2009/03/19 - 2009/04/02
957位(同エリア2852件中)
まさとし/国連加盟国全て訪問済さん
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- 旅行記737冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 454,880アクセス
- フォロワー82人
3/19 東京(1630)~ロサンゼルス(1001/1400)~シカゴ~ 機内
3/20 ~サンパウロ(1005) (移民博物館)サンパウロ(2050)~フォルタレーザ(005) フォルタレーザ空港
3/21 フォルタレーザ(600)~カノア・ケブラーダ 民宿
3/22 カノア・ケブラーダ~アラカチ(730)~ナタル HOTEL BEIRA MAR
3/23 ナタル(1300)~レシフェ HOTEL CENTRAL
3/24 レシフェ(オリンダ) レシフェ(1330)~マセイオ POUSADA GIRASSOL
3/25 マセイオ(セントロ・体調不良) POUSADA GIRASSOL
3/26 マセイオ(深夜)~ バス
3/27 ~サルバドール HOTEL SAO JOSE
3/28 サルバドール~ バス
3/29 ~フォルタレーザ Pousada Ninho do Pelicano
3/30 フォルタレーザ(1735)~リオデジャネイロ(2100) Copa Hostel
3/31 リオデジャネイロ(1820)~ 機内
4/1 ~ワシントン(631/830)~シアトル(1108/1252)~ 機内
4/2 ~東京(1455)
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昨年5月ブラジル北西部を旅行したのだが中途半端な状態で帰ってきた。そんなわけで近いうちに旅行の続きをしたいと思っていた。
突然行くことになったきっかけは3月末のこの時期、航空券の値段が総額13万円台まで下落していたからだ。どういうわけか航空運賃自体は84200円まで下げられている。燃油サーチャージが4月発券分から廃止されようとしているが、この値段なら今月サーチャージを支払ったとしても4月以降より割安だ。
しかもブラジル北東部のフォルタレーザまで往復した場合の値段だ。さらに行きにサンパウロ、帰りにリオデジャネイロで乗り継ぎの際、十分に時間を取ることができる。まさに最安値の理想的なルートでの出発となった。
旅のテーマはもちろん2008年のアマゾン川下りの続きだ。あの旅行はマナウスからサンルイスを経てバヘリーニャスへ行ったあと時間がなくなり、バスでリオデジャネイロへ戻ったのだが、今回はサンルイスの東隣に位置するフォルタレーザからサルバドールまでの大西洋沿岸部を移動しようと思う。
この地域は白いビーチ沿いにたくさんの大都市が発展している魅力的な場所だ。昨年の続きがこんなに早く実現できるとは思わなかった。この旅行でブラジルは4回目。大半の主要都市を訪問したことになる。
サンパウロまではいろいろなルートを選択できた。一般的にはシカゴかワシントンで一回だけ乗り換えサンパウロへ向かうのだが、今回はアメリカ西海岸に一度降り立ち、その後別の都市を経由してサンパウロへ向かうことにした。
二回乗り換えないといけないがこの方が一回のフライトが10時間以下に抑えられ気分的にもかなり楽だ。今までできるだけ乗り継ぎが少ない方がいいと思っていたが、トータルの所要時間自体あまり変わらないので今後このような方法のありだなと思った。 -
【3月19日(木)】
チェックインの際、最終目的地のフォルタレーザまでの搭乗券4枚が手渡された。
そんなわけで東京発ロサンゼルス行きに乗り込んだ。予約が簡単に取れた割には機内はほぼ満席だ。ロサンゼルスまでは10時間。ワシントンまで飛ぶことを考えるとずいぶん楽だ。 -
ロサンゼルスここでに到着。4時間あるが、町に出てもたいして行きたい場所もなく、結局搭乗口へ向かうことになった。
