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※飯田天竜教という宗教は実在しません、念のため<br />世の中にまだ「戦時中」ムードの薄かった頃、どういう流れか某大学鉄道研究会のOBメンバーの旅行に鉄道研究会どころか某大学の人間でもない筆者が誘われて北遠へ。原田橋の渡り初めに行くという旅。<br />そして新道があれば廃道もあり。<br />佐久間の廃道といえば泣く子も黙る県道288号線が有名だが半場神妻線も負けてはいないw<br />翌日は北遠本線で浜松へ下りあの「さわやか」と浜名湖半周ドライブ、パノラマカー&デラックスカーで大阪に帰る旅。<br />いつも通り使った列車はご覧の通り。<br />新大阪1950→こだま760号→2059名古屋<br /><br />名古屋743→新快速豊橋行→825蒲郡<br />蒲郡926→特別快速豊橋行→937豊橋<br />豊橋1008→特急ワイドビュー伊那路1号飯田行→1121中部天竜<br />下川合1626→普通岡谷行→1702水窪<br /><br />水窪802→普通天竜峡行→808大嵐<br />大嵐839→普通豊橋行→845水窪<br />水窪町910→浜松市自主運行バス北遠本線→1042西鹿島駅<br />西鹿島1048→新浜松行→1120新浜松<br />浜松1601→普通豊橋行→1636豊橋<br />豊橋1645→快速特急名鉄岐阜行→1738名鉄名古屋<br />近鉄名古屋1800→特急大阪難波行→2002鶴橋<br />鶴橋→環状線内回り→大阪<br />大阪→中略→自宅<br />

2020年飯田天竜教自己啓発セミナー1・2日目(2020/2/28・29)廃道と原田橋渡り初めの旅

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2020/02/28 - 2020/03/01

99位(同エリア205件中)

摂津の国のマーガトロイド

摂津の国のマーガトロイドさん

※飯田天竜教という宗教は実在しません、念のため
世の中にまだ「戦時中」ムードの薄かった頃、どういう流れか某大学鉄道研究会のOBメンバーの旅行に鉄道研究会どころか某大学の人間でもない筆者が誘われて北遠へ。原田橋の渡り初めに行くという旅。
そして新道があれば廃道もあり。
佐久間の廃道といえば泣く子も黙る県道288号線が有名だが半場神妻線も負けてはいないw
翌日は北遠本線で浜松へ下りあの「さわやか」と浜名湖半周ドライブ、パノラマカー&デラックスカーで大阪に帰る旅。
いつも通り使った列車はご覧の通り。
新大阪1950→こだま760号→2059名古屋

名古屋743→新快速豊橋行→825蒲郡
蒲郡926→特別快速豊橋行→937豊橋
豊橋1008→特急ワイドビュー伊那路1号飯田行→1121中部天竜
下川合1626→普通岡谷行→1702水窪

水窪802→普通天竜峡行→808大嵐
大嵐839→普通豊橋行→845水窪
水窪町910→浜松市自主運行バス北遠本線→1042西鹿島駅
西鹿島1048→新浜松行→1120新浜松
浜松1601→普通豊橋行→1636豊橋
豊橋1645→快速特急名鉄岐阜行→1738名鉄名古屋
近鉄名古屋1800→特急大阪難波行→2002鶴橋
鶴橋→環状線内回り→大阪
大阪→中略→自宅

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.5
交通
3.0
同行者
友人
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 JR特急 JRローカル 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 旅は新大阪から。この日は前乗りで名古屋を目指すのみ。<br />「飯田天竜教自己啓発セミナー」なんてタイトルだが「飯田天竜教」というのは実在する宗教ではなく今回の遠征の主催者の「ネタ」であるw<br />今回は某大学鉄道研究会の創始者(同時にバイト時代のボスである)が主催する某大学鉄道研究会OB有志の旅行である。<br />だが筆者は某大学鉄道研究会に在籍していたわけではないし某大学に在籍していたわけでもないw<br />だが色々縁あって今回の旅に誘われ、二つ返事で参加のメールを返信しこの夜に至ったのである。<br />ということで新大阪へ向かうべく移動しているとメールで今回の「飯田天竜教自己啓発セミナー」の決行のお知らせがやってきた。<br />だが筆者はもう既に「出家」しているw<br />そんなわけで新大阪に到着。8年ぶりのぷらっとこだまで名古屋を目指す。<br />ぷらっとこだまにはドリンク券がついているが新大阪での品揃えが微妙であったこと、既に飲み物は事前に購入していたことからドリンク券は名古屋で使うことにした。<br />新型コロナウイルスの影響で乗客も数えるほど。元々遅い時間ということもあるが…<br />京都を過ぎてもさほど客は増えない。<br />こだまの指定席をこの「戦時中」に取る人も少ないのか静かなままに名古屋までの1時間は流れていった。

