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2020年、冬のヨルダン、イスラエル8日間の旅、第六日目前半ははエルサレム旧市街を巡ります。ダビデの墓から嘆きの壁へ行き、ビアドロローサを歩いて聖墳墓教会の手前までです。<br /><br />【旅程】<br />1月26日(日)・27日(月)  成田~ドーハ~アンマン~ペトラ(泊)  <br />1月28日(火)  終日ペトラ(泊)   <br />1月29日(水)  ペトラ~マダバ~ネボ山~死海 (泊) <br />1月30日(木)  死海~テルアッスルターン~クムラン~マサダ~ エルサレム(泊) <br />1月31日(金)  エルサレム~ベツレヘム~エルサレム (泊)   ●<br />2月1日(土) ・2日(日) エルサレム~アンマン~ドーハ~成田     <br />

冬のヨルダン、イスラエル8日間の旅 (8) エルサレム

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2020/01/31 - 2020/01/31

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いいちゃんさん

2020年、冬のヨルダン、イスラエル8日間の旅、第六日目前半ははエルサレム旧市街を巡ります。ダビデの墓から嘆きの壁へ行き、ビアドロローサを歩いて聖墳墓教会の手前までです。

【旅程】
1月26日(日)・27日(月) 成田~ドーハ~アンマン~ペトラ(泊) 
1月28日(火) 終日ペトラ(泊)  
1月29日(水) ペトラ~マダバ~ネボ山~死海 (泊)
1月30日(木) 死海~テルアッスルターン~クムラン~マサダ~ エルサレム(泊)
1月31日(金) エルサレム~ベツレヘム~エルサレム (泊)   ●
2月1日(土) ・2日(日) エルサレム~アンマン~ドーハ~成田

同行者
カップル・夫婦(シニア)
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 朝食<br />フルーツは缶詰でした。<br />

    朝食
    フルーツは缶詰でした。

  • 8時にホテルを出発してエルサレムの旧市街へ向かいます。<br />エルサレムの旧市街を取り囲む城壁です。<br />

    8時にホテルを出発してエルサレムの旧市街へ向かいます。
    エルサレムの旧市街を取り囲む城壁です。

  • シオンの丘から歩きます。<br />雨になってしまいました。

    シオンの丘から歩きます。
    雨になってしまいました。

  • ダビデ王の墓に向かいます<br />古代イスラエル統一王国のダビデ王のものとされる石棺があります。<br />

    ダビデ王の墓に向かいます
    古代イスラエル統一王国のダビデ王のものとされる石棺があります。

  • ダビデの墓に入ります。

    ダビデの墓に入ります。

  • メズーザ<br />ユダヤ人の家屋のドアの横に取り付けられています。<br />小さな箱の中に旧約聖書の一部が書かれた紙(かつては羊皮紙)が入っています。<br />

    メズーザ
    ユダヤ人の家屋のドアの横に取り付けられています。
    小さな箱の中に旧約聖書の一部が書かれた紙(かつては羊皮紙)が入っています。

  • 石棺がある部屋に向かいます。

    石棺がある部屋に向かいます。

  • 男女別々に入ります。

    男女別々に入ります。

  • ダビデ王の石棺です。

    ダビデ王の石棺です。

  • 石棺は中央で衝立によって仕切られ、男性側と女性側に分かれます。<br />こちらは女性側です。<br />

    石棺は中央で衝立によって仕切られ、男性側と女性側に分かれます。
    こちらは女性側です。

  • ダビデ王の墓の2階に最後の晩餐の部屋があります。

    ダビデ王の墓の2階に最後の晩餐の部屋があります。

  • 最後の晩餐の部屋<br />イエスが処刑される前弟子たちと最後の食事をとったされる部屋です。<br />2世紀頃のキリスト教の集会場を起源として、4世紀に建てられた教会の跡と考えられています。<br />12世紀に再建され、オスマン朝時代には、モスクとして使われていたので部屋の右にミフラーブがあります。<br />