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14時発のサンパウロ行きだが一度シカゴで乗り換えなくてはならない。フライトナンバーは同じなのに機材変更として乗り換えるパターンはアメリカではかなり多い。どのような意味があるのかわからないがまぎらわしいのでやめてもらいたい。
シカゴへはB757で4時間強だ。ロサンゼルスに比べて寒い。ひんやりとした空港内を搭乗口に向かった歩いた。便名は同じでも乗る場所は全然違う場所にある。 -
乗り継ぎは1時間ほどしかない。国内線の乗り継ぎなので面倒な荷物検査もなく、スムーズに乗り継げる。ラウンジでくつろぐ時間はあまりなくビールを飲んでそのまま搭乗口に向かった。
サンパウロまでは11時間。夜行便だが日本の時間感覚だと昼間のフライトになるので全く眠れない。こればかりはひたすら我慢するしかない。音楽を聴いて時間が過ぎるのを待った。 -
【3月20日(金)】
翌朝、9時前に朝食が配られた。とはいえカステラとヨーグルトにコーヒーというおやつみたいな朝食だ。中南米路線のサービスが手を抜かれているのは仕方ない。
窓の外はサンパウロの高層ビルが広がっている。定刻通り10時にグアルーリョス国際空港に到着した。入国審査は行列もなくフレンドリーな案内人がいたりとブラジルに対する好印象は今回も変わらなさそうだ。 -
前回使い残したブラジルレアルが少しあるので市内へこのまま出ることができる。ロッカーに荷物を預けバスで町へ出ることにした。空港バスは高いので地下鉄タツアッペ駅へ向かう市バスに乗ることになる。
観光客もこのバスを利用する人は多く、本数が多いのでいつものように混雑は激しい。1時間弱で地下鉄駅に到着。一度レプブリカ広場に出ることにした。
この界隈は両替商が多いので旅の基本となる両替と最新の両替レートを把握しておきたい。昨年5月に来たときは1ドルが1.6レアルだったが、今回はレアルが2.2まで下落している。一昨年が2.1だったのでその水準まで下落していることになる。ここまで利用した交通機関は値上げはされていないようなので今回は昨年に比べかなり安く旅行できそうな感じだ。 -
時間があるので今回は移民博物館へ行ってみることにした。ブラッセル駅から路面電車の軌道が博物館に延びている。日曜は観光用に路面電車が走っているようだが今日は徒歩で向かうことになる。
写真は休日に運行される路面電車。 -
博物館は国鉄の線路沿いにあり、かつての移民収容所の建物を利用している。世界中からやってきた移民はサンパウロ南部にあるサントスという港町に到着し、この収容所まで列車で運ばれここに到着した。サントスからサンパウロまでは山岳地帯を走り抜ける鉄道が通っていたが今では廃線になっている。でも当時使用されていた蒸気機関車の復元モデルが観光用に博物館周辺を走っているようだ。
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収容所に到着した移民たちはここでここで衛生検査を受けたり、行き先が決まるまで収容されたりしてた。その当時の写真や移民の流れなどが展示され日本ももちろん重要な地位を占めている。
夕方6時には空港へ向かった。夕方の空港バスは混雑が激しかったがなんとか座れた。睡眠不足が限界なので空港までの1時間は居眠りでき少し楽になった。荷物を受け取り成田空港で発券されたTAM航空(サンパウロ~フォルタレーザ)の搭乗券で搭乗口へ向かおうとするとストップがかかった。予想通り搭乗券を発券し直さなくてはならないようだ。並ぶ羽目になった。
フォルタレーザ行きの便は20時45発。所要時間は3時間だ。昨年のマナウス同様深夜の到着になる。時差ボケのせいで着ないでは終始居眠り状態だ。一応サンドウィッチの軽食が出た。
日本を出て一度も宿に泊らないまま43時間がすぎ、やっと最終目的地のフォルタレーザに着陸態勢に入った。これで飛行機の移動は終了だ。
【3月21日(土)】
フォルタレーザ空港に到着したのは深夜0時5分。このまま町へ出ることも考えたが、どうせ眠ることはできたい。そんなわけで昨年のマナウス同様空港で朝を待つことにした。
5時にタクシーで長距離バスターミナルへ向かった。5時過ぎのバスターミナルに到着したが、すでに人がたくさんいて早朝出発のバス会社の窓口はオープンしていた。
