2020/08/04 - 2020/08/06
12位(同エリア99件中)
xiaomaiさん
- xiaomaiさんTOP
- 旅行記406冊
- クチコミ458件
- Q&A回答3件
- 615,693アクセス
- フォロワー59人
2020年3月に澎湖に行って以来、台湾本島以外にも強い興味を抱くようになった。今夏は海外旅行はもちろん、一時帰国もできないから、友人を誘って、中国大陸から至近の距離に位置する馬祖へ行ってきた。澎湖同様、予想以上におもしろいところだった。
2日目:
(南竿島)八八坑道、酒廠、枕戈待旦紀念公園、勝利堡、媽祖民俗文物館
(北竿島)戰爭和平紀念公園
PR
-
朝8時、客室からの景色。雲が多めながら、まずまずの天候。
-
インディアン岩、北海坑道前の銅像、そして、前日見学できなかった大漢據點。
-
ホテルが提供してくれた朝食。馬祖式の粽と大豆をジュースミキサーにかけて作った豆乳。おいしい豆乳は過去に何度も飲んでいるけれど、ここのが Best of best。本当においしかった。
-
でも、量的に足らず、前の晩、コンビニで買っておいた黒糖バウムクーヘンも食べた。
-
食後、庭を散策しているときに見つけた置き物。これに気づく宿泊客は意外と少ないのではないかと思った。
-
8時半ごろ、チェックアウトして、ホテルのスクーターで出発。
-
空がもう少し青いともっときれいだろうなとは思ったけれど、雨が降らないだけでラッキー。
-
まず行ったのは、前日入場禁止になっていた大漢據點。
-
左手を見ると、北海坑道の2つの船舶用入り口。
-
左手を見上げると、宿泊したホテル。
-
大漢據點は3層構造になっていて、地下第1層の坑道の長さは約304mで、広さは1.5mほど、高さはおよそ2mとなっている。
-
このような坑道が広がっていて、内部には高角砲の砲台、弾薬庫、兵士の宿舎などがある。2003年に国軍から馬祖国家風景區管理處の管理となり、2006年に改修がなされた後、公開されるようになった。
-
屋外部分のこの階段を上っていくと......
-
下りの階段につながる。
-
砲台
-
見えなければ打つな
見定められないなら打つな
打てないなら打つな -
射撃力図
-
敵艦識別図
-
ここにあったのは90高砲。射速は1分で22発で、連続で30発打てた。
-
ここで激戦が行われたことは今までない。でも、戦後初期の頃は、小規模な奇襲は受けたのではないかと元職業軍人である同行者。
-
大漢據點が見られるのなら、鐵堡も見られるだろうと思い行ってみた。
-
長い階段を下り、橋を渡ると、そこが鐵堡。
-
入ってすぐのところにあるのがトイレ。和式便器は既に取り外されている。ドアがあったのかは不明だけれど、なくても不思議ではないと同行者。
-
銃を構え、敵軍に発射。
-
兵士用のベッド。行った時は蒸し暑い夏。坑道とはいえ、ここは暑かった。このような環境でも眠れるほど、体を酷使していたのだろう。
-
これもベッド。白く塗装されたのは、改修後のことではないかと思う。
-
階上部分
-
階上から下を見る。
-
これは軍用犬を飼っていたところ。
-
3匹ぐらいが入れる広さ。雨風を凌ぐにはいいけれど、暑さを凌ぐのは難しかったかもしれない。
-
射撃台
-
サボテンが植えられている。観賞用ではなく、これも武器となる(トゲが侵入を困難にする)。
-
見学を終え、橋を渡り......
-
長い階段を上り......
