2020/01/25 - 2020/01/25
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ローマ人さん
猫に餌をねだられて、朝早くに起きてしまいました。
手持無沙汰なので、テレビ朝日の「週刊ニュースリーダー」を見ながらPCを見ていると、msnニュースのヘッドラインに「韓国猛反発、日本の主張は正しいか」という文字が目に入りました。
これは、FNNプライムオンラインのニュースで、1月21に「領土・主権展示館」が大幅に拡張される形で移転・リニューアルオープンしたことに韓国が反発しているということでした。
「領土・主権展示館」とは?。
今までその存在を全く知りませんでした。
ニュースによると、以前は日比谷公園内に設られていた約100平米のスペースだったものが、国会議事堂や霞が関の官庁街から徒歩圏の、地下鉄銀座線虎ノ門駅から徒歩5分のビル内の約700平米のスペースに移転したというものでした。
今日は、ちょうど用事で東京駅まで出かける予定があったので、行ってみることにしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11:00、東京メトロ銀座線虎ノ門駅に到着。
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3番出口です。
虎ノ門駅は工事中でした。
オリンピックに向けての工事でしょうか。 -
地上に出に出る階段。
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3番出口を出ると、正面に霞が関ビルが見えます。
今では珍しくなくなりましたが、日本最初の超高層ビルで、1968年(昭和43年)4月12日にオープンしました。
30年位前に、最上階に東京会館のレストランがあり、そこでよく家族でビュッフェを食べた記憶があります。
右側の建物は文部科学省です。
霞が関の官庁街の皇居から一番離れた端っこのほうですね。 -
文部科学省は高層ビルになっています。
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先に進みます。
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「虎の門三井ビルディング」が見えてきました。
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「虎の門三井ビルディング」の店舗案内。
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1Fに「領土・主権展示館」があります。
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ビルの向かって左側には「虎ノ門金刀比羅宮」があります。
時間の関係で参拝はパスします。
こちらの道路側からは、「領土・主権展示館」に入ることはできません。 -
「虎の門三井ビルディング」の向かって右側、「外堀通り」側に入口があります。
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こちらにも「虎の門三井ビルディング」の店舗案内。
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「虎の門三井ビルディング」の1F(向かって左側)には、おかきの「播磨屋本店 東京本店」が入っています。
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「領土・主権展示館」に入ります。
開館時間:10:00~18:00。
休館日:月曜日(月曜日が祝休日となる場合はその次の平日休館)。
政府関係のPR施設なので、言うまでもなく入館料は無料です。 -
入口を入って正面に「北方領土」のブースがあります。
入口左(写真の左側)にスタッフがいるカウンターがあり、館内案内や領土に関するパンフレットがおかれています。 -
マスコットの「北方領土エリカちゃん」です。
北方領土といえば、道東を旅行した際に、羅臼峠から国後島を、根室から歯舞群島の貝殻島を見たことがあります。
思ったよりも近くに見えて驚いた記憶があります。 -
右奥に他のブースが続いています。
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天井から下がっているフラッグには、日本の領土、領海、排他的経済水域(EEZ)などが一目でわかる地図が描かれています。
もちろん、ロシアが占拠する北方領土と韓国が占拠する竹島も日本の領土となっています。 -
展示館の一番端に「領土・主権展示館」の表示があります。
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展示の目的は、
日本の領土でありながら日本の主権(国家が自国の領域において有する他の権力に従属することのない最高の統治権)の一部を事実上行使できない場所(北方領土と竹島)があり、それに加えて領有権の問題はないものの情勢が複雑化している尖閣諸島について、歴史を振り返りながら、日本が領有する根拠、他国・地域の主張や行動、それに対する日本の対応や考え方を説明
ということだそうです。 -
北方領土問題は、1945年8月のソビエト連邦(現在のロシア)軍による日本の領土の北方四島(国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島)の占領に始まります。
