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 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。<br /><br /> マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。<br /><br /> デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br /><br />帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~ <br />(26/08/2000-29/09/2000)<br /><br />テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~ <br />(29/08/2000-09/09/2000)<br /><br />マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~ <br />(09/09/2000-19/09/2000)<br /><br />中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~ <br />(19/09/2000-23/09/2000)<br /><br />軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~ <br />(23/09/2000-28/09/2000)<br /><br />世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~ <br />(28/09/2000-30/09/2000)<br /><br />フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~ <br />(30/09/2000-06/10/2000)<br /><br />謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~ <br />(07/10/2000-10/10/2000)<br /><br />古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~ <br />(11/10/2000-16/10/2000)<br /><br />遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~ <br />(17/10/2000-20/10/2000)<br /><br />【スケジュール】<br />2000年<br />08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊<br />08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊<br />08/28 サンディエゴ泊<br />08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~<br />08/30 ~ラパス泊<br />08/31 ラパス~<br />09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊<br />09/02 グアダラハラ~<br />09/03 ~メキシコシティ泊<br />09/04 メキシコシティ泊<br />09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊<br />09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊<br />09/07 メキシコシティ~<br />09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~<br />09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊<br />09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊<br />09/11 アンティグア泊<br />09/12 アンティグア泊<br />09/13 アンティグア泊<br />09/14 アンティグア泊<br />09/15 アンティグア泊<br />09/16 アンティグア泊<br />09/17 アンティグア~パナハッチェル泊<br />09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊<br />09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊<br />09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊<br />09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊<br />09/22 マナグア泊<br />09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊<br />09/24 サンホセ泊<br />09/25 サンホセ~モンテベルデ泊<br />09/26 モンテベルデ泊<br />09/27 モンテベルデ~サンホセ泊<br />09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊<br />09/29 パナマシティ泊<br />09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊<br />10/01 リマ泊<br />10/02 リマ泊<br />10/03 リマ泊<br />10/04 リマ~イキトス泊<br />10/05 イキトス泊<br />10/06 イキトス~リマ~<br />10/07 ~ナスカ~<br />10/08 ~アレキパ~<br />10/09 ~プーノ泊<br />10/10 プーノ泊<br />10/11 プーノ~クスコ泊<br />10/12 クスコ泊<br />10/13 クスコ泊<br />10/14 クスコ~マチュピチュ泊<br />10/15 マチュピチュ~クスコ泊<br />10/16 クスコ泊<br />10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊<br />10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊<br />10/19 ロサンジェルス~<br />10/20 ~成田空港

【復刻版】ラテンアメリカ縦断日記 3 マヤ民族の国とスペイン語語学学校 ~Guatemala編~

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2000/09/09 - 2000/09/19

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Miyatan

Miyatanさん

 復刻版第三弾。2000年8月~10月、二か月に渡る中南米縦断の旅。2020年時点、自分の人生の中で二番目に長い旅。当時は都内某私立大学政治学科の大学生で、一応は卒業論文(ゼミ論)の現地調査。もっとも私の学部は、別に書かなくても規定単位あれば卒業できます(当時は)。今はどうかは知りません。ちなみに国際行政学のゼミで、卒論のタイトルは「ラテンアメリカの開発政策」でした。今考えるとこの頃から旅が手段ではなく目的になってきた気がします。

 マレーシア航空の2カ月OPENチケットの成田~ロサンジェルスだけであとは完全に行き当たりばったり。最終的にはアメリカ、メキシコ、ベリーズ覗く中米五か国とペルーの訪問でした。最初はパナマからコロンビアに入り、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラと回り、カリブに飛びキューバ行って戻ろうという構想だったのですが、さすがに日数足りませんでした。

 デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になりました。ひっそりと移転はしたのですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。


帰って来た旅立ちの地(「ただいま」、思わずそう呟く)~USA編~
(26/08/2000-29/09/2000)

テキーラのアミーゴ達に捧げる唄~Mexico編~
(29/08/2000-09/09/2000)

マヤ民族の国とスペイン語語学学校~Guatemala編~
(09/09/2000-19/09/2000)

中米街道只今疾走中~El Salvador, Honduras, Nicaragua編~
(19/09/2000-23/09/2000)

軍隊なき花と緑と民主主義の楽園~Costa Rica編~
(23/09/2000-28/09/2000)

世界の十字路、運河の国、そして新たな旅立ちへ~Panama編~
(28/09/2000-30/09/2000)

フヒモリ大統領と悠久のアマゾンの大地~Peru, Lima, Iquitos編~
(30/09/2000-06/10/2000)

謎の地上絵と湖上に浮かぶ葦の島々~Peru, Nazca, Alequipa, Puno編~
(07/10/2000-10/10/2000)

古代インカ帝国の栄華と謎の空中都市~Peru, Cuzco, Machu Pichu編~
(11/10/2000-16/10/2000)

遥かなる母なる大地日本を目指して~Cuzco, NARITA編~
(17/10/2000-20/10/2000)

【スケジュール】
2000年
08/26 成田空港~ロサンジェルス・ハリウッド(USA)泊
08/27 ロサンジェルス~サンディエゴ泊
08/28 サンディエゴ泊
08/29 サンディエゴ→ティファナ(メキシコ)~
08/30 ~ラパス泊
08/31 ラパス~
09/01 ~マサトラン~グアダラハラ泊
09/02 グアダラハラ~
09/03 ~メキシコシティ泊
09/04 メキシコシティ泊
09/05 メキシコシティ~テオティワカン~メキシコシティ泊
09/06 メキシコシティ~タスコ~メキシコシティ泊
09/07 メキシコシティ~
09/08 ~オアハカ・モンテアルバン~
09/09 ~タパチュラ~グアテマラシティ(グアテマラ)泊
09/10 グアテマラシティ~アンティグア泊
09/11 アンティグア泊
09/12 アンティグア泊
09/13 アンティグア泊
09/14 アンティグア泊
09/15 アンティグア泊
09/16 アンティグア泊
09/17 アンティグア~パナハッチェル泊
09/18 パナハッチェル~グアテマラシティ泊
09/19 グアテマラシティ~サンサルバドル(エルサルバドル)泊
09/20 サンサルバドル~テグシガルパ(ホンデュラス)泊
09/21 テグシガルパ~マナグア(ニカラグア)泊
09/22 マナグア泊
09/23 マナグア~サンホセ(コスタリカ)泊
09/24 サンホセ泊
09/25 サンホセ~モンテベルデ泊
09/26 モンテベルデ泊
09/27 モンテベルデ~サンホセ泊
09/28 サンホセ~パナマシティ(パナマ)泊
09/29 パナマシティ泊
09/30 パナマシティ~リマ(ペルー)泊
10/01 リマ泊
10/02 リマ泊
10/03 リマ泊
10/04 リマ~イキトス泊
10/05 イキトス泊
10/06 イキトス~リマ~
10/07 ~ナスカ~
10/08 ~アレキパ~
10/09 ~プーノ泊
10/10 プーノ泊
10/11 プーノ~クスコ泊
10/12 クスコ泊
10/13 クスコ泊
10/14 クスコ~マチュピチュ泊
10/15 マチュピチュ~クスコ泊
10/16 クスコ泊
10/17 クスコ~リマ~パナマシティ~サンホセ泊
10/18 サンホセ~ヒューストン~ロサンジェルス泊
10/19 ロサンジェルス~
10/20 ~成田空港

