1982/08/29 - 1982/08/31
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milouchatさん
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1980年にロンドンに行くときトランジットで
数時間滞在したことはあるが、本格的には初香港、
というかトランジットは別でアジア自体が初めて。
どこか大手の半日市内観光付きの 3泊4日のフリーツアー。
結果的には香港が気に入り何度も再訪することになるが、
前回は 12月末で意識しなかったが、この時は真夏。
夏生まれだが暑さは苦手で 香港 (東南アジア) の
暑い夏を知らず (というか初めてだし)、
塩が残るほど吹き出す汗に辟易し、
以後は夏に香港に行くことは避けている。
写真はバスの中から見つけたものだが
亂抛垃圾 人見人憎 (Hong Kong Is Watching) とある。
これだけでは外国人には意味が分からないが、
中国語の Wiki によると…
在1981年,香港政府以「亂抛垃圾、人見人憎」
作為八十年代初期清潔香港運動的宣傳口號,
並配以一雙怒目而視的雙眼作為清潔香港運動的標誌,
宣傳的手法亦相當具阻嚇性,措辭亦相當嚴厲。
要するに 81年から政府が "清潔な香港" を目指す
クリーン・キャンペーンの標語として使ったもので
ポイ捨ては許さない! 見張ってるぞ! と
怖い顔で睨んでいる。
確かに 80年代から香港は (東南アジア全般?)
どんどんキレイな街に変貌していく…
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
ホテルは指定で選べなかったと思うが
銅鐸湾の高級なエクセルシオール。
部屋からヴィクトリア・パークが見えた。
現在の航空写真を見ると公園の北 (海側) に
高速道路 (東區走廊) ができていた。
右上、工事中の茶色いビル瑞士寶寶も完成している… -
同じくホテルから見えた、1つ南の通り
記利佐治街だが左下に "松坂屋" の看板が見える。
よく見ると通りの右側には大丸のマークも見えている
(1995年と 97年に泊まった福富旅館も大丸と同じ建物)。
大丸が 1960年に最初に進出したあと銅鐸湾には
日本の百貨店が集中していた。
[1942年に一時的に松坂屋があったらしいが]
以後 松坂屋 (75年)、三越 (81年)、そごう (85年)…
と日本の百貨店が並ぶ日本人街だった。
現在名前だけは "そごう (崇光)"が残っているが
大丸が銅鐸湾の象徴で今でもミニバスの行く先は
存在しない大丸になっている。
(その話が出てくる 「点対点」 という、
ちょっと変わった映画を見ると
大丸の重要さが分かります。
香港の昔 (?) を歩き回るので香港好きには お勧め,
Netflix で見れます)
そして さらに松坂屋の向かいには
(ほとんど読めないが) 緑の看板に JADE | PE*
その上には SB のマークも見える。
ここは 1969年にショウ・ブラザースが造った
Jade (翡翠)、後に Pearl (明珠) と
2つの映画館があった場所 -
例によって香港についての予備知識はゼロに
近かったが幸運にも当時の銅鐸湾は映画館密集地だった。
そこにホテルがあったことが結果的に香港が好きになり
何度も訪れる大きな要因になる。
これはホテル裏の西隣にある世界貿易中心で
映画館 碧麗宮戯院 (Palace Theatre) があった。
元は同名のナイトクラブだったが 79年にショッピングモール
世界貿易中心になり映画館がオープン。 右端上に SB と
見えるが、ここもショウ・ブラザースの経営だった。
80年代の香港では一番豪華な映画館で
興行的にも多くの記録を作ったが 1994年4月に閉館。
スクリーンは1つでキャパは 1,058。
この時の上映作品は大看板、懐かしのローレン・バコール主演の
「血影狂迷 (殺しのファンレター)」 で 28日に 18ドルで見ている -
その時に見たチケット。 面白いことに
碧麗宮戯院の文字だけが右から左に書かれている。
やはり SB のマークが目立つ…
ちなみに赤鉛筆で何か書いてありますね、
当時から座席指定だが、B4ぐらいの紙の座席表を見せ
指定した席を赤鉛筆で書く。
読めないが D31 だろうか… -
劇場ロビー 「殺しのファンレター」 の宣伝。 昔は日本も含め
どこの映画館でもスチール写真が貼ってあった -
★参考までに 2019年3月の世界貿易中心を
ほぼ同じアングルで撮っている。
ホテルは健在なので右端に赤い文字で
かすかに Excelsi** と見える。
やはり日本企業が多いようだ -
こちらは向かいの明珠戯院 (現 銅鑼灣 MCL JP) の看板。
見たのは看板の『油脂續集 (グリース2)』 -
