2018/08/05 - 2018/08/06
207位(同エリア341件中)
ゆーちさん
この旅行記のスケジュール
2018/08/06
-
車での移動
自宅から朝5時出発。10時半に外人墓地の近くにある先祖の墓参りをして函館朝市へ
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
毎年我が家の恒例行事、お墓参りを兼ねた夏旅。
初日は必ずいか刺し定食をいただく。あの透きとおった踊る刺身は、函館朝市ならではの味。
買い物グループと散歩グループに分かれてホテルチェックインまで自由行動。
我々は函館のハリストス正教会界隈を散歩した。買い物グループは金森倉庫へ。茶房ひし伊で合流。
函館 湯の川温泉 啄木亭には早めにチェックインできた。
二日目;啄木亭の朝食は大変美味。種類も多く、つい食べ過ぎる。日本庭園を散策した。10時半、次の宿泊地ニセコへ向かう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
毎年、函館朝市の恵比寿屋食堂のいか刺し定食をいただく。不漁が叫ばれているが、無事食べることができて満足。
孫は最近お刺身がダメになり、えびグラタンとじゃがバター。恵比寿屋食堂 グルメ・レストラン
-
この後、買い物と散歩グループに分かれ、ホテルのチェックインまで自由に過ごす。
我々は中一の孫と三人で街を散歩することにした。
町をぶらぶらしているとマンホールに目がいく。函館はイカだ。確か一昨年の夏は‘いか踊り’の行列を見て楽しんだのを思い出した。 -
同じ図案でカラー版もあった。
-
ここは南部坂; バス停は坂道の傾斜が緩やかになった所にあり、坂を下りるとかつて繁華街だった十字街、市の地域交流まちづくりセンター(旧丸井今井百貨店)で、登ると函館山ロープウェイの山麓駅になる。坂の名前は江戸幕府直轄の時代、南部藩(岩手県)の陣屋があったことに由来。跡地は現在ロープウェイ山麓駅の駐車場になっている。市民からは‘丸井さんの坂’とよばれ親しまれていたという。
-
カトリック元町教会。国内で最も古い歴史を持つ。もともとは徳川幕府の「キリシタン禁教令」が廃止されるのに先駆け、キリスト教宣教再開の象徴として、安政6年フランス人宣教師が仮聖堂を建てたのが前身。12世紀のゴシック様式。
約100年前の献堂時にローマ教皇ベネディクト15世から贈られたという祭壇があるそうだ。カトリック元町教会 寺・神社・教会
-
この階段を登るとハリストス正教会だ。孫は走って登ってゆく。
夜はこの辺り一帯の教会がライトアップされるという。 -
先に着いて得意顔。
-
我々はゆっくり正教会への階段を登る。
見えているのは、カトリック元町教会。幾度かの大火に見舞われながら再建を繰り返し、大正12年(1923)に焼け残ったレンガ壁の上にモルタルを塗りながら補修し、高さ33mの大鐘楼が増築され今の形になったという。 -
函館ハリストス正教会に到着。
神父様とすれ違った。この数か月後、神父様が亡くなられたと報道される。まだ矍鑠としてお元気そうだったのに、、、。函館ハリストス正教会 寺・神社・教会
-
函館のハリストス正教会は鐘の音から地元の人の間では、‘ガンガン寺’ の愛称がある。鐘楼に登って大小6個の鐘を両手両足で鳴らすらしい。
しかし戦時中、金属類回収令で供出され、戦後も長らく鐘は鳴らなかったという。
1968年に立派な鐘が寄進されたが、輸送中にひびが入って鳴らせずじまい。現在の鐘がお目見えしたのは1983年だそうだ。(道新より) -
ガンガン寺の音は日本の音風景100選に選ばれているそうだ。
あじさいの青と教会の白い壁が美しく響き合っていた。 -
ハリストス正教会の敷地内にあった。
聖ニコライ 1836~1912 亜使徒・日本の大主教と書いてある。
それもそのはず、1861年聖ニコライが来日した日本正教会発祥の地となっている。
ロシアビザンチン様式の聖堂は函館のシンボル的な存在。主の復活聖堂は重要文化財。 -
遺愛幼稚園がすぐそばにあった。うっすらとピンクの木造のかわいい建物。
1894年(明治7年)米のメソジスト監督教会から派遣されたM.C.ハリス宣教師が着任後すぐに付近の子女を集めて Day School を開いたという。
この宣教師は北大のクラーク博士に依頼され、佐藤昌介、新渡戸稲造、内村鑑三らに洗礼を授けた人だということだ。 -
遺愛幼稚園のフェンスから中へは入れなかった。
旧校舎は明治40年(1907)8月の大火で類焼。現校舎は米篤志家の寄付により大正2年(1913)建造。ドイツ幼児教育の祖といわれるペスタロッチに啓発されたフレーベル式教育を取り入れた。その翌年東北地方以北で最古の女子中・高等学校となり、その付属幼稚園として開園。
園児は函館市内でも名の知れた中流以上の家庭の子供達だったという。遺愛幼稚園 名所・史跡
-
ここは元町15
ここを登ると元町公会堂に突き当たる。 -
八幡坂のインフォメーション。
函館奉行所付近にあった八幡宮が文化元年(1804)奉行所の拡張工事に伴い、この坂の上に移されたことから八幡坂の名がついたそうだ。八幡宮はその後明治11年(1874)の火災で焼失し、明治13年(1876)現在の谷地頭町に移ったという。函館 八幡坂 名所・史跡
-
街路灯の下にはハンギングが美しく飾られていた。
-
どこから見てもきれい!こんなのがあちこちに飾ってある。手入れも行き届いていた。
-
1967年開設;在札幌ロシア連邦総領事館。2003年からこの函館事務所で実務を行っているとのこと。
旧ロシア領事館とは違う。 -
八幡坂.
この傾斜はどの坂も同じようだが、函館の住民は毎日ここを登ったり下りたり生活していたのだろう。某台所用洗剤の宣伝にも使われた。函館 八幡坂 名所・史跡
-
宝来町;函館千秋庵から少し上ったところにある’茶房「ひし伊」‘。昔の石蔵を改装した店舗が味わい深い。ここで買い物組と合流しお茶にする。
ひし伊 グルメ・レストラン
-
湯の川温泉 湯元 啄木亭には少し早めにチェックインできた。大浴場は屋上にあり、露天からは函館の街が見下ろせた。
夕食は部屋食でお願いした。食事と展望露天風呂、日本庭園が楽しめる宿 by ゆーちさん湯の川温泉 湯元啄木亭 宿・ホテル
-
やはり部屋食は落ち着いて食事ができる。
-
宿泊は27畳のデラックス和室。6人には広すぎる位だったが、子供達は大はしゃぎ。
9階の展望露天風呂からの夜景もなかなかの展望だった。 -
翌朝、朝食のバイキング会場。ここの朝食は優良。本当にどれも美味しかった。
-
啄木亭は自慢の日本庭園がある。
-
せっかくだからチェックアウトの前に庭園を散歩する。
-
2階のロビーから娘に撮影してもらう。
10時半に次の目的地‘ニセコ’にむけて出発した。食事と展望露天風呂、日本庭園が楽しめる宿 by ゆーちさん湯の川温泉 湯元啄木亭 宿・ホテル
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018夏旅
0
28