぶりにクローバーの花を見ました。
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対岸にあるのは大阪水上バスなどの船溜まり。
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大川に架かる天満橋です。
大川のすぐ南側を通る土佐堀通の、天満橋交差点の交通渋滞を緩和するため、従来の橋の上に跨道橋を重ねて2階建てで建設したのでこんな姿になりました。 -
天満橋をくぐって、大川の右岸にある南天満公園に入りました。
「将棊島 粗朶水制跡」とは難読な石碑ですが、「しょうぎじま そだすいせいあと」と読むそうです。
「将棊島(しょうぎじま)」は、淀川の水が寝屋川と鯰江川に逆流して水害を引き起こすのを防ぐため、江戸時代に三河川の合流点に作られた隔流堤のことで、天満橋はこの堤を跨ぐ形で架けられていました。
「粗朶水制(そだすいせい)」とは、木の枝を束ねて組み合わせたものに石を詰めた治水施設のことで、明治6年(1873年)に来日したオランダ人技師によって将棊島に設置されました。
粗朶水制は木の枝を束ねたものなので、生物に優しい、いわばエコな工法のようです。
なお、将棊島は明治42年(1909年)に撤去され、現在はその姿を留めていません。 -
公園の木々が、抽象画のような影を織りなしています。
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2階建ての天満橋。
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対岸にある現在の八軒家浜船着場では、屋形船が接岸してお客さんを待っています。
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南天満公園の散策路。
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こちらは淀川三十石船舟唄碑。
この石碑には、江戸時代に京都と大坂の間を往来していた三十石船の、船頭さんが歌っていた舟唄の歌詞の一節が刻まれています。 -
こちらは「天満の子守歌」の歌碑。
なにわの歌として今も伝えられる「天満の子守歌」は、天満青物市場を歌ったもので、大根が舟積みされて行く様子が歌われています。
ねんねころいち 天満の市よ
大根揃えて 舟に積む
船に積んだら どこまで行きやる
木津や難波の橋の下
橋の下には かもめがいやる
かもめ取りたや 竹ほしや -
「天満の子守歌」の歌碑の傍らには、天満青物市場跡の石碑も立てられています。
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対岸に見えているのは『川の駅 はちけんや』です。
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桜の紅葉を透かして見た大川。
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南天満公園の散策路。
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大川に浮かんでいるように見えているのは、中之島公園の東端にあるガラス張りの剣先噴水です。
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さて、南天満公園から天神橋へ上がって来ました。
天神橋を渡って左岸の八軒家浜へ向かいます。 -
天神橋の上から見た大川上流の光景です。
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中之島公園の東端に見えているのがガラス張りの剣先噴水です。
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天神橋の中ほどにあるのは・・・
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中之島公園へ下りるらせん状のスロープです。
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このスロープを自転車で下りる人もいるんですが、自転車だとスピードが出て目が廻りそうです。
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スロープの途中から見た八軒家浜界隈。
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こちらは、今歩いてきた天神橋です。
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剣先噴水の放水が始まったので、橋上へ急ぎます。
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水都大阪の「水」を象徴する剣先噴水は、高さ20m、距離60mの規模で、毎分2.2トンの水を放水するそうです。
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ちなみに、放水は10時から20時30分までの、毎時0分と30分に5分間行われます。
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放水の描く放物線が小さくなってきたので、そろそろ終わりそうです。
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放水終了。
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さて、八軒家浜に渡って来ました。
見えているのは、歩いて来た天神橋と大川右岸の光景です。 -
土佐堀通り沿いのビルの裏手には・・・
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こんな紅葉の世界が広がっています。
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カエデの黄葉。
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摂津国の政治の中心地であったこの辺りには、平安時代にはすでに「渡辺津」と呼ばれる外港が成立していて、四天王寺、住吉大社、高野山、熊野三山への参詣道である熊野街道の起点になるなど、海陸交通の要衝として栄えていました。
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江戸時代には、この辺りに八軒の船宿が並んでいたことに由来して「八軒家浜」と呼ばれるようになり、京都と大坂を結ぶ三十石舟が発着する八軒家浜船着場は、淀川舟運の拠点として栄えることとなります。
そんな三十石舟及び八軒家浜船着場の賑わいぶりは、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する弥次さん・喜多さんや、浪曲「石松三十石舟道中」にでてくる清水次郎長一家の森の石松を主人公として描かれています。 -
現在の土佐堀通りの辺りにあった往時の八軒家浜船着場は、昭和初期の大川の埋め立てによって姿を消してしまいますが、歴史的にも価値の高い八軒家浜を再生すべく、平成20年に水都大阪の新たなシンボルとして八軒家浜の水辺空間が整備されました。
なお、整備に合わせてこの常夜燈が立てられましたが、元の八軒家浜船着場立っていた常夜燈は、天王寺区の生國魂神社に移築されて現存しています。 -
「つがい」でしょうか・・・
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仲の良い2羽の鴨が寄り添っているなと思っていると・・・
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間もなく泳ぎ去ってしまいました。
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先ほど歩いてきた対岸にある、南天満公園の桜の紅葉。
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その南天満公園側の光景を鮮明に映し込んでいるのは・・・
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「川の駅 はちけんや」の窓ガラスです。
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水陸の交通が結節する川の駅として関西初となる「川の駅 はちけんや」は、大阪市内の遊覧船会社4社の発券所や待合所として利用されています。
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さらに、フレンチレストランやカフェも併設されているので・・・
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遊覧船待ちのお客さんの憩いの場となっています。
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そうこうしている内に、再び剣先噴水の放水が始まりました。
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路面に埋め込まれたライトアップ用の照明器具。
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再整備された八軒家浜船着場。
この桟橋には、大川などのクルージングが楽しめる、大阪水上バス、遊覧観光船、屋形船が発着します。 -
天満橋をくぐった先にあるのは、大阪水上バスなどの船溜まりです。
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見えている斜張橋は川崎橋です。
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これらの船は大阪水上バス「アクアライナー」です。
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こちらは明治時代の川蒸気船をモチーフにしたクルーズ船です。
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特徴的な外輪が美しい、シックな姿を見せています。
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「アクアライナー」の大きさは、船によって微妙に違っているんですね。
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一層だけ走っていたら判らなかったんですが、こうして並べてみると違いが判ります。
よ~く見ないダメですね。 -
天満橋北詰の大川右岸の毛馬桜之宮公園に保存されている橋名飾板。
この橋名飾板は、明治18年(1885年)の大洪水によって流失した木橋に代わって、明治21年(1888年)に鉄橋に架け替えられた際、橋門上に設置されていたもので、鋳鉄で造られています。 -
陽が西に傾いて、公園の木々が長い影を落とすようになりました。
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では、これで八軒家浜界隈の紅葉散歩を終えます。
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