2017/08/12 - 2017/08/12
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でいめくと さん
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ローマに戻り、実質見学初日となるこの日、真っ先にバチカンに出かけてきました。
世界最小の独立国家バチカン。
キリストの一番弟子・使徒ペテロの墓の上に、最初のサン・ピエトロ大聖堂が建立されたのは、いまから1600年以上前、紀元4世紀のこと。
中世から19世紀いたるまで、ヨーロッパ随一の宗教的権威として君臨してきた。
サン・ピエトロ大聖堂、そしてバチカン博物館の無数の芸術的遺産を満喫してきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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マルタからローマに戻ってきました。
ホテルはふたたびテルミニ駅前のミラニ412号室。
翌朝午前6時。朝の散歩。 -
テルミニ駅にやってきました。
少しずつ明るくなってきました。 -
朝はこんなに人が少ない。
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一旦ホテルに戻り、支度をしてバチカンに向かいました。
地下鉄テルミニ駅からA線に乗ってオッタヴィアーノ駅まで。
片道1.5ユーロ。
駅から歩いているとサン・ピエトロ寺院のクーポラが見えてきました。 -
午前7時25分、サン・ピエトロ大聖堂に到着。
やっと念願だったカトリック教会の総本山にやってくることができました。 -
イチオシ
この荘厳な外観を見るだけで既に感動。
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東方向、オベリスク越しの朝日がまぶしい。
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大聖堂は朝日を浴びて、まるでマルタ・ストーンのように蜂蜜色に。
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手荷物検査もほとんど並ぶことなく入場できました。
午前7時の開門直後の空いている時刻を目指して正解でした。
そしていよいよ内部へ。 -
黄金の装飾などの華美さはなく、まさに荘厳な空間。
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イチオシ
入ってすぐ右側にあるミケランジェロ作「ピエタ Pieta」。
イエスの亡骸を抱きながら悲嘆に暮れる聖母マリア。
マルアはあまりに若く美しい表情。 -
「ピエタ」の聖母マリアは、死したイエスを包み込む様を表すために、通常の女性より大きな体格で彫られているそうだ。
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聖セヴァスティアヌスの礼拝堂
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中央身廊の右手側に置かれているのが、キリスト十二使徒の筆頭である「聖ペテロのブロンズ像」
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身廊の奥には、4本の螺旋状の柱に支えられたベルニーニ設計の大天蓋があります。
この高さ29メートルの大天蓋は、ベルニーニのパトロンであったローマ教皇ウルバヌス8世の命によってベルニーニが手掛けたもの。 -
素材には鍍金ブロンズやパンテオンから調達したブロンズが使用され、大天蓋の真下には聖ペテロが埋葬されているとのこと。
大天蓋の奥(中央下、やや左)には聖ヴェロニカ像。
ヴェロニカは、十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩みを進めるキリストの額の汗を拭くため、身につけていたヴェールを差し出し、そのヴェールにはキリストの顔跡が残ったとされている。 -
司教座上部の円形部分には、聖霊の象徴とされる鳩が描かれ、それを取り囲む様に飛翔する天使たちが配されています。
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クーポラはミケランジェロの設計。
クーポラを支えている4本の柱には聖人像が飾られています。 -
聖ヘレナの像。
聖ヘレナは、コンスタンティヌス帝の母で、キリストが磔刑に処せられた十字架と釘をエルサレムで掘り出してローマに持ち帰ったと言われています。 -
聖アンデレの像。
1640年にブリュッセル出身の彫刻家デュケノワによって制作された。
右手には4辺の長さが等しい十字架を抱えています。 -
大天蓋の天井にも鳩
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祭壇の奥の後塵には、ベルニーニが1666年に手掛けたブロンズ装飾の「聖ペトロの司教座」。
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5世紀の教皇レオ1世の祭壇。
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ベルニーニの晩年80歳の時に手掛けた、彼のパトロンで教皇のアレクサンデル7世の墓碑。
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マリア・クレメンティーナ・ソビエスキの祈念碑。
イングラント王に嫁いだが、不幸な結婚生活を送り32歳の若さでなくなり、サン・ピエトロ大聖堂に埋葬された。
彫刻家ピエトロ・ブラッチの作。 -
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午前8時30分、約1時間じっくり見学できました。
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最後にもう一度「ピエタ」。
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大満足してサン・ピエトロ大聖堂を後にします。