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  • 9月9日(土)<br />国境にてメキシコの出国手続きとグァテマラの入国手続きを済ます。入国手続きは本当にこれでいいのかというくらいに何も聞かれなかった。小さな可愛らしい子供がパスポルテとか言って案内してくれた。入国税の20ケツァールが必要なので、その辺のうるさい両替商に交換してもらったら、子供がチップとか言って10ペソを持っていってしまった。まあいいやと思ってバスに戻ると、窓を叩く音が聞こえた。よく見るとさっきの子供がハポンディネロとか叫んでいる。(ディネロとは、スペイン語で「お金」の意味) 一体日本人をなんだと思っているのだろうか。さっきまでの子供への愛情は、うざったさに変わった。<br /> <br />グァテマラに入った瞬間に道路の質が悪くなった。とにかく道が凹凸で、バスの揺れること揺れること。おかげでかなり車酔いしてしまった。しばらくは寝ていた。グァテマラシティーに近づくと道路の幅も広くなり道路の質も良くなった。日も暮れかかってきた頃、バスはグァテマラシティーに到着した。初めての国で恐かったので、タクシーを利用して宿に向かった。Belmontとかいう安宿。シャワー共用で45ケツァール。それでも設備はまあまあだった。向かいの食堂で食事をする。近くにいるおじさんと英語とスペイン語で少し話したら、トリリンガルとか誉められた。大して話せないけど、嬉しかった。おじさんはグァテマラの式携帯電話を誇らしげに見せて、日本に電話してみろという。電話番号を教えると、おじさん本当にかけちゃった。でもあいにくの留守電。いつでも5ケツァールで日本にかけていいという。何でこんなに安いの…少し疑問だった。<br /> <br /> <br />9月10日(日)<br /> ホテルを出て、アンティグア行きのバス乗り場へ向かう。首都ということを考えれば、近代的な高層ビルは殆どないような印象を受けた。やはり発展途上国特有の混沌としたややもすれば猥雑なエネルギーに満ちていて、少しインドを思い出させた。人だかりに加えて、市場ではその土地特有の物が溢れ、屋台では威勢のいい掛け声が聞こえる。ここでもピカチュウグッズが売られていた。ピカチュウは何処までも国境を越えていくようである。ターミナルに着くと「ティグア、ティグア」と叫んでいる人がいて、バスを指差して乗れという。とにかく通路が狭いバスで、バックパックが入らずに苦労した。バス自体もぼろければ、道も凸凹でとにかく揺れること揺れること。車掌のおっちゃんは「ティグア、ティグア」とドアを開けて走っている中叫びまくり、あちこちで乗客を拾っていくうちにすぐにバスは満員になる。一時間くらい揺られてアンティグアの町にたどり着く。道路がすべて石畳なので、とにかく揺れること揺れること。今回この町を訪れた目的は、一週間くらいスペイン語の勉強をするためである。やはりメキシコに入って以来、スペイン語が出来なければと思い始めた。一応大学の第二外国語でやっていたとはいえ、到底歯がたたないし、これから先危険そうな国々を通過するに当たってそれなりの語学力の必要性も感じた。さらに将来的には海外で働きたいので、そのための語学力この機会に多少は身に付けたいと思ったこともある。グァテマラのこの町は街中にスペイン語学校が多いことで有名である。バスを降りると早速スペイン語学校の人が来たので言われるままに着いていくことに。校長らしき人に一週間で中南米のこの先の旅を実りあるものになおかつ安全にできるだけの会話能力を身に付けたいというと、一日八時間の六日間のインテンシブコースになった。一週間で180$だった。なおかつホストファミリーも斡旋してくれて、無事に滞在先も決まった。滞在費は一週間で40$である。少し落ち着いてから街を歩いてみる。<br /> <br />ここアンティグアはかつてはこの辺りの首都として栄えたが、地震で壊滅的な打撃を受けて、首都はグアテマラシティーへと移された。町並みは非常に美しく、町全体が世界遺産にも登録されている。また別名スペイン語学校の街で、町中には数多くのスペイン語学校がある。スペインコロニカル調の町並みで、マヤ系住民が美しい色の手作りの民芸品を売り、街角ではコカコーラやペプシコーラが売られ、休む人もいれば、石畳の道路を疾走する車やトヨタやマツダやニッサン、町中には世界各地からスペイン語を学びに来た学生が溢れ、非常に国際的である。メルカドにてその色の美しさに圧倒されて、思わず虹色の敷物を衝動買い。街を闊歩するマヤ系民族の女性のウイプルがとても色鮮やかで見ている者の心をうっとりとさせる。中央公園は多くの人々で賑わっている。少し北にある、ラ・メルセー教会の外壁は、黄色い壁に白いレリーフが施され、非常に美しい。狭い市街だが、所々にある教会や修道院、そしてその廃墟は独特の雰囲気がある。夜にはレストランでグァテマラ名物料理ペピアンを食べてみる。非常にまろやかで、こくのあるシチューという感じで美味しかった。<br /> <br /> <br />9月11日(月)<br /> 教会の鐘の音で目が覚める。なかなか清々しい朝である。部屋を出ると、中庭に日が差し込む。なかなか洒落たつくりである。本ホームステイ先はしばらく空かないそうなので、二軒隣りのおじさんの家にホームステイしている。結構人柄のよさそうなおじさんだ。本ホームステイ先に朝食を取りに行く。家族で食卓を囲む。すると一人の女性が下りてきた。てっきり娘さんかと思ったが、話してみたら日本人女性だった。彼女は明日までいるらしい。早速学校に行く。歩いて五分のところにあって、世界各地の若者がスペイン語を学びに来ている。彼女も同じ学校に通っている。<br /> <br /> 一対一のマンツーマン授業で、先生はシンティアという女性の方だった。とりあえず今日は文法の復習から始めた。ar型、ir型、er型の現在の活用のほか、単語を覚えたりする。一応大学で二年間第二外国語としてスペイン語を習ったので、この辺りは結構記憶に残っていたのでやりやすかった。ただやはりどうしても単語は結構忘れてしまっているようである。少しずつ記憶の扉の引出しを開けるように、単語を復習していく。規則形の単語の活用を繰り返し発音したら、今度は実際に文章を作ってみる。本当にボキャブラリーが全然ないので、文章を作るのには一苦労した。昼休みになったので、一旦家に戻るとなんとも本ホームステイ先の部屋があいたので移動するように言われたので移動する。おじさんとさよならするのかと思うと少し寂しかった。だが昼食の時間にはおじさんは隣りにいた。ここの家族構成はまだよくわからない。ラテンの国々は一般的に長いらしく、一旦家に戻って家族と共に食事をとるようなので、なおかつ量が一日の食事の中で一番多いようである。野菜や肉の煮物がメインだった。同じ家に滞在していた彼女は五時間コースなので、午後は近くの公園で読書に励むそうである。大学院で「比較文明学」を専攻しているそうで、なかなか聡明そうである。<br /> <br /> 午後は今度は不規則活用の勉強。やはり覚えている単語は覚えているが、そうでない単語はそうでないという感じである。実際に文章を作ってみようとすると、やはりボキャブラリー不足か想像力不足なのかなかなかうまくいかない。休憩時間に屋上に登る。四方を山に囲まれて落ち着いた感じの町である。<br /> <br /> 夕方頃から雨が降り出す。中庭には屋根がないので、階段がびしょ濡れになってしまう…。<br /> <br /> <br />9月12日(日)<br /> 同じ家に泊まっている彼女は今日ここを去って、チチカスタンゴへ向かうそうである。彼女は今日が五時間コースの最後の日で、それが終わり次第チチカスタンゴに向かうバスに乗るので、バックパックをしょって出かけた。少し寂しかった。<br /> <br />授業二日目。まずは宿題の西作文を読んでみた。ただでさえ少ないボキャブラリーを引っ張り出して作文を書いたのだが、なぜか内容的にかなりうけていた。ストーリーがめちゃくちゃだったからだろうか。でも知っている単語が少なくて、テキトーに書いた緑色の髪をしたアメリカ人がすごいうけていた。<br /> <br /> 午前中は、母音の一部が単数形と三人称複数形で変化する活用の動詞について学んだ。一通り主な単語を学習したら今度は実際に文章を作ってみる。やはりどう考えてもボキャブラリー不足は否めなかった。<br /> <br /> 午後の授業は二時からだが、夜飲んだコーヒーのカフェインが効いてしまったらしく、昨晩あまり眠れなかったおかげで、かなり眠くなった。眠そうにしていると、なんとも音楽博物館に行かないかといわれた。ここの語学学校には、コーヒーの名産地グァテマラということもあり、廊下にコーヒーがおかれていて飲み放題である。丁度眠気覚ましのコーヒーもきれていたので、行ってみる事にした。どうも眠いからコーヒーを飲む→よって弱カフェイン体質なので夜眠れなくなる→朝起きるとさらに眠い、といった悪循環に陥りそうでちょっとこわい。ちなみにホームステイ先で出されるコーヒーは甘くて味が薄いけど美味しい。やはり中米はコーヒーなのかなと思った。<br /> <br /> 音楽博物館ではマヤ文明の色々な楽器が展示されていた。亀の甲羅やら動物の骨やら、本当に自然界のありとあらゆるものを楽器にしてしまうセンスには驚きだ。マリンバなどの楽器は音階が狂っていて面白かった。マヤ民族の祭りの風景の映像も見ごたえがあった。<br /> <br /> エローテ(玉蜀黍)を屋台で買う。とうもろこしにレモンをかけたもので、日本のとは違って色は黄色ではなく白っぽかったけど美味しかった。学校に戻ると丁度休憩時間だった。屋上でイギリス人代生徒ドイツ人女性二人と話をした。ドイツ人女性は挨拶程度の日本語が話せて、僕も挨拶程度のドイツ語は出来たので、妙な雰囲気にもなった。イギリス人の彼はこの間大学を卒業して来年の三月から石油会社(シェル)で働くので、つかの間の休暇旅行である。なんかそういうのもいいなと思う。休憩が終わると再帰動詞の学習。さぁ、頑張るぞ。<br /> <br />

