2020/08/04 - 2020/08/06
9位(同エリア99件中)
xiaomaiさん
- xiaomaiさんTOP
- 旅行記406冊
- クチコミ458件
- Q&A回答3件
- 615,637アクセス
- フォロワー59人
2020年3月に澎湖に行って以来、台湾本島以外にも強い興味を抱くようになった。今夏は海外旅行はもちろん、一時帰国もできないから、友人を誘って、中国大陸から至近の距離に位置する馬祖へ行ってきた。澎湖同様、予想以上におもしろいところだった。
1日目:
金板境天后宮、鐵堡、北海坑道、大漢據點、印地安人頭岩、勝天公園、媽祖巨神像、馬祖境天后宮
PR
-
台北松山空港立栄航空自動チェックインカウンター。外国人はこれが利用できず、カウンターで手続きをする。
-
国内線ロビーには多くの人たちがいた。
-
それに対し、国際線はキャンセルの表示のみ。
-
立栄航空8757便
-
B7は後ろから搭乗するから、後部席をリクエストしておいた。
-
預けた荷物は操縦室の後部に。
-
B7だとタイヤはこの程度の大きさ。
-
オンタイムで出発。
-
台北としばしの別れ。
-
飲み物のサービスあり。旅行好きな台湾人、新型コロナウィルスの世界的蔓延のため、今夏は海外へは行けないものの、国内対策は功を奏していて、台湾内での旅行は可能。特に本島以外の島への旅に人気が集中していて、搭乗した便も満席だった。
-
馬祖北竿島。右端に坂里砂浜、中央左寄りに北竿白沙港。
-
北竿島を右に見ながら通過し、無事、馬祖南竿空港に到着。
-
中華人民共和国までは15km程度。空港名の下の中華民国国旗が勇ましい。
-
南竿空港待合室。旅を終え、台湾本島へ戻る旅客でいっぱい。
-
ホテルが手配してくれていたタクシーで、まずはホテル(日光春和)へ。
-
なかなかおしゃれな雰囲気
-
左の壁に掛けられているものは購入可能。
-
台風が去った翌日だったため、雲が多かったけれど、美しい景色が目前に広がっていた。
-
南竿へ来た人が必ず訪れる大漢據點やインディアン岩が目の前に。
-
さっそくホテルのスクーターをレンタル。ヘルメットの中に衛生対策のための紙が取り付けられていた。このような細かいサービスを提供するホテル。もちろんレインコートもあらかじめ準備されていた(幸い使用することはなかった)。
-
昼食を取るため、ホテルから程近い仁愛集落へ。
-
仁愛路にスクーターを停め、階段を下りていく。
-
この地区の中心通り。
-
碧園菜館
-
入店すると、男の子と女の子がいた。一般家庭に入ってしまった感じ。
-
奥から男性が出てきて、「うちは炒飯とか炒麺とかはなくて、予算を決めてもらってそれで創作料理を出すことしかできないよ」と言われ、1人300元でお願いした。それで出てきたのがこれ。
-
エビやさまざまな貝が煮込まれた料理。毎日地元の漁師から仕入れているそうだ。塩や化学調味料などは使用していなく、塩気は素材そのものから出ているらしい。
-
完食!馬祖に来て、いきなり大量のシーフード。店主から「お腹いっぱいになった?」と尋ねられたけど、これで満腹にならない方がおかしい。親戚のうちでご馳走になった感じ。
-
400年以上前に創建された金板境天后宮。南竿唯一の閩東式封火山牆が特色となっている。
-
中央に祀られているのは媽祖。他の天后宮のように貴婦人の様子ではなく、少女のお姿。媽祖(林黙娘)は960年に生まれ、987年に没したとされている。「天上聖母」「天后」という尊号があるため、貴婦人の姿であるのが一般的。
-
媽祖の左側には福徳正神が祀られている。道教の中では比較的地位が低いけれども、台湾社会では財運の神として広く信仰されている。
-
右手には威武陳將軍。馬祖を含む福建省、浙江省、台湾で信仰されている神。本名を陳貞盤と言い、清朝初期、侠心をもって人の窮境を救う武力集団の一員だった。