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第2次世界大戦末期に、当時まだ有効だった「日ソ中立条約」を無視して対日参戦したソビエト連邦は、その後、日本が降伏の意思を明確にした後の1945年(昭和20年)8月28日から9月5日までに北方四島を占領しました。
現在も、ロシアによる法的根拠がない北方四島の占拠が続いています。 -
ブースのレイアウト。
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左側は、北方四島の領土確定の経緯が説明されています。
元々は、日本とロシアは、1855年に締結された「日魯通好条約」で平和裏に北方四島は日本の領土として合意しました。 -
日ロの国境線の推移。
1875年、「樺太千島交換条約」により、樺太(サハリン)全島における日本の権利と引き換えに、択捉島より北の千島列島をロシアより譲り受けます。
1905年、日露戦争で日本が勝利したことで、「ポーツマス条約」により、樺太の北緯50度以南が日本に割譲されます。 -
北方四島の住民たちが使用していた日用品の展示。
アイロンやランプなどがあります。 -
領土問題の発生の経緯。
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ソ連軍の侵攻と占領。
北方四島の日本軍は、日本がすでに降伏を受諾していたので命令により抵抗せず、ソ連軍は血を流すことなく占領したそうです。
日本が降伏した後に占領するとは、やり方があくどい様な気がします。
1951年9月、日本は「サンフランシスコ平和条約」により千島列島と樺太南部を放棄しました。
しかしながら、放棄した中には、北方四島は含まれていません。 -
ブース全体の写真。
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当時の北方四島の写真コーナー。
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レトロな写真が並んでいます。
自然が豊かな島の様子が窺えます。 -
北方領土に関する日ソ首脳レベルで合意。
1956年10月、「日ソ共同宣言」で、日ソが平和条約の締結交渉の継続及び平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことに同意しました。
平和条約は、ご存じの通りいまだ締結できていません。 -
日ソ共同宣言(抜粋)。
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北方四島の地図の展示。
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北海道にこれだけ近い場所にある北方四島を千島列島の一部と見做すには少し無理があるような気がします。
早期に返還されることを望んでやみません。 -
次は、「竹島」のブースです。
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竹島は、1953年に第2次世界大戦後の混乱に乗じて韓国により不法占拠され、現在に至っています。
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ブースのレイアウトです。
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これはマスコット?
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大正から昭和初期(1920年頃)、竹島にはたくさんのアシカが住んでいたそうで、アシカの漁が許可されていて、年間100~150頭が捕獲されていたそうです。
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「リャンコ大王」は、体長2.9m、推定体重750㎏のオスだそうです。
名前は、当時の竹島の別名(リャンコ島)にちなんだもので、1934年(昭和9年)に漁船の網を食い破ったり漁船を襲うということで駆除されたのだそうです。
その割には、愛嬌のある顔をしています。 -
二ホンアシカの成獣のはく製は、「リャンコ大王」が世界で唯一のものだそうです。
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戦前までの竹島の領有経緯のパネル展示。
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江戸時代には、幕府による鬱陵島、竹島への渡航許可が出されていたようです。
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鬱陵島への渡海禁止の経緯。
当時、朝鮮王朝は15世紀以来鬱陵島への朝鮮人の渡航・居住を禁止し、鬱陵島は無人島になっていました。
1692年に渡海を許可されていた廻船業者が鬱陵島に行くと多くの朝鮮人に遭遇したので、朝鮮人2名をアワビ漁ができなかった証として日本に連れ帰ったのだそうです。
そのうちに1人が「安龍福」でした。
その後、幕府の命により「安龍福」らを朝鮮に送還し、朝鮮に鬱陵島への渡海禁制を要求する交渉を始めました。
1696年、鬱陵島をめぐり日本と朝鮮との間で行われた交渉が決裂し、朝鮮との関係に配慮した幕府は、鬱陵島への渡海を禁止しました。