★この年ではないが 1995年12月15日 21:30に
「深圳之虎驚世桃色劫」 を見た明珠戯院のチケット。
やはり前の方で D15 のようだ…
すでに経営はショウ・ブラザースから
東方院線に替わり SBのマークはない -
これは恐らく『エビータ』を見た新大華戯院のロビーだろう
-
チケットが出てきたが、『エビータ』と言っても、
当然 96年のマドンナ版ではなく、フェイ・ダナウェイが
エビータを演じる 81年のもの。 28日 19:30 からで 12ドル。
日本と違い料金は劇場や座席によって違う
-
かすかな記憶では油麻地あたりの映画館だと思うが
検索しても看板の作品は見つからない -
当時のヴィクトリア湾
-
さて、市内観光で回った場所は忘れたが、 唯一
覚えているのは萬金油 (タイガーバーム) で大儲けした
胡文虎、胡文豹兄弟 (最強の名前?) が大坑道に建てた
タイガーバーム・ガーデン。 1935年に別荘として造り
50年代に一般公開された。
(2000年に完全閉鎖されたが 2019年に虎豹樂圃 として
生まれ変わったらしい。また行こう)
ウィキによると、三島由紀夫が
"嘔吐を催させる…悪趣味の集大成" と絶賛 (?) している -
これが、そのケバケバしかったガーデン。
現在は、音楽と社会相互活動の場として
使われているようで
昔の極彩色の印象は少ないらしい -
タイガーバーム・ガーデン周辺の住宅
-
多分 タイガーバーム・ガーデン
-
ホテルからは見えそうにないから
タイガーバーム・ガーデンから見えただろうハッピーバレー競馬場。
1978年に新界の沙田に競馬場ができてから縮小され
何度か工事が入っているので現在の SVとは
やや違うが左の高速道路のカーブにあるホテル、
ドーセット湾仔やその右の茶色い賽馬博物館などは
今も確認できる -
やはりタイガーバーム・ガーデンからの景色だと思うが
一番高いビルは 1980年に建てられた湾仔の合和中心。
香港で初めて 200mを超えた高層ビルで 1990年に
中環の中国銀行タワー (367m) ができるまで香港で
一番高いビルだった -
香港島と言えばトラムだが、これは面白い。
まず右折する線路と向こうから左折する
2本の線路が見える。 つまり銅鐸湾の
パーシヴァル (波斯富街) か天樂里しかないが
先の道路が右にカーブしているから波斯富街になる。
面白いというのは左手に東京銀行
さらに三和銀行の看板が見える。
金鐘や中環の金融街じゃなく
日本人街 (?) 銅鐸湾にあったんですね…
さらに向かいには中国国貨公司の看板も見える。
(多分この年、ここで茶道具を買った)
国貨公司とは中国製品専門のデパートで
初めて香港に現れたのは 1900年の先施公司で
1984年には 148店舗もあったが香港と本土の
接触・往来が多くなるとともに人気がなくなり
87年には 66まで減少、現在残っているのは
裕華国貨として 16店舗 (佐敦本店以外は小型店) がある -
こんな写真が出てきた。
左下が階段らしくバスではないようだから
トラムの2階席だろう。
スターフェリー同様 (?)、座席は見事に木製ですね… -
ここにも国貨公司の看板が見える。
手前には "施"という文字も見えるから
先施公司も並んでいたのかもしれない -
上の国貨公司だが、場所は旺角の彌敦道。
あまり乗った記憶はないが2階建てバスから
撮っているようだ。
後ろに見える白いビルは… -
今もある HSBC で MTR 旺角站の
現在の D1出口あたりから南方面。
アーガイルとの交差点ですね -
これも恐らく彌敦道の旺角あたりだと
思うが特定できない -
やはり特定できないが旺角あたりか…
いかにも (昔の) 香港ですね。
いや、右下にトラムの線路が見えるから
香港島で湾仔あたりかな…
何となくニューオーリンズの
フレンチ・クォーターの建物を連想する -
これも五金 (金物) の店が並んでいるから
旺角の新填地街あたりかと思ったが
やはり湾仔あたりかもしれない。
トラムの2階席から撮ったようだ。
屋台のような店が道路に並んでいる -
これは女人街のようですね
-
多分 同じでしょう。
やはり半島側では最初から旺角あたりに
よく来たようです -
これも半島側だと思うが
青バスと赤バスじゃないがデザインの違うバスが
並んでいる。 青は CMB (China Motor Bus)
赤は KMB (Kowloon Motor Bus)
場所は分からないがバスが多いから
かなり広い中心部の幹線道路のようだ。
それでも今の香港からは
想像も付かない "低い" 街並み -
今とデザインが違うが赤のミニバスだろうか…
さすがに この頃はミニバスには乗れなかった -
ここにも赤バスと青バスが見える
-
こんな輸送手段 (バス?) があったんですね。
もしかして引っ越し屋さん?
