2020/05/05 - 2020/05/06
4位(同エリア142件中)
あの街からさん
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オルヴィエート!
そのタイトな旅の始まりは
イタリア北部の街ピサの空港が
出発地だった。
そこからレンタカーで縦横無尽に
海辺の街、トスカーナのワイナリー
中世の小さな街や町、フィレンツェ
またまたトスカーナの美しい丘を
走り抜け、この街にたどり着いたのは
イタリアへやって来て9日目のことでした。
いつもながら旅の計画をすると
せっかくここまで行くのだから
ここも、あそこもとついつい
日程を組んでしまっていた。
それは(⌒▽⌒)あり( ̄O ̄;)あり
両面あったのだろうと思います。
しかしながら
それでも多くの候補地の中から
ひとつひとつ、一ヶ所一ヶ所
セレクトした街・町ですから
この旅でも、これ迄の行程の
どこの部分を切り取っても
満足できる旅を続けていたのでした。
そんなこともあり、オリヴィエートに
たどり着く迄に私の心は
満たされてしまっていたのだろうか。
その私の心に意表を突いて
立ちはだかった街、それが
オリヴィエートでした。
旅を終えて手にした沢山の
旅の思い出とSDカード
まだまだお蔵入りとなって
いたイタリア旅の中から
このコロナ難を逆転発想し
自ら、発掘シリーズ(笑)と
したその第2弾!です。
楽しかった旅の片鱗でも
お届けできればと思います。
旅行~2016.8.27~28
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- 交通手段
- 船 レンタカー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
この朝、トスカーナにある村上春樹のエッセイで
知った「バディア・コルティヴォーノ」の
ワイナリーHotelに心を残したまま
トスカーナの大地を南下してきました。 -
標識にローマの文字も見えてきました。
ローマ方面から来る場合には
鉄道の直通列車が運行されていて
1時間から1時間半程です。
もちろん
ローマからドライブがてら
高速を北上することも有りですね。 -
旅行ガイドブックや
旅行会社のツアーパンフレットには
〈世界一の美しい丘上都市〉
のキャッチコピーに飾られている
めざす!オリヴィエートが
正面に見えてきました。 -
高速を〈Orvieto〉で降りて
いよいよオリヴィエート
向かいます。
正面になだらかな台形のような丘
確かに美し~い。 -
先ずは車を駐車して
(駐車料は3Euroでした)
小路を歩き出しました。 -
中世の街並みがそこに在りました。
-
中世の街並みの中に
現代のカフェ模様もマッチしています。 -
こんなディスプレイひとつひとつが
ロングドライブの疲れを癒してくれます。 -
まだランチにはちょっぴり時間が
あるのでオープンスペースの
レストランもまだ余裕みたいです。 -
小さな広場の奥まった所に教会があり
その前の
穏やかな坂の片側にはカフェレストラン。
いい雰囲気を醸し出していました。 -
めざすは、ドゥオーモなのだけれど
お土産屋さんを
素通りするのは辛いなぁ。
伯父さんが手に花束(^ー^)
い~いです。非常~に! -
そう思いながらも
ついつい目が行ってしまいます。笑 -
やっぱり土産屋さんを見ながら歩くって
旅の醍醐味だよねぇ~。
そりゃあ絶景も、もちろんだけどサ。 -
醍醐味なンて大袈裟かい?