    9月9日(土)
    国境にてメキシコの出国手続きとグァテマラの入国手続きを済ます。入国手続きは本当にこれでいいのかというくらいに何も聞かれなかった。小さな可愛らしい子供がパスポルテとか言って案内してくれた。入国税の20ケツァールが必要なので、その辺のうるさい両替商に交換してもらったら、子供がチップとか言って10ペソを持っていってしまった。まあいいやと思ってバスに戻ると、窓を叩く音が聞こえた。よく見るとさっきの子供がハポンディネロとか叫んでいる。(ディネロとは、スペイン語で「お金」の意味) 一体日本人をなんだと思っているのだろうか。さっきまでの子供への愛情は、うざったさに変わった。

    グァテマラに入った瞬間に道路の質が悪くなった。とにかく道が凹凸で、バスの揺れること揺れること。おかげでかなり車酔いしてしまった。しばらくは寝ていた。グァテマラシティーに近づくと道路の幅も広くなり道路の質も良くなった。日も暮れかかってきた頃、バスはグァテマラシティーに到着した。初めての国で恐かったので、タクシーを利用して宿に向かった。Belmontとかいう安宿。シャワー共用で45ケツァール。それでも設備はまあまあだった。向かいの食堂で食事をする。近くにいるおじさんと英語とスペイン語で少し話したら、トリリンガルとか誉められた。大して話せないけど、嬉しかった。おじさんはグァテマラの式携帯電話を誇らしげに見せて、日本に電話してみろという。電話番号を教えると、おじさん本当にかけちゃった。でもあいにくの留守電。いつでも5ケツァールで日本にかけていいという。何でこんなに安いの…少し疑問だった。


    9月10日(日)
     ホテルを出て、アンティグア行きのバス乗り場へ向かう。首都ということを考えれば、近代的な高層ビルは殆どないような印象を受けた。やはり発展途上国特有の混沌としたややもすれば猥雑なエネルギーに満ちていて、少しインドを思い出させた。人だかりに加えて、市場ではその土地特有の物が溢れ、屋台では威勢のいい掛け声が聞こえる。ここでもピカチュウグッズが売られていた。ピカチュウは何処までも国境を越えていくようである。ターミナルに着くと「ティグア、ティグア」と叫んでいる人がいて、バスを指差して乗れという。とにかく通路が狭いバスで、バックパックが入らずに苦労した。バス自体もぼろければ、道も凸凹でとにかく揺れること揺れること。車掌のおっちゃんは「ティグア、ティグア」とドアを開けて走っている中叫びまくり、あちこちで乗客を拾っていくうちにすぐにバスは満員になる。一時間くらい揺られてアンティグアの町にたどり着く。道路がすべて石畳なので、とにかく揺れること揺れること。今回この町を訪れた目的は、一週間くらいスペイン語の勉強をするためである。やはりメキシコに入って以来、スペイン語が出来なければと思い始めた。一応大学の第二外国語でやっていたとはいえ、到底歯がたたないし、これから先危険そうな国々を通過するに当たってそれなりの語学力の必要性も感じた。さらに将来的には海外で働きたいので、そのための語学力この機会に多少は身に付けたいと思ったこともある。グァテマラのこの町は街中にスペイン語学校が多いことで有名である。バスを降りると早速スペイン語学校の人が来たので言われるままに着いていくことに。校長らしき人に一週間で中南米のこの先の旅を実りあるものになおかつ安全にできるだけの会話能力を身に付けたいというと、一日八時間の六日間のインテンシブコースになった。一週間で180$だった。なおかつホストファミリーも斡旋してくれて、無事に滞在先も決まった。滞在費は一週間で40$である。少し落ち着いてから街を歩いてみる。

    ここアンティグアはかつてはこの辺りの首都として栄えたが、地震で壊滅的な打撃を受けて、首都はグアテマラシティーへと移された。町並みは非常に美しく、町全体が世界遺産にも登録されている。また別名スペイン語学校の街で、町中には数多くのスペイン語学校がある。スペインコロニカル調の町並みで、マヤ系住民が美しい色の手作りの民芸品を売り、街角ではコカコーラやペプシコーラが売られ、休む人もいれば、石畳の道路を疾走する車やトヨタやマツダやニッサン、町中には世界各地からスペイン語を学びに来た学生が溢れ、非常に国際的である。メルカドにてその色の美しさに圧倒されて、思わず虹色の敷物を衝動買い。街を闊歩するマヤ系民族の女性のウイプルがとても色鮮やかで見ている者の心をうっとりとさせる。中央公園は多くの人々で賑わっている。少し北にある、ラ・メルセー教会の外壁は、黄色い壁に白いレリーフが施され、非常に美しい。狭い市街だが、所々にある教会や修道院、そしてその廃墟は独特の雰囲気がある。夜にはレストランでグァテマラ名物料理ペピアンを食べてみる。非常にまろやかで、こくのあるシチューという感じで美味しかった。


    9月11日(月)
     教会の鐘の音で目が覚める。なかなか清々しい朝である。部屋を出ると、中庭に日が差し込む。なかなか洒落たつくりである。本ホームステイ先はしばらく空かないそうなので、二軒隣りのおじさんの家にホームステイしている。結構人柄のよさそうなおじさんだ。本ホームステイ先に朝食を取りに行く。家族で食卓を囲む。すると一人の女性が下りてきた。てっきり娘さんかと思ったが、話してみたら日本人女性だった。彼女は明日までいるらしい。早速学校に行く。歩いて五分のところにあって、世界各地の若者がスペイン語を学びに来ている。彼女も同じ学校に通っている。

