2019/06/16 - 2019/06/16
88位(同エリア238件中)
asamiyさん
- asamiyさんTOP
- 旅行記546冊
- クチコミ3724件
- Q&A回答432件
- 686,662アクセス
- フォロワー30人
2019年7月はミャンマーに2年ぶりに行った。そのその旅行記をまとめようと思ったが、それは6月に回すことにした。
今回は板橋の実家までバイクで行った時の往復にTrip Adviserに口コミを書くために登録されている場所を中心に立ち寄ってみたので、その分を旅行記としてまとめてみた。バイクはヤマハセロー250を使っている。
R463からR122、環7というルートで下頭橋到着。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
最初は下頭橋。
川越街道が石神井川を渡るところに架かる橋だ。
このあたりには子どもの頃。よく来ていた。 -
下頭橋のたもとに神社があるのには子どもの頃には気が付かなかった。
-
現在の川越街道の橋は新下頭橋という名前がついている。橋のたもとに六蔵祠と左が下頭橋。
-
下頭橋の説明板。
-
板橋交通公園。
都営住宅の跡地に1968年に開園。ちょうど交通戦争と言われ、交通事故の死者数が年間1万人を越えていた時期だ。子どもの頃はよく遊びに行ったものだ。板橋交通公園 公園・植物園
-
園内に信号機が設置され、自転車を無料で貸し出し、子供たちに交通ルールを教えるために作られたのだと思う。何十年ぶりかに園内に足を踏み入れてみた。
-
気になっていた都電の車両は健在だったが、保存状態はよくない。貴重な7500型なので大切にしてほしい。
-
大山福地蔵。
大山ハッピーロード商店街が川越街道と合流する交差点を右に曲がるとある。
きれいに清掃されており、地元の人が保存に力を入れていることが想像できる。大山福地蔵尊 名所・史跡
-
大山近くまで時々来るので、その時は立ち寄っている。以前はお参りする人の姿をほとんど見なかったが、最近では見かけるようになった。
-
大山福地蔵。
大山福地蔵尊 名所・史跡
-
ハッピーロード大山商店街
特に買い物はしないが、今回も子供のころに来たことがある店を探してみた。写真屋や書店は3年経っても残っていた。メダカを買ったことがある金魚屋はとっくになくなっていた。ヨーカドーはもちろんない。ここを歩く時は子供のころの記憶探りながらいつも歩くことになる。ハッピーロード大山商店街 市場・商店街
-
板橋天祖神社。
この神社の先代の神主さん(現在は80歳を越えている)が私が通学していた中学校の事務職として勤務しており、私のクラスの担任と親しかったらしく、夏休みにここで肝試しをやった記憶がある。それ以来この神社にお参りすることはなかったのだが、今回近くまで来たので、寄ってみた。 -
社務所にその旨を話すと、その先代の神主さんが出てきて下さり、話すことができた。
板橋天祖神社 寺・神社・教会
-
神社は思っていたよりも大きく、緑豊かだ。説明板に「狛犬の台座に円形のへこみがあり、これは1945年6月10日に空襲の折にできたものだ」という一文があった。今回はこれを確認できなかったが、次回行く機会があれば確認したい。
-
天祖神社の説明板。
-
熊野神社。
川越街道と環状6号線(山手通り)との交差点にある。 -
意外に建物など立派だった。
-
熊野神社の説明板。
-
氷川町氷川神社。
中仙道を通る機会があったので、今回も氷川神社にお参りをして富士塚に登ってみた。
山手通りを北上すると中仙道と合流する。その先に氷川神社がある。 -
氷川神社富士塚。
わずか数メートルの高さだけど、テンションが上がる。江古田の浅間神社のように年間でわずかな日しか登れないところもあるが、ここは毎日富士塚に登れる。 -
氷川神社本殿。
-
氷川町氷川神社の説明板。
氷川神社から子易神社へは戻る形になるが、そのあと旧中山道の沿って見て回った。 -