-
金板境天后宮の右手にはおしゃれなホテル。
-
ミャーミャー鳴いていた猫
-
仁愛海岸
-
金板境天后宮の近くにあった小さい廟
-
海に面した金板境天后宮の門
-
金板境天后宮のそばに大砲
-
津坂路の入り口あたり。このように並べられた獅子は初見。阿兵哥(兵役中の若年兵)が暇つぶしに並べたのかもしれない。
-
軍隊施設入り口。左の像は海龍蛙兵。正式名称は「中華民国陸軍101両棲偵察営」で、陸軍特殊部隊の1つ。澎湖、金門、馬祖にそれぞれ配置されている。泳ぐことを得意とするため、引き締まった筋肉質の体を有する。
参考画像:
https://zh.wikipedia.org/wiki/中華民國陸軍101兩棲偵察營#/media/File:ROCA_Frogmen_Stand_on_Stair_of_National_Concert_Hall_20130608.jpg -
陸軍兩樓
「安為他日終須仗」
「甘苦來時須共嘗」
安全か危険かにかかわらず、戦わねばならぬ日が必ず来る。その時、甘苦を分かち合おう。
1914年に中華民国の国父である孫文が日本で中華革命党を組織したときに、加入を拒絶した黄興(1905年に孫文とともに中国革命同盟会を結成。孫文に次ぐ地位にあった人物)に送った言葉。 -
若い阿兵哥が見張についていた。基本的に軍事施設は撮影禁止だから、撮影する際、元職業軍人の同行者にその可否を尋ねていた。
-
つくづく思うんだけれど、このペインティングはかえって目立つのではないか......
-
次の目的地を目指し、スクーターを走らせる。
-
到着!突き出た岩礁にある鐵堡。
-
日夜を通して阿兵哥が守備していたことから、「鐵堡」(鉄の要塞)と呼ばれる。
-
鐵堡へ行くには、長い階段を降りて行かなければならない。
-
ところが、海面の風が強いため、行くのは禁止されていた。台風が過ぎ去ったばかりだから、仕方がない。
-
来た道を戻る。
「海域殲敵耀英豪」
「龍騰虎躍衛國疆」
海陸偵察隊の一員であることを栄誉に思い、己の身をして国軍に誇らしく思わせよ。
「馬祖海龍王」と呼ばれていた毛守義(陸軍中校、2019年物故)が蛙兵(水陸両用偵察、輸送護衛、海難救助を担う陸軍部隊兵)に期待をして送った言葉。 -
小さい廟があった。
-
30年ほど前に建てられた老頭将軍廟。
-
老頭將軍を中心に、張巡将軍、許遠将軍、南霽雲、総管大人をお祀りしている。張巡将軍、許遠将軍、南霽雲は実在した人物で、唐朝に起きた安史の乱で忠義をもって国を守ったが最後は殺されてしまった。国への忠義を大事にすべきという考えで、国軍がこの廟を建てたと考える説がある。
-
1950-60年代、漁師が漁から戻るたびに、竹竿で幹を支え、幹に漁網をかけていた。やがて竹竿の内部が腐って空洞となり、その中を気根が伸びていった。のちに村長の夫が、現地の軍隊が廃棄したドラム缶に落ち葉などの有機腐敗植物を詰めて、それを積み重ねて幹を支えることにした。すると、気根がドラム缶の中で成長し、数年後にドラム缶を取り払うと、今のような奇観が現れた。そばにある説明にこう書かれてあった。
-
この樹木も変わった成長を遂げている。
-
金板境天后宮と海
-
現役の井戸
-
潮風で傷みやすいのではないかと心配。
-
北海坑道への近道があったけれど、スクーターを停めた場所まで戻った。
-
喉が乾いたから、この集落のコンビニである頂好商店へ。価格は台湾本島と変わらない。
-
暑い時には青草茶。青草には毒、利尿、消化促進などの効果があり、火照った体の温度を下げるときによく飲まれる。
-
急勾配の坂道を下っていく。
-
やってきました、北海遊憩区。
-
