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 小田原市扇町1に鎮座する稲荷神社は文禄2年(1593年)頃には池上村民持ち30戸の社であった(神奈川県神社誌)。この池上という地名は文献(伊豆山走湯権現の文書)に出ているが、それは慶安5年(1372年)頃のことである。これより以前はこの地に「池上余藤五郎」と名のる武士が池上村を領地としていた。多分、正法山眼蔵寺誌の記載から地頭職位の武士ではなかったかと思われる。<br /> 祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)である。<br /> 境内には水神さまが祭られ、小田原市池上地区民一同が建立した慰霊碑(昭和41年(1966年)8月15日)銘)も建てられている。<br /> 社殿の両側には狛狐があり、社殿の屋根には浪の飾り瓦が上がっている。<br /> 鳥居の後ろ、社殿の前に2本の銀杏の木は小田原市の保存樹に指定されていたが、近年は幹の先や枝が切られて見る影もない。まるで門柱か御柱(おんばしら)のようにも見える。しかし、以前はこの2本の銀杏木は空高く聳え、黄葉が見事だったという。<br /> 現在は、大稲荷神社(小田原市城山1)が管理している。枝垂れ桜が満開で藤棚があり華やかさがある小川を挟んだ横の眼蔵寺に対して少し寂しい池上稲荷神社である。<br />(表紙写真は池上稲荷神社社殿)

池上稲荷神社(小田原市扇町1)

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2020/04/02 - 2020/04/02

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 小田原市扇町1に鎮座する稲荷神社は文禄2年(1593年)頃には池上村民持ち30戸の社であった(神奈川県神社誌)。この池上という地名は文献(伊豆山走湯権現の文書)に出ているが、それは慶安5年(1372年)頃のことである。これより以前はこの地に「池上余藤五郎」と名のる武士が池上村を領地としていた。多分、正法山眼蔵寺誌の記載から地頭職位の武士ではなかったかと思われる。
 祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)である。
 境内には水神さまが祭られ、小田原市池上地区民一同が建立した慰霊碑(昭和41年(1966年)8月15日)銘)も建てられている。
 社殿の両側には狛狐があり、社殿の屋根には浪の飾り瓦が上がっている。
 鳥居の後ろ、社殿の前に2本の銀杏の木は小田原市の保存樹に指定されていたが、近年は幹の先や枝が切られて見る影もない。まるで門柱か御柱(おんばしら)のようにも見える。しかし、以前はこの2本の銀杏木は空高く聳え、黄葉が見事だったという。
 現在は、大稲荷神社(小田原市城山1)が管理している。枝垂れ桜が満開で藤棚があり華やかさがある小川を挟んだ横の眼蔵寺に対して少し寂しい池上稲荷神社である。
(表紙写真は池上稲荷神社社殿)

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  • 鳥居。昭和8年(1933年)奉納。

    鳥居。昭和8年(1933年)奉納。

  • 「慰霊碑」。

    「慰霊碑」。

  • 池上稲荷神社社殿。

    池上稲荷神社社殿。

  • 「水神」。

    「水神」。

  • 狛狐。

    狛狐。

  • 狛狐。

    狛狐。

  • 社殿の屋根に上がる浪の飾り瓦。

    社殿の屋根に上がる浪の飾り瓦。

  • 社殿の屋根に上がる浪の飾り瓦。

    社殿の屋根に上がる浪の飾り瓦。

  • 社殿裏手の倉庫。

    社殿裏手の倉庫。

  • 社殿裏手に大木。

    社殿裏手に大木。

  • 稲荷神社横の道路。

    稲荷神社横の道路。

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