2010/05/13 - 2010/05/15
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chiaki-kさん
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2010年 ベトナム旅行記・後半は、フエ→ハノイ→ハロン湾→ハノイ、そして帰国編です。
表紙の写真は海の桂林と呼ばれるハロン湾を往く観光船。お天気はいまいちだったが、波の全く無い湾は静かで、船上で調理した海の幸を味わったり、雄大な景色を眺めたり写真を撮りまくったり、快適な時間を楽しむことが出来た。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 1.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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5/13
5:00に起床。一風呂浴びた後、昨夜、地下のスーパーで購入したお土産の整理。ベトナムと言えばコーヒー。写真のロブスタ種コーヒーは1袋 35000ドン(175円)。ネスカフェなどのインスタントコーヒーの材料はこれ。 -
インスタントラーメンは1袋 4000ドン(20円)。
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ホテルの部屋は東向き。ネット以外のことをしているうちに日が昇る。今日も暑くなりそうだ。そういえば雨期だというのに毎日良い天気が続いている。My晴れパワー恐るべし。
* とあるオフ会では晴れ仙人と呼ばれています。 -
今朝のブッフェは1Fのオープンテラス。ちょっと暑かったがスイカジュースがまいう。
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そうめんのような麺のことをブンという。これはブン・ガー。
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フエ・グリーンホテル(*)。プールがとても綺麗で、出来れば水着を持参して泳ぎたかった。
* Googleで確認すると、今はシルクパス・グランド・フエ・ホテル&スパとなっているようです。 -
9:00 ホテル出発。5分ほど走って止まった場所がクオック・ホックと呼ばれる高等学校。ガイドのKAさんここぞとばかり、延々と学校の自慢話を繰り広げる。あの~、学校はどうでもいいんですけど・・・。
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フエは1802年から1945年にかけて存在した阮(グエン)朝の都。
市街地と郊外には阮朝時代の皇宮、皇帝廟、仏寺および遺跡が多数残されており、「フエの建造物群」としてユネスコの世界遺産に登録されている。ベトナムの国旗が翻っている場所はフラッグタワーと呼ばれる国旗掲揚台。 -
礼仁門、ここより城内に入る。
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門を入って右手に大きな大砲が並んでいるが、これは魔除け飾りのようなもので、実際に使用されたことは無いそうだ。
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午門。城壁にある4つの門のひとつで、3つある入り口のうち中央は皇帝だけがくぐれた。門の上には中国風の楼閣、屋根には鳳凰の装飾も。1945年ラストエンペラーのバオダイ帝がグエン朝の終焉を宣言したのもここ。
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牛門に近づく。
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入城
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中国式の門と大和殿が見えて来た。この門は牌坊(はいぼう)と呼ばれる中国の伝統的建築様式の門であり、海外では中華文化のシンボルのとされている。
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門の床に残る弾痕。1968年のテト攻勢でフエは2ヶ月間、解放勢力の支配下に置かれ旧南ベトナム政府関係者など約2000人が虐殺されている。そして王宮は解放勢力の根拠地の一つとなったため米軍の激しい攻撃にさらされ主な建物はことごとく破壊されてしまった。
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牛門に登ることが出来たので、大和殿を2階から眺める。牌坊が良く見える。
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牛門から見たフラッグタワー。昔は見張り台だったらしい。
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牛門の2階は、吹き抜けとなっている。暑さ対策かな。
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大和殿は北京にある紫禁城を模して造られた宮殿。即位の儀式が行われた大広間中央には皇帝の座した黄金の椅子が台座上に置かれ、壁や柱には中国風の細工が施されている。残念ながら内部の撮影は禁止。
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中国式の階位を表す石碑。ソウルにもありましたね。