     一対一のマンツーマン授業で、先生はシンティアという女性の方だった。とりあえず今日は文法の復習から始めた。ar型、ir型、er型の現在の活用のほか、単語を覚えたりする。一応大学で二年間第二外国語としてスペイン語を習ったので、この辺りは結構記憶に残っていたのでやりやすかった。ただやはりどうしても単語は結構忘れてしまっているようである。少しずつ記憶の扉の引出しを開けるように、単語を復習していく。規則形の単語の活用を繰り返し発音したら、今度は実際に文章を作ってみる。本当にボキャブラリーが全然ないので、文章を作るのには一苦労した。昼休みになったので、一旦家に戻るとなんとも本ホームステイ先の部屋があいたので移動するように言われたので移動する。おじさんとさよならするのかと思うと少し寂しかった。だが昼食の時間にはおじさんは隣りにいた。ここの家族構成はまだよくわからない。ラテンの国々は一般的に長いらしく、一旦家に戻って家族と共に食事をとるようなので、なおかつ量が一日の食事の中で一番多いようである。野菜や肉の煮物がメインだった。同じ家に滞在していた彼女は五時間コースなので、午後は近くの公園で読書に励むそうである。大学院で「比較文明学」を専攻しているそうで、なかなか聡明そうである。

     午後は今度は不規則活用の勉強。やはり覚えている単語は覚えているが、そうでない単語はそうでないという感じである。実際に文章を作ってみようとすると、やはりボキャブラリー不足か想像力不足なのかなかなかうまくいかない。休憩時間に屋上に登る。四方を山に囲まれて落ち着いた感じの町である。

     夕方頃から雨が降り出す。中庭には屋根がないので、階段がびしょ濡れになってしまう…。


    9月12日(日)
     同じ家に泊まっている彼女は今日ここを去って、チチカスタンゴへ向かうそうである。彼女は今日が五時間コースの最後の日で、それが終わり次第チチカスタンゴに向かうバスに乗るので、バックパックをしょって出かけた。少し寂しかった。
     
    授業二日目。まずは宿題の西作文を読んでみた。ただでさえ少ないボキャブラリーを引っ張り出して作文を書いたのだが、なぜか内容的にかなりうけていた。ストーリーがめちゃくちゃだったからだろうか。でも知っている単語が少なくて、テキトーに書いた緑色の髪をしたアメリカ人がすごいうけていた。

     午前中は、母音の一部が単数形と三人称複数形で変化する活用の動詞について学んだ。一通り主な単語を学習したら今度は実際に文章を作ってみる。やはりどう考えてもボキャブラリー不足は否めなかった。

     午後の授業は二時からだが、夜飲んだコーヒーのカフェインが効いてしまったらしく、昨晩あまり眠れなかったおかげで、かなり眠くなった。眠そうにしていると、なんとも音楽博物館に行かないかといわれた。ここの語学学校には、コーヒーの名産地グァテマラということもあり、廊下にコーヒーがおかれていて飲み放題である。丁度眠気覚ましのコーヒーもきれていたので、行ってみる事にした。どうも眠いからコーヒーを飲む→よって弱カフェイン体質なので夜眠れなくなる→朝起きるとさらに眠い、といった悪循環に陥りそうでちょっとこわい。ちなみにホームステイ先で出されるコーヒーは甘くて味が薄いけど美味しい。やはり中米はコーヒーなのかなと思った。

     音楽博物館ではマヤ文明の色々な楽器が展示されていた。亀の甲羅やら動物の骨やら、本当に自然界のありとあらゆるものを楽器にしてしまうセンスには驚きだ。マリンバなどの楽器は音階が狂っていて面白かった。マヤ民族の祭りの風景の映像も見ごたえがあった。

     エローテ(玉蜀黍)を屋台で買う。とうもろこしにレモンをかけたもので、日本のとは違って色は黄色ではなく白っぽかったけど美味しかった。学校に戻ると丁度休憩時間だった。屋上でイギリス人代生徒ドイツ人女性二人と話をした。ドイツ人女性は挨拶程度の日本語が話せて、僕も挨拶程度のドイツ語は出来たので、妙な雰囲気にもなった。イギリス人の彼はこの間大学を卒業して来年の三月から石油会社(シェル)で働くので、つかの間の休暇旅行である。なんかそういうのもいいなと思う。休憩が終わると再帰動詞の学習。さぁ、頑張るぞ。

  • 9月13日(水)<br /> さすがに毎日八時間も勉強していると疲れるし、飽きてくる。それでも残りの旅を快適にするくらいのスペイン語をマスターできるようにがんばるぞ、そう考えて一日が始まる。再帰動詞の続きから一日の学習が始まる。<br /> <br /> 中休みに、日本人男性と少し話す。彼は大学の歯学部を出たあとは医者としてしばらく働いて、貯めたお金で一年以上世界各地を渡り歩いているそうである。アルゼンチンやブラジルでは医者の職につこうとしたが、断られたそうだ。これだけ長期にわたって旅行できるのもうらやましい。<br /> <br /> 休みが終わった頃、みんなで公園に行くことになった。この学校は全てマンツーマンの授業なので、五組つまり十人で行くことになった。さっきの日本人と、カナダ人の男女二人とイギリス人男性の五人の生徒とその先生たちで計十人である。まず公園の近くの学校に入ってみた。グァテマラの学校の女子の制服はなかなかお洒落である。全体的に日本でいうお嬢様系女子高をややヨーロピアンスタイルにした感じである。なぜかアンティグアでは男子学生よりも女子学生のほうが多い気がする。そう言えばホストファミリーの女の子の制服は赤いカーディガンに白いシャツにチェックのスカートに赤いハイソックスである。他にも紺やら水色やら色とりどりである。授業で作ったチョコレートの家やらピカチュウのぬいぐるみやらを販売していた。実習で作ったもののうちの一部を売っているようであった。<br /> <br /> その後昼間からバーでビールを飲むことに。Polloというのがグァテマラ産ビールのブランド名らしい。でもあいかわずビールは苦手なので、一人だけ7upを飲んでいた。みんなで「salud」と乾杯する。日本人の彼は丁度ポルトガルに行ったときの写真を現像したので、みんなでその写真を見た。殆ど他の人は午前中のみのコースなので、そのまま結構飲んでいた。午後も授業がある自分が少し嫌になった。でもこんなことに負けてはいられまい。<br /> <br /> 一件平和そうなアンティグアの街だが、昨日殺人事件が起こったらしい。二十歳くらいの女性が夜中に殺されたらしい。ツーリストではないようである。詳しいことを聞くだけのスペイン語力がなくてよくわからなかったが、とにかく気をつけねばという感じである。<br /> <br />9月14日(木)<br /> 授業四日目。毎日が少しマンネリ化しつつある。<br /> <br /> 中休みに日本人の彼とまた話した。彼は少しドラッグをやっているらしい。同じ家にいた日本人の大学院生の彼女もまた少しドラッグをやっていたらしい。彼と同じ家に住んでいるフランス人も少しやっているらしく、今日は学校に来ていない。麻薬ってそんなに楽しいものかなぁ。やったことがないのでわからないけど。インドに行ったときも、周りには結構麻薬をやっている人がいた。日本人って、そんなに外国で麻薬をやっているものだろうか。ただ一つ思ったのは、僕は今まで一度も煙草を吸ったことがない人間だ。麻薬をやっている日本人は煙草を吸っている人が多い。何らかの因果関係があるのだろうか。<br /> <br /> 荷物が重いので、使わなくなったガイドブックを日本に送ろうとしたが高いので辞めた。国際宅急便(DHL)はかなり高い。日本に帰ってから新しいのを買った方がいいくらいである。郵便局ならもう少し安いようである。<br /> <br /> グァテマラの食生活は質素なように思える。大体出てくるものが毎日同じである。朝は玉蜀黍を粉の粉を練って薄く伸ばして焼いたメキシコや中米での伝統的料理のトルティージャにパン。それに加えてフリホーレスという黒豆を煮てペースト状にして物に卵料理。昼食はフリホーレス、トルティージャ、アロスに加えて肉やら野菜やらさらに果物。夜は朝と似たような物。米はサフランのようなもので味と色をつけたようなもの。それに加えてカフェ(コーヒー)。コーヒーは薄味で甘い。別に珈琲豆の香りが弱いのではなく、お湯を多めに入れているのであろう。全体的にいえるのは味が薄めで、こってりしていないことである。あと量が少ない。毎日同じ物ばかり食べていて飽きないのかなと思う。でも肉やら脂っこいのやら砂糖ばっかのものを食べている人よりは健康的である。まとめればグァテマラの一般料理は、質素でヘルシーで薄味だということだろう。アメリカからメキシコを下ってこの国に来ると、体脂肪率が段々下がっている感じだ。暮らしぶりを観察しても、日本やアメリカ、さらに言えばメキシコと比べても物質的な豊かさは劣ると思う。それでも発展途上国につきものの「貧困」という言葉はあまり感じられない。平凡で質素だけれども、毎日楽しく生きている。少なくともアンティグアの町を歩いた感じ、そのような印象を受けている。<br /> <br /> 午後になったけどシンティア先生は来なかった。なんとも赤ちゃんがどうとかこうとか言うことらしい。よくわからないけど。この間のイギリス人の彼と二人で同じ先生に午後だけ教わることになった。政治学を専攻していると話したら、グァテマラの政治の話になった。でも殆どわからなかったけど。ただいえるのは、「政治」という言葉にグァテマラの人はそんなにいい印象を受けているようには感じられなかった。そのように表情から感じた。「中米」という言葉を聞くと「内戦」というイメージが未だに強いし、グァテマラも例外ではないだろう。明日は独立記念日でお祭りらしい。一体どんな明日が待っているのかな…。<br /> <br /> それにしても毎日夕方から夜にかけて雨が降るので、中庭に階段があるので二階に登るのが大変だ。<br />