2009年の年末にスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルを見学したので、これでキリスト教3大聖地のうち2つを制覇することができました。 -
バチカン市国とローマ教皇を警護する衛兵。
印象的なフォルムと色の制服は、ミケランジェロがデザインしたものとされています。 -
建物正面には9つのバルコニーと8本の円柱が並びます。
新ローマ法王の誕生時は中央バルコニーの窓から発表が行われるそうだ。 -
サン・ピエトロ広場の中央に立つオベリスク
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ファサードの上部には、ヨハネとペテロを除く高さ6メートルほどの11使従の彫像が並んでいます。
三角形部分の下には、このファサードが完成した時代の教皇「ボルゲーゼ家のパウルス5世」の名前が刻まれている。 -
教皇アレクサンデル七世の命により、ベルニーニが設計した広場を囲む大柱廊。
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中に入ると見事に柱だけで外から遮断された空間となっていました。
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大聖堂全体が見える位置まで来るために、だいぶん後ろに移動。
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イチオシ
大聖堂の上部にあるミケランジェロ設計の「クーポラ」。
このクーポラの十字架の頂点までの高さは、地上から約136メートル。 -
聖ペテロの像。
右手にはキリストから授かった天国への鍵を持っています。 -
こちらもバチカン衛兵の制服らしい。
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午前9時45分、バチカン博物館へ。
予約は10時30分だったけど、早めに入場。
料金は20ユーロ。
予約なしの観光客が博物館の北側から東側に掛けて長蛇の列を作っていて少しびっくりした。 -
まずは「エジプト美術館」から。
たくさんの素晴らしい展示品があったはずなのだが、写真に残っていたのはこのレリーフだけでした。
アッシリア王センナケリブの弓隊のレリーフ。 -
イチオシ
そして辿り着いたのはピオ・クレメンティーノ美術館の「八角形の中庭」。
ここの一番人気の「ラオコーン」。
1506年コロッセオの北側にあるエスクィリーノの丘で発見された。 -
ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品。
海蛇に噛まれ顔を歪めるラオコーン。 -
海蛇に噛まれ捕られた息子
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そしてラオコーンに噛みつく海蛇
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「ヴェルヴェデーレのアポロ」。
アテネのアゴラに置かれたブロンズ像を帝政ローマ時代に模刻したもの。 -
「チグリス川」。
川を擬人化された作品らしい。 -
イチオシ
物憂げな表情
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「ペルセウスの勝利」。
アントニオ・カノーヴァが1800年~1801年にかけて彫った作品。
ペルセウスがメデューサの首を掲げている、ギリシア神話の有名なシーン。 -
次は「円形の間」。
ユピテルに扮したローマ皇帝クラウディウスの像。
第3代カリグラの後を継いだ第4代皇帝。
そして彼の後を継いだのが第5代皇帝ネロである。 -
同じくローマ皇帝ガルバの像。
ネロの後、スペイン北東部の属州皇帝総督だった彼が皇帝の座を継いだがわずか7か月の短命に終わった。 -
黄金に塗られたヘラクレスのブロンズ像。
1864年にカンポ・ディ・フィオーリ付近で発掘された。 -
ギリシア十字架の間にある「聖ヘレナの石棺」。
聖ヘレナはキリスト教を公認したコンステンティヌス帝の母。 -
「大燭台のギャラリー」
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天井画が美しくて燭台を撮り忘れてました。
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イチオシ
色彩がとても鮮やか
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「地図のギャラリー」
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「ソビエツキ王の間」
「ポーランド王ソビエスキのウィーン解放」 -
ここからは、博物館ハイライトのひとつ「ラファエッロの間」。
「ラファエッロの間」は4つの小さな空間から構成されていて、そのうちのひとつ〈ヘリオドロスの間〉。
「ボルセーナのミサの奇跡」 -
同じく〈ヘリオドロスの間〉から「聖ペテロの解放」。
このフレスコ画では月の明かり、松明の明かり、天使の後光など明かりの表現が印象的。 -
イチオシ
そして次にここ〈署名の間〉。
「アテネの学堂」にやってきました。 -
左にプラトン(モデルはレオナルドダヴィンチ)、右にアリストテレス。
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とげとげの冠をかぶって後ろを向いているのはプトレマイオス。
そのすぐ右奥に作者のラファエッロ。 -
コンパスで円を描くユークリッド
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古代ギリシャの哲学者ディオゲネス。
ソクラテスの孫弟子にあたる。 -
ヘラクレイトス(モデルはミケランジェロ)
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桃色の服を着たピタゴラス
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中央にソクラテス。
左端で鎧を付けているのはマケドニアのアレクサンダー大王。 -