    旅は新大阪から。この日は前乗りで名古屋を目指すのみ。
    「飯田天竜教自己啓発セミナー」なんてタイトルだが「飯田天竜教」というのは実在する宗教ではなく今回の遠征の主催者の「ネタ」であるw
    今回は某大学鉄道研究会の創始者(同時にバイト時代のボスである)が主催する某大学鉄道研究会OB有志の旅行である。
    だが筆者は某大学鉄道研究会に在籍していたわけではないし某大学に在籍していたわけでもないw
    だが色々縁あって今回の旅に誘われ、二つ返事で参加のメールを返信しこの夜に至ったのである。
    ということで新大阪へ向かうべく移動しているとメールで今回の「飯田天竜教自己啓発セミナー」の決行のお知らせがやってきた。
    だが筆者はもう既に「出家」しているw
    そんなわけで新大阪に到着。8年ぶりのぷらっとこだまで名古屋を目指す。
    ぷらっとこだまにはドリンク券がついているが新大阪での品揃えが微妙であったこと、既に飲み物は事前に購入していたことからドリンク券は名古屋で使うことにした。
    新型コロナウイルスの影響で乗客も数えるほど。元々遅い時間ということもあるが…
    京都を過ぎてもさほど客は増えない。
    こだまの指定席をこの「戦時中」に取る人も少ないのか静かなままに名古屋までの1時間は流れていった。

  • ということで名古屋に到着。名古屋駅の売店には筆者の「燃料」があったのでここでドリンク券を引き換え。<br />金曜夜とは思えない程人のいない名駅エリアを歩き駅前のホテルにチェックインしてこの日は終わり。

    ということで名古屋に到着。名古屋駅の売店には筆者の「燃料」があったのでここでドリンク券を引き換え。
    金曜夜とは思えない程人のいない名駅エリアを歩き駅前のホテルにチェックインしてこの日は終わり。

  • 翌朝は名駅からスタート。実は朝少し時間があったので名古屋港に行って貨物船を撮ろうかと思ったがお目当ての船がいなかったのでボツ。<br />今から思えば矢田川橋梁のLECOQ銘板でも見て行けば良かった…

    翌朝は名駅からスタート。実は朝少し時間があったので名古屋港に行って貨物船を撮ろうかと思ったがお目当ての船がいなかったのでボツ。
    今から思えば矢田川橋梁のLECOQ銘板でも見て行けば良かった…

  • 軽く撮り鉄…キハ85系も大阪に来るとはいえ置き換えが決まっているので撮影

    軽く撮り鉄…キハ85系も大阪に来るとはいえ置き換えが決まっているので撮影

  • この後飯田線で見ることになる211系も名古屋地区では長大編成

    この後飯田線で見ることになる211系も名古屋地区では長大編成

  • もう大阪では見られない383系と元々大阪では見られない211系の並び

    もう大阪では見られない383系と元々大阪では見られない211系の並び

  • 大阪でもよく見られる681系はここではしらさぎ

    大阪でもよく見られる681系はここではしらさぎ

  • 311系も回送となって走り去る。しかし東海の主である313系は意外に見かけない

    311系も回送となって走り去る。しかし東海の主である313系は意外に見かけない

  • …と東海道本線ホームに移動したらいましたよ313系

    …と東海道本線ホームに移動したらいましたよ313系

  • 筆者が乗り込む新快速も313系。しかし乗客はコロナ戦争の影響か思った以上に少ない。窓側の席も埋まらず名古屋発。<br />安城や岡崎辺りでも乗降客はあまりおらず。まったりしたまま海が遠くに見えるようになって蒲郡着。ここで途中下車する。

    筆者が乗り込む新快速も313系。しかし乗客はコロナ戦争の影響か思った以上に少ない。窓側の席も埋まらず名古屋発。
    安城や岡崎辺りでも乗降客はあまりおらず。まったりしたまま海が遠くに見えるようになって蒲郡着。ここで途中下車する。