南竿の旅行サービスセンターはここにある。トイレもあるし、クーラーも効いているから、一休みするのにちょうどいい。お土産品を売るコーナーもある。誰もここで買う人はいないのではないかと思っていたら、後から来た団体旅行客が挙って買っていた。
-
右へ行くと大漢據點、左へ行くと北海坑道。
-
鐵堡同様、前日に過ぎ去った台風の影響で風が強く、大漢據點も参観禁止。
-
大漢據點の突端にあるインディアン岩。目、鼻が非常にはっきり見える。
-
北海坑道の記念碑と高角砲。高角砲の口径は12cmで、長さは560cm、重量は2910kg。昭和18年に広島県東呉海軍工場で製造されたもの。
-
北海坑道入口。
-
ここは台風の影響を受けずに入ることができた。
-
塗装部がなくなり、ゴツゴツした岩肌が見えてきた。
-
長く続く坑道。高さもかなりあった。
-
海龍蛙兵
選考および訓練は12週間にも及ぶ。最初の7週間は基礎訓練であり、炎天下や寒冷状態など過酷な状態における長距離走、体操、水泳、潜水といった訓練を受ける。7週目は試験期間となり、2kmを1時間で泳ぐことや、3kmを11分半で走ることなどを要求される。第二段階ではボートの操縦、カモフラージュ、ラペリングなど山岳地帯での訓練を行う。最終段階では「地獄の72時間」として13度の水に長時間泳がせることや山地での模擬戦などで候補生を追い込んでいく。これらの訓練によって、最終的な脱落者は志願者のうち80%にも登る(原文ママ)という。(Wikipediaより引用) -
この阿兵哥は穏やかな表情をしているけど、実際には最前線でとても苦労をしていたはずだ。
-
坑道を掘る様子。
-
カヌーに乗って、「藍眼涙」と呼ばれる、青く光る藻を夜間に見学することも可能(4、5月がもっともよく見えると地元の方が教えてくれた)。この日は水が濁りすぎていて、夜の藍眼涙見学コースはなかった。
-
船に乗る場合も、徒歩で見学する場合も、満潮時には内部に入れないから、行く前にチェックする必要がある。徒歩の場合は一周するのに30分ほどかかる。
-
坑道は井字型に掘られている。
-
船頭さんが茶色いところは満潮時の水位(8m)で、青い線は過去の大型台風来襲時の水位だと教えてくれた。
-
基本的に火山岩で、花崗岩(黒い部分)が一部混ざる。
-
坑道の高さは18mで、幅は10m、長さは640mにも及ぶ。数万人の兵役者を使い、上の方から一層一層人力で掘り下げていった。昼夜分かたず820日間でこれだけのものを完成させたことに驚かされる。命を落とした人も少なくなかったようだ。
-
イチオシ
この坑道は9日間の戦力を蓄えるために1970年に掘られた。実際には小型船舶を風と砲撃から守るため、この坑道内に隠された。
これを掘った方々は現在60代後半。その方々がここを訪れることはあるのだろうか。実際にお会いして、当時の大変さを拝聴したいと心から思う。 -
「鬼斧神工 蓋世之作」
自身で国を守るべく、粉骨砕身された方々を思い、身が引き締まった。 -
次にやってきたのは55據點(要塞)。
-
青い空に広大な海が見える美しいところだが、ここにも軍隊の拠点があった。
-
入り口に多くのサンダルがあったから、今は阿兵哥が利用する活動センターか宿舎のようだった。若者の楽しそうな笑い声が聞こえ、いつまでもこの状態が続くことを願った。
-
入り口の上部にシーサーのような置物。
-
小高いところにある建物。以前、職業軍人をしていた同行者に尋ねたところ、敵の観測か射撃の際に使ったのだろうということだった。
-
今回、南竿の旅で一緒に走ってくれたホテルで借りたスクーター。
-
南竿島の道はこんな感じ。青い空、輝く緑、白い石道。
-
しばらく行くと、津沙集落が見えてきた。
-
屋根が特徴的。津沙は元は金沙と書いたようだ(中国語で津と金は同じ発音)。金砂のような細かい粒子の砂浜であったことが、地名の由来となっている。
-
津沙集落にあった井戸。水道管が何本も繋がれている。