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同じく〈署名の間〉にある「聖体の論議」。
ラファエロが1508年(または1509年)ラファエッロの間において最初に描いた作品。 -
ここからは〈火災の間〉。
「ボルゴの火災」
847年にローマの一地方であるボルゴで起こった火災を、レオ4世が祝福により鎮火したとされている。 -
「カール大帝の戴冠式」
西暦800年のクリスマスに行われたミサの最中に突然行われた、レオ3世によるカール大帝への授冠の情景。 -
「オスティアの戦い」
849年にオスティアでの海戦で、レオ4世がサラセン人を打ち破った場面。
この後、一番楽しみにしていたシスティーナ礼拝堂「最後の審判」を鑑賞。
残念ながら写真撮影は不可。
でも実物を見ることができて満足できました。
これでバチカン博物館を後にしましたが、見返してみると絵画館に行き忘れていたみたい。
痛恨の失敗。 -
バチカンから一旦ホテルに戻ってしばし休憩。
その後ホテルから近場の教会を巡ることにしました。
まずはホテルからテルミニ駅を過ぎて反対側にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂へ。 -
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂とともにローマの4大聖堂のひとつとされる。
サン・ピエトロ大聖堂を除く3つの大聖堂は、ローマ市内に点在していますが、バチカン市国の領土になり治外法権があります。 -
向かって左側にあるパオリーナ礼拝堂の前の柱廊
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パオリーナ礼拝堂。
中央に聖母子のイコン。 -
パオリーナ礼拝堂のクーポラ
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主祭壇の天蓋。
フェルディナンド・フーガ作。 -
天蓋の奥、後陣天井のモザイク「マリアの戴冠」。
13世紀末の作品。 -
後陣正面の祭壇画
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天蓋の下にはイエスが生誕した時に寝ていた飼い葉桶の木片の聖遺物が収められています。
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見学が終わるころには、いいお天気になっていました。
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次に向かったのは、テルミニ駅の北西にあるサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会。
3世紀末から4世紀にかけて皇帝だったディオクレティアヌスが帝位20年を記念して建てられた大浴場の遺跡を活かし、ミケランジェロが設計した。
ローマ帝国への敬意を払い、できるだけオリジナルの建物が残されている。 -
円筒を半分にしたような部分が教会への入口。
ただしここは元の大浴場の外壁ではなく、熱浴室と温浴室を隔てていた内壁とのこと。 -
教会の奥に進んだ場所に、ミケランジェロの時代の大浴場の外観スケッチがあった。
右奥の建築物が現在の教会の入口。 -
大浴場の外壁はというと、なんとこの共和国広場の向かい側、半円に建ち並ぶ建物のあたりだったそう。
とてつもない巨大建築物だったことに驚愕するしかない。
かつては広場中央の噴水の地下には大浴場に供給するための巨大な貯水槽があったらしい。 -
大浴場としての収容人数は3000人。
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伝わりにくいですが、中は天井が高く、壁から壁の間隔も広く、とても広々としている。
かつての冷浴室らしいです。 -
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塩野七生さんは、「ローマ人の物語」の中で、この教会はローマ人の空間感覚を追体験できる貴重な場所のひとつとしています。
もう一つはお馴染みのパンテオン。 -
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明かり取りの窓からは自然光が差し込み、まるで美術館のような空間で宗教絵画を鑑賞することができます。
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さらに進むと大浴場の遺跡のままの姿をしていました。
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ディオクレティアヌス帝は305年に後継皇帝を選任した後に退位。
その後生まれ故郷であるスプリット(今のクロアチア)に宮殿を建てて余生を過ごした。 -
この日最後の訪問はサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会。
バロック建築様式のファサード。 -
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主祭壇
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イチオシ
この教会の最大の見どころは、左側の翼廊にあるコルナーロ礼拝堂の祭壇「聖テレーザの法悦」。
ベルニーニ初期の最高傑作とされる。
スペインの聖女が天使の持つ愛の矢で心臓を射抜かれたという神秘体験を表した。 -
いたずらっぽい表情の天使。
まさに今、金の矢で心臓を突こうとしている。 -
聖女の官能的な恍惚の表情。
ベルニーニは聖女の一瞬のときを彫刻に閉じ込めた。 -
「聖テレーザの法悦」に正対するように置かれている「聖ヨセフの夢」。
ドメニコ・グイディ作。 -
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天井画とパイプオルガン
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この日はここまで。
明日もローマを歩き周ります。
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