いや人間を運ぶ車のようです
いやいや車に見える搬屋を後で調べると、やはり
ヤマトや日本通運と同様の運送会社ですね -
中環のフェリー・ターミナル付近で
白いビルは怡和大廈 (Jardine House) だが
現在と違い海のすぐ側に立っている。
97年の返還に向けて埋め立てられた場所には
(あとに載せる地図でよく分かるが)
現在のフェリー・ターミナルや AEL香港駅ができる -
フェリーからの写真を見ても
IFC を筆頭に埋め立て地に高層ビルが増え
現在のビル群と全然違う -
90年代初頭の地図だと思うが
中環のフェリー・ターミナルが
現在よりずっと奥 (南) にあるのが分かる。
怡和大廈も右下のスターフェリー乗り場の近く。
ターミナル背景の広い部分が埋め立てられ
スターフェリーを含むターミナルが前に進出。
埋め立て地に IFC や AEL の香港駅ができる -
当時の MTR車両
-
その車内。座席がステンレスなので
よく滑る -
荔枝角に宗城という宗朝 (960-1279) の村を
再現したアミューズメント施設があった。
1979年にオープンし 1997年3月末に閉園しているが
行った人が少ないのか検索しても
日本語では1件しかヒットしなかった。
(英語の Sung Dynasty Village なら複数見つかる)
最寄り駅は現在なら美孚になるが、この地域は
あまりにも変化が激しく、この駅がそうなのか
確信はないが多分そうだろう…
(ウィキによると 1982年5月に茘湾駅として開業し
85年に美孚駅になっている) -
宗城の入り口。 入場料が
いくら (無料?) だったかは分からない -
園内には映画のセットのような
建物が並ぶ。 お茶屋さんかな… -
まあ、こんな感じ
-
呑剣圖、つまり刀を飲み込む大道芸。
写真はないが園内には大道芸も多数あった -
文鳥 (?) 占いのブース
-
往時の衣装を着て写真を撮る店も
-
これは…
とにかく書道関係 -
天后宮でしょうか…
いや男性のようだから違うかな… -
中華圏では時々道端に果物や線香を供えて
何かを燃やしているのを見かける。
しばしば紙幣 (もちろん本物じゃない) を燃やす。
それは盂蘭節 (お盆ですね) の風習で旧暦の7月末が中心 -
屋台というか、こんな路上の食堂が
昔は香港にもたくさんあった -
湾仔の市場。暑いから
上半身裸で働く男達が大勢いる -
とにかく暑すぎるが、さすがに
おじさん達のように裸では歩かなかったが
こんな格好をしていた。
ショートパンツではなく
下着のような薄いトランクス。
意識してでなく自然にそうなったが、
これじゃ観光客には見えないだろうな…
場所は不明だが当然 銅鐸湾か湾仔あたりの
路地の飲食店。 こんな店が当時は
多くの路地にあったが、最初に書いたように
80年代から美化のため屋台禁止地区が増え、
特に 2008年の北京オリンピックを意識して
2000年代から激減した -
と言うわけで (?)、海水浴にレパルス・ベイにやってきた。
まだ穴あきビルもユニークな形のビル Lily も
登場していないし現在の建物群とは大きく変わっている -
影が見えないから来たのは正午ぐらいだろう
-
有名な穴あきビル The Repulse Bay は
あれば少し右側に見える (完成は 1985年) -
かなりの時間ノンビリしていたようで
少し暗くなってきた -
夕闇が迫る。 ナイター設備はないので
暗くなるとデートのカップルが増えて
凄いことに??
(1人なのに何時間いたんだ? ヒマだね…) -
屋外なのでシャワーに男女の区別はないが
皆さんが壁に手をついているのが分かるかな?
実は壁のボタンを押している間だけしか水が出ないのです
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