今回の旅の最初の目的地はカノア・ケブラーダというビーチだ。フォルタレーザをちょうど6時に出発するバスがある。カノア・ケブラーダまでは3時間半かかる。 -
カノア・ケブラーダに到着したバス。
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カノア・ケブラーダも砂丘と白いビーチが広がる。
ここでは砂丘をバギーで走り回るのが最大のアトラクションだ。昨年行ったバヘリーニャスのように砂丘と湖が広がるこの地域独特の絶景が眺められる。 -
午後一人のブラジル人の観光客とバギーをシェアできることになった。バギーはビーチや砂丘を走り回りる1時間の行程だ。
急勾配の砂丘を滑り降り、砂にタイヤを取られながら砂丘を猛スピードで走りぬける。かなりスリリングで危なっかしい。至る所に小さな湖もあり景色もすばらしい。 -
バヘリーニャスのように大きな湖はないが、青い空に白い砂丘だけでも絶景だ。
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時差ボケが頂点に達するこの時間帯、この激しいバギートリップで一気に目が覚めて感じだ。ブラジル到着翌日から派手に動き回ってしまった。
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【3月22日(日)】
今日はナタルへ移動する。
カノア・ケブラーダの最寄りの都市であるアラカチからナタルへ行くバスが出ている。ミニバスで向かった。ミニバスで向かった。 -
ナタル行きはフォルタレーザから来たバスだ。ナタルまでは6時間以上かかる。でも到着したバスはゆったりしたバスだったので移動は苦にならない。
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ナタルに到着したのは午後2時過ぎだ。市バスでセントロを経て観光客でにぎわうアルチスタス海岸までやってきた。
海岸沿いの宿に宿泊することにした。1泊40レアル(1700円)。
アルチスタス海岸はこじんまりとしているがリゾートマンションなども建っていて雰囲気はいい。しかし風が強くジメっとした風が顔に吹き付ける。不快指数はかなり高い。また今日一日太陽を見ることはなかった。ナタルは年間日照日数が300日を超える太陽の都市だが雨季の今はさすがにそうもいかないようだ。逆に雲に覆われたナタルと言うのも珍しくていいかもしれない。 -
掃除をしていた女性。
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海は大荒れで海岸沿いの遊歩道もあまりリラックスできる雰囲気ではない。日が暮れても風はやむ気配はない。ライトアップされたビーチと空の色はきれいだ。
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アルチスタスビーチの一番安そうな店で食べた夕食のステーキ。400円ほど。
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【3月23日(月)】
今日は日差しはあるものの、昨日同様、海から湿った強風が吹き付ける天候に変化はない。地形的か季節的なのか。こんなに風が強いと連泊はしたくないので午後には次の目的地レシフェへ移動だ。
バスでナタル最大の見所「ポンタ・ネグラ海岸の砂丘を見に行った。ブラジルで砂丘の街といえばナタルであり、ナタルでもっとも有名な砂丘がこのポンタ・ネグラ海岸だ。しかし行ってガッカリだった。あまりにもしょぼすぎる。しょぼすぎて砂丘にはロープが張ってあり、立ち入り禁止になっていた。これがあの有名なナタルの砂丘か。もちろん周辺にはたくさん砂丘はあるがナタルを代表する観光スポットがここなのに。 -
おそらく南から旅行してきてはじめて砂丘を見られるのはナタルなので、そのときはこの砂丘を見て感激するのかもしれない。しかし北から移動してきた僕はたくさんのすばらしい砂丘を見てきて目が肥えてしまっていた。そんな中たどり着いたのがナタルだが、期待はずれに終わってしまった。一応ナタルにも来たということで観光終了だ。