旅の仕方にだって いろいろあるンだよね。先ず
目が止まるところがサ。笑 -
店先から奥まった所には
-
このような小路を
歩いているだけで旅心を
満足させてもらえました。
カヴール通りを進みます。 -
ドゥオーモ通りに左折しました。
先ずフォークらしき♪歌声の
ギター弾き語りに聴覚を刺激され
それからもっと奥に視線を移した時に
バ~ン! と飛び込んできたのが -
ドゥオーモの勇姿でした。
-
狭い小路を進んで行くと
両端が切れてしまうほど
でっ~かい ドゥオーモが
だんだんとその姿を現してきました。
もう私の五感がフル稼働して
バリバリと音を立てて揺すられた
そんな感じがしました。 -
小路から広場に抜けるとそこには
威風堂々として それでいて
華麗な大聖堂が目の前に
そびえ立っていました。 -
決してオーバーではなく
そびえ立っているのです。 -
イチオシ
また正面に回り込んで 笑
今度は、この美しい模様を
正面から見て見ることにしました。
そうかぁ。これが
33人の建築家、152人の彫刻家、68人の画家
そして90人のモザイク師の手による
ファサードかぁ。
美しさの極み(⌒▽⌒)でした。
もう、夢中になってシャッターを
切りました。笑
13世紀末から14世紀半ばにかけて
建造され着工当初はロマネスク様式
でしたが、最終的にはゴシック様式
として完成。
中央部のアーチが何重にも
重なっているのがロマネスク様式の
特徴です。 -
イチオシ
ファサードの金箔が
夏の陽にキラキラ輝いていて
一層華やかな印象を受けました。
うわぁ! 凄いぞ! スゴイ。
ため息でした。
しばらくこの眺めを舐めるように堪能しました。
幸せの時間でした。 -
しばらく正面から見上げた後
今度は、両わきに回り込んで
シャッターを切りました。
白と黒のストライプ模様は
大理石できています。 -
ファサードには3枚の扉
と4本のつけ柱があります。
中央の扉は腐食が進んでいて
20世紀になってからブロンズで
彫刻家の
エミリオ・グレコの手によって
造り変えられました。
グレコと言えば画家のエル・グレコ?
違うだろう。とWikipediaで検索したところ
☆エミリオ・グレコはイタリアの彫刻家&画家
1913年 ~ 1995年(81歳)
サン・ピエトロ大聖堂に
「教皇ヨハネス23世の囚人訪問」礼拝堂リレーフ等。
日本にも仙台市の定禅寺通り公園に
「夏の思い出」と題したグレコの彫刻がありました。
仙台へ行った時には、是非見に行ってみてください。
私も、何度か見たのですがこの様な
繋がりがある人の作品とは知りませんでした。
次回仙台を訪れた時には
定禅寺通り公園へ行ってみたいと思っています。 -
中央部のブロンズ製の扉の
上には、聖母子像が。
更にその上にアーチ状に
虹の様に重なっているのが
ロマネスク様式なのですね。 -
4本の柱それぞれに
旧約聖書~天地創造・人間の起源
旧約聖書~予言者
新約聖書~キリストの誕生
最後の審判
が大理石に彫り込まれていました。
こちらは~キリストの誕生(新約聖書)
作者は
シエナ出身のロレンツォ・マイターニ。
当時、マイターニはシエナの大聖堂建設に
従事していましたが、スカウトだろうか
業務命令なのだろうか招聘された。と
伝わっています。 -
イチオシ
マイターニには、ファサード建設に
携わったとされる
33人の建築家、152人の彫刻家
のどちらにカウントされるのだろうか。
興味は尽きません。笑
この辺一帯は、長年にわたって
様々な民族が覇権を奪いあってきました。 -
イチオシ
上の三角の中には
「マリアの戴冠」
その下の丸窓
美しい薔薇模様ですね。
その上には12人の使徒
左右にはそれぞれ6人の預言者像が
配置されています。
その下
「マリア被昇天」
ガラスに24金の金箔を貼り付けた
モザイク画が眩しく陽に輝いていました。 -
金箔を貼り付けた
ビザンティン技法を駆使しています。
左側を切り取って
引いてみます。 -
その下
左側をアップで
引いてみます。 -
右側をアップで
引いてみます。 -
その下
右側をアップで
引いてみます。
こんな風に勝ってに分解した画像を
見た建築家はきっとこんな(≧∀≦)風に
なっているかも。( ̄O ̄;)
まぁ 子供の頃ついつい興味深々で
おもちゃを分解してみたくなる。
あの行為に似ている?