    最後の晩餐の部屋
    イエスが処刑される前弟子たちと最後の食事をとったされる部屋です。
    2世紀頃のキリスト教の集会場を起源として、4世紀に建てられた教会の跡と考えられています。
    12世紀に再建され、オスマン朝時代には、モスクとして使われていたので部屋の右にミフラーブがあります。

  • ダビデ王の墓から出てきました。<br />マリア永眠教会です。<br />1910年に建てられた比較的新しい教会、ネオ、ロマネスク様式で、エルサレム最大のキリスト教会です。<br />

    ダビデ王の墓から出てきました。
    マリア永眠教会です。
    1910年に建てられた比較的新しい教会、ネオ、ロマネスク様式で、エルサレム最大のキリスト教会です。

  • シオン門<br />エルサレム旧市街城壁の一番南側にある門です。

    シオン門
    エルサレム旧市街城壁の一番南側にある門です。

  • 旧市街、城壁内部の地図です。<br />シオン門から入りヤッフォ門へ抜けます。<br />赤い小さな丸はヴィア・ドロローサのステーション(留)です。

    旧市街、城壁内部の地図です。
    シオン門から入りヤッフォ門へ抜けます。
    赤い小さな丸はヴィア・ドロローサのステーション(留)です。

  • シオン門から城内に入ります。<br />1948年のイスラエル建国に伴う第一次中東戦争でこの地区は激戦となりました。その時の弾痕が現在でも数多く残っています。<br />エルサレム旧市街がイスラエルの支配下となるのは1967年の第3次中東戦争でのイスラエルの勝利以降です。<br />

    シオン門から城内に入ります。
    1948年のイスラエル建国に伴う第一次中東戦争でこの地区は激戦となりました。その時の弾痕が現在でも数多く残っています。
    エルサレム旧市街がイスラエルの支配下となるのは1967年の第3次中東戦争でのイスラエルの勝利以降です。

  • シオンの丘<br />右上にマリア永眠教会が見えます。<br />

    シオンの丘
    右上にマリア永眠教会が見えます。

  • 鶏鳴教会です。<br />『イエスが「今夜、鶏が鳴く前にあなたは3度わたしを知らないというだろう」と言った。ペテロがイエスを裁いた大祭司の家の中庭で3度目の嘘をついた後、鶏が鳴いた。』ということに由来していて、この家の跡に建てられたという教会です。<br />

    鶏鳴教会です。
    『イエスが「今夜、鶏が鳴く前にあなたは3度わたしを知らないというだろう」と言った。ペテロがイエスを裁いた大祭司の家の中庭で3度目の嘘をついた後、鶏が鳴いた。』ということに由来していて、この家の跡に建てられたという教会です。

  • 明日行くオリーブ山

    明日行くオリーブ山

  • 城壁の上が歩けます。

    城壁の上が歩けます。

  • 城壁とその外側にある鶏鳴教会

    城壁とその外側にある鶏鳴教会

  • 更に城壁を進むと神殿の丘が見えてきました。<br />金色の岩のドームと黒いドームのアル・アクサー・モスクが見えてきました。<br />

    更に城壁を進むと神殿の丘が見えてきました。
    金色の岩のドームと黒いドームのアル・アクサー・モスクが見えてきました。

  • 神殿の丘<br />紀元前10世紀頃、ソロモン王により建てられたエルサレム神殿(第1神殿)があったところです。<br />現在残っている神殿(第2神殿)の外壁部分は、ヘロデ大王により紀元前1世紀ごろに建てられたものです。<br />イスラムのウマイヤ朝の時代に、残されたエルサレム神殿(第2神殿)の石壁の上に更に石垣を築きその上に岩のドームなどが築かれました。<br />現在も残るエルサレム神殿の外壁(神殿の丘の西側外壁の一部)がユダヤ教の聖地嘆きの壁です。<br />