    9月13日(水)
     さすがに毎日八時間も勉強していると疲れるし、飽きてくる。それでも残りの旅を快適にするくらいのスペイン語をマスターできるようにがんばるぞ、そう考えて一日が始まる。再帰動詞の続きから一日の学習が始まる。

     中休みに、日本人男性と少し話す。彼は大学の歯学部を出たあとは医者としてしばらく働いて、貯めたお金で一年以上世界各地を渡り歩いているそうである。アルゼンチンやブラジルでは医者の職につこうとしたが、断られたそうだ。これだけ長期にわたって旅行できるのもうらやましい。

     休みが終わった頃、みんなで公園に行くことになった。この学校は全てマンツーマンの授業なので、五組つまり十人で行くことになった。さっきの日本人と、カナダ人の男女二人とイギリス人男性の五人の生徒とその先生たちで計十人である。まず公園の近くの学校に入ってみた。グァテマラの学校の女子の制服はなかなかお洒落である。全体的に日本でいうお嬢様系女子高をややヨーロピアンスタイルにした感じである。なぜかアンティグアでは男子学生よりも女子学生のほうが多い気がする。そう言えばホストファミリーの女の子の制服は赤いカーディガンに白いシャツにチェックのスカートに赤いハイソックスである。他にも紺やら水色やら色とりどりである。授業で作ったチョコレートの家やらピカチュウのぬいぐるみやらを販売していた。実習で作ったもののうちの一部を売っているようであった。

     その後昼間からバーでビールを飲むことに。Polloというのがグァテマラ産ビールのブランド名らしい。でもあいかわずビールは苦手なので、一人だけ7upを飲んでいた。みんなで「salud」と乾杯する。日本人の彼は丁度ポルトガルに行ったときの写真を現像したので、みんなでその写真を見た。殆ど他の人は午前中のみのコースなので、そのまま結構飲んでいた。午後も授業がある自分が少し嫌になった。でもこんなことに負けてはいられまい。

     一件平和そうなアンティグアの街だが、昨日殺人事件が起こったらしい。二十歳くらいの女性が夜中に殺されたらしい。ツーリストではないようである。詳しいことを聞くだけのスペイン語力がなくてよくわからなかったが、とにかく気をつけねばという感じである。

    9月14日(木)
     授業四日目。毎日が少しマンネリ化しつつある。

     中休みに日本人の彼とまた話した。彼は少しドラッグをやっているらしい。同じ家にいた日本人の大学院生の彼女もまた少しドラッグをやっていたらしい。彼と同じ家に住んでいるフランス人も少しやっているらしく、今日は学校に来ていない。麻薬ってそんなに楽しいものかなぁ。やったことがないのでわからないけど。インドに行ったときも、周りには結構麻薬をやっている人がいた。日本人って、そんなに外国で麻薬をやっているものだろうか。ただ一つ思ったのは、僕は今まで一度も煙草を吸ったことがない人間だ。麻薬をやっている日本人は煙草を吸っている人が多い。何らかの因果関係があるのだろうか。

     荷物が重いので、使わなくなったガイドブックを日本に送ろうとしたが高いので辞めた。国際宅急便(DHL)はかなり高い。日本に帰ってから新しいのを買った方がいいくらいである。郵便局ならもう少し安いようである。

     グァテマラの食生活は質素なように思える。大体出てくるものが毎日同じである。朝は玉蜀黍を粉の粉を練って薄く伸ばして焼いたメキシコや中米での伝統的料理のトルティージャにパン。それに加えてフリホーレスという黒豆を煮てペースト状にして物に卵料理。昼食はフリホーレス、トルティージャ、アロスに加えて肉やら野菜やらさらに果物。夜は朝と似たような物。米はサフランのようなもので味と色をつけたようなもの。それに加えてカフェ(コーヒー)。コーヒーは薄味で甘い。別に珈琲豆の香りが弱いのではなく、お湯を多めに入れているのであろう。全体的にいえるのは味が薄めで、こってりしていないことである。あと量が少ない。毎日同じ物ばかり食べていて飽きないのかなと思う。でも肉やら脂っこいのやら砂糖ばっかのものを食べている人よりは健康的である。まとめればグァテマラの一般料理は、質素でヘルシーで薄味だということだろう。アメリカからメキシコを下ってこの国に来ると、体脂肪率が段々下がっている感じだ。暮らしぶりを観察しても、日本やアメリカ、さらに言えばメキシコと比べても物質的な豊かさは劣ると思う。それでも発展途上国につきものの「貧困」という言葉はあまり感じられない。平凡で質素だけれども、毎日楽しく生きている。少なくともアンティグアの町を歩いた感じ、そのような印象を受けている。

     午後になったけどシンティア先生は来なかった。なんとも赤ちゃんがどうとかこうとか言うことらしい。よくわからないけど。この間のイギリス人の彼と二人で同じ先生に午後だけ教わることになった。政治学を専攻していると話したら、グァテマラの政治の話になった。でも殆どわからなかったけど。ただいえるのは、「政治」という言葉にグァテマラの人はそんなにいい印象を受けているようには感じられなかった。そのように表情から感じた。「中米」という言葉を聞くと「内戦」というイメージが未だに強いし、グァテマラも例外ではないだろう。明日は独立記念日でお祭りらしい。一体どんな明日が待っているのかな…。

     それにしても毎日夕方から夜にかけて雨が降るので、中庭に階段があるので二階に登るのが大変だ。

  • 9月15日(金)<br /> 今日はグァテマラの独立記念日で、国民の休日らしい。でも学校はそれにもかかわらず授業がある。ホームステイ先で今日授業があることを話したら、意外な顔をされた。<br /> <br /> でも30分授業をした後で、前々日の約束通りみんなでプールに行くことになった。チマルテナンゴというところまでバスで行った。そこにある屋外プールに行く。結構水が冷たかった。現地の子供たちがそれでも元気にはしゃいでいる。少しだけ水に入ってみるけど、やっぱり冷たい。一緒に来た仲間は既にはしゃいでいたり、子供たちと水かけをしている。もう少し入ってみると、子供たちから水かけの集中攻撃を浴びる。少し追いかけると逃げていく。童心に戻ったように、はしゃぎつづけた。<br /> <br /> 子供たちの写真をとってみる。よっぽどカメラが珍しいようで、すぐに集まってくる。そのうちに子供たちが、自分でカメラを使い始める。何枚も写真をとっては喜んでいた。やはりどの国でも子供たちの笑顔を絶やしてはいけない、そうあるべきだと思う。