結果 単に壊しただけで元に戻らず
悲しかった 切ない思い出(^◇^;) -
正面の建物の横に長いベンチが
置いてあってそこに腰掛けると
正面にファサードがそびえています。
ですからベンチに腰掛けてカメラを
構えるとより広角に納める事が
出来るのですが、その前に人の往来が
ある( ̄O ̄;)ので、なかなかシャッター
チャンスが回ってきません。笑 -
中世の佇まいそのまま
♪い~い雰囲気です。
ドゥオーモ通りから
モーロの塔を望む。 -
13世紀末から14世紀半ばにかけて建造。
最終的には1600年まで
かかった。というのですから
日本では関ヶ原の戦いの頃ですね。
おおよそ300年の歳月を要した
とのことです。 -
ファサードの前には
見上げる人たち(⌒▽⌒) -
大聖堂の中に
入ってみましょう! -
天井は元々1320年代に作られましたが
1886年~1891年頃
原型に基づいて再建されたもので
やはり新しい感じがしました。 -
おそらくその再建の際に
縞模様の塗料で塗られたものと
推測されます。
大聖堂の外側の大理石の縞模様
とは違うのですね。
スペインのコルドバのメスキータでも
見かけた縞模様。
時の征服者の影響によるものなのでしょうね。 -
大聖堂を入ってゆきます。
入場料は3Euroでした。 -
この窓は
ステンドグラスと間違えそうですが
アラバスターの石をはめたもの
だそうで、光取りの役割もあると
思われます。
☆アラバスター(Alabaster)
白色の鉱物。
アラバスターには2種あって
古代~方解石をさし
現代~一般的に雪花石膏をさす
〈Wikipedia〉 -
アラバスターの石をはめた光取りにも
ほとんど経年劣化せず現存するフレスコ画。
天井までビッシリと
金箔のフレスコ画で飾られて
もう圧巻としか 言葉を繋ぐことができません。 -
ウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオ
とピエトロ・プッチーノなどによって
1370年に制作されたとされる
「聖母の物語」
このうち「受胎告知」「ご訪問」の
2つのシーンは15世紀になって
アントニオ・デル・マッサーロ
によって書き直された。
ということですが、ここは
柵があって中に入って
近くで見ることはできませんでした。
それでもこの位置から
ノーフラッシュでの撮影が
出来たのでですから満足です。 -
イチオシ
鮮やか色彩が見事に
永年劣化に耐え
輝きを放っています。
見事なフレスコ画に
圧倒されました。 -
イチオシ
イッポリート・スカルツァ作
「ピエタ像」(1579年)
ピエタ像と言えば
ミケランジェロ作品が思い浮かびます。
その多くのスタイルは
死にゆくキリストを抱きかかえる
哀しみの聖母マリアの構成ですが
イッポリート・スカルツァ作は
キリストと聖母マリアの横には
マグダラのマリア
後方にはアリマタヤのヨセフ
(キリストの遺体を引き取って埋葬した人と
伝えられている。)から構成されています。 -
中央部の祭壇にはキリストの磔刑。
ステンドグラスと金箔のフレスコ画で
飾られています。
ジョバンニ・ディ・ボニーノ作
のステンドグラス -
サン・ブリツィオ礼拝堂が
ロマネスク様式から
ゴシック様式に変更され
ステンドグラスが設置されたと
思われます。
ロマネスク様式の教会では
薄暗く閉ざされていたのとは
対照的な造りとなっているようなのです。 -
天井画
先ずカメラを構えて
その後
しばし立ち止まって
ため息を。 -
天井までビッシリと
美しいフレスコ画が。
期待をせずにやって来た
せいもあってか
素晴らしい。と、しか
言葉を繋げることができない。 -
天井までビッシリ
フレスコ画で飾られています。 -
どこに視線を移動しても
