2020/10/16 - 2020/10/17
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puricさん
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天橋立や伊根の舟屋が有名な「海の京都」宮津市です。
これまで車や電車で観光地に行く時に、「通過」したことはありましたが、宮津駅周辺はノーチェックでした。
しかし調べてみると、これという観光スポットは無いものの旅館が多くあり、ゆったりと宿泊して滞在するには適した場所っぽい。
さらに魚介類料理が自慢のお宿が多い・・。
思い立ったが吉日、すぐに特急を予約していってきました。
お宿は佇まいが素晴らしい「文人墨客の宿 清輝楼」さん。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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朝食は大阪駅のスタバにて。
-
福知山行の特急「こうのとり」がホームに入ってきました。
puricが以前フォートラベルで伊根に行った日記を書いた頃はまだ国鉄の特急車両が現役で、名前も「北近畿」でした。
もう10年くらい前のお話です(まじか)。 -
この日は雨予報でしたが、いい天気です。
-
武庫川に沿ってガタガタと進み、福知山に到着。
ホームに降り立ったとほぼ同時に、同型の特急「はしだて」(京都発)が入ってきました。
puricはどうも北近畿方面の地理が苦手のようで、城崎温泉(兵庫)と天橋立(京都)が同じ場所にあるような印象を持ってる自分に今回の旅で気づきました。
大阪発北近畿方面の特急はみんな丹後半島方面に行くと思い込んでいたようです。
昔は特急「タンゴエクスプローラー」を使えば大阪から福知山を経て宮津のほうまで直行できた(今は廃止)から、余計に混乱してしまいます。
さらに言うなら福知山が京都府なのもややこしい…。 -
向かいの「はしだて」に飛び乗ればもっと早く宮津に着けたのですが、今回は色んな電車に乗るのも楽しみだったので、いったん改札を出て京都丹後鉄道に乗り換えます。
なんか名称に違和感があるなと思ったら、そうそう昔は「北近畿タンゴ鉄道」でしたね。 -
切符、久しぶりに買いました。
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福知山からゆっくりゆっくり進んで約1時間、宮津に到着しました。
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以前伊根町に行くために来た時は、宮津駅前からすぐ経ヶ岬方面へいくバスに乗ったので、宮津の町散策は初体験です。
左側から曇りが迫っているので、まずはやめに青空に映える景色を撮っておきたい。 -
駅のそばの島崎公園にきました。
モニュメント「海燕」
うみつばめ?
かいえん?
puricには芸術がわからぬ。
…しかしせっかく海の町なのに、海沿いが人工的なこの公園、ショッピングセンター、道の駅、体育館、野球場などで埋まってしまっている事で、風光明媚さからはややかけ離れた町の印象なのが残念。 -
さっきよりさらに曇りが迫っていますが、なんとか晴れた空と海を見ることができました。
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この先には天橋立が一応見えています(海の先の黒っぽい横線)が、地上からは分かりづらいです。
旅の前に宮津の町について調べていた時、「昔は天橋立が見えたが今は建物がたくさん建って見えない」と書いてる何かを読んで、遠いと思い込んでしまい、今回の行程から外したのですが、これだけ近いなら行けたなー。
予習不足。 -
公園から海沿いの大通りを西へ。
遊郭の風情を残す、なかなか立派な見返り柳が現れました。
今回宮津行きにあたり、手元の遊郭の本などに目を通したものの宮津付近の遊郭については記載がなく、他人様のブログなどをかなり参考にしました。
「桟橋の先に枝垂れ柳越しに見える灯りが本通りに続いている、客引きと思しき女性がぞろぞろと船着場に近寄ってくる(要約)」といった内容の、当時をかなり具体的に想像できる記録もあるようです。
お客の多くは海の方向から来たのか、または天橋立方面か。
