2019/06/26 - 2019/06/30
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「1940年6月26日午後10時,ソ連外相モロトフは,モスクワ駐在ルーマニア公使ダヴィデスクを呼び,両国の係争地域であるバサラビアの「返還înapoiere」及び,過去一度たりともロシア領であったことのない北ブコヴィナの「譲渡transmitere」を求める最後通牒を突きつけた。この過酷な要求に対する24時間以内の返答を迫られたルーマニア政府の指導部は,恐慌状態に陥った。最後の望みであった独伊両国からも受諾勧告を受けた国王カロルは,重大な決断の責任を共有するために,27日に国王評議会を召集した。国王顧問官と全閣僚が参加した討議は紛糾したが,軍事上の圧倒的劣勢と外交的孤立を理由として,大勢は受諾の方向へ傾いた。最終的に,ソ連が第二の最後通牒を発し,翌28日からの占領開始を通告したことにより,国王は『ソ連が明示した撤収条件の受諾』を決意した。これを受け,赤軍は即座にバサラビアと北ブコヴィナの軍事占領に踏み切った。
バサラビア・北ブコヴィナの割譲により,国土及び人口の二割弱(約360万人)を喪失し,両地域からの避難民は,公務員を中心に4万人前後に達した。さらに,国防強化を目的として急速な軍備拡張を強行し,繰り返し領土の『一畝たりともnici o brazdă』明け渡さないと言明してきた国王カロルは,為す術も無く割譲要求に屈したことにより,深刻な威信の低下に直面した。」
「1940年春以降の急速な対独接近と,それを補完する一連の国内政策,つまり,軍団運動の政権参加や『全体主義的』単一政党の創設,反ユダヤ主義的立法などを通じ,ルーマニアはドイツの友好国として認知されたはずであった。しかし,国王カロルとヒトラーの間で交わされた往復書簡や,7月26日から27日にかけて行われた首相ジグルトゥと外相マノイレスクのヒトラー及びムッソリーニとの会談において,ルーマニアは予想外の強硬姿勢に直面した。ヒトラーは,ルーマニアに対し,軍事使節団の派遣を含めた両国の関係強化や枢軸国による領土保証の前提条件として,ハンガリー及びブルガリアとの領土をめぐる係争を,二国間交渉により早急に解決することを求めたのである。」
「並行して進められた二国間交渉において,ブルガリアとの交渉は比較的順調に推移した。7月末の時点で,シリストラとバルチクを含めた南ドブロジャをブルガリアに返還すべきであるとの『勧告』がドイツ側から出されており,ルーマニア政府としても,民族構成や歴史的経緯を考慮して,割譲もやむを得ないと判断していたからである。対照的に,ハンガリーとの交渉は冒頭から紛糾した。ルーマニア側が住民交換とそれに付随した若干の領土割譲による解決を提案したのに対し,ハンガリー側はトランシルヴァニアの約3分の2に当たる領土の返還を要求したからである。この結果,8月24日に両国の交渉は完全に決裂した。ここに至り,両国の係争へのソ連の介入と,戦争が生じた際のルーマニア油田の破壊を危惧したヒトラーは,ついに仲裁に乗り出すことを決意した。
8月29日,ルーマニアとハンガリーの外相は,独伊の外相によって,ウィーンに呼び出された。到着直後に,ルーマニアの政府代表団は,『留保なしに』枢軸国の裁定を受け入れるように求められた。同時に独外相リッペントロップは,裁定の無条件の受諾とブルガリアとの係争の解決後に,枢軸国により領土保証が与えられると述べ,裁定を拒否した場合には,ハンガリーとの戦争とソ連の介入を覚悟する必要があると警告した。ルーマニアは,再度,事実上の最後通牒を突きつけられたのである。枢軸国の強硬姿勢に驚愕した国王は,急遽,国王顧問官と閣僚に両二大政党指導者と軍団運動の代表を加えた,拡大『国王評議会』を召集した。」
「8月30日未明に始まった国王評議会においては,枢軸国への白紙委任への危惧から,裁定の拒否を主張する意見も相次いだが,戦争による破滅的帰結を回避し,国家の存続を優先すべきであるとの意見が大勢を占め,国王も受諾に同意した。しかし,枢軸国が提示した裁定(「第二次ウィーン裁定」)は,ルーマニア側にとって,予想を遥かに上回る過酷な内容であった。新たに引かれた国境線により,ルーマニアはトランシルヴァニア北部と250万人以上の人口を失ったが,その約半分がルーマニア人であった。
この衝撃的な知らせを聞いた国王カロルは,茫然自失するとともに,自らの威信が失われたことを悟った。」
