2020/05/24 - 2020/05/24
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akitaineさん
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ご存知、近畿地方は、古代王国が覇権を争い、はじめて中央集権体制が作られた地域です。
古墳時代を経て、仏教伝来、大化の改新、数度の遷都、、、紆余曲折があった歴史の舞台。誰でも知っている飛鳥の高松塚古墳や石舞台などの他、まだまだたくさんの古墳や遺跡があります。
地域や地形そのものが歴史を語ります。
まだ知らぬ古代の足跡を訪ね、王子町(奈良県)、柏原市(大阪府)を歩きました。
コロナ自粛解除宣言を受け、今まで歩けなかった分を取り戻すように約25㎞ がっちり歩いた1日でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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本日は、王子町の畠田古墳、その上にある明神山、さらには、柏原市(大阪府)の高井田横穴公園、高尾山と約25㎞の長い道のりを歩きます。
始点は、JR畠田駅です。 -
畠田駅前の案内マップ。畠田駅から王子ニュータウン方面から西側に進みます(図の左側)。駅から30分くらいです。
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ニュータウンを右に見ながら、自動車道をはずれ、案内標識がある左側の森の中の道を進みます。
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こんな場所に古墳があるのかな、と思いながら進んでいくと、、、。
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小さい広場が出てきました。奥に円墳状の小山があります。
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古墳の入口。中は自由に入れます。
調べたところ、古墳は7世紀初頭のもの。
横穴式石室。全長約5.9m、玄室部長さ約3.2m・幅約2m・高さ約2.3m。2体以上が埋葬されていたとのこと。金環や金銅製刀装具、鉄鏃、土師器、須恵器などが発掘されたとのこと。被葬者2体またはそれ以上あったそうです。 -
説明板を読むと、畠田地域の古墳は7世紀のもので、畠田地域はこの時期に開発されたと考えられる、古墳の主は、地域をまとめる有力者であっただろう、とのことですね。
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古墳を後に、さらに山道を進むと、明神山に至る参道に出ました。
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しばらく緩い登りが続き、明神山頂上近くなりました。
立派な鳥居がお出迎え。明神山山頂にある水神社です。
豊かな伏流水を持つ明神山。農業のために山頂に勧請された神社です。
明神山は、地の利と水の利があるのですね。 -
山頂はまさしく360度の展望でした。
説明板に「十国国見台」とあります。
西は、播磨・淡路・河内・和泉、東は伊勢、北は摂津・ 山城・近江、南は紀伊・大和、と周囲の国すべてが見渡せます。
このような良い場所を拠点にしないわけがありません。 -
また、地図をよく見ると古代河内平野が描かれています。
内海である河内湖があったのですね。その西側に上町台地があり難波宮がありました。現在のJR学研都市線あたりは湖が近かったのでは。駅名も野崎とか津田とか、水を連想する地名がありますね。 -
北方面。
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奈良(北東)方面。
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このような見晴らし台が全方角に向けてつけられています。
これは東方面。
西方面で、大阪市街地がよく見えました。
明石海峡大橋が見えるよ、近くの人が言っていたのですが、確認できませんでした。はるか昔は、遮るものが少ないので、明石も播磨も見えたのでしょう。
当日はコロナ自粛解除を受け、多くの人が山頂に来ておられました。 -
北東方面。琵琶湖と比叡山。
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こちらは南東方面。大和三山が見えます。
大和三山は今年2月に歩きました。以下はそのブログ。3か月前とは思えぬほど以前に思えます。
https://4travel.jp/travelogue/11604916
明神山は標高273.6mとさほど高くない山なのに、この眺望! -
明神山を後にして、西側・大阪方面に下ります。
山頂の人の賑わいとはうって変わり、静かな山道でした。 -
下り道の途中のお地蔵様。