眩い。 -
どの扉
どの壁にも
贅を尽くした飾り -
天井画 に
先ずカメラを構えて
その後
しばし立ち止まって
ため息を。 -
『地獄(罪されし者を地獄へ
追いやる天使』『蘇る死者』
ダンテの『神曲』地獄編をモチーフに。
ルカ・シニョレッリ作。(1450年頃~1523)
ルカ・シニョレッリはイタリアの画家で
バチカンのシスティーナ礼拝堂の
壁画装飾にも携わっており
他にも、ウフィツィ美術館所蔵
「十字架上のキリストとマグダラのマリア」
等 ルネサンス期の代表的な画家でした。 -
ミケランジェロは、
シニョレッリのこのフレスコ画を
賞賛し、自らがシスティーナ礼拝堂「最後の晩餐」
を描く際に強いインスピレーションを受けた。
と伝えられています。
なる程
2人の作品は、リアルで力強く
裸体の群像画がテーマを際立たせています。
ミケランジェロの生涯は
1475年.3~1564年(88歳没)
ルカ・シニョレッリの生涯は
1450年~1523年頃(諸説あり)
でルネサンス期 同時代を生きた人でした。 -
♪パイプオルガンは
5500本のパイプからなり
イタリア最大ということです。
ここで
演奏を聴いてみたかった。 -
との部屋も
どの部屋も
見応えありました。 -
「慈悲の聖母」
メンミ(Lippo Memmi)の
1320年の作品 -
サン・ブリツィオ礼拝堂
入場者はまばらで
ゆっくりと回ることができました。 -
ルーカ・シニョレッリの
大聖堂での最後の仕事となったと
伝えられている
「ピエタ」(1503年) -
中世の時代、ヨーロッパの庶民の
ほとんどの人は読み書きが出来なかったといいます。
当時は本の生産量が少なかった為、
本が流通する範囲はごくごく限られていました。
このことから、信者が聖書を手にすることは
ほとんどありませんでした。
ゴシック様式の大聖堂には
窓が作られて教会の内部に
多くの光を取り入れ当時としては
画期的な色つきガラスで出来た
絵や図を用いて、聖書の物語を
文字を使わずに庶民に伝えようとしました。 -
彫刻もありました。
-
彫刻ってぐるりと角度を
変えてみると、違う表情が
現れ深みを増して見えます。 -
過ぎ去った歳月をも
見せてくれました。 -
過ぎ去った歳月をも
見せてくれました。
ローマはBC27年に共和制から
帝国となってAD395年東西分裂。
ビザンティン帝国と呼ばれる
東ローマ帝国の支配がおよそ1000年
続きます。この1000年に及ぶ
ビザンティン帝国の支配下にあった
オルヴィエートの街。
やがてビザンティン帝国は
1453年オスマントルコに滅ぼされ滅亡。
オルヴィエートの街の歴史に関わってきます。 -
フレンツェの街で眺めた風景にも
どこか似ている中世のこの街。 -
中世の街歩き
楽しんできました。 -
中世の街歩き
楽しんできました。 -
中世の街歩き
楽しんできました。 -
またファサードを眺めに
行きましょう! -
イチオシ
側まで行って
今度はじっくりと見上げてきました。
何度見ても(⌒▽⌒)でした。 -
この街でお土産屋と言えば
陶器(Ceramica)やレース編み
木工等 -
手工芸品が並んいます。
-
昨日までどっぷりと
浸っていたトスカーナ。 -
Orvietoの全景を描いた
ペッタンをコレクションに1枚。笑 -
この世界一美しい丘の上都市と
言われるOrvietoの街の全景を描いた
素敵な絵が飾られていました。
私は同様の絵はがきを買い求めました。 -
この街が舞台になった
映画だろうか。 -
こちらは、ハリウッドの
クラッシック西部劇らしきけれど
ハリウッドの西部劇って
アメリカのモニュメントバレー等
がほぼロケ地だと思っていましたが
どうなのだろう。
この映画はこの辺で撮影したのだろうか?