近くには常夜灯跡(土台)もありました。 -
「宮津節」の石碑。
♪二度と~行こまい丹後の宮~ぁ津ぅ
縞ぁの財布が空となるぅ
丹後の宮津でピンと出したぁ~♪
という変な歌詞が刻まれています。
「出した」の「し」の部分が意味深に感じてしまうのは私でだけでしょうか。 -
かつての「新浜遊郭」跡
この地域に遊郭が出来たのは江戸時代の終わりごろ、宮津城周辺に点在していた遊女屋を、藩の方針で一か所にまとめたのが始まり。
一時はお座敷の数は60近く、芸妓・娼妓あわせて100人以上いたらしい。 -
この辺りは歌舞練場だったそうです。
宮津街道の始まりの地であり、北前船はじめ商船が行き交う港もある宮津。
海港の地周辺にはだいたい色街がありますが、この界隈は祇園に匹敵する格があり、女性も高い自負を持っていたとか。
鉄道や飛行機の時代の者には海運の時代の活気というのは想像や映画の世界。
かつては大賑わいだったんでしょうね。 -
当時の風情を残す建物もちょいちょい並んでいました。
軒先にはいかにも遊郭テイストな丸い電灯がある家も。 -
それらしき建物には地域の案内看板もあり。
元遊郭エリアって隠したいのか知らせたいのか、残したいのか消し去りたいのか、町はどう思ってるんだろう。 -
また別の看板。
宮津節「丹後の宮津には二度と行かん」という面白い作詞者は不詳だそうですが、歌詞は「丹後縮緬加賀の絹」と続いています。
織物の商人御一行様が行商がてら天橋立などを訪れ、夜はここでめくるめくドラマを繰り広げたのでしょうか。
お座敷のお値段もかなり強気だったそうです。
市街地の祇園と違い、港町にある歓楽街の遊び賃と考えれば遊園地で買う自販機のジュースのごとく、高額になるのかも。
歌詞のようにピンと出したら財布が空になってた!
二度と行くか!と口では悪態をつきつつ、柳の木を何度も振り返っていたのだろう。 -
この先お色気たっぷりストリートですといわんばかりの「ピンと祭り」の行灯が。
インパクト強めワードですが、この「ピン」が何を指してるのかは不明だそうです。
何でもかんでも白日のもとに晒せばいいと言うものでは無い。 -
味わい深い路地はけしからんお店ではなく、スナックや飲食店が並んでいました。
昔はもっとギュッとお店が詰まっていて、各店思い思いのネオンが怪しく路地を照らしていたのかしら。 -
他にも路地に面したスナックロードはいくつかありました。
営業しているのかは不明。
ここは「浮世小路」というみたい。
かつての大大坂・船場にある「浮世小路」は二号さん宅が並んでいたというが、ここいらは果たして。 -
鑑札「お茶屋」
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「カフエー」もあった。
おおおー!と思わず声が出た。 -
白とピンクのコントラストに色っぽさが漂うバアっぽい店舗ですが、看板は外れていて使われていないっぽい。
この日この辺り歩いていて一番多く出会ったのが工事現場の人でした。
空き店舗も多かったし、取り壊されてる家もありました。
少しずつ町の面影は消えていくのかも。 -
いい外観のお店「駅馬車」
純喫茶かと思ったけど玄関には「18歳以下禁止」とあるのでバアかな。 -
素敵な洋館もあり。
眼科です。 -
町を離れて周辺の神社なども回ってみました。
丹後は現在の大河ドラマ主人公である明智光秀の娘・細川ガラシャと関係がある地のため、あちこちに「麒麟がくる」のポスターやのぼりがありました。
ここは小さな運動場の先にあった小さな神社(?)
地図にも名前が無く、手入れもあまりされていない様子でした。
地図にない不思議な空間に迷いこんで、偶然出会った不思議な生き物が実は神様で、私の人生に奇跡を起こす・・・などとアホみたいな事を考えながら、地面に生えたキノコの写真を撮っていた。 -
薄紅のコスモスが秋の日の何気ないひだまりに揺れていました。
この頃涙脆くなった…
さて、そろそろ投宿。 -
宿の前に海沿いの道の駅「宮津まごころ市」へ
お土産屋ですが地元のお米や野菜、魚なども買えます。
日記には書いていませんが、前日は大阪駅前のホテルに前乗りしており、GOTOキャンペーンのクーポンをゲットしておりました。
対象のお店なら何でも1000円引き。
しかし有効期限が1日しか無いため、なんとか今日が終わる前にどこかで買い物をしなければ!