    9月15日(金)
     今日はグァテマラの独立記念日で、国民の休日らしい。でも学校はそれにもかかわらず授業がある。ホームステイ先で今日授業があることを話したら、意外な顔をされた。

     でも30分授業をした後で、前々日の約束通りみんなでプールに行くことになった。チマルテナンゴというところまでバスで行った。そこにある屋外プールに行く。結構水が冷たかった。現地の子供たちがそれでも元気にはしゃいでいる。少しだけ水に入ってみるけど、やっぱり冷たい。一緒に来た仲間は既にはしゃいでいたり、子供たちと水かけをしている。もう少し入ってみると、子供たちから水かけの集中攻撃を浴びる。少し追いかけると逃げていく。童心に戻ったように、はしゃぎつづけた。

     子供たちの写真をとってみる。よっぽどカメラが珍しいようで、すぐに集まってくる。そのうちに子供たちが、自分でカメラを使い始める。何枚も写真をとっては喜んでいた。やはりどの国でも子供たちの笑顔を絶やしてはいけない、そうあるべきだと思う。

  •  午後の授業が終わった後で、中央公園に行く。丁度独立記念日のお祭りをやっていた。中央公園の四方を囲むようにあちこちで演奏が行われ、人だかりが出来ていた。花火が打ち上げられる。グァテマラの花火はまだ日本のように美しいわけではなく、ただ爆発音がでかいだけという気がした。こればかりは遅れている印象を受ける。それでも大勢の人たちでこの人ばかりに賑わい、見ていて楽しかった。<br /> <br /> その後同じ学校のカナダ人とアメリカ人とイギリス人とベルギー人で、バーで飲む。グァテマラブランドの「Gallo」というビールは、それほど苦くないので、ビールが苦手な僕にも少し飲めた。総勢九人で飲んで騒ぎまくる。ただ英語がネイティブの人たちが多くて、早口の英語になかなかついていけなかった。自分たちの母国語を母国語とする外国が他にある人たちがうらやましかった。<br />

     午後の授業が終わった後で、中央公園に行く。丁度独立記念日のお祭りをやっていた。中央公園の四方を囲むようにあちこちで演奏が行われ、人だかりが出来ていた。花火が打ち上げられる。グァテマラの花火はまだ日本のように美しいわけではなく、ただ爆発音がでかいだけという気がした。こればかりは遅れている印象を受ける。それでも大勢の人たちでこの人ばかりに賑わい、見ていて楽しかった。

     その後同じ学校のカナダ人とアメリカ人とイギリス人とベルギー人で、バーで飲む。グァテマラブランドの「Gallo」というビールは、それほど苦くないので、ビールが苦手な僕にも少し飲めた。総勢九人で飲んで騒ぎまくる。ただ英語がネイティブの人たちが多くて、早口の英語になかなかついていけなかった。自分たちの母国語を母国語とする外国が他にある人たちがうらやましかった。

  •  その後は、中央公園に乗り出す。丁度ディスコのセットが配置され、みんなが踊った。ラテン音楽に合わせて、とにかく体を動かす。老若男女問わず、国籍も問わず、とにかく体を動かして楽しんでいる。殆どの人は明日授業がない。だから今日でみんなとはお別れなのだ。少し寂しいけど、だからこそ今日は飲み明かし、踊り明かした。<br />

     その後は、中央公園に乗り出す。丁度ディスコのセットが配置され、みんなが踊った。ラテン音楽に合わせて、とにかく体を動かす。老若男女問わず、国籍も問わず、とにかく体を動かして楽しんでいる。殆どの人は明日授業がない。だから今日でみんなとはお別れなのだ。少し寂しいけど、だからこそ今日は飲み明かし、踊り明かした。

  • 9月16日(土)<br /> 今日は授業の最終日である。眠い目をこすりながら授業に出る。今日は線過去について学ぶ。線過去は不規則に活用する単語が“ver”と“ir”と“ser”の三つしかないので、活用だけなら簡単に覚えられる。それでも使い方が、特に点過去との違いが日本じんには少しわかりにくい。<br /> <br />授業は先生は突然来れなかったときを除けばずっとシンティア先生とマンツーマンの授業だった。日本の大学でスペイン語を勉強したときは、語学で少人数制をとっているとはいえ、一クラス40人もいた。自然と実際に当てられる回数は少なかった。一対一なら、当てられる回数は当然多くなる。先生は時々単語のスペルを間違えたりしてと、見ていて不安になる場面も多かった。やはり日本人も時々漢字を間違えるように、自国語のスペルを忘れてしまうこともあるのだろう。先生は英語は殆ど話せないので、スペイン語をスペイン語で教えることになる。当然かなり苦労する。それでも一応二年間第二外国語として習った基礎能力はあったので、上達、習得は恐らくはじめてスペイン語を習う人たちよりは早かっただろう。それにやはり一対一の利点は、コミュニケーションの取れる時間が多大に取れることだろう。日本の不景気の話や、先生の身の上話、グァテマラの先住民族とその言語や日本における先住民族アイヌの存在や歴史、アイヌ語の歴史や日本の民族構成や言語などについて話し合った。まあ、もっともひたすら単語を並べるばかりだったけど。<br /> <br /> スペインのスペイン語とラテンアメリカのスペイン語はやはり違う面があり、スペインのスペイン語を習った僕にとっては少し戸惑った。特に大きな違いのうちの一つは、“c”と“z”の発音である。スペインでは英語のth、“θ”の発音だが、ラテンアメリカでは全体的にそれが消滅して、“s”の発音になる。もう一つは二人称複数形の“vosotros”のが存在しないことだ。したがって、二人称複数形の活用も一般的に使用しない。<br /> <br /> たかが一週間程度では、たとえ一日八時間でも大して話せない。でも少しは話せるようにはなったとは思う。聞きなれたシンティア先生の声が聞けなくなるのは寂しいけど、頭の中でこだまするスペイン語を武器にこれからも頑張りたい。彼女の赤ちゃんのために、ポケモンのピカチュウの人形をプレゼントして、記念の品とした。

    9月16日(土)
     今日は授業の最終日である。眠い目をこすりながら授業に出る。今日は線過去について学ぶ。線過去は不規則に活用する単語が“ver”と“ir”と“ser”の三つしかないので、活用だけなら簡単に覚えられる。それでも使い方が、特に点過去との違いが日本じんには少しわかりにくい。

    授業は先生は突然来れなかったときを除けばずっとシンティア先生とマンツーマンの授業だった。日本の大学でスペイン語を勉強したときは、語学で少人数制をとっているとはいえ、一クラス40人もいた。自然と実際に当てられる回数は少なかった。一対一なら、当てられる回数は当然多くなる。先生は時々単語のスペルを間違えたりしてと、見ていて不安になる場面も多かった。やはり日本人も時々漢字を間違えるように、自国語のスペルを忘れてしまうこともあるのだろう。先生は英語は殆ど話せないので、スペイン語をスペイン語で教えることになる。当然かなり苦労する。それでも一応二年間第二外国語として習った基礎能力はあったので、上達、習得は恐らくはじめてスペイン語を習う人たちよりは早かっただろう。それにやはり一対一の利点は、コミュニケーションの取れる時間が多大に取れることだろう。日本の不景気の話や、先生の身の上話、グァテマラの先住民族とその言語や日本における先住民族アイヌの存在や歴史、アイヌ語の歴史や日本の民族構成や言語などについて話し合った。まあ、もっともひたすら単語を並べるばかりだったけど。