ナタルではポンテネグラ海岸の砂丘よりもハイカラな高層ビル群に圧倒され、こちらの方が見応えがあり驚いた。ナタルは南米大陸の先っちょにある小さな観光の街かと思っていたが大都会だったのだ。
午後1時のレシフェ行きバスに乗り込んだ。レシフェまでは4時間だ。
レシフェに到着したことには日が暮れていた。バスターミナルからはメトロが出ているので簡単にレシフェのセントロへ出ることができる。メトロで30分ほどで終点のレシフェ・セントラル駅に到着した。ずいぶん立派で巨大な駅だ。メトロのセントラル駅はかつてのローカル列車を近郊型電車に改良したものらしい。
セントラル駅に到着したものの、さすがに日が暮れたセントロを歩くのは勇気がいる。目的の宿までは1キロほどだがタクシーを利用することにした。案の定ホテル周辺は店のシャッターがすべており、誰も歩いていない状態だったのでタクシーは正解だった。 -
ナタルではポンテネグラ海岸の砂丘よりもハイカラな高層ビル群に圧倒され、こちらの方が見応えがあり驚いた。ナタルは南米大陸の先っちょにある小さな観光の街かと思っていたが大都会だったのだ。
午後1時のレシフェ行きバスに乗り込んだ。レシフェまでは4時間だ。
レシフェに到着したことには日が暮れていた。バスターミナルからはメトロが出ているので簡単にレシフェのセントロへ出ることができる。メトロで30分ほどで終点のレシフェ・セントラル駅に到着した。ずいぶん立派で巨大な駅だ。メトロのセントラル駅はかつてのローカル列車を近郊型電車に改良したものらしい。
セントラル駅に到着したものの、さすがに日が暮れたセントロを歩くのは勇気がいる。目的の宿までは1キロほどだがタクシーを利用することにした。案の定ホテル周辺は店のシャッターがすべており、誰も歩いていない状態だったのでタクシーは正解だった。 レシフェの宿泊先はホテルセントラル。歴史を感じるコロニアル調の建物だが、壁の色が塗り替えられ外観は新しい。値段は1泊50レアル(2000円)と安く、ホテルのスタッフは他の場所同様フレンドリーで居心地が良さそうだ。
このホテルはエレベーターがかなりアンティークで素人の宿泊客には操作ができず、毎回専属のエレベーター係に操作してもらう。ずいぶん手間がかかるが毎回スタッフは嫌な顔ひとつせず宿泊階のフロアへ迎えに来てくれる。 -
レシフェの宿泊先はホテルセントラル。歴史を感じるコロニアル調の建物だが、壁の色が塗り替えられ外観は新しい。値段は1泊50レアル(2000円)と安く、ホテルのスタッフは他の場所同様フレンドリーで居心地が良さそうだ。
このホテルはエレベーターがかなりアンティークで素人の宿泊客には操作ができず、毎回専属のエレベーター係に操作してもらう。ずいぶん手間がかかるが毎回スタッフは嫌な顔ひとつせず宿泊階のフロアへ迎えに来てくれる。 -
ホテルの客室。
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【3月24日(火)】
宿泊先の外観。 -
朝食。
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この日の午前はレシフェに隣接する歴史都市オリンダの街を観光した。オランダが築いた街で家々はカラフルなのが特徴だ。
オリンダから眺めるレシフェの摩天楼が爽快だ。 -
オリンダで個人的に興味を持っている場所はリベラル市場だ。かつて奴隷貿易の際、この市場で奴隷を売買されていたというおぞましい場所だが今では土産物を売る店が並んだいる。
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しかし土産物屋が売られている部屋はかつて奴隷が売られるまで閉じもめられていた場所だ。奴隷の怨念が残っていそうな場所だが今では色とりどりの土産物が並び明るい雰囲気だ。
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カラフルなオリンダの町並み。
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社会見学に来ていた子供たち。
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バスでレシフェに戻った。市場周辺に古い町並みが残っている。オリンダとは全然雰囲気が違う。