  • 313系を見送って海側へ歩く…まだ郵便局のオープン時間には少し早い

    313系を見送って海側へ歩く…まだ郵便局のオープン時間には少し早い

  • ということで駅前の道を限界まで歩いて海沿いへ。東海道にて優れたる海の眺めは蒲郡と鉄道唱歌にも謳われた地である。<br />…向こうになんかいるぞ

    ということで駅前の道を限界まで歩いて海沿いへ。東海道にて優れたる海の眺めは蒲郡と鉄道唱歌にも謳われた地である。
    …向こうになんかいるぞ

  • それは筆者の大好物自動車運搬船。残念ながらWALLENIUSWILHELMSENではないが…<br />赤い「K」のファンネルとこの塗装は川崎汽船の自動車運搬船だ。

    それは筆者の大好物自動車運搬船。残念ながらWALLENIUSWILHELMSENではないが…
    赤い「K」のファンネルとこの塗装は川崎汽船の自動車運搬船だ。

  • 振り返れば蒲郡の街。アピタの奥には蒲郡駅が見える。<br />ここから駅を越えて郵便局に向かう。蒲郡郵便局はとりあえず後回し。

    振り返れば蒲郡の街。アピタの奥には蒲郡駅が見える。
    ここから駅を越えて郵便局に向かう。蒲郡郵便局はとりあえず後回し。

  • ゆめタウン大阪飛ばししやがった!…というのは冗談だがこの店が数週間後「コロナ陽性の客からの従業員二次感染」としてニュースに取り上げられていたことを筆者はまだ知らない

    ゆめタウン大阪飛ばししやがった!…というのは冗談だがこの店が数週間後「コロナ陽性の客からの従業員二次感染」としてニュースに取り上げられていたことを筆者はまだ知らない

  • これだけ見れば名鉄のターミナル駅のように見えるが実際は…蒲郡線の存廃問題も予断を許さない段階にきている。<br />蒲郡線は2年前に乗っている。その時の様子は「2018年豊橋出張&amp;名鉄乗り歩きの旅」を参照のこと。

    これだけ見れば名鉄のターミナル駅のように見えるが実際は…蒲郡線の存廃問題も予断を許さない段階にきている。
    蒲郡線は2年前に乗っている。その時の様子は「2018年豊橋出張&名鉄乗り歩きの旅」を参照のこと。

  • やはりこちらも空いていた特別快速で豊橋へ向かう。<br />次の停車駅とはいえ意外に蒲郡~豊橋間は距離がある。2年前も意外に遠かったと書いているw

    やはりこちらも空いていた特別快速で豊橋へ向かう。
    次の停車駅とはいえ意外に蒲郡~豊橋間は距離がある。2年前も意外に遠かったと書いているw

  • ということで2年前同様豊橋へやってきた。ここが飯田天竜教自己啓発セミナーの集合地点(本来は中部天竜現地集合だったが全員伊那路1号に乗って来るので事実上豊橋集合となった)

    ということで2年前同様豊橋へやってきた。ここが飯田天竜教自己啓発セミナーの集合地点(本来は中部天竜現地集合だったが全員伊那路1号に乗って来るので事実上豊橋集合となった)

  • 少し買い出ししてホーム端まで行ってみると373系が伊那路幕を出していた

    少し買い出ししてホーム端まで行ってみると373系が伊那路幕を出していた

  • 反対側のホーム端では名鉄とJRの2ショット。パノラマsuperは多くのポイントを越えて岐阜へ向かう。

    反対側のホーム端では名鉄とJRの2ショット。パノラマsuperは多くのポイントを越えて岐阜へ向かう。

  • そうこうしていると伊那路1号がやってくるわけで

    そうこうしていると伊那路1号がやってくるわけで

  • 飯田行きの伊那路1号が入線してきた。<br />友人とはここで合流。車内は1両数人程度。<br />5人の大所帯だった飯田天竜教自己啓発セミナー関係者を除けば本当に1両1~2人程度の乗車率だった。<br />ここで主催者とも合流。主催者は指定席を取っていたようで「では中部天竜で」としばしの別れ。<br />ワイドビューチャイムが流れて(油断していた…)豊橋を出てしばらくすると平井信号場で名鉄と分かれる。<br />豊川までは割と快調だがここから先は一線スルーとは無縁で駅を通過する度に速度制限を受ける。まるで必殺25km制限のよう。<br />本長篠辺りからはいよいよ山の中に入る。