    神殿の丘
    紀元前10世紀頃、ソロモン王により建てられたエルサレム神殿(第1神殿)があったところです。
    現在残っている神殿(第2神殿)の外壁部分は、ヘロデ大王により紀元前1世紀ごろに建てられたものです。
    イスラムのウマイヤ朝の時代に、残されたエルサレム神殿(第2神殿)の石壁の上に更に石垣を築きその上に岩のドームなどが築かれました。
    現在も残るエルサレム神殿の外壁(神殿の丘の西側外壁の一部)がユダヤ教の聖地嘆きの壁です。

  • 旧市街からケデロンの谷を隔て見るオリーブ山<br />黒いドームは銀のドームとも呼ばれるアル・アクサー・モスク<br />岩のドームと対をなすモスクで8世紀に建てられ、最も聖なる寺院のひとつとなっています。<br />

    旧市街からケデロンの谷を隔て見るオリーブ山
    黒いドームは銀のドームとも呼ばれるアル・アクサー・モスク
    岩のドームと対をなすモスクで8世紀に建てられ、最も聖なる寺院のひとつとなっています。

  • 岩のドーム<br />7世紀に建てられ、メッカ、メディナに次ぐイスラム教の3大聖地です。<br />イスラム教徒以外は中央のネズミ色の斜路から入ります。<br />セキュリティが厳重だそうです。<br />

    岩のドーム
    7世紀に建てられ、メッカ、メディナに次ぐイスラム教の3大聖地です。
    イスラム教徒以外は中央のネズミ色の斜路から入ります。
    セキュリティが厳重だそうです。

  • 嘆きの壁に入ります。<br />セキュリティーチェックがあります。<br />

    嘆きの壁に入ります。
    セキュリティーチェックがあります。

  • 嘆きの壁<br />中央で仕切られ、右側が女性、左側が男性が礼拝する区域です。<br />

    嘆きの壁
    中央で仕切られ、右側が女性、左側が男性が礼拝する区域です。

  • 女性側の嘆きの壁

    女性側の嘆きの壁

  • 男性側の嘆きの壁<br />紀元前1世紀頃、ユダヤ王国を統治したヘロデ大王時代のエルサレム神殿(第2神殿)の外壁のうち、現存する部分は、下から7段目までです。<br />その上の4段はローマ時代、更に上の小さな石の部分がイスラムの統治時代のものです。<br />高さは21mですが、地下に第2神殿時代のものが17段埋まっているそうです。<br />1946年以降はヨルダンの管理下にあってユダヤ人は近づくことが出来なかったのですが、1967年の第三次中東戦争によりイスラエルの管理下となって、現在に至ります。<br />

    男性側の嘆きの壁
    紀元前1世紀頃、ユダヤ王国を統治したヘロデ大王時代のエルサレム神殿(第2神殿)の外壁のうち、現存する部分は、下から7段目までです。
    その上の4段はローマ時代、更に上の小さな石の部分がイスラムの統治時代のものです。
    高さは21mですが、地下に第2神殿時代のものが17段埋まっているそうです。
    1946年以降はヨルダンの管理下にあってユダヤ人は近づくことが出来なかったのですが、1967年の第三次中東戦争によりイスラエルの管理下となって、現在に至ります。

  • 熱心に礼拝するユダヤ教の信者<br />キッパーを載せています。<br />礼拝するエリアへはキッパーを乗せなければなりません。<br />入口のところに置いてあるので誰でも自由に貰うことが出来ます。<br />

    熱心に礼拝するユダヤ教の信者
    キッパーを載せています。
    礼拝するエリアへはキッパーを乗せなければなりません。
    入口のところに置いてあるので誰でも自由に貰うことが出来ます。

  • 石と石のすき間に願い事を書いたたくさんの紙が差し込まれています。<br />かつてユダヤ教の神殿が建っていた所で、ローマによって破壊された後、ユダヤ人は年に1度来訪することが許可されました。<br />人々が、壁の石の隙間に詰め込んだ悲願を記した紙きれが、夜になると夜露により落ちてくるのを、涙を流すユダヤ人のようだということから嘆きの壁と言われるようになったと言われています。<br />