-
階段を上っていくと、建物があるものの、ほとんどが廃屋。確かに高齢者だと上っていくのは大変。
-
防空壕。同行者に「元軍人なんだから、入れるでしょ?」と言ったら、入って行った。でも、湿度が高くて陰気だと言いながらすぐ出てきた。
-
石の階段が多い津沙集落。
-
エーゲ海に来たのかと錯覚。
-
この石壁は築何年なのだろう。いつまでも大切にしてほしい文化遺産。
-
津沙集落の平地部分
-
今は静かな集落だけれど、南竿島でもっとも中国に近く、移民も一番多かった。その結果、南竿島で二番目に大きい集落で、漁業が盛んだった頃は、集落内に私塾があり、文風が盛んだった。住民は漁業とともに醸造、薬局、商店などを兼業していたが、1970年代初期に漁業が廃れ始め、住民はこの集落を離れて行ってしまった。近年、集落保存の動きが生まれ、古民家をリノベーションして、民宿やカフェなどにすることにより、活気を取り戻している。
-
特に何かがあるという集落ではないが、その何もない感じが、日々忙しく過ごす旅人に受け入れられているように思う。
-
南竿三大天后宮の1つである津沙境天后宮
-
媽祖を主神とし、白馬尊王とその夫人、五顕神君、二将軍(七爺、八爺)、福徳正神を祀っている。特徴的なのは、媽祖の顔が黒いこと。廟を再建する際、彫刻師が夢のなかで、黒い顔の媽祖を作るようお告げを受け、集落の長老からそのようにするよう指示された。坂里の少女媽祖像と並んで、非常に特徴的だと言える。
-
八爺(范将軍)
参考:城隍爺に導かれた台中、彰化、鹿港の旅(3)
https://4travel.jp/travelogue/11637584
後半の城隍爺巡察の部分に七爺と八爺に関する記事あり。 -
七爺(謝将軍)
-
喉が乾いたから、石花凍(寒天)のドリンク。さっぱりしていておいしかった。
-
津沙は老酒の醸造で有名。天后宮の門をくぐると、酒瓶がたくさん並んでいるのを目にする。
-
これが天后宮の門。
-
左手の海を眺めながら勝天路を進み......
-
勝天公園
-
公園内にあるのは至善園の建築様式を真似て造った勝天亭。この付近には多種多様な原生植物があり、バードウォッチングもできるらしいけれど、交通が不便であるため、来る人は多くなさそう。
-
勝天公園に隣接するのは貯水澳ダム。
-
今年は水が少なく、水を流す機会は多くないだろう。
-
さらに勝天路を進み、媽祖巨神像が見えてきた。
-
長い階段を上っていくのか......
-
階段の前にスクーターを停めた。上方に見えるのは船の形をした展望台。媽祖とともに同じ船で航海していることを表現している。つまり、日々媽祖に見守られて生活しているということ。
-
せっせと上った。
-
スクーターを停めたところにあった地図。もう少しこれをよく見ておけば、階段を上らずに、スクーターで近くまで行けた。でも、階段を上った方がご利益があると信じたい。
-
聖母天后を真下から見上げる。
-
離れたところから、もう一度。
-
聖母天后のご覧になっているのは中国の方角。中国から台湾に船で渡って来た人々は、聖母天后(媽祖)に航行の安全を守られた。
-
足元には千里眼将軍と順風耳将軍。画像は順風耳将軍。遠くまで見ることができる千里眼とどんなに小さな音でも聞くことができる順風耳はもともと悪さをして人々を困らせる厄介者だったが、媽祖が改心させた。それ以降、媽祖を守るとともに、媽祖が行う救済活動を助けている。
-
媽祖巨神像は、計画から10年をかけ、2009年に完成。365個の花崗岩の塊を組み合わせて造成された。
-
高さは28.8mで、馬祖4郷5島の総面積28.8平方kmと同じ数値、のはずだったが、のちに行われた最新の測量で29.6平方kmであることがわかった。そこで、避雷針の長さを足して29.6mの高さとした。ナイス!