    飯田行きの伊那路1号が入線してきた。
    友人とはここで合流。車内は1両数人程度。
    5人の大所帯だった飯田天竜教自己啓発セミナー関係者を除けば本当に1両1~2人程度の乗車率だった。
    ここで主催者とも合流。主催者は指定席を取っていたようで「では中部天竜で」としばしの別れ。
    ワイドビューチャイムが流れて(油断していた…)豊橋を出てしばらくすると平井信号場で名鉄と分かれる。
    豊川までは割と快調だがここから先は一線スルーとは無縁で駅を通過する度に速度制限を受ける。まるで必殺25km制限のよう。
    本長篠辺りからはいよいよ山の中に入る。

  • 湯谷温泉も乗降客は無し。<br />それにしても2年前(蒲郡ではなく飯田線の旅行記参照)も歩いたが今からすると湯谷温泉辺りは相当に雰囲気の良いエリア。<br />かつて歩いた辺りを特急は思い出をなぞるようにゆっくりと走る。<br />昼食の弁当を食べてしばらくすると県境を越えて静岡県に入る。

    湯谷温泉も乗降客は無し。
    それにしても2年前(蒲郡ではなく飯田線の旅行記参照)も歩いたが今からすると湯谷温泉辺りは相当に雰囲気の良いエリア。
    かつて歩いた辺りを特急は思い出をなぞるようにゆっくりと走る。
    昼食の弁当を食べてしばらくすると県境を越えて静岡県に入る。

  • 遠くに新原田橋が見えてくると佐久間の街は近い。<br />ということですぐに中部天竜に到着。

    遠くに新原田橋が見えてくると佐久間の街は近い。
    ということですぐに中部天竜に到着。

  • ここは伊那路同士の交換駅でもある。豊橋行きが発車して…

    ここは伊那路同士の交換駅でもある。豊橋行きが発車して…

  • 飯田行きも発車。留置されていた213系に見送られてまだまだ遠い飯田へと373系は走り去る。

    飯田行きも発車。留置されていた213系に見送られてまだまだ遠い飯田へと373系は走り去る。

  • 中部天竜駅で途中下車…したはいいが改札外にトイレが無いwということで再び改札を通り抜けてトイレを済ませる。<br />写真左側の自販機には「TKJ」ロゴがあり委託駅かと思いきやここは直営駅だった。

    中部天竜駅で途中下車…したはいいが改札外にトイレが無いwということで再び改札を通り抜けてトイレを済ませる。
    写真左側の自販機には「TKJ」ロゴがあり委託駅かと思いきやここは直営駅だった。

  • ここから飯田天竜教自己啓発セミナーのスタート。まずは大千瀬川を渡る橋へ案内してもらった。何か見えないだろうか…

    ここから飯田天竜教自己啓発セミナーのスタート。まずは大千瀬川を渡る橋へ案内してもらった。何か見えないだろうか…

  • 振り返ってみると謎の空き地…もうお分かりだろう、これは廃線跡。<br />佐久間発電所への専用線跡だったようだ。

    振り返ってみると謎の空き地…もうお分かりだろう、これは廃線跡。
    佐久間発電所への専用線跡だったようだ。

  • 続いてはいよいよ廃道半場神妻線歩き。そのために中部天竜駅前の道を歩いていると踏切が鳴っている。豊橋行きの電車がやってきたのだ。<br />筆者以外は某大学「鉄道研究会」OBが集まったメンバーという事もありカメラを構える様子はさながら鉄研合宿のようw

    続いてはいよいよ廃道半場神妻線歩き。そのために中部天竜駅前の道を歩いていると踏切が鳴っている。豊橋行きの電車がやってきたのだ。
    筆者以外は某大学「鉄道研究会」OBが集まったメンバーという事もありカメラを構える様子はさながら鉄研合宿のようw