その一方で、竹島への渡海は禁止していません。 -
明治期における動き。
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1905年(明治38年)に、島の名前を「竹島」と定め、島根県に編入されました。
今の竹島は、昔は「松島」と呼ばれていたそうです。
一方、鬱陵島は「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていたそうです。
話がややこしくなってきました。 -
編入後、竹島には、所轄、登記、課税、産業取締・許認可で、継続的な行政圏の行使が行われました。
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韓国の主張に対する反論①
韓国:朝鮮古文献に竹島が自国の領土として記載されていると主張。
日本の反論:韓国が引用した文献には竹島に関する記述がなく、竹島を領有する証拠とはいえない。 -
韓国の主張に対する反論②
韓国:17世紀に「安龍福」という朝鮮人が日本に渡り、竹島は朝鮮の領土であると抗議したことをきっかけに、日本と朝鮮との間で交渉が行われ、鬱陵島と独島(竹島)が韓国の領土であることが確認され、日本は竹島江の日本人の渡航を禁止した。
日本の反論:交渉はしたものの決裂している。幕府が鬱陵島への渡航を禁止したのは、朝鮮との友好関係の維持に配慮したもので、竹島への渡航は禁止していない。また、「安龍福」は朝鮮王朝が空島政策をとっていた鬱陵島で漁をしていた漁民で、朝鮮国を代表したものではない。 -
韓国の主張に対する反論③
韓国:1900年に竹島(勅令では石島と記載)を韓国の行政区域(鬱島郡)の管轄とした勅令を官報に掲載した。
日本の反論:勅令の記載されているが石島が竹島であることは証明されていない。仮にそうだとしても、勅令の公布前に韓国が竹島を実効的に支配した事実を示す証拠はは示されておらず、韓国が領有権を確立していたとことはできない。 -
竹島の立体模型です。
地図で見ると島根県に近いのがわかります。
隠岐からは約158㎞の距離があるそうです。 -
竹島が男島(西島)と女島(東島)2つの島とその周辺の小島からなる群島だということを初めて知りました。
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大画面で展示資料の解説を見ることができます。
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座って見ることが出来るのは良いですね。
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「サンフランシスコ平和条約における竹島の扱いと韓国の行動」についてのパネル展示。
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第2次世界大戦終了後の平和条約に向けた交渉。
1951年5月3日、米英は、平和条約草案で日本が放棄する領土として当初の「朝鮮、台湾と澎湖諸島」に朝鮮の一部として「済州島、巨文島及び鬱陵島の3島を加筆することで合意しました。
この草案に対し、1951年7月19日に韓国が竹島も加えるように修正、また、マッカーサーライン(日本占領下における日本人の漁業等の操業可能な範囲を示す境界)の維持を要請しましたが両方とも却下されました。 -
平和条約の署名・発効と韓国がとった行動。
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1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約署名(発効は1952年4月28日)で、本州、北海道、九州、四国以外の日本の島嶼が確定しました。
韓国の条文修正要請は通らず、竹島が日本領であることが確認されました。
しかしながら、サンフランシスコ平和条約発効を目前とした1952年1月18日に、韓国大統領が「快癒主権宣言」を発出し、いわゆる「李承晩ライン」を公開上の広範囲な海域に一方的に設定するとともに、同ライン内に竹島を取り込みました。
相手方のも言いたいことがあるのかもしれませんが、こんなやり方は一般的には「火事場泥棒」というのではないでしょうか。 -
サンフランシスコ平和条約発効後、竹は米軍爆撃訓練区域に指定されて渡航はできませんでしたが、指定が解除されると1953年6月から竹島への渡航が再開され、竹島やその周辺海域で漁業が再開されました。
一方で、韓国人による竹島不法上陸が頻発し、その取り締まりを実施しました。
そんな中、1953年7月12日、竹島近くで海上保安庁の巡視船「へくら」が、韓国漁船から数十発の銃撃を受けました。
更に、1954年6月には韓国が海洋警察隊を竹島に派遣して不法占拠の体制が固まり、現在に至っています。
何とか解決してほしいものですが、国際司法裁判所での解決の提案を韓国が拒否している状況では難しいのではないでしょうか。
自国の領土として自信があるのなら、公の場で正々堂々と渡り合っても問題ないと思うのでしょうがどうでしょうか。
あくまで個人的な意見ですが・・・。 -
最後に、尖閣諸島のブースです。
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中国が尖閣諸島が自国領だと国際法上の根拠のない主張をし始めたのは、第2次世界大戦後に米軍の施政権下に置かれていた沖縄県が日本に返還されることが決まった1971年6月の後でした。
