2020/08/05 - 2020/08/05
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ローマ人さん
仕事の用事で久しぶりに霞が関に行ってきました。
新型コロナウイルスの感染拡大により4月に非常事態宣言が発令された影響で、4月の期日が8月に延期されたことで前回訪れた3月から季節が冬から夏に一気に飛んでしまい、今年は赤レンガ館の見事なサツキツツジを見る機会を失ってしまったことが残念です。
梅雨が明けたばかりの東京は猛暑で、テレワークで毎日自宅に閉じこもってエアコンが効いた快適な環境で過ごしている身にはとても応えました。
いつものパターンではありますが、今回は時間に余裕があったので、裁判所の隣にある「法務省旧本館(赤レンガ棟)」の中に開設されている「法務資料展示室」を初めて訪れてみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日は東京メトロ霞ヶ関駅A9出口から地上に出ました。
とても暑いです。
裁判所方向に向かって左前方に見えるのが総務省で、その奥が警視庁です。
右側の建物は農林水産省です。 -
振り返ると高層ビルの文部科学省、その手前が順に財務省と外務省です。
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桜田通りを横断して、総務省の前から見る裁判所の建物です。
下の方が東京地方裁判所で上の方が東京高等裁判所です。
ちなみに最高裁判所は、少し離れた千代田区隼町(国立劇場の隣)にあります。 -
こちらが農林水産省の全景です。
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総務省の前に人だかりがあります。
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コロナ特別定額給付金に関する要求です。
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住民登録がないと支給されない特別定額給付金10万円をホームレスに支給せよとの要求ですね。
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総務省の前には「霞が関跡」の碑柱があります。
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奥州街道の関門「霞が関」は、かつての武蔵野国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)にあったと伝えられていますが正確な場所は分かっていないそうです。
「霞が関」は江戸時代に武家屋敷が立ち並らび、武家屋敷の場所を示す通称名として使われていたそうです。 -
再び桜田通りを横断して、裁判所の前に来ました。
生け垣が「トラ刈り」のようになっています。 -
裁判所の塀に置いた「立て看板」を裁判所に強制撤去された人が、腹いせに歩道にはみ出した植木の枝を批判し続けた結果みたいです。
裁判官を誹謗中傷する「立て看板」ですから、撤去されても仕方がないんだと思うのですが・・・。
色々な考え方があるのでしょう。 -
こんな看板です。
この自動車は、何時でもこの場所に停車していますが、駐車違反にはならないのでしょうか。 -
裁判所です。
裁判所では、新型コロナウイルス感染症防止対策で裁判官や事務官が交替で1週間勤務したらその後1週間は在宅勤務になっているそうです。
その分業務も少なくなっているようで、閑散とした状態です。 -
仕事を終えて、「桜田門」方向に進みます。
夏の日差しが照りつけ、めまいがしそうなほどに暑いです。 -
見えてきたのが「法務省旧本館(赤れんが棟)」です。
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「赤れんが棟」は、7年余りの歳月を費やして、1895年(明治28年)12月にネオ・バロック様式の赤レンガ造り3階建てで、当時の「司法省」庁舎として竣工しました。
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「赤れんが棟」の中央部分です。
5つのアーチが並ぶ壮麗な姿をしています。
ヨーロッパの先進技術を取り入れて、鉄骨をレンガで覆った構造の建物は、1923年(大正12年)年9月に発生した「関東大震災」にも耐えることが出来ましたが、第2次世界大戦中の1945年(昭和20年)3月10日の「東京大空襲」によりレンガ壁とレンガ床を残して焼失しました。
1951年(昭和26年)までに復旧工事が行われた建物は、1994年(平成6年)に創建当時の姿に復元されて、現在に至っています。 -
ズームアップ。
中央テラスで屋根を支える、ドーリア式のシンプルでありながらも荘重な円柱です。 -
中央テラスを支える赤レンガの柱です。
赤と白のコントラストのアーチが美しいです。
テラスの下部分は、交差ヴォールト(空間を張り渡すアーチ構造)様式を取り入れた、通称「こうもり天井」になっていて一見の価値があります。 -
正門の脇にある守衛室の、帽子をおもわせるウロコ型のスレート葺屋根が可愛いです。
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「屋根飾り金物(突針)」です。
修復されたものでしょうが、デザインがレトロ感を醸し出しています。 -
正門を通り過ぎて「内堀通り」方向からみた赤れんが棟です。
奥に見えるのが裁判所です。 -
生け垣の中に設置された、重要文化財「法務省旧本館」の案内板です。
明治政府が招聘したドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンによって設計され、旧司法省庁舎として完成したことが記されています。
1994年(平成6年)12月27日に国の重要文化財に登録されたそうです。 -
緑が鮮やかな生け垣の一角に碑柱が建てられています。
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この場所には、江戸時代に米沢藩上杉家の江戸藩邸があったという記念碑です。
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サツキツツジの花が咲いたときの写真です。
とても綺麗なのですが、今年は残念ながら見逃してしまいました。
*2019年5月撮影 -
「桜田通り」を横断して「警視庁」の前に来ました。
昨日の交通事故死亡者は1人だそうです。 -
警視庁の反対側は「桜田門」です。