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登山道から自動車道路に出たところで、ウツギの花が美しく咲いていました。梅雨の前に咲く花です。もうすぐ6月です。
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道路といっても、勾配のあるほとんど山道。
周囲にきれいな実がなっていました。その実を採集中の地元の方に会いました。キイチゴでした(フランス語で、フランボワーズ)!きれいな赤色。箱の中にいっぱい入ったキイチゴを見せていただきました。赤い宝石箱のよう。
それでは、と食べてみると甘くて少し酸っぱくておいしい。疲れが取れました。 -
坂道に、たくさんのブドウ畑が出てきました。
明神山の西側は、大阪府柏原市。河内ワインの産地の一つです。 -
柏原市に入り、どんどん下り、近鉄・河内国分の駅をすぎ、大和川までやってきました。河川敷でお昼。川の向こうには、小高い丘が見えます。
それが、次の目的地・史跡高井田横穴公園です。
写真は、公園入口にある案内板。
山全体に横穴のお墓が現在162個、発見されています。さらに多くの横穴があるとみられているそうです。6世紀中頃から7世紀前半のもの。
午前に見た畠田古墳は、豪族の墓と思われるものが単体としてありましたが、こちらは、一族全体のお墓のようです。
公園というだけあって、横穴を保存するだけでなく、草木の整備がされ、歩いて楽しむ公園となっています。 -
こんな感じの横穴が並んでいます。
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穴の中には、様々な人や船の絵などが描かれているようです。
ここでは「ゴンドラの船に乗る人物」がレプリカで展示されているようですが、当日は入口に鍵がかかっていて中には入れませんでした。
これらは「線刻壁画」と言われ、人物、船、木の葉など、さまざまな模様があるそうです。古代の人々があの世でも楽しく暮らすようにとの願いでしょうか。 -
公園そのものは「史跡高井田横穴公園」といいますが、山の一番高い場所には、「高井田山古墳」があります。5世紀後半のもの。円墳。
山頂に登ると古墳を覆うように透明な屋根が架けられ、発掘された様子が見られるようになっています。
下にある多くの横穴が、6世紀前半からのものですので、まず、一族の長である豪族がお墓を作り、その後、一族が続いたということでしょう。
通常は、偉い人だけがお墓を作ってもらえますが、長だけでなく、多くの人がお墓に埋葬され大衆化できたということは、人々が豊かになった証ではと推測します。 -
穴の中。発見された当初を再現しています。
左奥の取っ手のついた丸いものにご注目。 -
発掘された品々の説明。
古墳の中には鏡や甲冑、などがよく発見されますが、高井田古墳の特徴的な点は、青銅製の火熨斗(ウットまたはヒノシ・古代のアイロンと思われる)が同時に発見されたことです。須恵器なども同時に発見されており、古代の人の日常生活が想像されます。
被葬者の中に女性もいたのでしょう。純金製のイヤリングやガラスの首飾りも発見されたそうです。
衣服のシワを気遣うセンスとゆとり、現代人と変わりません。古代人がぐっと身近に感じられます。 -
史跡高井田横穴公園を過ぎ、長い自動車道を30分くらい登り、最後の目的地・高尾山の登り口にたどりつきました。
山頂に遺跡があります。
案内板によると弥生時代から人が住み着き、山は信仰の対象になっていたようです。
登山口入口には、立派な赤い鳥居がありました。(鳥居の写真は無し) -
15分ほどの登りですが、ハシゴやロープで登る急な箇所もありました。
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高尾山(277m)頂上到着!
頂上にも大岩がありますが、少し下ったところに、展望台のような大岩があります。 -
展望大岩から望む大阪平野。
明神山での地図にあった河内湖と平野がかつては見えたことでしょう。
現在、この場所から、世界遺産になった古市古墳群の全貌が把握できます。
ひょっとしたら、古市古墳群は、この地から見るように場所が選定されていたのかも??、と想像が膨らみます。
ともかく、古代の人は大阪(河内)平野を見渡すこの地を重要拠点として、統治のよすがにし、異国からの襲撃に備えていたのでしょう。
今は静かな大阪平野。 -
高尾山の展望を堪能したところで、山の西側に下り、近鉄堅下駅で電車に乗り帰途につきました。
写真は、近鉄と直結している阪神なんば線の中。
天井に、お祭りの飾りのようなヒラヒラが風に揺れていました。
電車の中にこのような飾りがついているのを見るのは、後にも先にも初めて。
コロナ回避のため、電車の窓をところどころ開けており、風の効果をアピールするためかと思われます。
私にとっては、この飾り、コロナ自粛解除を祝うお祭り飾りに見えました。
約3か月、皆耐えたのですから。
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