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王宮のミニチュア。ベトナム戦争まで、これらの建物は殆ど残っていた。
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大和殿の裏はこんな感じだが・・・
* 最近行かれた方の写真を見るとフランス式庭園になっているようです。 -
現在着々と再現工事が行われている。
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砕かれた史跡も残っていた。戦争は人を殺し、全てを破壊する。
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再び礼仁門を通って退城する。バイクが怖い。
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昼食はフエ市内のレストランでブン・ボー・フエなどの郷土料理。思ったほど辛くなかった。それにしても今回の旅行で飲んだビールの量はすごいことに。
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昼食後フエ空港からVN244便にてハノイへ移動するが、機材の変更とやらで2時間30分遅れとなり、待合室で3時間近く待たされることとなった。ベトナム航空ではこんなことはしょっちゅうだそうだ。
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やっと我々を迎えに着たVN244便。
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ハノイ・ノイバイ国際空港へは17:00頃到着。ただちに青いバスに乗り込み、日本の有償援助で整備された4車線道路をハロン湾へ向けて出発する。写真は車窓から見たハノイ地方の農村風景。
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そして立体交差した道路は国道1号線(アジアハイウェイ1)。ハノイから中国まで続く幹線道路。なお、向こうに鉄道のようなものを建設しているがハノイとハロン湾を結ぶ鉄道のようだ。
* NETで調べましたが、1日1本という古~い列車が運行されているようです。 -
途中で見たベトナム・キャノン工場。ここで1~2万円程度の安いプリンターを造っている。(我が家にも1台あり)
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ノイバイ空港からハロン市のホテルまでは200km。照明の節約で暗い国道18号線を延々と走ったバスは20:30にホテル到着。ただちに夕食となるがさすがに疲れたので撮った写真はこれ1枚。海辺の町なのでメインは魚料理。このホテルには残念ながらネット環境は無く、シャワーを浴びた後、写真の整理やカメラの充電などしてさっさと就寝する。
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5/14
5:00起床。ベトナム最後の朝。雲が重く立ちこめている。ついにお天気は下り坂に。泊まった部屋はオーシャンビュー。写真は窓から見たバイチャイの町とハロン湾。湾の向こうはホイガイ地区だが、こちらは世界遺産では無い。
* Googleで見ると、湾は大きく埋め立てられ、一大ビーチ
リゾートに変身。とくにホイガイ地区は凄まじいことに。 -
ここは地理的に中国に近いので、中国人観光客が多勢、来ていた。ビーチリゾート化も中国資本が入ったと思われる。
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最後の朝食。今回の旅行では朝食が一番良かった。 朝食>昼食>夕食の順。
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泊まったホテルと今回乗った青いバス。何となくだが、このホテルも中国人経営のような気がした。
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ハロン湾入場チケット。40000ドン(200円)。ハロン湾は、ベトナム北部にある湾の名称で、大小3,000もの奇岩、島々が存在する観光名所。1994年、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録。
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乗船したハロン湾の観光船。木造で帆柱もありイメージは海賊船。写真左側が船首、中央は客室、右側がブリッジでその下はトイレ&ギャレーとなっている。天気が良ければ2階も利用できる。
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バイチャイの港を出港した船は一斉にハロン諸島? をめざす。
* 今は港も沖の島へ移動した様です。(島までは橋を渡る) -
前方の岩壁にあるのは世界遺産のマーク。
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鍾乳洞見学ツアーのため一旦上陸。小雨がパラついてきた。
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鍾乳洞のサイン。
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ハロン湾の島々には何カ所も鍾乳洞があるが、ここは最も規模も大きく有名な場所。
