2020/10/29 - 2020/10/29
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mitamita73さん
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この旅行記のスケジュール
2020/10/29
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電車での移動
札幌 07:49 JR 08:41 滝川
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バスでの移動
滝川 08:45 中央バス 09:23 赤平消防署
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バスでの移動
歌赤警察署 12:48 → 13:40 砂川
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電車での移動
砂川 14:38 特急ライラック 14:59 岩見沢
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バスでの移動
岩見沢 15:15 市内循環バス
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電車での移動
岩見沢 17:00 特急カムイ 17:25 札幌 17:36 快エアポート 18:13 新千歳
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飛行機での移動
新千歳 20:30 NH 22:05 羽田
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この旅行記スケジュールを元に
北海道から東京に出て40余年。6歳まで暮らした炭鉱を見たいと思いましたが、その小さな炭鉱は54年も前に閉山。施設や住宅はもちろん、道路までもが原野に戻ってしまっていて、近寄ることすらできません。
そこで、過日、岩見沢の「そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター」で教えてもらった赤平の炭鉱遺構に行ってみました。
幼児期とは言え、目の前で「閉山反対」運動を見ていたことや、隣家が落盤事故の被害に遭ったこと、閉山後の住民の離別などもあって、私には、炭鉱閉山に被害者的な意識が強く残っていたのですが、今回、住友赤平などの大規模鉱では国のエネルギー政策に抗って精一杯の近代化を図っていたことを知り、少しイメージが変わりました。
さらに、坑内員の経験もある元職員のガイドさんから、その必死の近代化の努力を無にした最後の一撃が、1985年のプラザ合意による円高だったと聞かされて、これまたびっくり。
懐かしさに浸るはずが、自分の無知を恥じる旅になりました。
おしゃべり一切なし。かつ、何かに触れるたびに消毒したり、呼気がかからないよう、かけぬよう、神経質なまでに対策しての一人旅です。
※私的には「炭坑」がなじむのですが、より一般的な「炭鉱」を用いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
稚内日帰りをした翌朝、札幌を出て、特急ライラックで52分、滝川に着きました。
4分後の中央バスで赤平に向かいます。
空知第二の中心都市ここ滝川も、バスターミナルがなくなり、寂しい駅前になりました。 -
滝川駅を出たときは、ご覧のようにガラガラでしたが、その後、路線が維持できそうな数の客の乗り降りがありました。
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赤平駅です。
最初見たときは、なんだかなぁ~と思いました。でも、これを建てた20年前は、各産炭地とも人口減少に悩み、少しでも駅に人が集まってほしいと考えたんですよね。
産炭地の苦労に思いをはせるべきでした。危うく自分のルーツを忘れてしまうところ、反省です。 -
ちなみにこちらが昔の駅舎です。シンプルながら風情があります。
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赤平消防署でバスを降りました。
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バス停のすぐ先の交差点を右に曲がり、根室本線を渡ります。
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線路を渡って左に2分、バスを降りてからわずか5分で目的地に着きました。
ここは、1994年に閉山した旧・住友赤平炭鉱(坑内員と職員で4千人強)で、現在産業遺構として一部が保存・公開されています。
高倉健主演「鉄道員」のロケ場所でもあります。 -
新しく建てられたガイダンス施設(入場無料)のなかには、本でしか見られないものが多数展示されていました。
昔は、産業遺産・遺物を将来に残そうという考えがあまりなく、喪失しているものが多いはずですが、こうして、ちゃんと維持してくれていることに心から感謝です。 -
救護隊の装備です。通常でも危険な坑内に、事故発生後に突入するのですから、その勇気は大変なものだったと思います。
実際、二次災害で被害に遭う人が多かったようです。 -
夕張から美唄・赤平・芦別あたりの石炭層の図です。この辺りは高品質の石炭が採れたそうです。
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細い線は坑道です。わずか数kmほどの地域に、驚くほど細かく張り巡らされていました。
3D画像の技術がない時代に、よくぞここまで詳細にできたものです。
ちなみに、こんなに掘ったら、ヤマの中がスカスカになって、潰れてしまうのではないかと思ったら、石炭を掘ったあとは、順次埋めていくのだそうです。
よく考えたらわかることですが、炭鉱生まれなのに、そんなことも知らず、恥ずかしいったらありゃしません。 -
正面は、立坑櫓(やぐら)と言って、地上と地下を結ぶエレベーター。
ガイドさんが案内してくれます。(料金は800円ですが、その何倍も価値があります。)
上部にある円形の物は、エレベーターのワイヤーを巻き上げる滑車です。
1963年に20億円もかけて建設した当時最新の施設で、最深1,000mまでの設計で、閉山時には600m強まで使っていたそうです。 -
よくぞ、この貴重な産業遺産を壊さずに残してくれていました。