とプレッシャーを感じて飛び込んだお店でしたが、調子に乗ってあれこれ買い込んでしまい、結局5000円くらい使ってしまった。
クソー! -
今日のお宿「文人墨客の宿 清輝楼」です。
宿の敷地内?においなりさん(福寿稲荷神社)がある古い旅館。
写真の空が突然晴れたのは、晴れてる間に宿の写真をと先に足を運んで撮った写真だからです。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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有形文化財に登録されているこのお宿が出来たのは1600年後半。
創業から300年くらい経っている老舗です。
前から泊まりたかったお宿の1つで、10年以上を経て夢が叶いました。
若かりしpuricは魚が苦手だったので魚介が自慢の地は避けていましたが、今はむしろ肉より好きなので、ここしか無い!と思ったのです。
この界隈には旅館が大変多いのですが、「茶六本館」という旅館があって、そちらもかなり古い和風建築が重要文化財となっています。
GOTOで客足が増えたせいか、前より1人OKのお宿が減りがちなこの秋。
ソーシャルディスタンスというならおひとり様を優遇すべきだ!
そうだろう!文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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お部屋。
遊里の雰囲気漂う地での投宿、部屋に敷かれた布団、ついぞ男女が連れ添って入る昔の料理屋(鍵付き個室)だか温泉マークだか、そういうもんを想像してしまうpuricでした。
ちなみにこの宿はもとから普通の高級旅館で、妓楼ではありません。
布団を敷いてくれてるのは有難い。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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お部屋。
歩くとあちこちギシギシいうし、照明は暗いし、畳も古くて歩くとへこむし、電気のスイッチは古い。
すべてがいい感じ。
でも新しいものと今風なサービスしか好きじゃない人にはちょっと不満があるかもしれない。
それが予約サイトのクチコミに表れていました。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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旅装をといて、さっき「まごころ市」で買ったお土産を確認します。
オイルサーディン、ホタルイカの缶詰、生姜パウダー、お塩(梅味)。
インスタントのカレー焼きそばが楽しみ。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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puricの部屋は1階ですが、こんな素敵建築は上から下までじっくり見たい!
見るしかない!
という事で、案内していただきました。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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3階
廊下の窓からは天橋立が見えました。
今の海岸線は海を埋め立ててできたものらしく、昔はもっと海が近かったと思われるので、海のそばに建つ見事な旅館だったと思います。
夕暮れ時に船に乗りこんで宮津に着き、桟橋を降りたってみれば、遊郭のネオンに立派な旅館、「千と千尋の神隠し」みたいな感じかなー文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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3階は大広間が2つあります。
テーブルがあるのはたまたまで、おそらく団体客などの宴会場になってるのだと思います。
廊下の奥にはカラオケの機材がありました。
部屋のみどころは襖絵。
ここは「文人墨客の宿」の名の通り、これまで多くの文人墨客が訪れて作品を残していったそうです。
この部屋は1月から12月までの季節の襖絵にぐるりと覆われています。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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もう一つの部屋の襖絵は色んな書体で書かれた書画。
そして二つの部屋とも、高い格子天井がお見事です。
そのほか、床の間にはお皿は火鉢など、高級そうな調度品のようなものも飾られていました。
3階に大広間がある理由は、最上階で柱が少なくて済むため部屋が広く取れること、また最高の景色でおもてなしをという意図があると説明書に書いてあった。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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2階の廊下
与謝公海図
丹後半島先端の経ヶ岬から天橋立までをずらーっと描いた絵巻物です。
2階はここ以外客室なので入ることができませんが、客室も見たかったなあ・・・文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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素敵旅館にいると時間がもったいない、忙しい忙しい。
次はお風呂。
宮津には温泉がありますが、ここは効能などが書いてないので温泉では無いみたい。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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お風呂横にあるボイラー室のドアノブが素敵。
文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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お風呂のあとは、これもまごころ市で買ったお米のサイダーです。
お米成分が沈殿していますが、サイダーなのでうっかり振ってはいけません。
カルピスみたいな味。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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一息ついたら夕食です。
まずビール!