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カラフルな照明は奇をてらったものでは無く、苔などの微生物の発生を防ぐ為。
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ベトナム語、中国語、韓国語、英語、日本語が飛び交う鍾乳洞の内部。
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降船場と乗船場は違う場所になっている。
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隣の船と接触しています。密です。
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生活する船です。
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再び船に戻ってハロン湾の風景を楽しむ。まさに海の桂林。
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ハロン湾の風景1
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ハロン湾の風景2
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ハロン湾の風景3
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ハロン湾の風景4
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ハロン湾の風景5
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ハロン湾の風景6
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水上生活者の家
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船を横付けにして物売りが来る。
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船がまったく揺れないので食事も船内で落ち着いてゆっくり取れる。ベトナム風海鮮料理の昼食。
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ハロン湾には宿泊出来る船もある。まさに洋上ホテル。ほとんど揺れないので船に弱い人でも大丈夫。
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ハロンからバスに揺られること4時間。やってきたのはハノイ郊外にあるバッチャン村。安南焼で有名な陶磁器を生産する村で、ベトナムらしいデザインのコーヒーカップを写真の店で5ケ購入。
* 現在でも重宝しています。 -
紅河を渡るとハノイ市に入る。この橋は日本の有償援助で造られた橋で全長は4000mほど。
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ハノイ市内もホーチミン市と同様、車とバイクの洪水。
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街の中心にあるホアンキエム湖。中央の小島には亀の塔と呼ばれる建物が。ホアンキエム湖はハノイ市民の憩いの場所。
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社会主義国です。
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ホー・チ・ミン廟。ホー・チ・ミンはベトナムで一番有名な人。ではホー・チ・ミンについてスタディ。
ホー・チ・ミンは1930年にベトナム共産党を創立した人物で、WW2中にベトナム独立のための統一戦線組織「ベトナム独立同盟」(通称ベトミン)を組織して、フランス軍、そしてフランス軍に取って代わった日本軍に対する武装闘争の準備に着手した。大戦が終わった1945年、ホー・チ・ミンはベトナム民主共和国の独立を宣言する。
しかし、これを許さないフランス軍はハイフォンで共和国軍への攻撃を開始したので、ホー・チ・ミンは『全国民に抗戦を訴える』を発表して徹底抗戦に入った。これが7年間にわたる第1次インドシナ戦争の始まりである。共和国軍は北部山岳地帯にこもり、装備に勝るフランス軍をボー・グエン・ザップ将軍(*)が率いるゲリラ戦で圧倒し、1954年、ディエンビエンフーの戦いに勝利する。そして、ジュネーヴ協定が締結されて、フランス軍は、インドシナから駆逐された。
* ボー・グエン・ザップ(1911-2013)は西側諸国からは「赤いナポレオン」と呼ばれ 、ベトナム人民からは「ベトナム救国の英雄」として、ホー・チ・ミンと共に、深い敬愛と尊敬を集めている。 -
しかし、共産勢力を増やしたくないアメリカは、ジュネーヴ協定に調印せず、南部に親米的なベトナム共和国(南ベトナム)が成立すると積極的な経済的、軍事的支援を開始した。
そして、南ベトナム政府がジュネーヴ協定で定められた統一選挙を実行せず、反対派に厳しい弾圧を加えたため、その独裁政治に対する抵抗運動が広がり、1960年に南ベトナム解放民族戦線が結成され、介入を始めたアメリカ軍と激しく戦った。これが第2次インドシナ戦争、通称ベトナム戦争である。 -
戦争の終結に向けた動きが始まった1969年の9月2日、ホー・チ・ミンは突然の心臓発作によって死去し、79歳の生涯を閉じた。