  • 飯田線を越えて小高い丘を上がると全面通行止予告。設置者は「佐久間町」のままだ。<br />いよいよ山行がでも取り上げられた廃道歩きへ。

    飯田線を越えて小高い丘を上がると全面通行止予告。設置者は「佐久間町」のままだ。
    いよいよ山行がでも取り上げられた廃道歩きへ。

  • 飯田線の宮上トンネル上から中部天竜駅方面を望む…

    飯田線の宮上トンネル上から中部天竜駅方面を望む…

  • 「浜松市」設置のバリケードの脇を抜けて行く…

    「浜松市」設置のバリケードの脇を抜けて行く…

  • 2年前渡った吊り橋が見える…<br />路盤状況はさほど悪くなくハイキング気分でたわいのない話をしながら歩く。

    2年前渡った吊り橋が見える…
    路盤状況はさほど悪くなくハイキング気分でたわいのない話をしながら歩く。

  • 少し歩くと宮上トンネルから飯田線の線路が出てくる。

    少し歩くと宮上トンネルから飯田線の線路が出てくる。

  • トンネル内部は補修を受けているようだ。

    トンネル内部は補修を受けているようだ。

  • 振り返るとすぐに次のトンネルが見える。こちらは落石覆いが設置されている。<br />赤い鉄板の橋を渡って半場神妻線は山を迂回する。

    振り返るとすぐに次のトンネルが見える。こちらは落石覆いが設置されている。
    赤い鉄板の橋を渡って半場神妻線は山を迂回する。

  • 古い落石防止ネットの跡があったのでここで眼下を眺めてみる。大河天竜川が広がり結構な落差であることが分かる。ここから落ちたら色々とアウトだろうな…

    古い落石防止ネットの跡があったのでここで眼下を眺めてみる。大河天竜川が広がり結構な落差であることが分かる。ここから落ちたら色々とアウトだろうな…

  • しばらく歩くとここが道路であった痕跡が見つけられた。「落石注意」の道路標識である。設置者は「浜松市」ではなく「佐久間町」のままだ。

    しばらく歩くとここが道路であった痕跡が見つけられた。「落石注意」の道路標識である。設置者は「浜松市」ではなく「佐久間町」のままだ。

  • この辺りまで来ると多少倒木も増え、道も多少荒れてきて小学生の頃の竹藪歩きを思い出す。<br />古びた石垣がここが古道であることを物語る。

    この辺りまで来ると多少倒木も増え、道も多少荒れてきて小学生の頃の竹藪歩きを思い出す。
    古びた石垣がここが古道であることを物語る。

  • 少し歩くと大月トンネルの豊橋側坑口にたどり着く。線路と道路は小さな側溝で区切られているのみ。<br />この坑口は開通時の物ではなく後に改修を受けたものである。

    少し歩くと大月トンネルの豊橋側坑口にたどり着く。線路と道路は小さな側溝で区切られているのみ。
    この坑口は開通時の物ではなく後に改修を受けたものである。

  • ポータルはかなり大きなもの。<br />ここからしばらくの間は道路と線路は隣接するがすぐに道路は藪の中に突き進む。

    ポータルはかなり大きなもの。
    ここからしばらくの間は道路と線路は隣接するがすぐに道路は藪の中に突き進む。

  • その藪を飯田線は9連の陸橋で乗り越える。名前は清水陸橋というらしい。

    その藪を飯田線は9連の陸橋で乗り越える。名前は清水陸橋というらしい。

  • 見にくいかもしれないが「昭和八年川崎車輌株式会社製作」の文字の下に「三信鉄道株式会社」と書いてあるのが分かる。<br />こんなところに三信鉄道の痕跡が残されていた。

    見にくいかもしれないが「昭和八年川崎車輌株式会社製作」の文字の下に「三信鉄道株式会社」と書いてあるのが分かる。
    こんなところに三信鉄道の痕跡が残されていた。

  • 藪から天竜川を望む。遠くに原田橋も見える。かつては吊り橋だったが崩壊して5年、ようやく新しい橋が開通する。

    藪から天竜川を望む。遠くに原田橋も見える。かつては吊り橋だったが崩壊して5年、ようやく新しい橋が開通する。

  • 頭上の飯田線は再びトンネルに入る。こちらの坑口は三信鉄道時代のものかも。

    頭上の飯田線は再びトンネルに入る。こちらの坑口は三信鉄道時代のものかも。

  • 所々荒れているので高巻きして迂回。5人全員通過。するとそろそろ見えてくるのが…

    所々荒れているので高巻きして迂回。5人全員通過。するとそろそろ見えてくるのが…

  • 大月トンネル…というより隧道だろうこれは。<br />素掘であるw

    大月トンネル…というより隧道だろうこれは。
    素掘であるw

  • 背後を振り返ればこんな感じ。<br />だが大月トンネルを抜けた先がヤバかった…<br />これまでで一番の大崩落。山行がでも「ひどい有り様」とは書かれているが…<br />前年にも通行した主催者によると「去年はここまで酷くなかった」とのことである。おそらく去年の台風だろうな…