-
媽祖が台湾を行脚される際、媽祖の乗られた輿の下をくぐると、平安な生活が送れるとされる。それに倣った施設。でも、この輿に媽祖はおいでにならない......。
-
輿の下をくぐった先には長い通路があった。
-
どこへ出るのかわからなかったけれど、ずんずん進む。
-
元々あった坑道なのか、媽祖巨神像を建てた時に造ったものなのかは不明。
-
坑道の出口はスクーターを停めた位置とは方向がまったく違った。同じ坑道を引き返さずに、隣にあった小道を歩いて、媽祖巨神像のところへ戻った。
-
旅の安全、そして無事に台北へ戻れるようお守りください。
-
地図にQ版媽祖像と書いてあったから行ってみたら、これだった。
-
キャンプ場
-
媽祖集落で最も賑やかなエリア。お土産屋、食堂、コンビニ、郵便局などがある。
-
国軍用品のほか、洗剤や衣類、文具など、いろいろなものを売る店。店主はとてもフレンドリーなんだけど、店の中はごちゃごちゃ。
-
今使っている空軍の財布がボロボロになってきたので、砲兵の財布を購入。200元もして、びっくり。他にも兵士の制服や徽章なども売っている。どうやって入手しているのか、元職業軍人の同行者に尋ねたけど、よくわからないとの回答。同様の店は台北や台南などにもある。
-
馬祖に来た人は皆、この剣碑をバックに撮影する。右の階段を上っていくと、中正小中学校。
-
馬祖港
-
港といっても、小型船が停泊できる規模。
-
港のすぐ近くにあるのが馬祖境天后宮。
-
剣碑は目と鼻の先。
-
清朝嘉慶年間(1796-1820)には既にあったらしく、20年に一度修築をしていたという。現在のものは2002年に再建されたもの。
-
煙や火が好きな狻猊が香爐にしがみつく様がキュート。
-
媽祖を中心にお祀りし、千里眼と順天耳を前方に配している。そのほか、馬祖にある他の天后宮同様、臨水夫人、白馬尊王、伍顯神君、太歳星君、威武陳將軍、福徳正神などを合祀している。前方にあるのは......