    石と石のすき間に願い事を書いたたくさんの紙が差し込まれています。
    かつてユダヤ教の神殿が建っていた所で、ローマによって破壊された後、ユダヤ人は年に1度来訪することが許可されました。
    人々が、壁の石の隙間に詰め込んだ悲願を記した紙きれが、夜になると夜露により落ちてくるのを、涙を流すユダヤ人のようだということから嘆きの壁と言われるようになったと言われています。

  • 嘆きの壁と接する建物の内部にまで壁は続いています。

    嘆きの壁と接する建物の内部にまで壁は続いています。

  • 多くのユダヤ教徒や信者でごった返しています。

    多くのユダヤ教徒や信者でごった返しています。

  • 熱心に聖書を読むユダヤ教徒

    熱心に聖書を読むユダヤ教徒

  • 中央で輪になり踊り?大騒ぎ?している人たちがいました。

    中央で輪になり踊り?大騒ぎ?している人たちがいました。

  • 聖書らしきものが並べられています。

    聖書らしきものが並べられています。

  • 嘆きの壁を出て、ムスリムの居住区域に入ります。

    嘆きの壁を出て、ムスリムの居住区域に入ります。

  • 嘆きの壁からヴィア・ドロローサに向かう路地です。

    嘆きの壁からヴィア・ドロローサに向かう路地です。

  • 有罪判決の教会と鞭打ちの教会がある中庭に入ります。<br />右はイスラムの学校です。<br />

    有罪判決の教会と鞭打ちの教会がある中庭に入ります。
    右はイスラムの学校です。

  • イエスは、十字架を背負って総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを歩いたとされています。<br />ヴィア・ドロローサ(苦難の道)という名称は、その道中に味わったイエスの苦難を偲んで名付けられた道です。<br />これからこの道を辿ります。<br />

    イエスは、十字架を背負って総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを歩いたとされています。
    ヴィア・ドロローサ(苦難の道)という名称は、その道中に味わったイエスの苦難を偲んで名付けられた道です。
    これからこの道を辿ります。

  • 道中に味わったとされる苦難のⅠ~Ⅸまでは旧市街の路上にあり、Ⅹ~ⅩⅣまでは聖墳墓教会内にあります。

    道中に味わったとされる苦難のⅠ~Ⅸまでは旧市街の路上にあり、Ⅹ~ⅩⅣまでは聖墳墓教会内にあります。

  • 第1留(ステーション)<br />イエスが十字架刑の判決を受けたローマ総督ピラトの官邸跡でヴィア・ドロローサの出発点となります。<br />現在は、イスラム教の学校になっているので入れません。<br />

    第1留(ステーション)
    イエスが十字架刑の判決を受けたローマ総督ピラトの官邸跡でヴィア・ドロローサの出発点となります。
    現在は、イスラム教の学校になっているので入れません。

  • 有罪判決の教会と鞭打ちの教会の中庭です。<br />左正面の通路の壁に第2留があります。<br />

    有罪判決の教会と鞭打ちの教会の中庭です。
    左正面の通路の壁に第2留があります。

  • 第2留<br />有罪と定められ、イエスが鞭で打たれた場所<br />

    第2留
    有罪と定められ、イエスが鞭で打たれた場所

  • 有罪判決の教会<br />ミサの途中で入れません。<br />

    有罪判決の教会
    ミサの途中で入れません。

  • 鞭打ちの教会<br />ここもミサで入れません。<br />

    鞭打ちの教会
    ここもミサで入れません。

  • ライオン門通りを西へ下ります。<br /><br />エッケ・ホモ・アーチ<br />これは、ピラトが「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言ってイエスが嘲笑をあびたとされる言葉からきています。<br />このアーチは、ローマのハドリアヌス帝が135年エルサレム征服を記念して建造された凱旋門の一部です。<br />

    ライオン門通りを西へ下ります。

    エッケ・ホモ・アーチ
    これは、ピラトが「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言ってイエスが嘲笑をあびたとされる言葉からきています。
    このアーチは、ローマのハドリアヌス帝が135年エルサレム征服を記念して建造された凱旋門の一部です。