この門の外側で、安政7年3月3日(1960年3月24日)に水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩脱藩者1名が登城途中の彦根藩の行列を襲撃し、江戸幕府の大老だった井伊直弼(いい なおすけ)を暗殺するという「桜田門外の変」が勃発しました。 -
ズームアップ。
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高麗門(こうらいもん)です。
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渡櫓門(わたりやぐらもん)です。
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国会議事堂も見えます。
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「桜田通り」を「赤れんが棟」方向に横断する途中、丸の内のビル群が見えました。
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「赤れんが棟」の中に「法務資料展示室」があり、一般公開されています。
公開日・・・月曜日~金曜日(土・日曜、祝祭日は休み)
公開時間・・・午前10時~午後6時(入室は5時30分まで)
入場無料
最寄りの駅は東京メトロ有楽町線桜田門駅で、5番出口から徒歩1分
東京メトロ丸の内線・千代田線霞ヶ関駅からは、A1出口から徒歩5分
今日は少し時間があるので、入館してみます。
建物の前は何度か通ったことがありますが、入館するのは初めてです。法務省旧本館 名所・史跡
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正門脇の通用門を通って中に入ります。
身分証の提示や荷物検査はありません。 -
入って直ぐの場所に案内板があり、ここで守衛さんから諸注意の説明があります。
案内板の「黄色」の場所が「法務資料展示室」がある辺りで、立ち入り可能。
同じく「赤色」の場所は立ち入り禁止。
同じく「黄緑色」の場所(庭部分)は写真撮影可能。 -
入館許可証のストラップを首に架けます。
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撮影可能な場所に移動して写真撮影。
正門を内側から撮ります。
正門の後ろに警視庁の建物が見えます。 -
建物の右側部分です。
1階部分は半地下になっているようです。 -
右側のテラスと入口です。
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テラスを支える石柱を近くで見ると迫力があります。
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入口のドアは大きくて重厚感があります。
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建物の中央部分です。
中央部分だけ出っ張っているのが良くわかります。 -
中央部分を正面から。
急傾斜のスレート葺き屋根です。 -
屋根部分をズームアップ。
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「法務資料展示室」には左側の入口から入館します。
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ズームアップ。
写真撮影が許可された場所から撮影しています。
これから「法務資料展示室」に至るまでは写真撮影禁止です。 -
建物3階の「法務資料展示室」に到着しました。
建物入口の大きな扉はとても重くて開閉にかなりの力が必要で、撮影禁止で写真を撮ることはできませんでしたが、建物入口から「法務資料展示室」に至る石造りの階段は歴史を感じさせる重厚さがあり、ピカピカに磨かれているのが印象的でした。 -
中央の案内板です。
それほど広い部屋ではないです。
室内の写真撮影は可能ですが、資料の接写は禁止になっています。 -
設計を担当したエンデとベックマンの建築事務所の所員の姿が描かれた、ガラス板が飾られています。
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「法務資料展示室」です。
ここは「復元室」という名前の部屋で、かつては司法大臣官舎の大食堂があった場所だそうです。 -
この部屋の装飾はとてもレトロ感のある姿をしていますが、これはかつての姿を撮った1枚の写真が残っていて、それを基に平成6年の復元時に創建当時の姿に蘇らせたのだそうです。
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壁の装飾です。
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ズームアップ。
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繊細な彫刻が施されています。
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壁の装飾です。
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ズームアップ。
こちらの彫刻は人の顔のようです。 -
漆喰の天井です。
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天井の装飾も細かいです。
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天井のデザインです。
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シャンデリアも凝った造りになっています。
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天井の木枠部分の装飾です。
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「復元室」には、明治期の法典編纂に尽力した外国人(お雇い外国人)や1880年(明治13年)に公布された「旧刑法」などに関する「近代法典の編纂」コーナー、板垣退助襲撃事件などの明治に起こった事件を紹介した「明治事件史」コーナーなどが設けられていて、明治初期の司法の動きを垣間見ることが出来ます。
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大きな窓には格調高いカーテン。