-
聖母天后(媽祖、林黙娘)の墳墓。
媽祖は父が海上で遭難した際、海に飛び込んで救おうとしたが、大波に飲み込まれ死んでしまった。遺体が馬祖に流れ着き、民衆がその親孝行さに感動し葬った。この龍が刻まれた石に囲まれているところが、媽祖を埋葬したところ。 -
そのため、港には「媽祖は馬祖にいる」という石碑が建っている。
-
天后宮のすぐ横に以前使われていた軍事施設。
-
媽祖の物語を表した石像が並んでいる。これは媽祖の両親が観音様に子授けを祈っている場面。
-
そして、林黙娘(のちの媽祖)が授かった。
-
井戸から出てきた龍(亀だと聞いたことがあるけれど、この像では龍になっている)から「無字天書」を授かる。これを熟読し、天気を予想できるようになり、人々に天候を伝え、多くの災難から救った。
-
懸命に学び求道する林黙娘
-
千里眼と醇風耳を諭す媽祖
-
康熙帝により天后に封される媽祖
-
媽祖に航海の安全を祈願する鄭和
-
媽祖に守られ、台湾を回復する国姓爺(鄭成功)
-
媽祖に守られる台湾の人々
-
この道をまっすぐ進むと媽祖巨神像にたどり着く。
-
お行儀のよい犬。媽祖様のお膝元にいるからか。
-
民主進歩党の事務所。中国に非常に近い馬祖では勝ち目がほとんどないほどの劣勢。
-
ニョウニョウという名前の黒い犬。とても人懐こくてかわいかった。また南竿に行ったら、この子に必ず会いたい。
-
ちょっと道に迷う。
-
宿泊するホテルのスタッフおすすめの食堂「比薩大王」。店名の通り、元はピザだけを売る店で既に30年の営業実績。
-
でも、旅行者は馬祖の料理を食べたがるということで、ピザ以外も提供するようになった。
-
店内の様子
-
馬祖料理で、酒の匂いがプンプンする老酒麺線。
-
紅糟炒飯。これも馬祖名物。紅糟というのは、紅麹の酒粕を使った調味料のこと。酒粕と言っても、酒の味や匂いを感じることはなく、おいしくいただいた。
-
淡菜。これも馬祖名物で、暑い時期が旬。
-
肉厚でミルキーな味。馬祖に滞在した毎日食したけれど、この時に食べたのがもっともおいしかった。馬祖で食べたものでもっとも忘れられないもの。日本にもあり、貽貝とかムール貝と呼ばれているようだ。
-
黄金餃。これも馬祖名物。中にゴマとピーナッツのペーストが入れられている。甘いから、食後のデザート感覚で食せる。これも馬祖滞在中3回食べたけれど、この時のが一番美味だった。
-
食事中、前日この食堂を利用した客が入ってきて、その時に食べた紅糟鶏肉串が忘れられないおいしさだったと言って、テイクアウトしていた。その女性にそんなにおいしいの?と尋ねたら、串を咥えながら頷いた。そこで、追加注文。でも、先に頼んだ4品ほどのおいしさではなかったかな......。
-
食堂近くのコンビニに寄る。
-
離島でも品揃えと価格は台湾本島と変わらない。お弁当やサンドイッチの製造地は台湾本島だったから、空輸しているのだろう。
-
ホテルへは海沿いではなく、山間の道を利用した。途中で見かけた紹介石像。
-
評価の分かれる人物だけど、紫禁城から大量の芸術品を台湾に運んだ功績は非常に大きい。中国に残しておいたら、その多くが失われていただろう。
-
さらに進んで見えた穏やかな海。
-
阿兵哥が坂道をジョギングしていた。離島で兵役に就くと、誘惑されるものがないから、集中して体を鍛えたり、勉強したりできそうだ。でも、現在の兵役は以前とは比べられないほど、楽なものになっている。毎週末、家に帰る人もいるし、兵役に替えて社会奉仕という選択もある。知っている友人は大学院卒業後、その制度を利用し、ベトナムへ中国語を教えに行った。
-
「台湾、金門、馬祖の人々の安全福祉のために戦う」
台北ではこのようなスローガンはもはや見られない。 -
馬祖は上り下りが激しく、徒歩での観光に向かない。スクーターの運転も注意を要する。
-
スクーターくん、アップダウンの多い道をたくさん走ってくれてありがとう。明日もよろしく。
-
ホテルに戻ったのは18時半ごろ。
-
全体がしゃれた作りになっている。
-
テラスの椅子に座ってぼーっとするのもいい。
-
客室は階下に。
-
階下のパブリックスペース
-
水をうまく使ったおしゃれさ。この手のホテルは、馬祖ではたぶんここだけ。
-
全館見取り図
-
106号室
-
部屋はそれほど広くはないけれど、十分。
-
バスルーム
-
歯ブラシ立てまである。
-
テラスもあったけれど、朝方少し座った程度。雲がなければ、多くの星を見られたかもしれない。
-
テラスからの景色。
客室にはテレビがないから、就寝前は撮影した画像を見ながら、この日に行ったところについて同行者と語り合った。
(続)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
190