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レシフェのメルカード。
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列車でレシフェのホドビアリアへ向かった。
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この日の午後1時30分のバスで次の目的地マセイオへ向かった。レシフェからマセイオまでは4時間。
パジュサラビーチに宿を取ることにした。 -
夕食は海岸沿いのレストランでシュハスコを食べることにした。今回のブラジル旅行で本格的なシュハスコは初めてだ。いろんな肉が運ばれてくるが客があまりいないので僕しか食べてない感じだ。
あまり食べ過ぎるのも問題だが、これで1000円以下なのだから今のブラジルの物価は安い。 -
【3月25日(水)〜26日(木)】
朝から海岸を散策し、遙か向こうまで一通り歩いた。他のブラジルのリゾート都市同様、朝から海岸の遊歩道はランニングする人が行き来会う。マセイオはこれといった高級ホテルもなく全体的にのんびりした感じだ。 -
セントロへ歩いてみた。
マセイオの中心部はカテドラルや教会などが並び、ショッピング街は歩行者天国になっている。しかし暑い。歩行者天国のベンチは日差しを遮るものが何もないので座ることもままならない。
駅前のフルーツの露店。 -
セントロのカテドラル。
今の持ち金が底をつきかけているので現金を下ろしたい。しかしここまでの旅行で最大のピンチがやってきた。ATMがカードを読みとらないのだ。この界隈でドルを換金できるのはホテルで可能かもしれないが、銀行となると探すのが大変だ。
パジュサラ海岸ではクレジットのキャッシングはこのスーパーでしかできない。途方に暮れながら3回くらい機械に通していると認識したようだ。助かった。
帰国までの大金を手にしたのでもう安心だ。
そのまま宿に戻ったら疲れがどっと出た。連日の35度以上の気温の中、ナタル、レシフェと常に歩き回っていた。今日も朝から歩きっぱなしだ。ATMでお金がおろせて安心したこともあり、一気に疲れがでた感じだ。実は今日は朝から下痢で昼は食欲がなかった。体が不調気味なのはわかっていたが、それにもかかわらず水も飲まないで十キロ以上歩いてしまったのがいけなかった。熱中症というやつだろうか。
部屋に戻ったあと身動きが取れなくなってしまった。幻覚が見える。とにかく何もできない状態になった。一人旅だとこの状況は辛い。
でも翌朝には復活した。下痢はバナナとリンゴでしばらく我慢すれば治る。
今夜のバスで最終目的地サルバドールへ向かうのでそれまでもう少しゆっくりしよう。
朝からビーチでくつろいだ。 -
バスでマセイオを出発。
【3月27日(金)】
サルバドールには深夜3時半に到着した。明日のフォルタレーザ行きのチケットを買いたいが、バス会社の窓口が閉まっているので昼に改めてここに来なくてはならない。さすがにこの時間、宿へ向かうと2泊分取られる可能性があるので5時過ぎまでバスターミナルのベンチで夜を明かした。
5時過ぎ空も明るくなりだし宿へ向かった。バスターミナルからセントロまでは予想以上に遠かった。サルバドールの街の規模が大きいことの現われか。片側3車線以上の道路をくねくねは走り、全く自分の場所が把握できない。そんな中スムーズに目的の「ホテルサンジョセ」前に停車した。ホテル周辺は早朝で全てシャッターが下りていて誰も歩いておらず、路上生活者しかいない場所だ。危険な雰囲気だが、タクシーを降りると同時にホテルのスタッフが迎えに来てくれた。ホテルはエアコンなしの安宿だがスタッフは感じが良く、1泊しかしないが快適に過ごせそうだ。 -
写真がサルバドールで滞在した「ホテル・サンジョゼ」。日中は周辺に露店が出て賑やかだ。
サルバドールにいるのはアフリカ人とインディオまたは白人の混血がほとんど。まさに人種のるつぼ。差別など存在しないのだろうが、東アジア系は全くいないので逆にこちらが差別される。とはいえ多少注目される程度で指を指されるなど他の中南米諸国のようなことはない。 -