     スペインのスペイン語とラテンアメリカのスペイン語はやはり違う面があり、スペインのスペイン語を習った僕にとっては少し戸惑った。特に大きな違いのうちの一つは、“c”と“z”の発音である。スペインでは英語のth、“θ”の発音だが、ラテンアメリカでは全体的にそれが消滅して、“s”の発音になる。もう一つは二人称複数形の“vosotros”のが存在しないことだ。したがって、二人称複数形の活用も一般的に使用しない。

     たかが一週間程度では、たとえ一日八時間でも大して話せない。でも少しは話せるようにはなったとは思う。聞きなれたシンティア先生の声が聞けなくなるのは寂しいけど、頭の中でこだまするスペイン語を武器にこれからも頑張りたい。彼女の赤ちゃんのために、ポケモンのピカチュウの人形をプレゼントして、記念の品とした。

  • 9月17日(日)<br /> 今日は、ホームステイ先のファミリーとさよならしないといけない日。散らかしまくった部屋の片付けに手間取る。なんか部屋は散らかっていた方が落ち着く。でもそれも今日でお終い。住み慣れた部屋を去るのは少し寂しい。この家庭には音楽がなる時計があって、なぜか毎時四十分には音楽が鳴って心地よかった。それも聞けなくなる。本当に短い期間だったけど、一週間だけだけど、グァテマラの暖かい家庭の雰囲気や生活がつかめて楽しかった。別れを告げて旅立つ。<br /> <br /> アンティグアからパナハッチェルへの直通バスは一日一本でかつもう行ってしまったので、バスを乗り継いでいくことにした。まずはチマルテナンゴ行きに乗る。とにかくバスの混むこと。おととい行ったプールの前を通過して到着。とにかく言われたとおりにバスに乗る。起伏に飛んだ道を長いこと走る。辺りには玉蜀黍農園が広がる。さらに三台目のバスに乗る。山をどんどん下って行って、ソロラの町を通り過ぎてやっとパナハッチェルに到着。グァテマラのバスは、車掌が行き先を叫んでどんどん客を招くので、比較的旅行者にも利用しやすい。料金は車掌が回収しに来る。住民の生活の匂いが感じられて面白い。派手な色のウィプルに身をまとった人たちも多い。<br /> <br /> Mario‘s Roomというところに宿を取る。安いけど、木造なので面白い。ここパナハッチェルは、世界で最も美しい湖と呼ばれるアティトゥラン湖畔の中心の町で、周辺にはいくつものインディヘナの村がある。そのうちの一つの、サンタカタリーナ・バロポ行きの船を捜す。見つからなかったので、個人用のボートとの交渉に入り、ひたすら値切る。三人くらい乗せてくれるという人がいたので、一番安く乗せてくれる人のところに乗る。どうも天気が悪くて、少し残念である。<br /> <br /> 村を歩いていたら、女の子に声をかけられる。家の入り口に招き入れてくれる。名前をマリアというらしい。すごく小柄な女の子だ。年は十歳だそうだ。まだまだなれていない手つきで、一生懸命にウィプルを織っているところを見せてくれた。赤い色を基調にしながらも紫や緑やら青やらの美しい色の糸を一本一本絡み合わせて織っていく。ふだん先住民が着ていたり、市場で売られているウィプルはこうやって一つ一つ手作りでとてつもない労力をかけて作られている。その作り方は母から子へと、代々受け継がれていく。一時間くらい色々と話をした。ウィプルの模様の一つ一つには、ケツァール(グァテマラの国鳥)、火山、花、鳥、蝶などいろいろある。彼女はキチェ語を母語とするが、学校でスペイン語を習っているので結構話せる。帰りはパナハッチェルまで歩いていった。自転車で行き来する人も多い。丘の上から望むアティトゥラン湖は、さらに美しかった。<br />

    9月17日(日)
     今日は、ホームステイ先のファミリーとさよならしないといけない日。散らかしまくった部屋の片付けに手間取る。なんか部屋は散らかっていた方が落ち着く。でもそれも今日でお終い。住み慣れた部屋を去るのは少し寂しい。この家庭には音楽がなる時計があって、なぜか毎時四十分には音楽が鳴って心地よかった。それも聞けなくなる。本当に短い期間だったけど、一週間だけだけど、グァテマラの暖かい家庭の雰囲気や生活がつかめて楽しかった。別れを告げて旅立つ。

     アンティグアからパナハッチェルへの直通バスは一日一本でかつもう行ってしまったので、バスを乗り継いでいくことにした。まずはチマルテナンゴ行きに乗る。とにかくバスの混むこと。おととい行ったプールの前を通過して到着。とにかく言われたとおりにバスに乗る。起伏に飛んだ道を長いこと走る。辺りには玉蜀黍農園が広がる。さらに三台目のバスに乗る。山をどんどん下って行って、ソロラの町を通り過ぎてやっとパナハッチェルに到着。グァテマラのバスは、車掌が行き先を叫んでどんどん客を招くので、比較的旅行者にも利用しやすい。料金は車掌が回収しに来る。住民の生活の匂いが感じられて面白い。派手な色のウィプルに身をまとった人たちも多い。

     Mario‘s Roomというところに宿を取る。安いけど、木造なので面白い。ここパナハッチェルは、世界で最も美しい湖と呼ばれるアティトゥラン湖畔の中心の町で、周辺にはいくつものインディヘナの村がある。そのうちの一つの、サンタカタリーナ・バロポ行きの船を捜す。見つからなかったので、個人用のボートとの交渉に入り、ひたすら値切る。三人くらい乗せてくれるという人がいたので、一番安く乗せてくれる人のところに乗る。どうも天気が悪くて、少し残念である。

     村を歩いていたら、女の子に声をかけられる。家の入り口に招き入れてくれる。名前をマリアというらしい。すごく小柄な女の子だ。年は十歳だそうだ。まだまだなれていない手つきで、一生懸命にウィプルを織っているところを見せてくれた。赤い色を基調にしながらも紫や緑やら青やらの美しい色の糸を一本一本絡み合わせて織っていく。ふだん先住民が着ていたり、市場で売られているウィプルはこうやって一つ一つ手作りでとてつもない労力をかけて作られている。その作り方は母から子へと、代々受け継がれていく。一時間くらい色々と話をした。ウィプルの模様の一つ一つには、ケツァール(グァテマラの国鳥)、火山、花、鳥、蝶などいろいろある。彼女はキチェ語を母語とするが、学校でスペイン語を習っているので結構話せる。帰りはパナハッチェルまで歩いていった。自転車で行き来する人も多い。丘の上から望むアティトゥラン湖は、さらに美しかった。