    背後を振り返ればこんな感じ。
    だが大月トンネルを抜けた先がヤバかった…
    これまでで一番の大崩落。山行がでも「ひどい有り様」とは書かれているが…
    前年にも通行した主催者によると「去年はここまで酷くなかった」とのことである。おそらく去年の台風だろうな…

  • そうしてなんとか下川合の集落へと抜けてきた。<br />すると謎のステッカーがガードレールに貼られているのを発見。<br />よく見ると品川駅開業時のステッカーだった。

    そうしてなんとか下川合の集落へと抜けてきた。
    すると謎のステッカーがガードレールに貼られているのを発見。
    よく見ると品川駅開業時のステッカーだった。

  • ここは新豊根ダムの下流なのでダム近辺でおなじみの放流についての看板もある…だが下にいるこいつはなんだw<br />この後原田橋の開通式典に潜入しようとしたものの「コロナ対策」として一般開放はされず、開通は16時であることが判明。

    ここは新豊根ダムの下流なのでダム近辺でおなじみの放流についての看板もある…だが下にいるこいつはなんだw
    この後原田橋の開通式典に潜入しようとしたものの「コロナ対策」として一般開放はされず、開通は16時であることが判明。

  • とりあえず下川合駅へ戻りのんびりと早瀬駅へ向かって歩く。<br />…すると主催者が呼んだゲストが登場。主催者の友人で今は浜北に住んでいるそうだ。<br />彼の車にはTEAM酷道のステッカーが…濃厚な方が来たものだw<br />諸事情ありここで一行は二手に分かれることにした。片方は東栄方面へ一旦向かい筆者と主催者、主催者友人の3名は車に乗って佐久間の街へ向かった。

    とりあえず下川合駅へ戻りのんびりと早瀬駅へ向かって歩く。
    …すると主催者が呼んだゲストが登場。主催者の友人で今は浜北に住んでいるそうだ。
    彼の車にはTEAM酷道のステッカーが…濃厚な方が来たものだw
    諸事情ありここで一行は二手に分かれることにした。片方は東栄方面へ一旦向かい筆者と主催者、主催者友人の3名は車に乗って佐久間の街へ向かった。

  • 旧原田橋の残骸を仮設道路から眺める…<br />仮設道路はとても歩行者の歩ける道ではなかった。<br />こんなところにもコロナ戦争の影響があり主催者の友人も佐久間ですら家族に止められたとのこと…<br />

    旧原田橋の残骸を仮設道路から眺める…
    仮設道路はとても歩行者の歩ける道ではなかった。
    こんなところにもコロナ戦争の影響があり主催者の友人も佐久間ですら家族に止められたとのこと…

  • 車を中部天竜の駅前に止めて少し歩く。<br />電電公社の看板が残されていた…初めて見たかも

    車を中部天竜の駅前に止めて少し歩く。
    電電公社の看板が残されていた…初めて見たかも

  • 佐久間発電所と佐久間ダムの放流看板を絡めて撮影…それにしてもすごい放流の仕方であるw

    佐久間発電所と佐久間ダムの放流看板を絡めて撮影…それにしてもすごい放流の仕方であるw

  • そしてその少し先には三信鉄道の慰霊碑が存在する。<br />三信鉄道は難工事としても知られ、多数の殉職者も出している。<br />ここから天竜川を渡るのだが…

    そしてその少し先には三信鉄道の慰霊碑が存在する。
    三信鉄道は難工事としても知られ、多数の殉職者も出している。
    ここから天竜川を渡るのだが…

  • この橋を渡ってきたw<br />というのも飯田線の天竜川橋梁はかつての城東貨物線赤川橋梁(厳密には少し異なるが)のように保線用の歩廊が一般開放されている。<br />地元住民の希望によってこのような奇妙な形態となったとか。幅は狭いので譲り合い必須。