サルバドールのセントロは丘の上にあるので隣接する港とはエレベーターとケーブルカーで結ばれている。かなりの高低差がある。これらの交通機関は市民の生命線なので安い値段設定で1回1センターボ(2円)だ。港周辺には土産物屋の市場があり観光客が多い。しかし海は異臭が満ち汚い。
柱のみたいなのがエレベーター。 -
こちらはケーブルカー。
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下から見たエレベーター
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旧市街の歴史地区はサンルイスやオリンダ同様きれいに整備されている。
サルバドールはブラジルで一番治安が悪いと言われるが、観光エリアから1本道路をはずれると路上生活者が歩道に寝ころび当たり前のように物乞いに手を出される。昼間でこの状態なので夜はとてもじゃないが歩きたくない。
でも今ではいきなり撃たれたりすることもなく、治安が良くなったとのことだ。 -
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【3月28日(土)】
午前中はバーハ要塞の方へはまだ行ってなかったので歩いて向かった。
坂道を下る道が多いので歩くのは容易だ。街路樹の整備された高級マンションの建ち並ぶエリアを南へ進み、やがてサンタマリア要塞が見えてきた。そこからビーチが広がりその先にバーハ要塞が見える。 -
バーハ海岸のビーチ
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このエリアはサルバドールの一番身近なリゾート地で海水浴客でにぎわっている。海岸沿いにはおしゃれなレストランやペンションなども多い。
路上では停められた車の上にバイーア人形を並べて売られていた。 -
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夕方タクシーでバスターミナル(ホドビアリア)へ向かった。
タクシーは昼間なので安いかと思ったが、深夜と同じ値段だった。
時間があるので一旦荷物を預けることにした。そしてバスターミナル前にあるイグナチム・ショッピングモールへ行くことにした。ここなら涼しい。しかし日曜日ということでモールの中は大混雑だ。涼しいはずだが暑苦しく感じる。そんな中本屋や服屋などをぶらぶらし、夕食はフード事の日本食もどきの寿司屋で食べることにした。ヘンテコな海苔巻きとか味が違うし、チーズ巻きなどあったり、一番まともなのはサーモンのにぎりだけだった。でも値段は10レアル(450円)と一般的なファーストフードより安かった。
フォルタレーザ行きのバスは20時出発だが、1時間前には改札に入り、乗場前のベンチでバスを待つことにした。フォルタレーザまでは「ITAPEMIRIM」という会社だ。
ブラジルで一番利用回数が多く、一番安心できる会社でもある。拠点はリオデジャネイロなのかよくわからないが、サルバドールを起点にもたくさん路線を持っている。
20時にはフォルタレーザ行きのバスは出発した。それほど混雑していないようで隣の席には誰も座ってこない。バスはゴールデンというクラスでかなりシートピッチが広く、水平とまでは行かないが飛行機のビジネスクラスくらいゆったいしている。これならフォルタレーザまでの20時間も快適だ。
昨年5月のバスは50時間以上乗ったが、あまり快適とはいえないバスだったのに値段は高かった。そう考えるとこのバスはありがたい。
バスはフェイラ・デ・サンタナを経てここからは昨年5月に利用したルートとしばらくかぶる感じだ。途中のドライブインやバスターミナルには見覚えのある場所も多い。この日はレストランで食事をすることもなく眠りについた。 -
【3月29日(日)】
朝はパンとコーヒーですませた。
フォルタレーザへ向かうバス。 -
ゴールデンの座席はかなりリクライニングを倒せる。
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昼はセルフのビュッフェを食べることになった。田舎のドライブインだがシュハスコのブースもあり他のバスの乗客も入り乱れて大繁盛していた。
