2020/03/25 - 2020/03/25
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Tetsuya Sugitaniさん
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行き方/近鉄松阪or伊勢市からJRに乗り換え参宮線/田丸駅下車、徒歩15分。参宮線沿いに進み外堀にかかる桜橋を渡り内堀沿いに進むと田丸城跡へ通じる登り口。そこから城跡に建つ田丸中学校を回る形で延びる遊歩道に沿い田丸城本丸跡に向かいます。散策を楽しむには、2時間はほしいところです。
そもそも、田丸城は、延元元(1336)年、北畠親房が築城。天正3(15 75)年、織田信長の伊勢侵攻に伴い、北畠氏に送り込まれた信長の次男の信雄(のぶかつ)が三層の天守を築き城主になった。その後、田丸直昌、稲葉氏、久野氏8代が城主になったが、明治維新で廃城となった。
*外堀、大手門跡前には、朝日新聞創始者、村山龍平生誕の記念館がある。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR参宮線田丸駅舎無人駅ながら趣がる。
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駅舎前ロータリーの道標/「玉城町は熊野街道出立の街」とある。伊勢参宮街道と熊野街道合流し、伊勢神宮に通じる街道の要衝であった。
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「伊勢迄8キロ」とある。伊勢、熊野、京都への起点。
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伊勢街道、熊野街道が交わる世界遺産熊野古道伊勢路の出立の町です・・・織田信長の次男信雄が伊勢支配の拠点として築き、天守のある城として日本最古の城であるといわれている。・・・・との表示。
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桜の季節、外堀に沿って桜の並木道になります。
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内堀に沿っても桜並木が続きます。
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紀州藩同心屋敷跡。徳川時代、田丸は鈴鹿市白子と共に紀州藩が治めていました。
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石垣に沿って富士見門へ向かいます。
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富士見門。田丸城が廃城となった明治維新当時、残された8つの門の一つです。江戸中期の原型を留めています。
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城跡を回廊する桜の遊歩道。
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土塁に沿って遊歩道が延びています。
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野面積み石垣の保存も大変なようです。
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野面(のづら)積み(石積み工法)城郭石垣の石の積み方には、使用する石の加工度によって色々な工法がある。最も古い工法で、自然石をそのまま摘む「野面積み」で、一見粗野であるが排水性に優れ意外に頑丈で、年歴を経ると風雅なおもむき、味わいがある。・・・・とあります。
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野面積みの石垣を別の角度から見てみると・・・。
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天守台が見えてきました。
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前方に見えるのが目指す天守台です。
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前方は天守台。本丸跡は整備された広場になっています。遊具がないので、思いっ切り子どもたちは走り回れます。
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天守台の前の広場は子どもたちの格好の遊び場です。
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天守台への階段です。
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天守台に登りきった光景です。
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天守台からの眺めは素晴らしいです。
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天守台からの眺めです。
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天守台からの眺めです。
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コロナウイルスのせいで登校できないでいる高校生が奏でる素晴らしい音色はマッチし、心を和ませてくれました。
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はるかに伊勢の海が望めます。
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玉城中学校の正門前から上がってくると、正面に天守台が見えます。
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幾重にも連なる石垣と桜は見応えがあります。
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田丸城の宝暦年間之復元図。
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玉城中学校グラウンドから望む田丸城跡。
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