  • 9月18日(月)<br /> 今日は昨日と比べて天気がいい。ゆっくりと起きてまず両替できる場所を探す。両替しないことには朝食も食べられない。何とか両替完了。お腹もすいたので、朝食を摂る。つくづく思うのだが、グァテマラのチーズはまずい。レストランにたまに出されるけど、本当にまずい。ちなみにメキシコのオアハカのチーズはすごく美味しい。<br /> <br /> 手紙を出そうと郵便局を探すが見つからない。道を聞いたらやっと場所がわかった。地球の歩き方の郵便局の位置が間違っていた。というよりも新しく移転したようである。<br /> <br /> とりあえず一通りの用は済ませたので、買い物に取り掛かる。とりあえずシャツと、ポシェットのようなものを買った。ポシェットは服の下に隠して、財布を入れるつもりである。サイズも丁度良かった。これから先治安のよくない国も通るので、準備を万端にしたい。<br /> <br /> 昨日より天気がよかったので、湖畔の景色が美しかった。湖畔の様子を眺める。家族連れがボートに乗ったりしてはしゃいでいる。<br /> <br /> グァテマラ行きのバスに乗る。揺られること三時間以上。途中での人の出入りが非常に多い。途中の道路の山肌の一部には、今にも崖崩れが起こりそうなところもあった。一体大丈夫なのだろうか。崖崩れ防止のための工事をするだけの余裕が政府にはないのだろうか。年度末になると急激に道路工事が盛んになる日本との違いを感じた。<br /> <br /> グァテマラシティーのCapriという宿に泊まることにした。前着たときに泊まったBelmontのすぐ近くで、少し値段は高い。でもテレビ付である。なぜか日本のアニメ「デジモン」のスペイン語ヴァージョンをやっていた。ポケモンスペイン語ヴァージョンもやっていた。ここに来て始めて日本に電話をかけた。携帯電話からかけたら一分5ケツァール。普通の電話からかけるよりも断然安いようである。<br /> <br /> 明日グァテマラを去り、エルサルバドルに向かう。大学に入るまでまったく存在すら知らなかったこの国をここまで身近に感じることになるとは思ってもいなかった。以前は内戦でかなり傷ついたが、今では復興しつつあるのだろう。アメリカの文明や日本の電化製品や車が満ち溢れ、混沌としつつも昔ながらの生活を守りつづけている人も多い。そこがこの国のよさだろう…。<br /> <br /> <br />9月19日(火)<br /> いよいよグァテマラに別れを告げる日である。朝食を摂ったあとで、Zona9のバス乗り場までタクシーで行く。ここからは結構な数のサンサルバドル行きバスが出ている。<br /> <br /> 手続きを済ませて出発。バスはグァテマラシティーの市街地を抜けると、次第に高原部へと入っていった。辺り一面緑の海の中をバスは坂を登ったりカーブを曲がったりしながら疾走する。途中にいくつかの小さい村があった。バスが泊まるたびに辺りの住民がいろいろなものを売りに入ってくる。やがて車掌が出入国関係の書類を配りだす。しばらくすると国境に入り、乗客は全員降りた。出国の手続きは荷物の検査が一切なく簡単に済んだ。メキシコ同様数々の思い出を残してくれたグァテマラの地をこうしてあとにして、新しい旅の扉を開ける…。<br />

    9月18日(月)
     今日は昨日と比べて天気がいい。ゆっくりと起きてまず両替できる場所を探す。両替しないことには朝食も食べられない。何とか両替完了。お腹もすいたので、朝食を摂る。つくづく思うのだが、グァテマラのチーズはまずい。レストランにたまに出されるけど、本当にまずい。ちなみにメキシコのオアハカのチーズはすごく美味しい。

     手紙を出そうと郵便局を探すが見つからない。道を聞いたらやっと場所がわかった。地球の歩き方の郵便局の位置が間違っていた。というよりも新しく移転したようである。

     とりあえず一通りの用は済ませたので、買い物に取り掛かる。とりあえずシャツと、ポシェットのようなものを買った。ポシェットは服の下に隠して、財布を入れるつもりである。サイズも丁度良かった。これから先治安のよくない国も通るので、準備を万端にしたい。

     昨日より天気がよかったので、湖畔の景色が美しかった。湖畔の様子を眺める。家族連れがボートに乗ったりしてはしゃいでいる。

     グァテマラ行きのバスに乗る。揺られること三時間以上。途中での人の出入りが非常に多い。途中の道路の山肌の一部には、今にも崖崩れが起こりそうなところもあった。一体大丈夫なのだろうか。崖崩れ防止のための工事をするだけの余裕が政府にはないのだろうか。年度末になると急激に道路工事が盛んになる日本との違いを感じた。

     グァテマラシティーのCapriという宿に泊まることにした。前着たときに泊まったBelmontのすぐ近くで、少し値段は高い。でもテレビ付である。なぜか日本のアニメ「デジモン」のスペイン語ヴァージョンをやっていた。ポケモンスペイン語ヴァージョンもやっていた。ここに来て始めて日本に電話をかけた。携帯電話からかけたら一分5ケツァール。普通の電話からかけるよりも断然安いようである。

     明日グァテマラを去り、エルサルバドルに向かう。大学に入るまでまったく存在すら知らなかったこの国をここまで身近に感じることになるとは思ってもいなかった。以前は内戦でかなり傷ついたが、今では復興しつつあるのだろう。アメリカの文明や日本の電化製品や車が満ち溢れ、混沌としつつも昔ながらの生活を守りつづけている人も多い。そこがこの国のよさだろう…。


    9月19日(火)
     いよいよグァテマラに別れを告げる日である。朝食を摂ったあとで、Zona9のバス乗り場までタクシーで行く。ここからは結構な数のサンサルバドル行きバスが出ている。

     手続きを済ませて出発。バスはグァテマラシティーの市街地を抜けると、次第に高原部へと入っていった。辺り一面緑の海の中をバスは坂を登ったりカーブを曲がったりしながら疾走する。途中にいくつかの小さい村があった。バスが泊まるたびに辺りの住民がいろいろなものを売りに入ってくる。やがて車掌が出入国関係の書類を配りだす。しばらくすると国境に入り、乗客は全員降りた。出国の手続きは荷物の検査が一切なく簡単に済んだ。メキシコ同様数々の思い出を残してくれたグァテマラの地をこうしてあとにして、新しい旅の扉を開ける…。

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  • らびたんさん 2020/03/15 09:20:47
    ボソートロスが存在しない
    Miyatanさん、おはようございます。

    ラテンアメリカではボソートロスがないなんて知りませんでした。
    音が違うのはなんとなく把握してたんですが、
    やっぱり離れるとだいぶ違うものですよね。

    この時代にアンティグアで学校に通うなんて、
    よい経験をなさいましたね!
    今でこそネットで簡単に出てくるし、スペイン語はグアテマラで勉強する人ってけっこう聞くのですが、20年前かあ・・・

    一般的ではないからこそ、まともな?日本人が多そうなイメージでしたが、
    海外だとはっちゃけてしまうんですかね。
    在豪時代そういうのたくさん見てきたので、想像は容易です。

    世界全体を見ると、20年前より悪くなっている国(経済的にもそうですが、旅行しやすさという点で)が多いわけですが、中米はどうなんでしょう。
    また、今後中南米に赴任される可能性もあるのですか?

    らびたん

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2020/03/15 15:13:06
    RE: ボソートロスが存在しない
    らびたんさん、こんにちは!

    英語と一緒で、スペイン語も本国スペインと中南米では微妙に異なります。ついでに言うとアルゼンチンのスペイン語はさらに違います。個人的には“θ”の発音がないと言われたことが印象的でした。なので、らびたんさんの大好きな「cerveza」(ビール)の発音が別物ですね。私が大学で習ったのは本国スペインのスペイン語ですが、実際に私が話している発音は中南米のスペイン語です。ちなみにその先生は、昔NHKラジオのスペイン語講座もされていました。

    アンティグアの語学学校は当時から有名でしたね。アメリカから陸路で下ると、メキシコでいかに英語が通じないかを痛感して、グアテマラで勉強する人が当時から多かったと思います。あと、コスタリカとエクアドルも聞きますね。

    はっちゃける人は多いと思います。オーストラリアも多分そうだと思います。

    中米の治安、、、メキシコとホンデュラスは確実に20年前より悪化していて世界最凶レベルです。でも場所と時間帯を選んで細心の注意を払えば、旅行できないというレベルではないです。エルサルバドルは先月トランジットのみで20年ぶりに立ち寄っていますが、怖かったイメージが強かったのですが空港はびっくりするくらいきれいで近代化されていました。

    Miyatan

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