部屋食ではないけど、館内の別の客室に設置されたテーブルでいただきます。
部屋にはテレビがあるのでBSで「ソフトバンク対楽天」の中継を見ていたのですが、ここでも上で書いた「北近畿の兵庫・京都の位置関係が混乱している」という脳内のアホが発動しており「何でサンテレビが映らないの?兵庫なのに!」と混乱しました。
ちなみに阪神の糸井嘉男はこの近くの宮津高校の出身。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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前菜。
オイルサーディン、生ハム、かまぼこ
オイルサーディンは最近よく居酒屋で頼みますが、長い間食わず嫌いでした。
チャレンジしない人生は損ばかりだ。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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おつくり。
ヤリイカとカンパチと・・・何だったかしらん。
さすが海の町、ぷりんぷりんでした。
特にヤリイカがもっちもちで美味しかった。
こんなもちもち美味しいイカの刺身ってあまり巡り合わないわ・・・
この他には酢の物、魚のお鍋、揚げ物などがつきます。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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さて、ここで旅行記を振り返っていただくとわかりますが、朝のキッシュから夕食まで何も食べていません。
空腹すぎて、かなり食べるペースが速くなってしまいました。
早食いが過ぎてビールとつまみの消費ペースを誤ってしまい、最後は天ぷらのエビのしっぽやお刺身のつまの寒天みたいなやつをチビチビかじりながら、美味しい時間を堪能。
さらにご飯がおいしくて、このあとお櫃一杯分のごはんを平らげてしまいました。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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旅の食事は食べすぎるくらいが丁度いい。
大満足で部屋に戻ったらお茶でいっぷくし、今夜見るドラマ「24ジャパン」に備えて1話目を見返しつつ、別の端末で甲子園の中継を目で追って過ごしました。
日中は暖かかったのですが夜になると冷えてきて、暖房をONしました。
天気予報によると、翌日は12月並に寒いとさかんに騒いでいて不安。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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もう一度お風呂をいただいて、「24ジャパン」を見て寝た。
文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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朝。
目覚めて、お風呂をもう一度頂いたあとに朝食。
夕食もそうだったのですが汁物の味付けがかなり濃いので、ご飯がとにかく進むのです。
さらに温泉卵、アジ、ノリ、豆腐、漬物、つくだ煮など全て美味しくて、ここでもお櫃一杯分のご飯を食べてしまった。
どうした私の胃袋…穴でも空いてるのかしらん。文人墨客の宿 清輝楼 宿・ホテル
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チェックアウト。
ここでもGOTOキャンペーンのチケットを貰ったんですが、お部屋の清算金に使えたので有難かった。
建物もいいし料理は美味しいし、来てよかった!
今度は鰤の時期に来て鰤しゃぶを食べたい。
いや絶対食べる!
さて、前日から天気が悪くなっていましたが、朝からあいにくの雨でした。
しかし幸いなのは、前日の天気予報で強調されていた寒さがそれほどでも無いこと。
宮津駅から西舞鶴に向かう。 -
西舞鶴駅につきました。
赤レンガ倉庫や軍港があるのは東舞鶴ですが、京都丹後鉄道の路線が西舞鶴までしか通っておらず、ここが終点です。
時間があれば由良川橋梁をじっくり見たかった・・・でも渡るだけで我慢。
帰りの特急の兼ね合いもあり、東舞鶴までは足を伸ばせず西舞鶴での滞在可能時間は約40分。
何をするのか? -
朝代(あさしろ)遊郭跡を見に来ました。
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傘がなくても何とかなる程度の超小雨。
あまり時間が無い中で追われるように街歩きをするのはどうかと迷いましたが、駅から徒歩10分もしない立地なので、小降りの雨の中速足でなんとかたどり着きました。
やるといったらやるのだ。 -
ここ!
瓢箪のある素敵玄関。 -
ここも街並みをあれこれ載せるのは控えるとして、もう一つ気に入ったのがここ。
飾り窓が良い。 -
鍾馗さんもいた。
ここで旅は終わり。
あと10分ほどしか無いので、また大急ぎで西舞鶴駅に戻りました。
割と大きい旅館もあったので、今度はここに泊まって東舞鶴に行くのもいいなあ… -
帰りのルートに舞鶴を選んだのはこの特急「まいづる」に乗りたかったからです。
-
「まいづる(丹後の海車両)」の外観。
見てくださいこの素敵フォルム・・・昔の「タンゴディスカバリー」の車両なんですが、同じとは思えないほどきれいでしょう。
JR九州の「ななつ星」などのデザイナーさん作だそうです。 -
遊里ををめぐる静かな旅でした。
「こうのとり」に乗りたかった。
「清輝楼」さんに泊まりたかった。
今回はこれら2つの夢が叶いました。
再見
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