2020/04/22 - 2020/04/22
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とべひよこさん
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二人きりならいいかなと山行決行。
一度行ったことがある石戸山です。
例年、今の季節は桜まつりで大人一名毎に400円位徴収されましたよ。
でも今回はコロナのため誰もおられず無料駐車してしまいました。
遊歩道があり、段々と登りがきつくなっていく山です。
約三分の一ぐらいまではあっちを見たり、こっちを見たりとのんびり歩いているともう1時間も経っていて、これは頂上にはお昼は無理だなあ(年を取ったなあとヒシヒシと感じました)と思いました。
でも急ぐことはないと普段通りに歩いていくと、思っていた時間よりもほんの少し早く到着。
急な登り下りがある山で、登りながら下山は絶対に転ぶだろうなあと思いながらの登攀です。
粘土質のため滑りやすいんですよ。
今回は奥の院まで足を延ばすことにしましたが、ななんと3分ほどで着いてしまいました。
奥の院というから古くてもそれなりに立派な建物をイメ-ジしていましたが「えっ、これが奥の院」っ感じでがっかり。
足利氏の将軍?が信長によって、ここに来たとかなんとか書いてありそうな消えかけの木の説明板でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
-
駐車場に咲いていた桜。
まさに満開の桜。
誰も見る人がいなくとも、桜は咲いていました。
人間はどうしても人の目を意識して行動してしまうのになあ~。
自分を反省! -
遊歩道のそばには檀家さんの立派なお墓がありました。
ここのお墓には、家紋が金色にしてあるのが多かったです。 -
石巖寺の山門。
石巖寺は聖徳太子が創建されたといわれている、高野山真言宗のお寺です。
この山門が有名です。 -
寺内のある散策コ-スの説明。
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足利光栓将軍屋敷跡が奥の院にあるそうです。
信長(明智光秀)の丹波攻めで、全山に火が放たれましたが仁王門のみ焼け残りました。
明智光秀の大河ドラマの影響でののぼりが経っていました。
でも、その戦役で全山焼け出されたのに・・・ -
石巖寺の山門です。ここの仁王像が焼け残った実物です
国指定重要文化財です。
運慶作。組木で作られているのに、継ぎ目は分からないし、流れるような衣は本当に驚かされます。 -
石巖とはもともと仏像などを安置する厨子や壁面の窪みを意味するようです。
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山門の仁王像の国指定重要文化財の証です。
この後ろに説明が聞けるスイッチがあったので押してみると、ビックリするくらい大きな声で説明が初まりました。自分が推したのだから最後まで聞きました。「皆様ようこそ石巖寺にお参りくださってありがとうございます」から始まる説明でした。 -
運慶作の「阿」像です。
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阿吽の呼吸の「吽」像です。
何百年の経つのに今だ何の支障も無いという技術力のすばらしさ。 -
石巖寺本堂への階段です。
ここは紅葉が多いので、秋にはきれいな紅葉が見られることでしょう。
今は若葉の美しい時期でよかったですよ。 -
昔の人が奉納したと思われる石象です。
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大きな椿の花。
これほど立派な椿の花はなかなか見られないと思います。 -
鐘撞堂からが石戸山への本格的な山道になります。
お堂の左側から登り始めます。 -
鐘撞堂。
誰がついてもいいようです。
右奥に見える石灯篭が奥の院への道です。
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落ち葉が沢山あり、粘土質の山道で登りにくかったですが、やっと半分の鉄塔まで来ました。
この日は風があったので、雲や水蒸気が無く遠くまで見晴らし良かったです。 -
ミツバツツジが若葉の緑に色を添えています。
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緑石岩の採掘跡です。
戦後タイルや建築に使われたようです。
50年代にはもう採掘は終わっていたようです。 -
手前の白っぽく見えるのが、緑石岩のあるラインです。
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古い鉄のワイア-が残っていました。
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山頂への道標がやっと出てきました。
でも、これからの登りがきついんです。
今までは100m毎に標識が建っていたのですが、最後は「70m」と表示されていて嬉しかったなあ~。
登ってきた人にしか分からないだろう、この標識のありがたさ。 -
右に見える道を上って前は下山しました。
ここからの下山は急な斜面でとても怖かったですね。 -
山頂に到着。
時計を見ると、定時間よりほんの少しですが早く着きました。
撞堂が1/3の地点で、こまでで1時間ほどかかっていたのでビックリでした。
急いだわけではないし、急ぐことが出来るだけの健脚でもないのに嬉しい誤算でした。30分は予定時間を過ぎるだろうと思っていたのです。 -
一等三角点。
立て看板にこの左手の道を下ると、360度のパノラマが広がっていると書いてありましたが、木が大きく育ってしまっていて何も見えませんでした。
ガッカリ。 -
何とこれが奥の院みたいなんです。
もう少し行くときっともっと立派な奥の院があるだろうと思いましたが、やっぱりこれが奥の院でした。真言のお経が書いてありました。 -
これが足利氏将軍屋敷跡です。
本当かなと思いますよ。 -
下山途中からの展望。
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石巖寺への道を行きます。
奥の院から500mです。 -
一部補修されている本堂です。
白木が美しい。
飾り金具も金ぴかです。 -
寄進がたくさん集まれば、また補修が始まりそうです。
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水琴窟がありましたが、水がなくて音を聞くことはできませんでした
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苔がとても綺麗でした。
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ピント甘いですが、小さなスミレがひっそりとさいていました。(ほんと恥ずかしい写真で申し訳ありません)
コロナなんて関係ない世界があることの安心感。 -
出発点に無事帰ってきました。
これで山登りは終了です。
無事戻ってきて初めて完成ですね。
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