それともイタリアとの合作なのだろか? -
土産屋さんをのぞきながら
小路を散策していたら
ランチの時間がとうに過ぎて
いました。 -
小路に並ぶレストランの
オープンスペース人気のよくです。 -
エノテカの看板に惹かれた
訳ではありません(⌒▽⌒)
今日は、アイム ドライバーです。 -
パンやスイーツのコーナーもあり
それぞれが注文して自分のテーブルに
持つでくる。気軽な感じが
気に入りました。 -
ランチタイムはとうに過ぎて
いました。( ̄O ̄;) が
オルヴエートの街歩きが
素晴らし過ぎ(^ー^)て
空腹を忘れていました。 -
パニーニには好みの生ハムを
はさんで、あとライ麦パンサラダ。
さらりと食べます。
飲み物は、ビールと私は
ミネラルウォーター。
2人分で16.20Euro 観光地としては
コストパも味も良かったです。
海外旅行用のディバックに
香港のテンプルストリートで
随分前に買ったスーパーマン君。(^ー^) -
ご馳走さまでした。
-
残された時間で
また街歩きに戻ります。 -
紫のディスプレイが目に止まりました。
紫って 目立つ色だから
服装や持ち物に取り入れるのは
難しそうだ。
しかし、広告のアテンション効果は
群を抜いて力を発揮! -
ラベンダーの香りは(⌒▽⌒)癒しの香り。
リラックス効果が期待できそう。 -
町外れの断崖から
眺めてみたいなぁ。と -
「サンタマリア・デイセルヴィ聖堂」
を通り過ぎます。 -
町外れの断崖から
眺めてみたいなぁ。と
歩き出しました。 -
断崖スレスレ見晴らしの良い所に出ました。
丘の上に作られた要塞都市。 -
もう直ぐオルヴィエートの街と
さようならをする時間が迫ってきました。 -
平和な時代は絶景として
この街の歴史上では
この断崖がこの街を
随分と守ってきたのだろうなぁ。 -
美しい丘の上都市 Orvieto
期待をはるかに超える美しい街でした。
ドゥオーモ・ファサードは迫力が
教会内もフレスコ画を始めとして
圧倒された。
中世の街並みを散策する楽しさ
と
三拍子揃って旅心を充してくれた
素敵な街でした。 -
フィレンツェで連泊した後
タイトな旅が続いていました。
今度こそゆっくりとした日程を組んで
みようと計画を立てるのですが
結果的にいつもタイトなスケジュールに
なっていました。
こうして私の旅は続きます。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ken-kenさん 2020/05/29 20:21:56
- オルヴィエート!懐かしいです!
- あの街からさん、今晩は。
お久しぶりでございます。
オルヴィエートの町は自分も2泊しました。
なのでとても懐かしいです。
ドゥオーモの素晴らしさ、トリュフの美味しさ、街並みの美しさ・・・・・
おかげさまで再び記憶が蘇り、また行きたくなってしまいました(笑)。
ちなみに映画のポスターですが、最初の方はタイロン・パワー主演のハリウッド映画「征服への道」。
(英語名「captain from castile」)
調べたところスペインのカスティーリャの貴族がメキシコに行く話で、ロケ地はメキシコでした。
二番目はシネラマ長編映画の第一作「西部開拓史」です。
ポスターに写っているのはジェームス・スチュアートですが、その他にもジョン・ウェイン、グレゴリー・ペック、ヘンリー・フォンダなどが出演し、オールスター映画のはしりともいえる作品です。(ただ、大勢のスターに見せ場を作ったため話が拡散してしまい、全体的にはまとまりがない作品になってしまったような気がします)
ストーリーはアメリカ西部がいかにして発展したかという話を時代順にオムニバス式に描いたものです。(アルフレッド・ニューマンの音楽が壮大で自分好みでした)
完全にアメリカロケですし、イタリア資本もまるっきり関係してないみたいです。
なのでどちらもオルヴィエートとはまるっきり関係ないんじゃないかと思います。
イタリアって時にこんな謎なことをしますね(笑)。
- あの街からさん からの返信 2020/05/30 14:59:25
- RE: オルヴィエート!懐かしいです!