    この橋を渡ってきたw
    というのも飯田線の天竜川橋梁はかつての城東貨物線赤川橋梁(厳密には少し異なるが)のように保線用の歩廊が一般開放されている。
    地元住民の希望によってこのような奇妙な形態となったとか。幅は狭いので譲り合い必須。

  • その筆者の立っている場所はなんと「電源踏切」というw<br />すぐ近くに電源開発佐久間発電所の入口があるからだろうが日田彦山線の爆発踏切に匹敵するパワーワードであるw

    その筆者の立っている場所はなんと「電源踏切」というw
    すぐ近くに電源開発佐久間発電所の入口があるからだろうが日田彦山線の爆発踏切に匹敵するパワーワードであるw

  • そして佐久間発電所の中には飯田線の旧線があり佐久間トンネルの坑口が封鎖された状態で残っている。このトンネルはいわゆる湖底に向かうトンネルである。<br />主催者いわく佐久間発電所の職員に許可を得ればこの坑口前までは比較的簡単にたどり着けるらしいがトンネル内は見せてもらえなかったとのこと。

    そして佐久間発電所の中には飯田線の旧線があり佐久間トンネルの坑口が封鎖された状態で残っている。このトンネルはいわゆる湖底に向かうトンネルである。
    主催者いわく佐久間発電所の職員に許可を得ればこの坑口前までは比較的簡単にたどり着けるらしいがトンネル内は見せてもらえなかったとのこと。

  • 佐久間発電所の上を走る国道から先程渡った飯田線の天竜川橋梁を望む

    佐久間発電所の上を走る国道から先程渡った飯田線の天竜川橋梁を望む

  • 佐久間発電所の入口は国道側にもあり立派な看板が出迎えてくれる。この日は土曜日で閉鎖されていたが…

    佐久間発電所の入口は国道側にもあり立派な看板が出迎えてくれる。この日は土曜日で閉鎖されていたが…

  • 割と歩くには危ない国道を歩くと「歩危湧水」という湧き水があった。しかもご丁寧にコップまで用意されている。<br />流石にこの大コロナ時代ということもありコップは使わず手で飲んだがそのコップはSBSラジオの旧ロゴだったw

    割と歩くには危ない国道を歩くと「歩危湧水」という湧き水があった。しかもご丁寧にコップまで用意されている。
    流石にこの大コロナ時代ということもありコップは使わず手で飲んだがそのコップはSBSラジオの旧ロゴだったw

  • もう少し国道を歩く。<br />この日限りの看板。「原田橋仮設道路」ともいよいよお別れだ。

    もう少し国道を歩く。
    この日限りの看板。「原田橋仮設道路」ともいよいよお別れだ。

  • 既に「通行止」の部分がシールになっている。これが取られる日も近い。

    既に「通行止」の部分がシールになっている。これが取られる日も近い。

  • 朝に見てきた廃線跡の橋梁を見るとなんとレールが埋まっている…まるで七条大橋のようだ。<br />そしてこの橋を渡って中部天竜駅に向かう。<br />この時に何か乱数放送のような謎の放送が発電所から流れてきていた…なんだったんだあれは

    朝に見てきた廃線跡の橋梁を見るとなんとレールが埋まっている…まるで七条大橋のようだ。
    そしてこの橋を渡って中部天竜駅に向かう。
    この時に何か乱数放送のような謎の放送が発電所から流れてきていた…なんだったんだあれは

  • おまけとしてもう来ない「平成38年」<br />中部天竜駅で別れたメンバーと合流。<br />豊橋行きと離合があり我々を電車の利用客と思って「豊橋行きの方いらっしゃいませんか」と待合室まで車掌が声をかけに来てくれた。<br />実は人を待っていただけで…

    おまけとしてもう来ない「平成38年」
    中部天竜駅で別れたメンバーと合流。
    豊橋行きと離合があり我々を電車の利用客と思って「豊橋行きの方いらっしゃいませんか」と待合室まで車掌が声をかけに来てくれた。
    実は人を待っていただけで…

  • いよいよ新原田橋の開通の時間が迫ってきたので原田橋の佐久間側のたもとで待つ。地元の人も数名来ており、開通待ちの車も多数待っていた。

    いよいよ新原田橋の開通の時間が迫ってきたので原田橋の佐久間側のたもとで待つ。地元の人も数名来ており、開通待ちの車も多数待っていた。

  • 一方原田橋の仮設道路はまだ現役なので車を通している。

    一方原田橋の仮設道路はまだ現役なので車を通している。

  • 16時になった。公式の渡り初めが行われている。<br />この後こちら側も車は通すようになった。だが片側交互通行で危険という事もあり歩行者の我々は自主的に待機。