政治思想や手法には賛否両論があるが、特筆すべきは、ともすれば汚職がはびこり、権力闘争に陥りがちな共産主義社会において、決してそういった悪事に手を染めなかったとされており、高潔な人柄は政治思想を離れた部分で尊崇を集めている。ホー・チ・ミンは遺書で自分の遺骸は火葬(ベトナムでは土葬が普通)にして北部・中部・南部に埋葬するよう書き残したが、国の幹部達はレーニンにならって遺骸は永久保存することとし、ハノイのバディン広場に廟を建設する。 -
こんな立派なお屋敷でなく、本人の希望通り、ベトナムの土に還してあげたいと思うのは私だけだろうか。
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20:30 市内レストランで最後の夕食をすませた後、ノイバイ空港へ。写真はベトナム航空のチェックインカウンター。出国手続きを済ませた後、出国ロビーで2時間ほど時間を潰しAM0:05発VN954便にて成田へ出発。
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5/15 6:30 VN954は駿河湾を通過中。窓の外には富士山が頭を出してお出迎え。
エピローグ ・ ベトナム考
ベトナムは1945年から1954年まで第1次インドシナ戦争を、1965年から1975年までベトナム戦争(第2次インドシナ戦争、なお南ベトナム解放戦線の戦いは1960年から)を、そして1978年から1989年までカンボジア(第3次インドシナ戦争)、中国との戦争と、足かけ40年近く戦争を継続し、そしていずれの戦争にも勝利した国である。(中国は負けを認めていない)
ただ、戦争に勝つには勝ったが戦死・行方不明者は180万人、民間死者300万人(第1次インドシナ戦争は除いて)、B52の爆撃により国内のインフラは破壊され、カンボジアとの戦争により西側世界からは経済封鎖され、中国とは仲が悪くなるなど、苦労の連続であった。
唯一の頼みの綱であったソ連も自由化の波に洗われるなど八方ふさがりの状態となり、経済破綻の寸前まで行ってしまう。ボートピープルなどの問題が発生したのもこのころであった。破産寸前のベトナムを救ったのは中国の改革・開放政策にならったドイモイ(別新)政策である。1989年カンボジアから撤退後、1992年中国と国交を回復後、フランス、アメリカと和解、さらにアセアンやAPECに加盟するなど、世界とのつながりを順調に回復していった。(全方位外交の成功)
現在、戦争の傷手から徐々に回復中のベトナムであるが、道路、鉄道、電気、ガス、上下水道などの社会インフラは、まだまだ未整備な状態にあり、とくに電力不足は深刻な問題となっている。ガイドさんの話によると国は高速道路(建設中)、高速鉄道(計画中)、ハノイ市内モノレール(計画決定)、原子力発電所(計画決定)など次々と手を打っているが、経済発展のスピードに追いつかないことと、社会主義国なので土地はすべて国のものであるが、ドイモイ政策により国民の土地借地権が認められた結果、借地権料の高騰が問題になっているとのことである。ともあれ、40年近い戦争の後、やっと巡ってきた平和が長く続くことを祈って、この辺でキーを休めたいと思います。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
2010/05/20 chiaki-k 記す 2020/06/16 一部加筆・修正
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この旅行記へのコメント (2)
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- しにあの旅人さん 2020/06/21 06:31:37
- おはようございます
- 2篇じっくりと拝見しました。フランスにいたときに数人のベトナム人の知人がいました。フランスに住み着いた難民でした。ベトナム料理のレストランを一家総出でやっていて、行くといつも大歓迎でした。生野菜が皿いっぱいついたフォーが今でも忘れられません。
私たちの海外の旅行先は欧州です。今のところイタリア、それからイギリス。東南アジアまで多分手が回らないでしょう。旅行記を拝見して、行った気になります。
- chiaki-kさん からの返信 2020/06/21 14:11:35
- 自由に旅行が出来る平和な時代が早くきますように
- ・
しにあの旅人さん、こんにちは。いつもありがとうございます。
>フランスに住み着いた難民でした。
ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)が終わり、消滅した南
ベトナム政府や軍の関係者達が、難民となって世界中に散らばり
ましたね。越僑と言うそうですが、その中で海外で成功した
越僑さんが、帰国して故郷に錦を飾る話をよく聞きます。
>生野菜が皿いっぱいついたフォーが今でも忘れられません。
私達が参加した安ツアーでは、高い料理は出ませんでしたが
かえって一般庶民が食べるような感じの料理が、結構おいし
くて良かったです。とくに日本人は肉より野菜を好みます
から、これもプラスポイントですね。
>東南アジアまで多分手が回らないでしょう。旅行記を拝見して、
行った気になります
私も2012年以降は欧州がメインとなりますが、アジア人だと
いうことを忘れないようミャンマー、台湾、インドには行き
ました。
最近のニュースを見ますと、ベトナム、タイ、オーストラリア
ニュージーランドはビジネスや帰省に限って渡航が出来るよう
になるそうですが、旅行はまだまだ先のようです。
自由に旅行ができる平和な時代が早く来れば良いですね。
では、また。
chiaki-k
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