- Ken Kenさん お久しぶりです。
オルヴエートで出逢えて良かったぁ。と思っています。
いえ Ken Kenさんにですよ。(^ー^)もちろん!
コロナ難に遭遇しなければオルヴエート編を・・・
と思うと( ̄O ̄;) です。
オルヴエートに2泊って い〜い旅ですね。
近頃は滞在型の旅をしたいなぁ。と思っているのですが
いざ計画を立ててみるとタイトな旅になってしまいます。( ̄O ̄;)
グルメの Ken Kenさんらしく、オルヴエートへ行ったら
トリュフと決めていたのですね。自分はパニーニでササっと
ランチを済ませてしまっていました。(^◇^;)
日没の時間や朝陽の時間に散策したらもっと印象が変わるでしょうね。
さて、ひさびさに映画のお話。
そうなのですね。調べていただき(⌒▽⌒)嬉しいです。
> 最初の方はタイロン・パワー主演のハリウッド映画「征服への道」。
> (英語名「captain from castile」
> 調べたところスペインのカスティーリャの貴族がメキシコに行く話で、
ロケ地はメキシコでした。
そうなンだ。タイロン・パワーと言えば、ハリウッドの名画週間で
「愛情物語」を観ましたが。Ken Kenさんに習って調べてみました。
そうしたら、何とデイートリヒの「情婦(検察側の証人)でも
名画週間かTVかで観ていました。1958年に44歳で急死して
いるとの事で、愛情物語が1956年公開、情婦が1957年で
亡くなる前年かぁ。とため息でした。昔の44歳は大人だったなぁ。と
もう一本の方
> 二番目はシネラマ長編映画の第一作「西部開拓史」です。
そうなのですね。
キネマ旬報でシネラマ第一作との公開当時の映画館に
超大型の看板を掲げた写真を見たことを思い出しました。
オルヴエートでジェイムス・スチュアートの顔だけは
ハリウッドの映画で見た顔だと思いましたが
「西部開拓史」のポスターとは全く気がつきませんでした。
西部開拓史はシネラマの大型看板のイメージで個々の顔の
印象は皆無(≧∀≦)でした。
ジェイムス・スチュアートは、ヒッチ・コックの作品
や「フィラデルフィア物語」等で観ていました。
TVの進出で危機感を募らせたハリウッドが
その威信をかけて作った超大作だったので
オールスター出演だったのですね。
プロデューサーや監督は大物役者の出演時間割とか
さぞや( ̄O ̄;)だったのでしようね。
(アルフレッド・ニューマンの音楽が壮大で自分好みでした)
また自分は観ていないのでこの機会に観てみたいと思います。
> 完全にアメリカロケですし、イタリア資本もまるっきり関係してないみたいです。
> なのでどちらもオルヴィエートとはまるっきり関係ないんじゃないかと思います。
> イタリアって時にこんな謎なことをしますね(笑)。
いやぁ 面白いですね。イタリア!
いろいろ楽しませていただきました。
ありがとうございます。
また 何処かの街で 会いたいですね。
あの街から
-
- Satomi さん 2020/05/17 22:25:34
- はじめまして
- あの街からさん、こんにちは。
私の「イタリア年越し」旅行記を見て下さって、いいね!ありがとうございます。
私もこの時にオルヴィエートにちょっとだけ寄ったのですが、ドゥオモの外見だけしか見なかったので、あの街からさんのたくさんのお写真を拝見させて頂き、また行く機会があったら今度はじっくり街歩きをしたいな、と思いました。
レンタカーでのご旅行だったのですね。イタリアは日本と交通ルールなども違い、怖くはないですか?レンタカーでのトスカーナの丘めぐり、あこがれです!