    16時になった。公式の渡り初めが行われている。
    この後こちら側も車は通すようになった。だが片側交互通行で危険という事もあり歩行者の我々は自主的に待機。

  • 16時8分、交通整理をしていた警察官とアイコンタクトを交わし一般歩行者としては我々が渡り初めとなる。<br />先程走ってきた仮設道路ではなく今度は新しい原田橋だ。

    16時8分、交通整理をしていた警察官とアイコンタクトを交わし一般歩行者としては我々が渡り初めとなる。
    先程走ってきた仮設道路ではなく今度は新しい原田橋だ。

  • 「令和2年3月竣工」の文字が輝いている。令和時代の新しい橋だ。<br />昼間に廃道を歩いて滑落しかけた身(本当に滑り落ちかけただけ)からするとこの橋の価値がよく分かる。

    「令和2年3月竣工」の文字が輝いている。令和時代の新しい橋だ。
    昼間に廃道を歩いて滑落しかけた身(本当に滑り落ちかけただけ)からするとこの橋の価値がよく分かる。

  • 旧原田橋の跡も見える。<br />歩道が無いので車も来ていてかなり危ないので立ち止まるどころではないが…

    旧原田橋の跡も見える。
    歩道が無いので車も来ていてかなり危ないので立ち止まるどころではないが…

  • 下流側を望む。仮設道路は16時で通行止となっている。<br />もうコーンなどが撤収されていて「廃道化」の準備が始まっていた。

    下流側を望む。仮設道路は16時で通行止となっている。
    もうコーンなどが撤収されていて「廃道化」の準備が始まっていた。

  • 約5分かけてゆったりと小雨の原田橋渡り初め完了。ここから下川合駅まではダッシュw<br />というのもあと15分ほどで飯田線の電車が出てしまう。<br />1.7kmを急いで走る。

    約5分かけてゆったりと小雨の原田橋渡り初め完了。ここから下川合駅まではダッシュw
    というのもあと15分ほどで飯田線の電車が出てしまう。
    1.7kmを急いで走る。

  • …無事に下川合発の電車に乗車。浜北から来た主催者友人とはここでお別れ。<br />中部天竜で20分ほど停車時間があったのでここで飲み物を補給する。<br />体力をすっかり消耗してしまったが211系に乗って本日の宿がある水窪へ向かう。

    …無事に下川合発の電車に乗車。浜北から来た主催者友人とはここでお別れ。
    中部天竜で20分ほど停車時間があったのでここで飲み物を補給する。
    体力をすっかり消耗してしまったが211系に乗って本日の宿がある水窪へ向かう。

  • 有名な第六水窪川橋梁を渡って雨の水窪に到着。この日の旅はここまで。

    有名な第六水窪川橋梁を渡って雨の水窪に到着。この日の旅はここまで。

  • 水窪では伊那路と離合。今日はよく伊那路号を見かけるw

    水窪では伊那路と離合。今日はよく伊那路号を見かけるw

  • 雨降る無人駅の水窪からこの日泊まる旅館へ向かう。<br />途中にはカルテックス日石のマークが残された廃ガソリンスタンドもあった。

    雨降る無人駅の水窪からこの日泊まる旅館へ向かう。
    途中にはカルテックス日石のマークが残された廃ガソリンスタンドもあった。

  • こうして水窪の旅館にたどり着き風呂に入ってこの日の思い出を語りつつ風呂上がりには豪華な夕食に舌鼓を打ってこの日の旅は終わり。<br />この夜は自己啓発セミナーらしく懺悔…ではなく遅くまで酒(筆者は飲まないが…)やら何やらで爆弾発言連発の楽しい一夜となった。

    こうして水窪の旅館にたどり着き風呂に入ってこの日の思い出を語りつつ風呂上がりには豪華な夕食に舌鼓を打ってこの日の旅は終わり。
    この夜は自己啓発セミナーらしく懺悔…ではなく遅くまで酒(筆者は飲まないが…)やら何やらで爆弾発言連発の楽しい一夜となった。

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