「1940年9月4日正午,アントネスクに組閣の大命が下った。彼は首相就任に際し,再度,二大政党及び軍団運動の入閣による挙国一致内閣の樹立を条件とし,国王の了承を得ていた。同日午後,アントネスクは,自由党及び国民農民党の指導者との交渉を開始したが,彼らは国王カロルとの協力を拒否し,その退位を求めた。軍団との交渉は,ホリア・シマが地下に潜伏していたために,首都にいた他の幹部との間で行われたが,やはり国王の退位が政権参加の不可欠の条件であると主張した。」
「完全に孤立した国王カロルの命運は尽きた。9月6日早朝,彼は退位に同意し,『祖国が直面している大いなる危機を打開するために』,『支配の重責を息子に委ねる』との声明を発表した。直後に,皇太子が宣誓式を行い,ミハイ1世として即位した。19歳の新国王の最初の行為は,前日の国王命令を追認し,アントネスクに全権を付与することであった。(中略)翌9月7日未明,勝利に沸く軍団員に王宮を包囲された前国王は,愛人ルペスクと腹心ウルダリャーヌを伴い亡命の途についた。しかし,逃亡を知った軍団員たちは,『カピタン』と同志の仇を討つために,カロルの乗った列車を執拗に追跡し,ユーゴスラヴィアとの国境を越えるまで,その銃撃が止むことはなかった。」
「1940年9月14日の『国民軍団国家』の樹立は,『立憲政治』空間の復活可能性の消滅を意味していた。これは,軍団運動が,軍部を除く主要な国家の暴力装置を掌握したことの直接的な帰結であった。独自に軍団警察poli?ia legionarăが組織される一方で,内相,県知事,各県警本部長といった治安機構の要職は,軍団員及びその同調者によってほぼ独占された。」
「この結果,軍団員の復讐への渇望と暴力性が全面的に奔出することになった。最初の標的とされたユダヤ系住民は,絶えざる脅迫や暴行の恐怖に曝されたのみならず,緊急命令によって,農村における土地・森林財産を没収され,厳格な職業規制を課せられた。さらに,ユダヤ系の企業や商店が,軍団員によって事実上『強奪』される事件が多数生じたのみならず,『不届きな』ルーマニア人の財産も標的にされるに至った。
軍団員の暴力性は,もう一つの標的,すなわち軍団運動を迫害した『祖国の裏切り者』に向けられた時,その頂点に達した。1940年11月26日から翌日にかけて,ジラヴァ監獄では,旧体制下で軍団弾圧に関与した政府と軍の高官及び治安機関員64人が虐殺された。さらに,襲撃対象は軍団の政敵全般へと拡大し,国際的に著名な学者でもあったニコラエ・ヨルガ元首相やヴィルジル・マドジェアル元財務相が相次いで殺害された。
これらの事件に端的に示されているように,軍団員による無法行為は常態化し,それは私有財産制の根幹を揺るがす水準に達していた。不法な住居侵入や不当な逮捕・拘束,脅迫や暴行,さらには政敵(と見做された者)の殺害など,とりわけ首都においては,『身体・生命の自由』でさえ,絶えず脅かされる状態に陥ったのである。」
「他方,軍団指導部は,ジラヴァの虐殺を『野放図な暴力』と捉えていたわけではなかった。彼らにとっては,『カピタン』を始めとする軍団の殉教者たちの正当なる復讐であり,引き延ばされてきた『神の正義の御業』を実行したに過ぎなかった。『若干の行き過ぎ』とアントネスクの激怒のみが想定外であった。従って,軍団指導部には,軍団員の暴力行為を(非難・懲罰等により)厳しく統制する意図はなく,直後に開かれた閣議においても,軍団系閣僚の間では擁護論が大勢を占めていた。」
藤嶋亮著「国王カロル対大天使ミカエル軍団――ルーマニアの政治宗教と政治暴力」(彩流社)より
ブカレスト逍遥その1:ブカレストの地下鉄・バス等の乗りかた
https://4travel.jp/travelogue/11654593
ブカレスト逍遥その3:街歩きの続き~パサージュ/ノルド駅/空港など
https://4travel.jp/travelogue/11655241
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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翌朝,さっそく街歩きに出た。
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Buna dimineața(ブーナ ディミナツァ)!