又お邪魔させて頂きます。今後ともよろしくお願い致します。
by Satomi
- あの街からさん からの返信 2020/05/19 08:30:22
- RE: はじめまして(⌒▽⌒)
- > Satomiさん
訪問等をありがとうございます。(⌒▽⌒)
Satomiさんの自己紹介の扉を拝見いたしました。
ペルージャ外国語大学に語学留学なされたのですね。
うわぁ! 私もイタリアが大好き旅人の1人と自負(^ー^)
していますが、Satomiさんのイタリア愛には脱帽しました。
これを機に
私の知らないイタリアの顔を沢山たくさん
見せて・魅せて くださいね。
楽しみにしています。
>
外国での運転について お話ししてみます。
私は、最初に左ハンドルの運転をしたのが
アメリカのグランドサークルでした。
ラスベガスでレンタカーを借りて
アメリカの国立公園を回ったのが始まりでした。
道幅が広いのと片側3車線4車線の高速は
日本より運転し易かったですし
一般国道に入ると交通量が少なく
カーラジオから流れるアメリカンPOPSを
聴きながらのドライブにハマってしまいました。
それでも、ヨーロッパのドライブ事情はアメリカとは
また違いました。高速以外の道は道幅が狭く
何よりもラウンドアバウト(円形の交差点に信号機はなく
一つの円に5〜6本の道が連なっていて
先に円形の交差点に侵入した車が優先権がある。)
の交差点はタイミングを掴むまで苦手でした。( ̄O ̄;)
それから
都市部から郊外へ抜ける道も一方通行が多く
カーナビがない時には苦労しました。
それと、城壁で囲まれた小さな街だと駐車場が
城壁の外(サンジェミニアーノやピッテリアーノ等)
で、石畳ですし荷物の移動等ちと苦労しました。
フィレンツェでも駐車場はホテルから少し離れた所
でした。
が
それらをすっかり忘れさせてくれる程
車ならではの素敵な風景や地元の人たちや
旅人とのふれあいが毎回あり(⌒▽⌒)
やはりハマります。
>
第一に運転が好き(^O^☆♪が
ベースににあれば、あとはほとんど慣れかなぁ。
と思います。
また 私は
レンタカーを借りる時、保険は任意を
フルカバーにして付け
安全運転を心がけています。
イタリア愛に溢れたSatomiさんの旅行記
楽しみにしています。
あの街から
-
- jamokaさん 2020/05/14 22:28:11
- 何もかもが美し過ぎる街
- こんばんは~☆彡
SDカードもデジタルも無く情報も乏しかった頃にアッシジへ行き一人テンションあがってた事を最後の写真を見て思い出しました。
丘の上の街オルヴィエートは目に映る景色もお店も人もお洒落で正に女性の憧れの街ですね♪
それにしてもドゥオーモ・ファサードは美し過ぎます✨写真を見せて頂いただけでも息を呑む様です。
今迄見たドォーモの中で一番美しいです(*˘︶˘*).。.:*♡
金箔だったり天井の高さだったり…本物を見たら1日中見ていても時間が足りない気がします。
写真見れただけでも感謝です🙏
いつになるか分かりませんが3度目のイタリアはトレッキングと共にこちらも訪れなきゃです。
- あの街からさん からの返信 2020/05/15 21:06:59
- RE: 何もかもが美し過ぎる街
- こんばんは (⌒▽⌒) ありがとうございます。
オルヴエート
ドゥオーモ・ファサード,フレスコ画
そして中世の町の街歩き。
三拍子揃ってい〜い街でした。
> いつになるか分かりませんが3度目のイタリアはトレッキングと共に
こちらも訪れなきゃです。
そうですね。私も皆さんの旅行記を見る度に
行ってみたい街が増え続けます。(^ー^)
jamokaさんも、今回のコロナでキャンセルになって
しまった北欧の旅。北アルプス(私のリクエスト)
そしてイタリア・トレッキングの旅 と
目白押し。 トレッキングの帰路の旅で
オルヴエートというのも良いアイデアですね。
1〜2泊オルヴエートにホテルを取ると
リラックスして良い時間を過ごすことができると
思います。
近くにもオルヴエートから日帰りで行く事が
出来る素敵な町が点在しています。
アクティブなjamokaさんにお勧めのコースです。
あの街から
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