それ以前に中国が尖閣諸島に対して領有権を主張した記録はなく、その背景には、1960年代に東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの調査結果が明らかになったことがあるようです。 -
ブースのレイアウト。
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「戦前までの尖閣諸島の領有経緯」のパネル展示。
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尖閣諸島をめぐって解決すべき領有権の問題は存在しないという主張。
北方四島、竹島とは違って日本が実効支配していますからね。 -
19世紀後半まで、尖閣諸島はどの国にも属さない琉球周辺の無人島でした。
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1885年、沖縄県が尖閣諸島を調査し、国標の建設を政府に上申しましたが、政府は国際情勢や他国との関係を勘案し、国標建設を見合わせました。
そして、1985年(明治28年)1月14日、国標建設を認めて沖縄県所轄とすることを閣議決定し、領土に編入されました。
この際、日本は尖閣諸島が他国に支配されていないことを確認しています。 -
尖閣諸島の有効な支配に関する事実の展示。
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1895年(明治28年)、尖閣諸島(魚釣島と久場島)は沖縄県の所轄となりました。
1897年(明治30年)5月31日、塩専売法や葉煙草、煙草の専売法の適用地域から魚釣島を除外。
法の適用除外の対象地域として沖縄県管轄下における島嶼に魚釣島を明確に含めていたことがわかるそうです。 -
1902年(明治35年)12月3日、八重山諸島における行政区画が再編され、尖閣諸島4頭(南小島、北小島、魚釣島、久場島)が、八重山郡大浜間切登野城村に編入されました。
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尖閣諸島の立体模型です。
与那国島のほうが台湾にも中国大陸にも近いように見えますが、地理的にはどうなんでしょうね。 -
なんとなく解ったつもりでいましたが、尖閣諸島の位置や島の形を再認識しました。
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尖閣諸島トピックスの展示。
久場島を中心に始まった尖閣諸島の開拓の様子などが展示されています。 -
資料の展示です。
1919年(大正8年)遭難した漁船乗組員を救助したことに対する中華民国(現在の中華人民共和国)駐日領事からの感謝状には、遭難して漂着した場所が日本の尖閣諸島の島であることが記されています。
中国が尖閣諸島を日本の領土と認識していた証左ですね。 -
資料の展示です。
1893年(明治28年)の沖縄県の警察所の管区を定めた文書には、尖閣諸島が八重山島警察署の管轄だと記されています。 -
「米国の施政下に置かれた尖閣諸島と沖縄返還」のパネル展示。
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第2次世界大戦が終わり、1945年9月から米国軍政府が沖縄の統治を開始し、1952年4月にはサンフランシスコ平和条約が発効し、尖閣諸島を含む沖縄の領有権は日本に残り、施政権は米国が行使することになりました。
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ポイントは、尖閣諸島は、沖縄が米軍の施政権下にあった際にも米軍の統治下におかれていたことです。
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沖縄で施政権を行使する、琉球列島米国民政府(USCAR)は、関連する布告などで施政下に置く琉球列島の範囲を緯度経度で明示していましたが、その範囲の中には、いずれも尖閣諸島が含まれていました。
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1960年代の終わりごろになると、尖閣諸島への台湾人の不法入域が問題となりました。
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琉球政府は、琉球列島米国民政府(USCAR)と協議の上で、不法入域者の取り締まりを行いました。
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1971年6月17日、返還対象地域に尖閣諸島が含まれた「米国との沖縄返還協定(略称)」が日米間で署名され、1972年5月15日に発効しました。
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ブース全体の映像。
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尖閣諸島トピックスの展示。
島の海鳥や沖縄の地図、久場島が米軍の射爆撃場に指定され賃借契約が締結されたことが展示されています。 -
1957年(昭和32年)に作成された「琉球列島全図」に、尖閣諸島が明記されています。
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1972年(昭和47年)5月、沖縄の施政権返還対象を地図にも尖閣諸島が記載(地図の中央下部)されています。