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展示されている資料の数はそれほど多くはないのですが、細かい資料なので、じっくり見ているとかなり時間がかかります。
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「復元室」です。
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「復元室」です。
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こちらは、「復元室」の隣の「特別展示室」です。
法廷で使用する「法服」と「陪審法」についての展示があります。
「陪審法」は1928年(昭和3年)から1943年(昭和18年)まで行われていた陪審制度の法律だそうです。
同じ陪審制度でも、現在の「裁判員裁判制度」とはかなり違っていたようです。 -
1890年(明治23年)から1947年(昭和22年)まで使用されていた「法服」の複製品が展示されています。
「法服」が黒色なのは「これ以上何にも染まらない」という「公平の象徴」で、胸元にある刺繍は植物の「ツタ」で「知識の象徴」を現わしているのだそうです。 -
「特別展示室」の隣が「メッセージギャラリー」です。
明治元年(1868年)から起算して150年の節目の平成30年(2018年)から、「司法の近代化」「建築の近代化」に焦点を当てた特別展示を行っているそうです。 -
赤れんが棟の建物の建築に関する展示コーナー。
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赤れんが棟の建築に関する展示。
建築資材も展示されています。
展示の後ろの赤レンガの壁が、歴史を感じさせてくれて素晴らしいです。 -
エンデとベックマンの招聘についての展示。
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赤れんが棟の竣工と耐震構造についての展示。
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「赤れんが棟」の模型です。
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1994年(平成6年)に復元された現在の姿です。
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第二次世界大戦後に復旧された姿です。
屋根の形が現在と違っていますね。 -
我が国の司法制度の形成に大きく貢献した人を紹介する展示コーナーです。
初代司法卿「江藤新平」の生涯についての展示があります。 -
明治黎明期の司法官たち。
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「屋根飾り金物」の実物大のものをがあります。
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「民法典論争」など、明治期に編纂された法典等の展示。
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バルコニーが解放されています。
写真は、「メッセージギャラリー」からバルコニーへの出入口です。 -
バルコニーに出てきました。
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突き当りのレンガ壁は、建設時のものと修復された部分の色が違っています。
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ズームアップすると色の違いが良くわかります。
途中から立ち入り禁止になっていて、傍に近づくことは出来ません。 -
赤れんがの壁と石柱です。
この場所は「復元室」の裏あたりですね。 -
柱の色が変わっている部分が復元工事の際に補修した場所だそうです。
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バルコニーからの眺め。
中央付近に桜田門の渡櫓門が見えています。 -
木立の向こうに丸の内のビル群も見えます。
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このバルコニーを外から見るとこんな感じです。
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荘重で迫力ある石柱を間近で見ることが出来ます。
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手摺も凝った造りで重厚感があります。
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バルコニーの屋根部分を支える石材です。
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バルコニーの庇部分を支える石材です。
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バルコニーの出入口方向。
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バルコニーを出ます。
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これで「法務資料展示室」の見学は終了です。
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帰る途中、た獲物の一角に裁判員制度や法テラス関連の展示室がありました。
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裁判員制度のキャラクター「サイバンインコ」です。
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珍しいものも展示されています。
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これは、検察官が事件の記録などを運ぶときに利用する風呂敷です。
染め抜いてある「五三の桐」は、検察の紋章だそうです。 -
裁判官、弁護士、検察官のバッヂです。
その後、赤れんが棟を出て、猛暑の中帰路につきました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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