そのままバスは一路フォルタレーザへ。フォルタレーザの天気は雨だと天気予報で確認していた。最初フォルタレーザに早く戻って周辺の砂丘などを観光しようと思っていた。でも雨なら無理だ。そんなわけでフォルタレーザ到着を出発前日まで遅らせたのだ。
ずっとガンガン照りだったのが案の定フォルタレーザに近づくにつれ、厚い雲におおわれ雨が降り出した。でもバスターミナルに到着するころには曇り空になっていた。 -
夕方5時半にフォルタレーザのバスターミナルに到着した。21日以来9日ぶりに戻ってきたことになる。
気温は30度を下回っているのではるか南のサルバドールより涼しく感じる。
バスでセントロかビーチに出ようとしたが日曜で本数も少なそうな感じでスムーズに宿まで行けるとは思えない。結局タクシーでビーチの安宿に向かった。目的の快適な宿にダイレクトに到着。日は暮れてしまった。
フォルタレーザで泊る宿は「ポサーダ・ニーニョ・ドゥ・ペリカン」。エアコンやテレビはどうでもいいが部屋の窓から海が見えるのが気に入った。一応バルコニーのようになっている。また周辺の迫りくる高層ビル群の眺めもすばらしい。絶好のロケーションで60レアル(2700円)は安い。雨が多いオフシーズンだからだろう。
日曜の夕方ということでビーチ沿いの遊歩道は家族連れでにぎわっている。子供たちも遊び回っているところを見るとフォルタレーザは案外治安がいいのではと思ったりする。
夕食はエビを食べたがフライにされていて量が多いだけで味はいまいち。グリルという表示にだまされた。失敗。
今日一日バスの中にいて体力的な疲れはないが、移動の疲れはあるので早く寝ることにした。 -
【3月30日(月)】
事実上、旅行最終日だ。航空券の乗り継ぎの関係で今夜リオデジャネイロにも立ち寄るが、帰国の航空券はフォルタレーザからになる。
フォルタレーザは連日雨かと思っていたが、午前中は雲が多いものの強い日差しが照りつけ、真夏の気候だ。しかし風が強くて波は荒く、平日の朝ということもあり海水浴をしている人はほとんどいない。 -
セントロへも行ってみた。街は碁盤の目に整備され歩きやすい。
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宿泊した海岸沿いの宿。
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5時半のTAM航空でリオデジャネイロに向かった。一応ユナイテッド航空の共同運行便だが、往路同様ユナイテッド航空の表示は一切にない。乗り継ぎの不便さもあり得ない組み合わせだし意味がわからない。リオデジャネイロまでは所要3時間半。
午後9時にリオデジャネイロ・ガレオン国際空港に到着した。バスで市内へ向かった。
夜9時を過ぎ、市内の道路は終始空いていてあっという間にセントロを通過し40分ほどでコパカバーナに到着した。今
回リオの宿は予約してある。かなりイパネマ寄りの一角でバスを下ろしてもらった。
コパカバーナとはいえ夜は治安が悪い。バスを下りたら物乞いが待っていた。命に関わることはないだろうが気を張ってしまう。ビーチロード沿いはまだレストランなども営業しているが所々暗い箇所もあり、そこを歩いて通過するのは神経を使う。
今回は新たな宿を開拓することにし、同じくユースホステルだが日本で予約できたのが大きな理由だ。しかし予約してあるといっても正確な場所はわからず、何となくの場所と住所しか知らない。最初バスを降りてからタクシーに乗り換えて案内してもらおうと思っていたが、結局近くまで来ているようなのでそうすることはなく歩いて探すことになった。そこら中に物乞いがいて少し怖いが、なんとはホステルを発見できた。ビルの中に埋もれた真新しいコじゃれた外観で以前に前を通りかかったとき気になった建物だ。
フロントは新しく、1階はインターネットカフェになっていた。フロントは一応フレンドリーな対応で英語を話す。値段は45レアル(2000円)で少し高めだが、室内はエアコンが効いていて、シャワーは各フロアに共同の場所がある。同室宿の宿泊客は僕以外誰もおらず、貸し切り状態だ。