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2階には映像コーナーがあります。
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北方領土、竹島、尖閣諸島各3つの映像を見ることが出来ます。
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2階からブースを見下ろします。
手前が尖閣諸島のブースです。 -
事務スペースです。
写真の右側には図書コーナーもあります。 -
来訪者アンケートです。
答えるとプレゼントがあります。
プレゼントにはレターファイル、ボールペン、缶バッジ、トートバックなどが用意されています。 -
私は、トートバッグをいただきました。
サイズ比較のためにスマホを一緒に写しています。 -
12:00を過ぎて、時間の都合もあるので退館します。
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出口に向かう途中にの通路にもパネルがありました。
「国際社会の法と秩序を尊重する日本の対応」というタイトルです。
領土・主権問題における北方領土、竹島、尖閣諸島それぞれのおかれた状況と日本がどのように対応していくかが開設されています。 -
「領土・主権を守る日本政府の取組」というタイトルです。
主な政府・関連機関の連携体制が表示されています。
中心には、「内閣官房領土・主権対策企画調整室」の名前があります。 -
最後は、「最後にー考えてみよう」というタイトルです。
北方領土、竹島、尖閣諸島問題については、日本と他の国・地域の見解は異なっています。
裁判官になったつもりで、どちらの主張が正しいか考えてみるとともに、単にどちらが正しいということだけでなく、意見の違いをどのように克服するのか考えて星と書かれています。 -
「領土・主権展示館」のパンフレットです。
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北方領土、竹島、尖閣諸島のそれぞれについて詳しく書かれたA4サイズの冊子が準備されています。
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「領土・主権展示館」の入り口前には、「江戸城外堀跡」の史跡があります。
写真の右側中央に、わずかに石組みが見えていますが、この付近の石垣は江戸城外堀に建てられていた溜池櫓の櫓代の一部だそうです。
そういえば、ここは地名のいわれとなった「虎御門」があったところですからね。 -
石垣をズームアップ。
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裏側に回ってきました。
石垣の右側が、かつては江戸城外堀だったんですね。 -
江戸城外堀の隅櫓は、ここのほかに筋違橋門と浅草橋門にありましたが、唯一現存しているのはこの石垣だけだそうです。
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虎ノ門から歩いて東京メトロ丸の内線霞ヶ関駅まで行き、そこから東京駅に向かいます。
10分も歩かない距離です。
途中振り返ってみる虎ノ門方面の風景です。 -
東京駅八重洲口で用事を済ませてから、アメ横へ移動。
東京メトロ日本橋駅まで少し歩いて、銀座線に乗って上野広小路駅で下車。
アメ横のたこ焼き店が人気で、列ができていました。
おかか・青のりかけ・ソース・マヨネーズかけ放題で、4個で200円、8個で400円、1個当たり50円なのでリーズナブルな価格です。 -
「二木の菓子」の前。
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かなり混んでいます。
春節だから?
薬局で整髪料を買ってから、東京メトロ日比谷線仲御徒町駅から築地駅に向かいます。
アメ横は、薬局の値段も安いんです。 -
築地で立ち食い寿司の「すし兆」で夕食をとってから、帰りにちょっと寄り道。
東京メトロ日比谷線、千代田線を乗り継ぎ、銀座線で渋谷へ。 -
ついでに、今年1月3日に新駅舎に移転したばかりの銀座線渋谷駅を見に来ました。
これが話題のM字型のアーチ屋根ですね。
落ち着いた優美な姿をしています。 -
ホームから見える駅の周囲はまだ工事中です。
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ホームが広くなってとても便利になりましたね。
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まだ工事中の場所があり、完成はもう少し先のようです。
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改札口を出てすぐ、駅と渋谷スクランブルスクエアの連結部分です。
正面の建物は渋谷ヒカリエです。
渋谷には、新社員で渋谷支店に配属されて3年くらい通勤していたことがありますが、最近は用事がない限りはあまり来ることがないので、久しぶりに来てみると、昔とは様変わりしていてびっくりです。 -
こちらが銀座線渋谷駅の旧駅舎です。
これから表参道駅を経由して千代田線から小田急線に乗り継いで自宅に帰ります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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