子易神社。
大山駅から少し歩いたところにある。当地金井窪村の鎮守だったそうで。江戸時代にはすでに安産・子育ての神様として信仰されていたとのことだ。子易神社 寺・神社・教会
-
子易神社本殿。
私が行った時も安産を願う夫婦の方がお参りに来ていたので、現在でもご利益があるのだろう。 -
子易神社の説明板。
-
観明寺。
旧中山道板橋宿の寺院。今回実際には見ていないが、板橋七福神恵比寿神があるそうだ。お正月に板橋七福神巡りをするのもいいかもしれない。 -
参道の左側の庚申塔。1662年のもので、青面金剛像が彫られたものとしては、都内最古で、板橋区の指定有形文化財になっている。
-
観明寺と庚申塔の説明板。
観明寺 寺・神社・教会
-
観明寺。
-
板橋観光センター
旧中山道板橋宿にある。「いたばしまちあるきマップ」を「板橋エリア」「常盤台エリア」「志村エリア」「赤塚エリア」と「高島平アリア」を除く4か所分をいただいた。 -
センター内には板橋の写真や初代の縁切り榎が展示されている。もう少し早い時間に来ればボランティアの方の説明が聞けたようだ。
いたばし観光センター 名所・史跡
-
初代縁切榎。
-
板橋。
旧中仙道の石神井川に架かる橋。ここに架かっていた橋が区名の由来になったかもしれないといわれている。
桜の時期に来れば石神井川両岸の桜が見事だ。7月では特に見るべきものはない。橋の欄干はコンクリート製だが、木製のような塗装がしてある。 -
縁切榎。
相変わらず、縁切りを望む人達の絵馬がたくさんかかっていた。絵馬の書かれた文を読むとゾッとするものが多い。そして圧倒的に女性が書いたものが多い。この絵馬がどこで売っているのか疑問だったが、やっと売っている店が分かった。近所の蕎麦屋と八百屋で売っている。縁切榎 名所・史跡
-
調べてみると江戸時代にはもう信仰されていて、皇女和宮が徳川家へ降嫁(嫁入り)する際に迂回路が作られたと伝えられているほどである。
-
東光寺
旧中山道板橋宿にある寺院。 -
火災等で何度か移転したそうだ。現在は境内は狭く、建物も新しい。境内には庚申塔、地蔵菩薩像、宇喜多秀家の墓がある。宇喜多秀家の墓は確認しなかった。八丈島に流された宇喜多秀家の墓がこの寺院にあるめぐり合わせに不思議はものを感じた。調べてみると、前田家と前田家の下屋敷が板橋にあったことが関係していた。
-
東光寺の説明板。
-
板橋宿本陣跡。
脇本陣の跡も本陣の跡も石碑と説明板があるのみ。当時を偲ぶものは何も残っていない。説明板を読むと敷地はかなり広かったこと。江戸から近いので、宿泊ではなく休憩に使われていたのだろう。 -
板橋宿本陣跡の説明板。
-
南蔵院。
今年は枝垂れ桜を見に来ることができなかったので、代わりに6月にお参りした。(2020年も桜を見ることができなかった)
夕方だったので、本堂の扉は閉まっており、他には参詣する人はいなかった。南蔵院 寺・神社・教会
-
山門の工事中で中山道側から入れず、案内の掲示を見ると南門から入ることができることが分かった。
-
工事中の山門。
-
山門が工事中なので中山道側から入れず、案内の掲示を見ると南門から入ることが、わかりそちらから入った。
-
熊野神社。こちらは志村にある熊野神社だ。
幼稚園が併設されている。 -
熊野神社本殿。
城山熊野神社は志村城の二の丸だったと伝えられているが、城跡を感じさせるものはない。 -
志村城跡の碑。
板橋区の台地と低地の境目の崖の上にある戦国時代初期の城跡だ。城があったのは1456年~1524年。写真の碑が建っているのは熊野神社の境内で、熊野神社の方が先にでき、城の方が後からできた。
城跡らしき物は、神社の社殿の西側に空濠跡が残っているらしいが確認できなかった。志村城跡 名所・史跡
-
志村城跡と熊野神社の説明板。
以上でこの日の見学、撮影は終了。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
48