-
最後にもう一度上から眺める。阿兵哥は暑い夏も寒い冬も重い銃器を持ち、ここを上り下がりしていた。頭が下がる。
-
続いて訪れたのは、南竿を旅する人が皆来る八八坑道。ここはもともと地元民が海賊に襲われたときの隠れ場所として使っていた洞穴。のちに、国軍が内部を高くし、補強した上で、戦車も通れる、全長200mの坑道とした。後方出口は南竿軍用基地に繋がっている。10年をかけ、1974年に完成。落成した日が蒋介石88歳の誕生日であったため、八八坑道と命名された。
-
内部の気温は16-19度で、一定の温度が保たれ、酒を醸造するのに最適。それで、現在は、馬祖老酒の醸造所として使われている。
-
甕に入れられたものだけでなく、近代的な設備で醸造されているものもある。15年以上醸造されているらしい。
-
八八坑道から程近いところにあるのが馬祖老酒工場。
-
建物内部には老酒を作る道具などの展示がある。
-
でも、説明はないから、よくわからない。
-
ここで作られた商品が展示されていて、購入もできる。
-
陳年老酒と書いてあるけれど、どれほど寝かされたものかは不明。
-
李登輝氏(中華民国第4代総統)の尊顔がプリントされた酒瓶。ここを訪れた6日前(2020年7月30日)に逝去された。合掌。
-
購入者がけっこういた。
-
工場見学はできない。
-
画像中央部分が工場となっている。
-
老酒工場の先を少し行ったところで、中華人民共和国福建省連江県にある黄岐半島が見えた。
-
北竿や東引、基隆への船が出ている港近くのスタバ。馬祖ではここ1店舗のみ。
-
休憩がてら、寄ってみた。画像にも写っているけれど、この島ではここそこで阿兵哥を見かける。でも、おしゃれなカフェで見かけるようになったのは最近のことで、以前はこのような自由やお金は阿兵哥にはなかった。
-
並んでいるケーキやパンは台湾本島のものと変わらない。
-
馬祖スタバのマグカップ。伝統的な家屋がプリントされている。
-
反対側には大坵にいる鹿。元からいるわけではなく、台湾本島から連れてこられた鹿が放たれた。
-
台湾のスタバには、力作といえるほどのイラストを描いてくれるスタッフがいる。
-
マグカップは買わなかったけれど、記念に馬祖オリジナルデザインのスタバカードを購入した。徒歩ではなく、スクーターで島を回っているけれど、やはり暑さは体に堪え、ここで飲んだアイス・キャメルマキアートのおいしさは体に滲みた。
-
次に向かおうとしたのは枕戈待旦紀念公園。そこへ行く前に、おもしろい階段を見かけた。長い階段はあるけれど、必ず車道があるに違いないと踏み、辺りを走り、案の定見つけてスクーターで一気に上へ。
-
中華民国初代総統である蒋介石の像
-
蒋介石が眺めている景色
-
寒い冬ならまだしも、酷暑の時にこれは上りたくない、などと言うと、阿兵哥に笑われるかもしれないと思っていたら、同行者の元職業軍人はそうだよねと同意していた。
-
蒋介石像の近くから見える枕戈待旦紀念公園への階段。当然のことながら、誰もこれを上らず、車やスクーターで一気に上へ。
-
枕戈待旦と書かれた碑の裏側。
-
これが表側。「戈を枕にして寝て、旦(あした)を待つ」。戦いの準備をいつも怠らないという意味。もちろん対岸に向けて掲げられている。北竿へ移動するとき、船から見ようと思っていたんだけど、すっかり忘れてしまっていた。
-
「枕戈待旦」の碑の前から見た景観。奥に港。左手に蒋介石像。
-
碑のある建物の1階にこのような階段がある。
-
上ると碑の一番上に出られるけれど、敢えて上るほどではないかもしれない。実際、自分と同行者以外、誰も見向きもしていなかった。
-
碑の上からの展望。
-
海浜大道の円環(ロータリー)にある記念像。
-
国を護る阿兵哥
-
馬祖民俗文物館
馬祖の伝統建築、生活様式、伝統産業、節句行事、芸術、宗教、考古学などが理解できる、見応えのある文物館。 -
鯨の特別展が開催されていた。
-
台湾の周りにも鯨がたくさんいる。
-
偽虎鯨(日本語名オキゴンドウ)
-
短吻真海豚(日本語名マイルカ)。歯が何本あるのだろう?