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集合住宅のあちこちに猫がいる。
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ドリストル駅から地下鉄に乗る。
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何か軽く食べるものはないかと売店を物色する。
ルーマニアでも「7days」(パックされたクリームコロネ)が売られている。 -
駅構内にホットドッグやサンドウィッチのスタンド,コーヒーのスタンドなどはあるのだが,いまいち魅力的ではない。
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そこでピアツァ・ウリニイ駅まで行ってから店を物色する。
統一広場に,ルーマニアじゅうに店舗を展開するコヴリッジ&ピッツァの店「LUCA」があった。 -
コヴリッジCovrigiというのはトルコのスィミットのことで,ブルガリア語のゲブレクが転訛したのだろう。
スィミットとよく似た形状の「胡麻とケシの実のコヴリッジ」(1RON)のほか,生地の中にソーセージを練りこんでバトン状に焼き上げたものが看板商品のひとつになっている。
(1RON=約28円) -
これは塩漬けのオリーブとチーズを練りこんだもの(3.5RON)。
食べた感じは,太くて長いベーグルといったところか。
(1RON=約28円) -
旧市街のエリアへ向かう。
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旧市街は目下,すごい勢いで再開発が進んでいる。
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まあ,元がこんなのだから再開発したい気持ちは分かるが,
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うまくやらないと,
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他のヨーロッパの大都市と変わり映えがしなくなる。
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ブカレストらしい街並みが,再開発によって甦るといいのだが。
かつて「バルカンの小パリ」と称されたことを意識しているのか,街角でアコーディオン弾きが,パリ風のメロディを奏でて人々を楽しませている。 -
一方,こちらは修復中の旧王宮跡。
数年前の写真と見較べてみると,作業がなかなか進んでいないことが判る。 -
アルメニア商人のハヌル(キャラバンサライ=隊商宿)跡を利用したレストラン。観光客がたくさん入って盛況であった。
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旧市街エリアを少し外れると,やや落ち着いた雰囲気になる。
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統一広場の下を流れていくドゥンボヴィツァ川。
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通りすがりにこんな店を見つけた。
シリアルカフェ? 今こんなものが流行っているのか。 -
棚を埋め尽くすシリアルのバラエティ。
隅のほうでいいから,宝塚名物タンサンフレーク(炭酸せんべいの割れせん)をひとつ置いてくれないかな。ブカレストですみれぐい。 -
ドイツ系ハイパーマート「Kaufland」併設のグリル(Grătar)に入り,
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テューリンガー(ドイツの有名なソーセージ)と,
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ミチMici(ルーマニアのチェバプチチ)を4本ほどもらう。
テューリンガーとあわせて15RON。
(1RON=約28円) -
ミチなどをぱくぱくと平らげて,いざ買い物へ。
さっそく店内で例の野菜ペーストを探し,見つけた。
セルビアやクロアチアの「アイヴァルAjvar」から辿ってきたこの野菜ペーストは,ルーマニアで「ザクースカZacuscă」という名前に替わる。これはブルガリア語では「朝食」,ロシア語では「前菜」とか「酒肴」という意味の語である。 -
売り場にはさまざまなブランド・値段のザクースカが並んでおり,ルーマニア人の食卓に広く浸透していることが窺われる。
画像↑の黄色ラベルの製品には「ブルガリア風ザクースカ」(すなわちリュテニツァ),青色ラベルには「マケドニア風ザクースカ」(すなわちピンジュル)と銘打ってある。
こういう製品があるということは,これらバルカンの野菜スプレッドには,それぞれ作り手ごとに生じる風味の違いとは別に,「ルーマニアのザクースカならこういう感じ」「ブルガリアのリュテニツァならこんなの」という消費者の大まかな共通認識が存在することになる。
何回も食べているうちに判ってくるのだろうか。ぜひ知りたい。 -
ワイン売り場では,ロゼワインの割合が多くてびっくり。
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こんなのも発見。
これは梅酒ではなく清酒のほうである。CHOYAは着々とその名を世界へ広めている。 -
そして,これが「サラタ・デ・イクレSalată de icre」。
直訳すれば「イクラ(魚卵)のサラダ」だが,ギリシャでいうタラモサラタのようなものだ。パンに塗って食べるのが定番。 -
色々なパッケージのサラタ・デ・イクレが,うず高く積み上げられている。
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純白に仕上げたものや,
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うすいオレンジ色に仕上げたもの,
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人工イクラやトビッコを混ぜたものなどがある。
ブルガリアのスーパーマーケットにも魚卵ペースト(Хайвер разбит)はいくつか並んでいたが,商品のバラエティと量においてルーマニアは段違いだ。
値段も手頃で(売れ筋は5-10RONのもの,1RON=約28円),ルーマニアの国民食として親しまれていることが分かる。 -
さっそく宿へ戻ってパッケージを開いてみる。
ブルガリアで食べたのとよく似て,空気を含んでふわっしている。ちょっと指につけて味見をしてみると,しっかり海味。
いそいそとパンのスライスを用意して‥‥ -
いざ,トロリと凍結させたウォッカと一緒に頂くことにする。
ルーマニア名物サラタ・デ・イクレとの出会いに,ノロックNoroc(乾杯)!
(つづく)
ブカレスト逍遥その1:ブカレストの地下鉄・バス等の乗りかた
https://4travel.jp/travelogue/11654593
ブカレスト逍遥その3:街歩きの続き~パサージュ/ノルド駅/空港など
https://4travel.jp/travelogue/11655241
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