  • ライオン門通りの突き当りはエル・ワド通り<br />左に折れます。<br />

    ライオン門通りの突き当りはエル・ワド通り
    左に折れます。

  • 角にはイスラエル兵が完全武装で警備しています。<br />気軽に写真撮影に応じてくれます。<br />

    角にはイスラエル兵が完全武装で警備しています。
    気軽に写真撮影に応じてくれます。

  • 第3、4留

    第3、4留

  • 第3留<br />十字架を背負って最初に倒れ込んだ場所<br />

    第3留
    十字架を背負って最初に倒れ込んだ場所

  • 第3留にあるアルメニア使徒教会

    第3留にあるアルメニア使徒教会

  • 中に入りました。

    中に入りました。

  • 第4留<br />母マリアがイエスを見た場所<br />

    第4留
    母マリアがイエスを見た場所

  • 苦渋の母マリア教会があります。

    苦渋の母マリア教会があります。

  • イエスとマリアの像

    イエスとマリアの像

  • 祭壇です。

    祭壇です。

  • エル・ワド通りを南に進みます。

    エル・ワド通りを南に進みます。

  • 第5留<br />キレネ人シモンがイエスに代わり十字架を担った場所<br />エル・ワド通りとヴィア・ドロローサ通りとの角にあります。<br />

    第5留
    キレネ人シモンがイエスに代わり十字架を担った場所
    エル・ワド通りとヴィア・ドロローサ通りとの角にあります。

  • イエスが触れたことによってできた石のくぼみだそうです。<br />但し、当時のイエスが歩いた道はかなり下だったそうですが。<br />

    イエスが触れたことによってできた石のくぼみだそうです。
    但し、当時のイエスが歩いた道はかなり下だったそうですが。

  • エル・ワド通りを右に折れヴィア・ドロローサ通りを西に進みます。

    エル・ワド通りを右に折れヴィア・ドロローサ通りを西に進みます。

  • 第6留<br />ベロニカという女性がイエスの顔を布で拭った場所<br />

    第6留
    ベロニカという女性がイエスの顔を布で拭った場所

  • 布でイエスの顔を拭うと、その顔が布に映り、この布を「ベロニカのベール」と言います。

    布でイエスの顔を拭うと、その顔が布に映り、この布を「ベロニカのベール」と言います。

  • シンボルは壁に埋め込まれた石柱でVeronicaの文字が刻まれています。

    シンボルは壁に埋め込まれた石柱でVeronicaの文字が刻まれています。

  • ヴィア・ドロローサ通りを更に西に進みます。

    ヴィア・ドロローサ通りを更に西に進みます。

  • スークの中に入り、正面はハーン・アル・ザイト通り<br />突き当りに第7留があります。<br />

    スークの中に入り、正面はハーン・アル・ザイト通り
    突き当りに第7留があります。

  • 第7留<br />イエスが二度目に倒れた場所<br />

    第7留
    イエスが二度目に倒れた場所

  • ハーン・アル・ザイト通りを南進すると、すぐにアル・ハンカ通りとの交差点があるので右折します。

    ハーン・アル・ザイト通りを南進すると、すぐにアル・ハンカ通りとの交差点があるので右折します。

  • 第8留<br />イエスは嘆き悲しむ婦人たちに私のために泣くなと話しかけた場所<br />

    第8留
    イエスは嘆き悲しむ婦人たちに私のために泣くなと話しかけた場所

  • ギリシャ正教の修道院の壁にはめ込まれたラテン十字架

    ギリシャ正教の修道院の壁にはめ込まれたラテン十字架

  • 一旦スークに戻ってハーン・アル・ザイト通りを南へ歩きます。

    一旦スークに戻ってハーン・アル・ザイト通りを南へ歩きます。

  • スークを南進すると右に西へ向かう小さな階段があって道なりに進みます。

    スークを南進すると右に西へ向かう小さな階段があって道なりに進みます。

  • コプト教会の入口です。

    コプト教会の入口です。

  • 第9留<br />イエスが三度目に倒れた場所<br />

    第9留
    イエスが三度目に倒れた場所

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