-
柏氏中嘴鯨(日本語名コブハクジラ)
-
真前から見たところ。こういうふうに近寄られたら、やはり恐い。
-
コブハクジラのオスの頭部骨格
-
コブハクジラのメスの頭部骨格
-
侏儒抹香鯨(日本語名オガワコマッコウ)
-
歯が尖っている。
-
鯨は哺乳類であることを確認させられる。
-
伝統的な馬祖の衣装など
-
織り機
-
大きな窓から見える豊かな緑、吊るされた雪洞。
-
嫁入り時に使用された輿
-
農業器具
-
漁業船
-
寝台
-
寝台左の布をめくると、トイレ。
-
ゆりかご
-
タンス
-
化粧台
-
厨房
-
二人で使う石臼
-
石臼
-
家屋の四隅に置かれた魔除
-
雨水が流れてきて、この口から吐き出される。
-
建築様式(四合院)
-
建築様式(三合院)
-
亮島人1号
-
亮島人2号
-
考古学の分類に属する時代の石器や貝殻なども展示されている。
馬祖民俗文物館は、入場者は多くなさそうだったが、馬祖を理解するためにぜひ訪れたい場所だ。 -
次に行ったのは勝利堡。別名、馬祖戰地文化博物館。
-
馬祖では多くの要塞へ行ったけれど、ここがもっとも交通の便がよく、観光地化されていた。
-
勝利堡の構造
-
要塞と使用されていた当時はこんなにきれいではなかったはずだ。
-
兵士用寝台
-
この部屋はエアコンが効いていた。
-
文字による説明も多い。
-
水中、陸上にある敵軍の侵入を防ぐ設備。
-
厨房
-
元軍人の同行者が懐かしそうに見ていた。
-
要塞で水を得るのは難しく、雨が降った時に体を洗っていた。
-
夜の見張り役がもっとも恐れたのは、闇に紛れて忍びよる敵人。
-
布団に潜り込んで書いた、家族や恋人への手紙。
-
制服
-
弾薬や銃器を奪ったり、(軍隊規則に反し)携帯したり、密売をした者は死刑。
-
砲台
-
常に戦いの準備をし、最後に勝利を勝ち取って、中国大陸を取り返す。
-
中華民国の人々の安全福祉のために戦う。
-
団結、忠誠、風気
-
射撃台
-
弾薬庫
-
天井部分にあるトゲトゲは消音効果を狙ったもの。平時はエコーを小さくし、砲撃時はその音量を小さくすることにより、兵士の聴覚を損じないようにしていた。
-
何事もない平和な日々が続くことを祈る。
-
勝利堡から見た枕戈待旦の碑
-
昼食をとるため、前日に夕食をとった、馬祖境天后宮のある集落へ行った。
-
昨晩同様、比薩大王へ行き、淡菜や店主ご自慢のピザを食べようと思っていたのに、営業していなかった。この島では昼食時間帯が過ぎると、どこも休憩するようだった。
-
それで、ホテルのスタッフが紹介してくれたもう1軒の食堂である大衆飲食店へ行った。ここもほんの数分遅れて入ったら、休憩中だと断られるところだった。実際、自分たちの後に入ってきた客は断られていた。
-
店内の様子
-
メニューの種類は多め。
-
夏に馬祖にきたら、外せない淡菜。
-
継光餅(馬祖バーガー)
-
ハンバーガーを想像すると、やや異なるけれど、おいしかった。
-
地瓜菜
これは台湾本島でも一般的に食する野菜。 -
食べ終わり店を出ると、店の前に黄魚が届けられていた。これも馬祖を離れる前に食べようと思った。
-
この阿兵哥は10人ほどを束ねる班長。
-
山線公路にあった蒋介石像。中国国民党の旗「青天白日満地紅旗」と同じ青、白、赤の台座。
-
慈しみ深い様子の銅像
-
雲台山軍情館
ここは中華民国籍の人しか入れない。 -
同行者のみが見学し、自分は周りの風景を楽しんでいた。
-
15時ごろホテルに帰着。
-
何度も見たこの景観を目に焼き付け、タクシーで北竿への船乗り場まで送ってもらった。
-
南竿の乗船場
-
コンビニあり。
-
乗船時間になった。
-
乗った船
-
この程度の大きさ
-
南竿、さよなら。たくさんの思い出をありがとう!