維持費の足しになればと思い、後日、赤平市に少しだけふるさと納税をしました。 -
地下から運んできた石炭を国鉄の貨車に積みかえる施設につながる場所ですが、残念ながら、この先はすでに撤去されています。
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立坑(エレベーター)は、人だけでなく、この貨車に積んだ石炭も運びます。
深い所から斜めの坑道を引っ張り上げていたのですが、立坑完成によって、運搬速度も飛躍的に向上したそうです。 -
立坑ケージというのは、エレベーターの箱のことです。
壁のないむき出しの箱に18人、それが4階建で計72人詰め込まれて、秒速12m(時速43km)で降りていくそうです。かなりの恐怖感だったでしょう。
ちなみに東京スカイツリーが秒速10m(時速36km)です。
炭鉱では、
労働時間ー(入口から採炭現場までの往復移動時間)=実際の作業時間
で、現場との往復時間が最大の悩み。この立坑の完成で一気に効率化したそうですただ、経営側にとっては効率化ですが、坑内員にとっては、掘る時間が長くなるので労働強化になったのかもしれません。 -
大きな炭鉱の主坑道はこんなに広かったんですね。まるで青函トンネルの先進導坑のようです。
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急斜面や狭い坑道では、昔ながらの掘り方もあったようです。
私の炭鉱像は、ここで止まっていました。 -
地上に戻るには片道30分以上かかるので、休憩時間も食事ももぐったまま。
弁当は粉塵のなかで食べていたそうです。トイレなどなく、その辺で…ということだったそうです。厳しい仕事です。 -
坑内員の救いは、危険だから当然ですが、給料の高さです。
職種・役割・成果によって開きがあるも、普通のサラリーマンの2~4倍。
さらに、住居費・電気・水道・暖房用の石炭はほぼ無料ですから、生活にはかなりゆとりがあったようです。
(私の父は坑外の仕事や炭労の専従だったので、ゆとりはありませんでした。) -
エレベーターの制御室です。
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制御室には、閉山時(1994年)のカレンダーが残っていました。
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立坑見学の後は、昔使っていた機械・工具が残してある倉庫を案内してくれます。
1980年代にはこんな機械が導入され、格段に採炭量が増加したそうです。
1967年に閉山(倒産)した小規模炭鉱に生まれた私は、まったく知りませんでした。 -
当時最新の掘削機ですが、あまり活躍しないままに閉山になったそうです。
精一杯の合理化と機械化で生産性を向上させたのに、1985年のプラザ合意による急激な円高から9年、力尽きました。
ライバルのオーストラリア産石炭がプラザ合意前の半額で買えるようになっては、国内炭鉱に打つ手はなかったそうです。
プラザ合意前の1ドル=240円が、翌年150円、翌々年120円と、私たちがグアムやハワイに安くいけるようになったと浮かれている間に、生まれ育った場所は、塗炭の苦しみだったわけです。 -
いろいろな思いを抱えつつ、赤平炭鉱遺産ガイダンス施設を後にして、歌赤警察署(赤平署と歌志内署が合併)前から、歌志内・砂川方面行のバスに乗ります。
6時台から19時台まで毎時1本あり、結構便利です。 -
バスが歌志内市街地に入りました。最盛期の4万6千人が3千人にまで減った、日本で一番小さい「市」ですが、思った以上に建物が残っていました。
どこかで降りて食事でもと思いましたが、残念ながら、バスからは飲食店が見当たりません。 -
寂しそうに見えますが、私が住んでいた地域は、とうの昔に原野に戻ったので、むしろうらやましく感じました。
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いい感じの建物がありましたが、残念、閉まっていました。
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多くのバス停に待合室があります。
1時間に1本バスがあるし、日に数本しかなかった国鉄歌志内線より便利かもしれません。それでも、やっぱり線路がつながっていてほしいだろうなぁ。 -
お寺は健在なようです。
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上砂川の旧三井鉱山の立坑櫓が見えてきました。
これも深さ700m。近代化で頑張っていた炭鉱です。
1991年から2003年まで地下無重力実験に転用されていたそうです。 -
砂川に着きました。
滝川同様、バスターミナルは廃止となり、市立病院のそばに待合所があります。
札幌行は、その昔、20分に1本でしたが、高速道路と自家用車の普及で、いまや1日7本に激減です。それでも、札幌行がゼロになった美唄よりましですが。 -
国道12号線を渡り、砂川駅に向かいます。
減ったとは言え、1日1300人の乗降客がいるそうです。 -
駅前の閉店した居酒屋のランチメニューが、地面に落ちたままでした。
誰か捨ててあげればいいのに。 -
砂川駅前で唯一開いていた喫茶店に入りました。
玉置浩二の「メロディー」の歌詞を思い出す、いい感じの店でした。
駅前にこういう喫茶店があるのって、とてもうらやましいです。経営者はかなりご高齢のようですが、できる限り永く続けてほしいものです。 -
駅のなかはちゃんとしていて、ほっとしました。
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上砂川支線のホームにつながる跨線橋があったところには、駅の東西を結ぶ、自由通路ができていました。
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この一段さがったところが歌志内線のホームだったような気がします。
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札幌行の特急ライラックに乗ります。
途中、岩見沢で降りて、バスで40数年前に通っていた高校を眺めてきました。
その後、もし東京に行かず北海道に残っていたら、どんな人生になったんだろうなどと考えながら、千歳から柴犬ポン太が待つ家に戻りました。
国際線機材だったので、ちょっとだけ、海外気分を味わいました。
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