夜食は隣に24時間営業のデリがあり便利だ。 -
【3月31日(火)】
ホステルは12時までにチェックアウトをしなくてはならないが、それまで海岸通りを散歩してみた。今日の天気は曇りで気温は30度を下回っている。リオはもう秋の気配を感じる。
コパカバーナビーチ。 -
12時にチェックアウトし、荷物は一旦預かってもらった。宿泊したコパホステル。
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いつの間にか雨が降り出し、ぱっとしない天気だ。外を歩きたい気分ではないのでリオで有数のショッピングセンターである「リオ・スール」へ行ってみた。かつて盗まれたカメラを買いに訪れて以来14年ぶりだ。あの時はブラジルには本当に物がないなと思わされた寂しいモールだった。しかし今回訪れたら建物そのものが変わっていて、ブランド品のテナントも入る今風の巨大なショッピングモールになっていた。
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夕方バスで空港へ向かった。リオデジャネイロからの出発は18時20分だ。ユナイテッド航空のほとんどの乗客はサンパウロから乗ってくるので全体的に空いていて全ての手続きはスムーズだ。
ガラガラの状態でサンパウロへ向かった。サンパウロまでの飛行時間は1時間弱。サンパウロでは全員飛行機から降りることになる。この飛行機はワシントン行きだがサンパウロでリオデジャネイロからシカゴ行きにも乗り継げるようにもなっている。
サンパウロで3時間ほど待ち、22時過ぎワシントンに向け再び離陸した。 -
【4月1日〜2日】
朝6時過ぎにワシントン・ダレス国際空港に到着した。海外からの到着便が集中するがアメリカ人が多いようで珍しくビジターレーンはほとんど列ができていなかった。荷物検査を済ませ、出発ロビーへ上がった。
ユナイテッド航空のバブ空港として利用頻度が多いワシントン・ダレス国際空港だが、最初この空港に来たとき設備はいまいちであまり乗り継ぎに使いたくないなと思って。でもその後アメリカのいろいろな空港を見ていると、ターミナル間をモービルが走り回り、のんびりした雰囲気で慌ただしさがないこの空港がなに気に一番落ち着く気がする。
シアトル行きの便までは2時間でほとんどラウンジでくつろぐ暇がないがそれくらいがちょうどいい。シアトル行きの出発は8時半だ。シアトルまでは5時間半。乗り継ぎを増やし、少しずつ西へ向かうのが気分的に楽なのではと思った結果が今回のルート設定だ。
ワシントンから東京へ向かう日本人はみんなノンストップ便を利用するだろう。案の定シアトルへ向かう日本人など誰もいない。
しかしシアトルまでの5時間半。アメリカの国内線は時間が長く感じる。距離的には東京からバンコクに行くより長いのにA320の狭い機体で機内食も8ドルで販売され(買わなかったが)、トイレに行くのもままならない。これならワシントンから大型機の通路側で東京へ一気に向かった方が楽だったと感じた。ただ今回は初めての空港であるシアトルに立ち寄るのでそれなりに意味はある。
現地時間11時過ぎにシアトル空港に到着した。
シアトルは初めてだ。この近くにポートランドという町があるがそこには以前デルタ航空で経由したことがある。しかしシアトルは着陸直前まで地上が見えないような雲に覆われていた。雨が降りしきり、気温も低く今にも雪に変わろうかという天候だ。
せっかくなのでシャトルに乗ってメインターミナルに出てみた。シアトルの空港シャトルの特徴は英語と唯一外国語として日本語で放送案内されることた。日本から一番近いアメリカ本土の土地柄か、それともイチローのおかげか。
シャトルでメインターミナルへ出たが何もない。再び戻るのに長蛇の荷物検査を受けなくてはならず、到着ロビーに出たのは無駄足だった。
東京行きの出発までそれほど時間はないが、レッドカーペットラウンジに入ることにした。
東京行きは12時52分発。所要時間は11時間強だがアメリカ本土からの最短時間だ。
翌日午後5時に成田国際空港に到着した。
【終わり】
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