-
10数分で北竿に到着。船を降りると、南竿へ向かう多くの人が列を成していた。
-
宿泊する民宿のオーナーが迎えに来てくれていた。民宿に到着するまで、島の紹介をしてくれたり、スクーターで走行するには勾配がキツくて危ない道などを教えてくれた。
-
宿泊した星漾海景。
-
ツインルームが取れず、ダブルベッドの部屋。
-
海に面したバルコニー
-
バルコニーからの景色
-
大きめのクローゼット
-
浴室
-
バルコニーの右手には軍施設
-
左手には橋仔集落。
-
ホテルのすぐ横には白馬尊王廟。
-
民宿でレンタルしたスクーターは、残りのガソリンがわずかだった。それで、まずはガソリンスタンドを目指す。橋仔集落にいたお年寄り数名のグループに尋ねた。「一番近いガソリンスタンドはどこですか」「一番近いのも一番遠いのもないよ。この島には1つしかないんだから」その後、いろいろ地名を言われたけれど、初めての土地でまったくわからず。とりあえず、空港の方角を目指すよう言われた。空港近くに着いて、再度尋ね、言われた方向に進んだけれど、街を抜け、山道へ。心配になり、もう一度聞くと、まっすぐ行けとの回答。それを信じて進み、やっと見つけた。町中ではなく、山中にひっそりとある。
-
スクーターにガソリンが入ったところで、心が落ち着き、景色を眺める。前方右に南竿。
-
独立作戦
-
堅持到底
-
碧園。どういうところかわからなかったけれど、上ってみた。
-
殉職した軍人の記念碑があった。
-
上ってきた階段
-
北竿大道のロータリーにあった蒋介石像。
-
山道を下っていくと......
-
北竿の中心街
-
后沃村入口
-
昔ながらの家並み
-
馬祖共通の石積みの家
-
楊公八使宮
-
中央に媽祖をお祀りし、その他、臨水夫人、楊公八使、白馬尊王、華光大帝、福徳正神などを合祀している。
-
神様の輿
-
行った時の日没は18時半ごろ。まだ45分ほどあったから、要塞を見に行った。そのためには、急な勾配の塘后路を進まなければいけない。地元の人は普通に上がったり下りてきたりしていたけれど、台北から来た人間からすると、恐怖感を覚える角度。
-
用心しながら上りきり、車も通れる幅の道を進んで、08号要塞へ向かった。
-
08号要塞は中華人民共和国には面していない。
-
目の前に広大な海が広がる。
-
M41軽戦車。第二次大戦後、新世代の軽戦車として米軍が開発した。
-
これは防空壕か?
-
M108自走榴弾砲。1950年代末期に米軍により開発され、ベトナム戦争で使用された。
-
これの用途は不明。
-
これも防空壕か?
-
M48A3戦車。朝鮮戦争の際に米軍がロシア製の戦車に対抗するために開発。
-
これも防空壕?
-
57対戦車砲。第二次大戦時に米軍が使用。
-
一見、軍事施設に見えるけれど、これは民宿。
-
続いて06号要塞。
-
4つの島(大坵、小坵、無名島、峭頭)が見渡せる。
-
要塞まではだいぶ階段を下りていく。
-
南竿にある要塞のようにあまり整備はされていない。でも、それゆえに要塞らしさをより感じる。中は電灯が灯っていなく、ほとんど真っ暗で奥まで行くのは断念した。
-
射撃台
-
入場できるのが17時までであることに気づいたのは出てきてから。17時までに来ていれば、内部が明るかったのかもしれない。
-
下りてきた階段を上る。
-
急な勾配の塘后路を下る前に見えた北竿空港滑走路
-
后沃村の街並みが見えたら、ジェットコースター状態。ここで命を落とすわけにはいかないから、ゆっくり下る。
-
無事下り切り、塘后路を進み、滑走路の下をくぐる。
-
この日の夕食は阿婆魚麺店。
-
総合魚麺
-
魚すり身の団子と餃子のスープ
-
魚の柔らかい揚げ物。よほど気に入ったのか、隣の家族づれはお代わりしていた。
-
冷たい黄金餃。これより、南竿で食べた揚げた物の方が好み。
食後は上がったり下がったりの山道を用心深く進み、民宿へ戻った。
(続)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
203