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10年前の富士登山。<br /><br />富士山表口五合目からの画像をアップ!

目指せ、国内3000m級22峰踏破!<1-11・完>富士山登頂 初めて富士山に登った外国人サー・オールコックの碑と表口五合目で記念撮影!  

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2010/08/06 - 2010/08/06

770位(同エリア1710件中)

旅熊 Kokaz

旅熊 Kokazさん

10年前の富士登山。

富士山表口五合目からの画像をアップ!

旅行の満足度
5.0

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  • ”サー・ラザフォード オールコック 富士登山記念碑”<br /><br />富士宮市のHPによれば、<br /><br />「オールコックは、計画に反対していた幕府を説き伏せ、万延元年七月富士山へ向けて出発しました。この旅には、単なるレクリエーションだけでなく、日英修好通商条約(1857年締結)にある内地旅行権の確認や江戸を離れた地方を視察するという政治的目的もありました。<br />旅には、オールコックを初めとする英国公使館職員ら8名のイギリス人に加え、幕府から派遣された外国奉行役人や荷物を運ぶ人馬が随行しました。そのため、オールコックの希望とは逆に大行列の旅であったといいます。<br />一行は東海道を進み、吉原宿で台風をやり過ごした後、大宮町を経て村山の興法寺に入ります。翌朝、村山の法印(山伏)の案内のもと村山を出発し、「中宮八幡堂」で馬を返して荷物を強力に預けてからは、金剛杖を手に徒歩での登山を開始しました。<br />その日は六合目(現在の元祖七合目)まで登り、翌日無事頂上に到達しました。山頂では持参した測量機器で標高や気圧など測量したほか、英国旗を掲げシャンパンで乾杯し登頂を祝いました。その後、「一ノ木戸」(標高2160m付近)まで一気に下山し、同所に一泊した後、村山を経て大宮町に戻りました。<br /><br />オールコックの富士登山は大変耳目を集め、一行が通過する東海道筋では見物制止命令が出されるほどでした。地域に伝わる資料にも、当時の様子が記されています。<br />大宮町の造酒屋の当主の日記『袖日記』には、一行の外見や荷物、様子などについて、伝聞を交えつつ詳しく書きとめられています。当時の人々が興味深く外国人に接していたことが伺えます。また、当時、富士山の化身である天狗がオールコックの登山に怒ったため登頂できなかったとする瓦版が発行されました(実際は登頂に成功しています)。外国人の登山に好意的ではない意見もありましたが、『袖日記』などの地域資料からは、大宮町の人々が好意的かつ好奇心に満ちて彼らに接していたことが伺えます。<br />『袖日記』には、宿泊場所の用意や人足・馬の手配など、大宮町が一行のために様々な準備や対応を行っていたことが記されています。富士山ろくの森林を管理していた富士山御林守上役石川孫四郎の日記にも、オールコックの登山に備え、事前に富士山に登山して準備していたことが記されています。しかし、これらの準備や負担は重いものであったため、費用の支払いや負担のあり方について、登山後も長く問題になり、オールコック以降の外国人登山の際にも度々問題となりました。」<br /><br />とのこと。

    ”サー・ラザフォード オールコック 富士登山記念碑”

    富士宮市のHPによれば、

    「オールコックは、計画に反対していた幕府を説き伏せ、万延元年七月富士山へ向けて出発しました。この旅には、単なるレクリエーションだけでなく、日英修好通商条約(1857年締結)にある内地旅行権の確認や江戸を離れた地方を視察するという政治的目的もありました。
    旅には、オールコックを初めとする英国公使館職員ら8名のイギリス人に加え、幕府から派遣された外国奉行役人や荷物を運ぶ人馬が随行しました。そのため、オールコックの希望とは逆に大行列の旅であったといいます。
    一行は東海道を進み、吉原宿で台風をやり過ごした後、大宮町を経て村山の興法寺に入ります。翌朝、村山の法印(山伏)の案内のもと村山を出発し、「中宮八幡堂」で馬を返して荷物を強力に預けてからは、金剛杖を手に徒歩での登山を開始しました。
    その日は六合目(現在の元祖七合目)まで登り、翌日無事頂上に到達しました。山頂では持参した測量機器で標高や気圧など測量したほか、英国旗を掲げシャンパンで乾杯し登頂を祝いました。その後、「一ノ木戸」(標高2160m付近)まで一気に下山し、同所に一泊した後、村山を経て大宮町に戻りました。

    オールコックの富士登山は大変耳目を集め、一行が通過する東海道筋では見物制止命令が出されるほどでした。地域に伝わる資料にも、当時の様子が記されています。
    大宮町の造酒屋の当主の日記『袖日記』には、一行の外見や荷物、様子などについて、伝聞を交えつつ詳しく書きとめられています。当時の人々が興味深く外国人に接していたことが伺えます。また、当時、富士山の化身である天狗がオールコックの登山に怒ったため登頂できなかったとする瓦版が発行されました(実際は登頂に成功しています)。外国人の登山に好意的ではない意見もありましたが、『袖日記』などの地域資料からは、大宮町の人々が好意的かつ好奇心に満ちて彼らに接していたことが伺えます。
    『袖日記』には、宿泊場所の用意や人足・馬の手配など、大宮町が一行のために様々な準備や対応を行っていたことが記されています。富士山ろくの森林を管理していた富士山御林守上役石川孫四郎の日記にも、オールコックの登山に備え、事前に富士山に登山して準備していたことが記されています。しかし、これらの準備や負担は重いものであったため、費用の支払いや負担のあり方について、登山後も長く問題になり、オールコック以降の外国人登山の際にも度々問題となりました。」

    とのこと。

  • 富士宮駅前のどこかのお店で、富士宮焼きそばを食べたような記憶があるんだけど、記録は無し…

    富士宮駅前のどこかのお店で、富士宮焼きそばを食べたような記憶があるんだけど、記録は無し…

  • 山頂の郵便局から投函した“登山証明書”!

    山頂の郵便局から投函した“登山証明書”!

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